姫様が告げる、開幕の終幕

 窓から流れ込む涼風が、髪をわずかに揺らしていく。その心地良さにハイトは瞳を細めた。


 手の中には上質な紙とインクを使ってしたためられた一通の手紙が握られている。


「……恙無つつがなく済んだみたいだな」


 それはエルザ本人がしたためた、ハイト宛の手紙だった。


 イーゼが内密に届けてくれた手紙には、戴冠式が無事に済んだ事、貴族達にも丁重に扱われている事、それでも王宮の贅沢に慣れる事が出来なくて困っている事など、様々な事が綴られていた。


『ありがとうございます。ハイトさん達に背中を押してもらえなかったら、私と炎狼ヴィヴィアスが今、こうして幸せに暮らしている日常もなかったことでしょう。本当に感謝しています』


 結局今回、アクアエリアはボルカヴィラの王位継承権争いには関与していないという方向でこの一件は処理されたらしい。ハイトの乱入はあくまで友好国の姫を助けるための行動であり、カティスと争ったのもアヴァルウォフリージア姫を助けるための行動だった、という事になったようだ。


 国として大々的に名乗りを上げなくても、国王になるエルザは全ての事情を知っている。下手に名乗りを上げてボルカヴィラ王宮に対する印象を悪くしては逆効果だし、何よりハイトとエルザが最後に打った芝居が無駄になると、他でもないイーゼが進言してくれたらしい。


 ──全てが全て、納まる所へ納まったという事だな。


 カティスが火口に呑まれたのと同じ頃、ボルカヴィラ王も王宮で亡くなったという。


 それを機に今まで冷遇されてきた官僚達が奮起し、先の王の下で私腹を肥やしてきた悪徳貴族連中を王宮から次々に追放。お陰でボルカヴィラ王宮は随分と風通しが良くなったらしい。


 エルザの母が追い落とされた時に王宮を追われた貴族達も戻ってきたそうで、エルザの母が即位していたら宰相に起用されていたと言われている人物が今はエルザの補佐兼教育係を務めてくれているらしい。


 ──正しく鍛えてくれる人がいるならば、きっとエルザは良き王になれる。


 きっとこれからのボルカヴィラは、今より良い国になるだろう。自分も負けていられないな、とハイトは口元に笑みを翻す。


「ハイト~、女中メイドさんが呼んでるみたいだけど~」


 ハイトは笑みとともに最後まで手紙に目を通すと、丁寧に封筒の中に戻した。鍵が掛かる引き出しの奥に仕舞い込み、扉越しに掛けられた声に言葉を返す。


「今行く。多分衣装の最終調整だろ。お前とヴォルトの分、先に片付けといてくれ」

「りょ~かい。ハイトの分も調整しとくね~。駄目って言われても調整しとくからね~」

「はいはい。お前達に任せますって。そもそも色から布地から形からかさねから、全部お前達が決めてて俺の意見なんて聞かなかったじゃないか」

「ハイトに一番似合う衣装は、誰よりも僕達が知ってるんだよ~」


 リーフェは扉を開かないまま、パタパタと走り去った。リーフェもリーフェで忙しいのだろう。


 今回の事を仕切っているのはリーフェだ。多分主役であるハイトよりも忙しく走り回っている。ハイトの場合は走り回りたくても、リーフェとヴォルトがそうさせてくれないというのがあるのだが。


「……婚約式……かぁ」


 ハイトは机にもたれて立つと、開け放った窓から青い空を見上げた。


 そう、ハイトは今、婚約式を三日後に控えた身である。


「……実感ないなぁ」


 あの騒ぎの後、サラはフローライトへ戻った。


 というよりも、連れ戻されたと言った方が正確かもしれない。


 さすがにサラが無理矢理カティスにとつがされそうになっているのを静観してはいられなかったのか、ハイトがサラを地上に送り届けた時には完全武装のフローライト兵がボルカヴィラ王都に流れ込んできていた。


 サラはなかば担がれるようにその兵団に回収され、そのままフローライトに帰国したらしい。もちろんハイトはろくに話もさせてもらえず、別れの挨拶を一言交わすだけで精一杯だった。


 その後フローライトで何がどうなったのかは知らないが、サラとハイトの婚儀の話はトントンと調子良く進んでいる。


 サラとハイトの急な婚約は、カティスと無理強いされた結婚をかわすための物であったはずだ。ハイトに移された王位継承権はイーゼに戻され、水龍シェーリンは相変わらずリーフェの中にいる。ハイトは相変わらず、アクアエリアの欠陥品王子だ。


 つまりフローライト側から見て、サラとハイトの結婚にあまり旨味はない。


 それなのにサラとハイトの婚儀の話が進むとは、一体どういうことだろうか。


「なん……っか、裏がありそうな気がするんだよなぁ……。なんだ? 今度はこっちに来た厄介事をかわすために、サラとの婚儀を利用しようとしているのか? アクアエリアがフローライトに働き掛けでもしてるのか?」

「そんなことはないと思うけれど、何か色々ゴチャゴチャしすぎて何が裏で何が表なのか分からないのよねぇ」

「そうそう。ゴチャゴチャしすぎてなぁ」

「嫌んなっちゃうわよね」

「ま、王族ってのはどこの国のどの時代でも色々と裏を抱えてるもんだけどなぁ……って、うん?」


 ハイトはどこからか聞こえてきた声にしみじみと頷いてから我に返った。


 ──今の声、一体どこから聞こえてきた?


 なんだかとても聞き覚えがある声だったような気がするのだが。


「だけど自分の結婚までそのゴタゴタに利用されるなんて、まっぴらごめんだわ! 結婚なんて人生の一大事。乙女の一生の憧れ! 少しは自分の希望をそこに見出したいじゃないの!」


 声は開け放たれた窓の向こう側から響いていた。


 ハイトは思わず己の耳を疑う。


 ──いや、まさか。いくら何でも、そんな馬鹿な。


 いくら破天荒な性格の持ち主とはいえども、相手はあのフローライト王国の姫。こんな所から登場するはずがない。


 だがハイトがなけなしの理性で考え出した反論は、あっという間に崩された。


 ピョコンと窓の向こうに、金の髪に縁取られた麗しいかんばせが現れる。


「ハイトだってそう思うでしょっ!?」

「確かにそうは思うがちょっと待てサラッ!! ここは三階だぞっ!?」


 ハイトは思わずサラが飛び込んできた窓に飛び付くと、外へ身を乗り出した。


 アクアエリアの王宮はどちらかと言うと東方色が強く、フローライトやボルカヴィラのようにいかめしい要塞のような造りにはなっていない。


 だがそれでもここは王族が住まう王宮だ。少なくとも人間が生身一つでよじ登れるような場所ではないし、そもそも王宮の警備はそこまで甘くはない。


 現にハイトの視界には、垂直方向に直立する石壁が一面に映っている。もちろん足場になるような場所はどこにもない。


 だがサラはここまで、この壁をよじ登ってきた訳で。


「細かいことを気にしているとハゲるわよ? ハイト」


『これは並の泥棒より腕が良いんじゃないか?』と戦慄するハイトに、サラはあっけらかんと言い放った。


貴女あなたに常識って物はないのか……?」


 胸の内だけで百万語を転がしたハイトは、結局ガックリと項垂うなだれてしまう。もう何を言ってもサラを前にすると意味がないような気がしてならない。


「常識なんてあったら私達、最初から出会ってないじゃない」


 ──……確かに。


 気を取り直したハイトは、頭を上げるとサラを見遣った。


 波打つ金の髪を一つに束ね動きやすいドレスに身を包んだサラは、琥珀の瞳を煌めかせながらハイトのことを見詰めていた。フローライト王族の直系姫とは思えない雰囲気は、ハンガで初めて出会った時と全く変わっていない。


 ハイトは小さく溜め息をくと、苦笑にも似た微笑みを浮かべた。


「それで? 破天荒なお姫様バロックパールは、何を仕出かそうとしてるんだ?」


 王族としては、確かに規格外のお姫様なのだろう。


 だが彼女の魅力は、そんな型に押し込められた尺度では測れない。彼女の美しさは、人がいとうその歪みの中にあると思うから。


「お父様ったら、話が整った矢先に何って言ったと思う? 『お前、やっぱりフローライトの貴族と結婚しろ』なんて言ったのよ? その前は『リーヴェクロイツ王太子の正妃なんか狙ってみたらどうだ?』とか、『やっぱりハイトリーリン殿下以上の人はいないっ!』とか言ってたくせに。発言がコロコロ変わりすぎなのよ、信っじらんないっ!」


 ハイトの言葉に琥珀の瞳が強く輝いた。『待ってました!』と言わんばかりにサラは言葉を紡ぐ。


「そのたびにみんなが右往左往するのよ。いくら一人娘の結婚だからって動揺しすぎだと思わない? 振り回されるこっちの身にもなれっていうのよ。いい迷惑だわっ!」


 口調は厳しいながらも、サラの瞳は本気で怒ってはいなかった。腹立たしいものの、仕返しの悪戯イタズラを思い付いたからやり返してやる、と息巻く悪戯っ子のようだ。


「だから私、決めたの。私の人生は私が決める。もう誰にも邪魔なんかさせない。歪み者バロックと呼ばれても、構わないわ。とりあえず今は、色々ゴチャゴチャ画策する人達にひと泡吹かせてやろうと思うの。そう思った時、あなたと一緒にやりたいなって思ったわ」


 その悪戯っ子の表情を失わないまま笑みを浮かべたサラは、真っ直ぐにハイトに手を差し伸べた。


「だからハイト。私と一緒に、歪んでくれないかしら?」


 とんでもない台詞であるはずなのに、その言葉はどんな美辞麗句よりもハイトの心を引き付ける。


 これも『詞繰ライティーディ』の力なのか? と思いながらも、ハイトはサラの手を取っていた。


 多分、サラがそんな力を持っていないただの娘であったとしても、今の言葉には心を持っていかれたような気がしたから。


「歪むも何も、俺は最初っから歪んでるんだっての!」


 だから彼女と共に飛び出していこう。


 歪み者バロックである自分達が、ありのままの自分の手で掴み取る未来の中へ。





 フローライトのアヴァルウォフリージア姫とアクアエリアのハイトリーリン王子が駆け落ちしたという噂が各国を駆け巡ったのは、この日から数日後のこと。


 側近達を加えたお騒がせな御一行が各国で目撃されるようになるのは、もう少し先のことである。




【END】


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