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Twitter再掲・比翼鳳凰+鷭兄弟SS【ご近所さん】


『拾捌※』のネタバレを含む番外になります。本編読了後の閲覧を推奨。

本編で氷柳が口走った『ご近所さん』の正体は実は……な小話です。


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 ──ここ数日、黄季に不審な行動が見受けられる。

 早朝であるにも関わらず、己の気配しかない鷭邸の中を、涼麗はウロウロとさまよっていた。

 ここ数日、黄季は一人で早朝に出掛けているらしい。気付いたのは三日程前だが、あの様子からするにそれよりも以前からこの行動は続いているのだろう。その行動を自分に秘匿しているということは、何か知られると都合が悪い事情があるのだろうか。

 そこまで考えた涼麗は、ムスッとその場に立ち止まった。

 ──私に知られると都合が悪い事情とは何だ。

 自分で考えついておきながら、これは大変面白くない思いつきだった。ただでさえ最近は鷭道場の兄弟子だったという人間の登場で内心が不快に波打っているというのに。

 ──……黄季が知らない時代の私がいるように、私が知らない時代の黄季もいる。

 それは当たり前のことだ。

 しかし、面白くないものは面白くない。今なら『僕が知らない時代の慈雲の話を内輪でしないでっ!! それは別としてその話は聞きたいっ!!』と完全に矛盾することを叫びながら地団駄を踏んでいたかつての貴陽に共感することができる気がする。

「?」

 そんなことを思いながら、無意識のうちに頬を膨らませた、その瞬間だった。

 フワリと微かに髪が揺れたような感覚があったな、と思った瞬間、不機嫌と不審を等分に混ぜたような表情を浮かべた青年の幽鬼が目の前に姿を現した。同時に、左右の袂にじゃれるように双子の少年の幽鬼も姿を現す。

 この邸にひっそりと留まっている、黄季の兄達だ。

 ──確か、四兄の緑亥(りょくい)殿と、六兄と七兄の白狒(はくひ)殿と黒鴟(こくし)殿……だったか。

 黄季には『緑兄』『双兄』と呼ばれている兄達だ。

 大乱で全員亡くなったという黄季の家族は、黄季自身に見つからないように気を付けながら、ひっそりとこの場に留まり黄季を見守っている。

 その中でも涼麗がよくこちらの屋敷で見かけるのがこの三人だった。涼麗と波長が合うから目に止まりやすいのか、あるいは他の家族と比べてこの三人の念が強く残っているから目に止まりやすいのか、その部分は涼麗にもよく分からない。

 しかしこの三人にしても、屋敷に足を踏み入れた当日以降、ここまではっきりと涼麗に絡んでくるのは初めてだ。何か訴えたいことがあるのかと、涼麗は真正面から緑亥の視線を受ける。

 そんな涼麗の視線の先で、壁に歩み寄った緑亥が何やら指を滑らせた。

『何してる?』

 ゴロツキのような見てくれをしている割に、緑亥の筆跡は整っている。黄季と癖が似ているのは、同じ者に字を教わったからなのかもしれない。

 ……と、今はそちらの話ではなく。

「黄季がいない」

 どうやら涼麗の行動に不審感を抱いてわざわざ出てきてくれたらしい、ということを察した涼麗は、端的に状況を言葉に出した。

 そんな涼麗の発言に、三人の幽鬼は顔を見合わせる。

『仕事』

 兄弟同士の無言の会話を経てから、緑亥はもう一度壁に文字を書いた。同時に双子はその場を離れ、どこかへ姿を消す。

「仕事であるならば、私もともに行動していないとおかしいはずだが」
『退魔師の方の仕事じゃない』

 サラサラと壁に指を滑らせながら、緑亥は問いかけるような、困ったような、何とも言えない顔を涼麗へ向ける。

『出仕する以前の』

 ──出仕する以前?

 その指が描き出す文字を読み取った涼麗は、思わず眉尻を跳ね上げた。

 ──前職を持っていたなど、聞いたことがないが。

 元々職を得ていた人間が、一念発起して祓師寮に入寮し、退魔師として仕官を始めるという話が完全にないというわけではない。むしろ話を聞くに、大乱直後はよくあった話だという。

 だがそういった経歴を持つ者は、真っ直ぐに退魔師を目指して祓師寮に入ってきた人間よりも年嵩であるというのが常だった。その部分に黄季は当てはまらない。転職組と考えるには、あまりに幼すぎる。

「どういうことだ?」

 分からないことは、知っている者に訊ねるしかない。さらに言えば目の前にいるこの青年は、黄季の過去だけではなく、現在の密行の詳細まで知っている風情がある。

 涼麗は思わず一歩前へ足を踏み出していた。その勢いに押されたのか、あるいは涼麗が『黄季の前職』なるものを知らないとは思っていなかったのか、緑亥は何やらあからさまに視線を泳がせる。恐らく『黄季自身が話してないなら、自分から話すのはどうなのだろう』と迷っているのだろう。そんな律儀な性格までもが黄季に似ている。

 ──確かにその部分を躊躇う気持ちは分かるが。

 知りたいものは知りたい。

 ならば黄季の兄が相手であろうが口を割らせるまでだ。

 即刻割り切った涼麗は、さらに間合いを詰めようと足を前へ出す。

 だが涼麗が武力行使に出るよりも、双子が再び姿を現す方が早かった。さらにその双子が左右の袖を引くように連れてきた人物に、涼麗は小さく目を瞠る。

 ──もしかして、この人は……

「青燕殿、だろうか?」

 思わずこぼれ落ちていた呼びかけの声に、双子に両の袂を引かれるようにして連れてこられた青年はパチパチと目を瞬かせた。表情に乏しい顔からはその内心を読み取ることはできないが、どうやら涼麗の呟きに反応を示したらしい。

 涼麗の記憶が正しければ、彼は以前、道場で涼麗が鷭家の面々と顔を合わせた際、暴走する三兄と四兄をその弓の腕で牽制し、涼麗の窮地を救ってくれた相手だ。黄季から聞いた話では、次兄・青燕は他に並ぶ者がない弓の名手であったという。

 ──あの黄季が、迷いなく『自分なんかじゃ敵わない』と断言する、弓の名手。

 弓を手にした黄季を見たのは、過去に二回だけだ。だがその二回だけで、黄季の弓の腕前は強制的に理解させられたと思っている。

 そんな黄季の弓の師匠であり、黄季が采安湛に接触を図る際、握っていた弓のかつての主がこの次兄であると、涼麗は聞いている。

 ──寡黙で、表情に乏しかったが、

 愛情深い人で、自分をとても可愛がってくれた。

 そう涼麗に話してくれた時、黄季は普段の笑みとは少し違う……きっと『弟らしい』と表される顔で笑っていた、と、思う。

 そんなことを考える涼麗の前で、双子に何やら訴えられ、緑亥からさらに事情説明を受けたらしい青燕は、無表情のままひとつ頷くと涼麗に拱手を向けた。そのまま軽く頭を下げられた涼麗は、同じ作法を以て青燕に応える。

『─────、っ』

 顔を上げた青燕は、緩く唇を開いた。だが青燕が紡ぐ声を、涼麗は聞き取ることができない。

 そのことに、青燕は声を発してから気付いたのだろう。一瞬考えるような空気を纏った青燕は、涼麗を真っ直ぐに見つめると己の喉元をトントンッと軽く叩く。

 ──話せるようにしてくれ、ということか?

 その仕草に緑亥と双子が驚愕を露わにしているのが気になったが、涼麗としても直に言葉を交わせた方が都合がいい。

 コクリ、とひとつ頷いた涼麗は、飛刀を使って簡単に領域を区切ると、パンッとひとつ手を打ち鳴らす。

「これで、どうだろうか?」
「……あ」

 涼麗の言葉を受けた青燕が、小さく声をこぼす。その音に青燕自身が驚いたような表情を見せた瞬間、同じように声を取り戻した緑亥と双子がまるで幽鬼でも見たかのような表情で呟いた。

「嘘だろ……」
「青兄が喋った……」
「青兄が自主的に喋るなんて、年一あればいい方だったのに……」

 ──そこまでなのか。

『無表情』だの『口下手』だのと周囲から評されている涼麗だが、さすがにそこまで口を開かないわけではない。

 己よりも寡黙な人間が世にいたのかと、思わず涼麗はまじまじと青燕を観察する。

「……俺だって、必要があれば、喋る」

『黄季が私の内心をよく汲み取ってくれるのは、もしや次兄が私に輪をかけて寡黙な人だったからか』と思わずうがったことを考えた瞬間、ジロリと弟達に不満の視線を向けながら青燕が言葉を発した。掠れを帯びた細く低い声だが、同時に不思議と聞き取りやすい声でもある。

 ──声質は、黄季に似ていない。でも。

 声の底にある穏やかさは、不思議と似ているような気がする。

「改めて……汀涼麗殿」

 そんなことを思う涼麗の前で、青燕は改めて涼麗に頭を垂れた。

「鷭青燕という。末弟の黄季がいつも世話になっていること、兄の一人として改めて感謝申し上げる」
「……お噂は、かねがね」

 相変わらず、黄季の家族から向けられる真っ直ぐすぎる言葉に、涼麗は何と答えればいいのか分からない。

 喧嘩腰な緑亥には考えるよりも早く強気に出ることができたが、以前相対した黄季の父や、父の代わりを務めたであろう兄達には、強い敬意がある分、どうしてもうまく相対することができずにいる。

 ──思えば。

 生まれてこの方、誰かに心からの敬意を向けるという経験が、自分にはなかったのかもしれない。

「白(ハク)と黒(コク)からおおよその流れは聞いた」

 涼麗が戸惑いをうまく収めるよりも早く、青燕はサラリと話を進め始めた。その顔に特に表情はなく、話し口も淡々としているせいで、青燕が一連の流れに関してどのような感情を抱いているのかは相変わらず涼麗には分からない。

「黄季は今、都の外に出ている。特に問題なく、元気に獲物を追っている。安心してほしい」

 だが続けられた言葉には、思わず問いが口をついていた。

「分かるの、ですか?」
「黄鵠が、黄季の手にあるから」

 その言葉に、涼麗はわずかに息を詰めた。

 黄季が継承した弓は、この青燕の遺品であるという話だ。直接話を聞いたわけではないが、漏れ聞いてしまった話から推察するに、恐らく亡骸の代わりにあの弓がここへ戻ってきたのだろう。

 ──依代(よりしろ)になっている、ということか。

 故人と生前強い繋がりを持った器物は、主の死後、その魂の欠片を宿すことがある。ましてや黄鵠は青燕が大乱の戦場で最期まで握っていたであろう物だ。死後の御霊の器としてこれ以上の品はそうそうない。

 そんな黄鵠が黄季の手元にあれば、青燕には黄季が今どこで何をしているのか、手に取るように分かるのだろう。

 ──なるほど。だから詳細の説明役として双子に引っ張られてきたのか。

「黄季は、仕官する前、狩人として生計を立てていた」

 ひとまず涼麗が納得したことが分かったのだろう。もしかしたら黄季の行方が分かった安堵も察したのかもしれない。

 ひとつ瞬きをした青燕は、特に前置きもなく話題を転じた。そんな青燕の言葉に、今度は涼麗が目を瞬かせる。

「狩人?」
「肉や毛皮を商人へ卸す。害獣を退治する。どちらもやっていた」
「仕官する前と言うと」
「……幼くても、一人で生きていかなければ、ならなかったから」

 そう語った瞬間、青燕の瞳に影が差したのが分かったのは、どうしようもなく嫌なことに遭遇した時の同期が、似たような瞳で厭味ったらしく笑う様をよく見ていたからなのかもしれない。

「…………」

 そんなことを思ってしまったから、青燕の表情から視線を逸らすことができなかった。

 だから、何かを言いかけた青燕が、結局何も言えないまま強く唇を引き結び、瞳の影を濃くしたことにも気付いてしまう。その後ろで顔を伏せた緑亥が悔しげに表情を歪めたことにも、双子が己を責めるような顔を見せたことにも、涼麗は気付いてしまった。

『自分達のうち、誰か一人でも生き延びることができていたら』
『誰か一人でも、黄季の元に帰ってやれていたら』

 きっと、そんな苦労を末弟一人に負わせることなど、なかったはずなのに。

 そんな言葉が、聞こえてしまったような気がした。

 ──黄季は、家族の命を犠牲にして、自分だけが生き延びてしまったと、悔いていた。

 だが黄季を残して逝くことになってしまった家族は、恐らく黄季とは逆向きの後悔を死した今でもその身に負っている。

 ──自分達の全てを、幼い黄季一人に負わせてしまったと。

 彼らをここに結びつけている念の中には、そんな後悔も含まれているのだろう。

 その後悔を、涼麗はどうしてやることもできない。青燕達も、どうこうしてほしいとは思ってもいないだろう。

 ──心情を吐露したのが、黄季ならだったならば、きっと。

 自分が抱えていかなければならない感情だから、と。

 痛くて、苦しくて。でもとても大事な感情だから。だから自分で向き合って、自分が抱えていかなきゃいけないんです、と。

 傍で立ち尽くすことしかできない涼麗に、不格好に笑いかけるだろうから。

 だからきっと、黄季の家族である彼らも、同じことを言うのではないかと、涼麗は勝手に思う。

「……『氷柳さん』が問いかければ、黄季はきっと、全部話すと思う」

 そんな、自分が抱くには不相応な感傷に思いを馳せた瞬間。

 スルリと、青燕の声が涼麗の耳に届いた。

「どんどん、訊ねてやってほしい」

 思わずハッと息を呑んで青燕を見やると、無表情だとばかり思っていた青燕の唇の端がわずかにほころんでいた。

 顔全体を見ればそれはほんのわずかな変化であるはずなのに、その変化に気付いた瞬間、変わることのない無表情がぐっと柔らかい印象を帯びる。

「あの子は、案外、こちらが訊ねるまで、自分から自分のことを、話さないから」

『どうかあの子を、よろしく頼む』という言葉と、『兄』としての笑みを残して、青燕の姿はフッと消えてしまった。目を瞬かせてみると、緑亥と双子の姿もいつの間にか消えている。

 代わりに、この屋敷へ近付いてくる気配があった。意識していなくても、この屋敷の周囲の地脈の流れはすでに涼麗の感覚と同期されている。相方として馴染んだ気配であれば、涼麗が距離を読み間違えることなどありはしない。

 涼麗は範囲規定のために用いた飛刀を回収すると、足早に表門へ向かった。扉を開くことはせず、扉を開いたら真っ先に目に入るであろう場所に陣取り、腕を組んで迫りくる気配を待ち構える。

 ──『こちらが訊ねるまで、自分から自分のことを話さない』……言われてみれば、確かにそうだな。

 確かに、今までもその傾向はあった。

 それが気にならない時もあった。気になっても踏み込めなくて、後悔をしたこともあった。

 ──今回は『訊ねてもいい』という、兄君方からのお墨付きだ。

 ならば遠慮してやる必要もないだろう。この汀涼麗を置き去りにして何をしていたのか、洗いざらい吐いてもらおうではないか。

 己の唇に薄っすらと刷いた笑みをかき消した瞬間、表門の向こう側から近付いてきた足音がピタリと止まる。さらにソロリと、なるべく音を立てないようにしている、と分かる動きで表門の扉が開かれた。

「ただ今戻り……」

 完璧に油断しきっているのか、こちらの気配に気付いていないまま扉を開いた黄季が、小さな声音で帰宅を告げる。迎えてくれる相手がいなくてもわざわざこうして声を上げるのは、恐らく長年の癖なのだろう。

 ──ならばその言葉は、

 黄季には姿を見せないご家族の代わりに、現在の同居人である自分が、キッチリ受け取ってやろうではないか。

「まし、たぁっ!?」
「お帰り」

 途中でようやく涼麗の存在に気付いたのか、声を盛大にひっくり返した己の弟子であり相方である相手へ、涼麗はいつになく強い語気で言葉を投げた。

「ひっ、ひりゅさっ……なっ……!?」
「朝早くから随分と熱心だな」



 ……この後、『喋ってはならない事実』を盛大に口にしかけた涼麗は、言葉の途中で強制的に口を閉じたせいで、生まれてこの方初めて『間違えて舌を噛む』という経験をすることになるのだが……

 それはまだ、涼麗自身さえも知らない未来の話である。


【了】


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