姫様の驚愕

 名前を呼ばれたような気がして、サラはそっと瞳を開いた。


 周囲は暗かった。だがそんな闇の中でも、鮮やかに見える色がある。


 ああ、彼の色だな、と思ったサラは、かすれるのどで彼の名を紡いだ。


「は……い、と………?」


 コベライトが彩る秀麗な顔は、不安と焦燥をありありと映し出していた。今まで不満やあきれを表すところは見たことがあったが、ここまで不安に彩られた彼の表情は初めて見たような気がする。


 ──ああ、彼でもこんな表情をするんだ。


 どこか場違いなことを思いながら、サラはゆっくり目をしばたたかせる。そんなサラを見て大きな怪我はないと判断したのか、強張っていたハイトの肩からほっと力が抜けた。


「サラ、大丈夫か?」

「ん……。なんとか」


 ハイトが体を引くのと同時に、サラは自力で起き上がった。それを見て、ハイトがまた心配そうな表情を見せる。


 ──どうしてそんな心配そうな……


「……っ!?」


 しくもその疑問はすぐに己の体で解明された。


 クラリと頭が揺れ、体から力が抜ける。背中の筋肉が妙に強張っていて、バランスを取ることができない。


「サラッ!?」

「ご……ごめんなさい」


 慌てて伸ばされたハイトの左腕が、サラの体を抱きとめる。その腕にすがったサラは、一瞬で上がった呼吸を整えるべく大きく深呼吸を繰り返した。


「目の前であんなに大きな力がぶつかってたんだ。余波の影響が出ていない方がおかしい。しばらく、無理はしないで休んでくれ」

「そう……ね……」


 その言葉でサラは、自分の身に何が起きたのか、やっと思い出した。


 カティスとリーフェの力がり合う現場に、自分はいたのだ。


 炎と水。両極の力は至近距離で反発し、爆発した。あんなに近くにいたのに大きな怪我もなくめまいがする程度で済んだのならば御の字といったところだろう。


 サラは『本の国』の姫だ。炎にも水にもあまり耐性はない。そんなサラがほぼ無傷でいられたのは、そばにいたハイトが庇ってくれたおかげなのだろう。


「ハイト、その……ありがとう。ハイトは大丈夫なの……って!」


 息を整えてめまいを振り払ったサラは、ゆっくり瞳を開いてハイトを見上げ……そして大きく目をみはった。そんなサラから逃げるかのようにソロソロと腕を引いていたハイトがギクリと体を強張らせる。


「水浸しじゃない!」

「え? ……ああ、まぁ、大した問題じゃな……」

「おまけにひどい怪我っ!」

「ああ、近付くとサラの服が酷い事に……」

「なにバカなこと言ってるのよ! 早く手当てしないと……っ!」


 先程から妙に距離を取る上に、触れ方がぎこちないと思っていた。どうやらハイトは己の惨状を隠そうとしていたらしい。目をこらしてよく見れば、特に右上腕の裂創がひどいらしく、右のたもとが出血で変色している。


 ──だからさっき不自然に左腕で抱き留めたのね!


 眉を跳ね上げたサラは、ジリジリと距離を取るハイトに詰め寄ろうと膝を上げる。だがふと、自分とハイトの間にある違和感に気付いた。


「……私達、地面の崩落に巻き込まれたのよね?」

「え? あ、ああ。幸いな事に、リーフェの力に応えて水を提供してくれた地下水脈が真下に流れていたらしくてな。その空間が結構広かったのに加えてリーフェが召喚した水がそこに向かって流れた影響で、本格的に地盤が崩落する前に他の水路まで押し流されたんだ。今は別の支流の地下洞窟にいて……」

「じゃあ、何で私は濡れていないし、汚れてもいないの?」


 ハイトは頭から足先までずぶ濡れである上に所々土や血で汚れていてひどい状態なのに、サラは無傷で湿り気ひとつ帯びていなかった。簡素なドレスはふんわり乾いて温かく、髪はサラリと首の動きに合わせて揺れている。


 ハイトの説明によると、ハイトともども濁流に飲まれて地下水脈が流れる洞窟の中をここまで押し流されてきたというのに、サラだけがこんな風にピンピンしていられるのはおかしくないだろうか。


 サラが首をかしげながら問いをぶつけると、ハイトはしばらく言葉を返してくれなかった。気まずそうに視線をそらし、片手でガシガシと頭をかきまわす。何かを呟いているようだが、声が小さい上に早口で、何を言っているのか分からない。


「……俺が、力を使ったからだ」


 はっきりと聞き取れる言葉が返ってくるまでに、しばらく時間がかかった。


「嘘をいても見破られるだろうし、嘘を吐く必要もない。今更、誤魔化してまで隠す意味もないだろうから言ってしまうが、俺は『水繰アクアリーディ』の力を持ってるんだ」


 本当に微弱にしかないんだけどな、と言いながらハイトは藍色の外套を脱いだ。たっぷり水を含んだ外套は重い上に脱ぎにくいようで、右腕の怪我も相まって衣を脱ぐハイトの動きはどこかぎこちない。


「リーフェみたいに自由に水を操れれば、こんな面倒な事にはならなかったんだろうが、生憎あいにく俺の力は王族最弱だ。血を媒介ばいかいに、腕の中にいる一人を守るのが精一杯だった」

「どう……して、自分を守るために、使わなかったのよ……?」


 中着一枚を残して上衣を全て脱いだハイトは、きつく衣の水を絞ると乾いた岩の上にそれを広げた。力を使ってどうこうしようという意図はないらしい。


 ──ハイトの力では、衣の水分を飛ばすこともできないっていうこと? そんな状況で私を守るために力を使ってくれたっていうの?


「俺は腐ってもアクアエリアの王族だ。王族最弱だろうとも『水龍シェーリン』の加護がある。どんな状況になっても、そこに水があれば、最悪死ぬ事だけはないと分かっていた。……でも、サラは違うだろ?」

「死ぬことだけはないって……その怪我も、覚悟の上だったっていうの?」

「まぁな」


 最後に残ったのが白のひとえだから、よけいに傷口からにじむ血の染みが際立って見える。暗がりで詳細までは分からないのだが、それでも中着の大部分が血と土汚れで色を変えているのは分かった。そんなにサラリと『良かった』なんて言っていられる状況ではないということくらい、サラにも分かる。


 だというのにハイトは、どうってことないという風情で続けた。


「むしろ骨が折れてなくて御の字って所だな」

「そんなっ……! 今でも相当重傷じゃないっ! それなのに……っ!」

「サラに力を使わなかったら、サラは今頃死んでいた。圧死か水死かは、分からないがな」


 はりつく前髪をかき上げながら、ハイトは真っ直ぐにサラを見た。こんなに辺りは暗いのに、彼のコベライトの瞳だけははっきりとサラの瞳に映る。


「俺はサラに力を使った事を、後悔なんてしていない。たとえ自力で動けない様な重傷を負う事になろうとも、目の前でサラを見殺しにするよりはマシだ」


 その言葉に、瞳に、サラは言葉を失った。


 ──バカじゃないの……?


 彼は、優しすぎる。


 仮にも王族を名乗る立場にいるのであれば、国のため、民のために、己の身を第一に考えなければならないことくらい、分かっているはずなのに。たやすく力を使って、こんなに簡単に王族という身分を明らかにしたら、それを知った周囲にどんなことをされるか分からないのに。


 彼は、少しでも考えたりしないのだろうか。彼の身分を知ったサラが、彼の優しさに付け込んで、何か良からぬことをたくらんだりしないのだろうかと。


 ──……きっと、思わないんだろうな。


 彼はきっと、助けを求める人が目の前にいたら放っておけない人間なのだろう。相手が助けを求める前に、もう勝手に手を差し伸べているような人だ。相手が誰でも、それはきっと変わらない。


 今まで一緒に行動してきた中で、サラはそれを嫌になるほど知っている。


「……本当にバカね。そのうち、きっと後悔するわ」


 ハイトの瞳から視線をそらして小さく呟く。今のハイトの瞳を正面から見つめ返せない自分が、少しだけ悔しかった。


 だからサラはその悔しさをバネにして自分の力で立ち上がる。そんなサラにハイトは戸惑ったようだが、ハイトが何か行動を起こすよりも早く間合いを詰めたサラはそっとハイトの右腕を取った。


「あなたが傷つけば、悲しむ人が多くいるでしょうに」


 髪を束ねていたリボンを抜き、手早くハイトの右腕に巻いていく。応急処置にもならないかもしれないが、何もしないではいられなかった。


 きつく巻き上げて結ぶと、単に広がる赤が多少マシになったように思えた。それを確認したサラは、その上にそっと手を添えてハイトを見上げる。


「特に、リーフェとか、ヴォルトとか、ね。……大切な仲間なのでしょう?」


 サラの言葉に、ハイトは虚を衝かれたような顔をしていた。だがその表情は少しずつ、穏やかな微笑みに塗り替えられていく。


「……ああ」


 返された言葉は短く、声も小さかった。でも今は何だか、それで十分だった。


 サラが手を引くと、ハイトは岩の上に広げておいた自分の衣を手に取った。ペラペラと振って具合を確かめる素振りは、照れ隠しのようにも見える。


「確かに下手に怪我すると、あの二人に怒られそうだな。ヴォルトも怖いが、何よりリーフェがキレたらヤバい。あいつを下手にキレさせたら国が沈むかもしれないし……って、下手に俺の身分をサラに言っちまった事がバレたら、その時点で詰められそうだな……釘刺されてたもんな……」


 ついでに高速でぼやき始めたハイトの言葉に、サラははたと我に返った。


「……リーフェが」


 そういえば、先程見事に水を操ってみせたリーフェの力は間違いなく『水繰』だった。ハイトも認めていることだし、二人がアクアエリアの王族であることは間違いはない。


 おまけにリーフェの力は相当強いようだった。ボルカヴィラの王太子と張り合うくらいの強さを見せたのだから、少なくとも傍系の出ではないだろう。王族の力の強さは、どこの国でもその血の濃さに比例するのだから。


「……ねえ、ハイト……ちょっと、いてもいい?」

「ん?」

「ハイトとリーフェの関係って……前に『血縁』って言ってたような気がするけど……」


 サラは状況も忘れてハイトに問いかけていた。


 何をいきなりと首を傾げられるかと思ったが、ハイトはあっさりと答えてくれる。


「ああ、はとこだ。主従の関係でもあるんだが、普段はただの幼馴染だな。ついでにヴォルトは子供の頃から俺達の専属護衛みたいな感じで、こっちとも主従になるんだが、まぁやっぱり俺の普段の感覚的には三人まとめて『幼馴染の悪友』って言葉が一番しっくり来るな」


 その答えと自分の知識を総動員して、サラはリーフェの立ち位置を計算する。


 この世界に働きかけられるほどの力を持って生まれてくる王族というのは存外少ない。現王の血を継ぐ子供の立場から見て、従兄弟いとこにあたる人間くらいまでだろうか。


 はとこに当たる人間が『力』として使えるほどの力を持っていることは本当に稀なのだが、母方の家系が王室由来であれば完全にないとは言い切れない。


 力の優劣から考えてリーフェの方がより直系に近く、ハイトは傍系の人間になるはずだ。


 そう考えると、リーフェの立ち位置はかなり限定されてくる。


 リーフェは直系王族。そう考えないと、はとこであるハイトが力を持っている理由が成立しない。


「……三人で? 兄弟とかがそこに混じることって……なかったの?」

「俺の兄上はよく混じっていたが、兄上には兄上の友好関係があったからな……。ヴォルトの兄上はかなり歳が離れていて、歳が近いのは姉上か妹君しかいなかったし、リーフェは家の事情が複雑だったから……」

「リーフェに御兄弟は?」

「たしか……兄上が一人いたはず……」


 その言葉にクラリと、意識が揺れたような気がした。


 現王直系血族の第二子。つまりはアクアエリアの第二王子。


「う……そ………っ!!」


 ──私の政略結婚の相手って、リーフェなのっ!?

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