嫌だ。


 何か嫌だ。何が嫌だとは言わないが、嫌なものは嫌だ。


 同時に思った。第二王子が社交の場に出てこなかったのは、とびきり変人だったせいだと。


 結婚に夢を抱くサラではないが、それでもサラだって乙女だ。せめて相手の男は美男子がいい。


 そりゃあリーフェだって、あの大きな瓶底メガネを外して、よくよく顔を見てみたら美形なのかもしれない。ハイトの血縁であるのだし。


 だがあの身分不詳な外見といい、なんだか腹黒そうな性格といい、素もちょっと入っているのではないかと思う天然っぷりといい、結婚してもなんだか上手くやれる自信がない。


 ──おまけにリーフェは結婚しても、絶対ハイトにべったりだと思うしっ! せめて相手がハイトだったら、私だってこの結婚のこと、少しは考えたのにっ!


 そこまで内心でグルグルと考えたサラは、今自分が心の中で何を叫んだのかを自覚して一瞬で顔をで上げた。


 ──今私何考えてた!? 何ってこと思ってたっ!?


「? ……サラ?」


 脈絡もなく問いを口にしたきり黙り込んだサラをさすがにハイトも不審に感じたのだろう。ハイトは控えめに声をかけながらソロリとサラの顔をのぞき込む。


 ハイトとしては他意はないのだが、いきなり視界一杯に広がった顔にサラの思考が羞恥で焼き切れた。


「というか何で! アクアエリアの第二王子ともあろう人間が、こんな所をフラフラしているのよっ!?」


 サラは跳ねるように後ろに下がるとビシッとハイトに指を突きつけた。黙り込んだまま百面相を繰り広げた後、肩で息をしながら鬼の形相で指を突きつけてきたサラに、ハイトが若干引きつった表情を向かべながらジリッと体を引く。


「あ、ああ……まぁ、何だ、色々あって……」

「色々って何よっ!?」

「えっと……移動しながらでいいか? そんなに元気なら、もう動けるよな?」


 ハイトはおびえたように、指で進む方向を指す。それを見てやっとサラは、自分達が地下洞窟の中にいることを思い出した。


「ここは……どこなの?」


 洞窟の岩壁に光を発する鉱物が埋まっているのか、外に繋がる空間はどこにも見当たらないのに視界はぼんやりと明るかった。灯りがなくても歩くことはできるだろう。洞窟の底を川が流れていて、川底の石が発する光をキラキラと拡散している。


「あの森の位置と、水が流れる方角から考えるに、大分王都の方まで流されたみたいだな。詳しい位置は分からないが、王都の手前のミルバンという都市では自然に光を放つ石が採掘されるという話も聞いたことがあるし、その近くまで来ているのかもしれない」

「えっ!?」


 王都、という言葉に顔が強張ったのが分かった。


 カティスがサラのことを諦めるとは思えない。敵国・アクアエリアの王子とともに行動していることを知られてしまった今は、諦めるどころかさらに力を入れてサラの捜索に当たっているはずだ。


 そんなカティスが本拠地とする場所に、ハイトとサラだけで近付いている。元から計画の目的地はボルカヴィラ王都であったはずなのに、サラは今更自分が王都近くに来ていることに恐怖を覚えた。


「とりあえず地上に出て、リーフェ達と合流する」

「でも……っ!」

「大丈夫だ」


 まだ乾いていない衣を羽織り、帯をしめたハイトは、自然な動作でサラへ片手を差し伸べた。その顔には自信に彩られた力強い笑みが浮いている。


「俺が何とかする。サラの事は、俺が守るから」


 不意にカティスも似たような仕草を向けてきたな、と思い出した。


 ──同じなのに、全然違う。


 カティスに差し伸べられた手から感じたのは、嫌悪と恐怖だけだった。でも今ハイトに同じように手を差し伸べられたサラは、明らかに安堵している。


 サラは無意識のうちにハイトの手を取っていた。己の手に重ねられたサラの手を、ハイトはギュッと握り返してくれる。


 その力に背中を押されたかのように、サラは前へ足を踏み出していた。


「出口がどこにあるのか、分かるの?」

「感覚的にな」

「私、どれくらい気絶していた?」

「半日は過ぎたが、丸一日は過ぎていない。今は恐らく夕暮れ時だな。流されている時間も長かったが、ここに着いてからサラが目覚めるまでも長かった。サラの体調が心配だったのは、それも理由の一つにあるんだ」

「その時間の感覚は勘なの?」

「ここを流れている水が教えてくれる。まぁでも、勘みたいな物だな」


 洞窟の中を流れる地下水流に沿って、ハイトは下流の方向を目指して歩きだす。なるべく平坦な場所を選んで歩いてくれているのか、サラがハイトの歩みに遅れることはなかった。ドレスのすそをあまり気にすることなく歩いていける。


「そう言えば、こっちの事情を話すついでに、一ついておきたい事があるんだが」

「何?」

「サラはどうして、キャサリンメイド一人だけを連れて、あの場所にいたんだ?」


 ギクッと肩が強張る。動揺はハイトにも伝わってしまっただろう。


「今までの話から察するに……サラは、フローライトのいい所の御令嬢なんだろう? フローライトは貴族文化が強い国だと聞いている。そんな所の御令嬢が国外に出るのも難しいはずなのに、とも女中メイド一人で、こんな事にまでなってて……異常事態だと、俺は思うんだが」


 ハイトは決して愚鈍ではない。リーフェの影に隠れているが、世間一般から見れば十分聡明な人間だろう。今までのサラの言動とカティスに絡まれていた現場を見ていれば、サラがフローライトの高位貴族の娘であることくらい、簡単に推測が立ったはずだ。


 偽ることは、いくらでもできた。


 サラは『本の国』の姫。『詞繰ライティーディ』の力を持つフローライトの王女だ。他人の嘘はサラには通じず、サラの嘘は誰にも見抜けない。言葉を武器にするサラがその気になれば、アクアエリア傍系王族の青年など簡単にあざむくことができる。


「……確かに、異常だわ」


 だがサラは、そうしなかった。


「異常で当然だわ。だって私……今、家出中なんだもの」


 冗談かと返されるかと思ったが、ハイトはその言葉に何も言葉を返してこなかった。ただ続きをうながすかのように、サラの手を掴む力が少しだけ強くなる。


「あなたの推測の通り、私はフローライトではそこそこに身分がある人の娘なの。王族であるあなたほどではないかもしれないけれど、面倒な問題も多いわ」


 その沈黙に甘えて、サラはすべてを話してしまうことにした。


 もちろん、本当にすべてをつまびらかにすることはできない。サラだってそれくらいのことは心得ている。


「私、父には愛されている自覚があるの。母は数年前に亡くなってしまったから、その分まで私を大切にしてくださっていることを、私は知っているわ。……普段は、気恥ずかしくて、そんなのお首にも出さないけれど……。父のことは尊敬しているわ。感謝もしている」


 でもサラは、知ってほしかった。


 ハイトに、聴いてもらいたかった。


「私、政略結婚をさせられるの。相手は、一度も会ったことのない、顔も知らない男よ。相手の身分は申し分ないし、父が無理強いしてくるのならばそれが私にとって最上の道なのだということは、本当は話をされた時から分かっていたわ。……でもね、それでも私、自分に押し付けられる運命が本当に嫌で仕方がなくて……」


 政略結婚は、国を守る王族の義務だ。誰に言われなくたって、王の唯一の息女としてサラはそのことをよく知っている。こういう時のために自分は生かされていて、普段から贅沢な生活をさせてもらっているのだということも、痛いほどに分かっている。


 だがサラだって、好きで王族に生まれてきたわけではない。贅沢な暮しを捨てることで己の身の自由が手に入るならば、喜んで王族という身分を捨てるだろう。


 王族として生まれ、人形のように着飾らされ、国のために敷かれた道を進んで結婚し、嫁ぎ先で子供を産んで一生を終える。そこに『サラ』としての意思は反映されない。その道を歩むのが『サラ』であろうが『サラ以外』であろうが、誰も気にはしない。


 フローライト王宮で政略結婚の話を聞かされた時、サラにはそれがたまらなく嫌だった。


 自分の人生であるはずなのに、自分の意思を許されず、己で道を切り開くことも許されていない環境に、我慢ができなくなったのだ。


「私にだって、自分の道を決める力はあるはずだって思ったら、なんだか頭の中でプッツリ何かが切れちゃって。『家出してやるっ!』って、飛び出してきてしまったの。とてもじゃないけれど『ご令嬢』なんて呼んでもらえる人間の行動ではないわよね。……だから私は歪んでいるって言われるのだわ」


『フローライトのバロックパール』


 麗しい容姿に、聡明な頭脳。高い教養と、優雅な物腰。『詞繰ライティーディ』の力も強く、『詞梟ミネバ』の寵愛も深い。


 だというのに性格だけがどうにも姫らしくない。その思考は破天荒で、何をしでかすか分からず、深窓の姫君と呼ぶとどうにも印象が喰い違う。


 サラが持つ二つ名は、そんなサラのことを揶揄やゆする意味を持っている。本来ならば高価な装飾品になるはずだったのに、決定的な歪みがあるから一級品にはなれない。そんなような意味だ。


 ──カティスとの話だって、私を巻き込んで、一緒に悩ませてほしかったのに……


 サラが一人で一方的に口を動かしている間に、二人は分かれ道にさしかかっていた。水流がふたつに分かれ、別々の洞窟に注ぎ込んでいる。だがハイトは迷うことなく右方向へ進んだ。左へ注ぐ流れを横切る形になったが、ハイトは水面に突き出た岩の上を飛び石のように器用に渡っていく。


「……歪んでなんか、いないと思うがな」


 ハイトが小さく呟いたのは、サラがハイトの真似をして流れを渡り切ったその時だった。


「むしろ俺は、一本筋が通っていて、強いなと思う。中々出来る事じゃない」


 ハイトの手を借りながら対岸に着地したサラは、目をしばたたかせながらハイトを見上げる。だがハイトはサラの方へ視線を向けていなかった。進む方へ顔を向け、サラに合わせて歩を進めながら、ハイトは言葉を選ぶようにゆっくりと己の気持ちを言葉にしていく。


「普通は嫌だろ。他人に強制される結婚なんて。そこにどんな理由があっても、避けられない定めでも、一族の義務でも。……それを呑む事が当たり前だと思われている中、正面から否を叩き付ける事が出来たのは、サラの中にそれを言うだけの勇気と筋があったって事だろう? 俺はむしろ美徳だと思うし……ましてや歪みや欠点では、ないと思う」


 確かに姫らしからぬ行動力ではあるが、と付け足すハイトは、少し笑っているようだった。


 ハイトはサラをなぐさめるために言葉を紡いでいるのではない。小さな声で綴られるのは、全てハイトの本心だ。


 サラには、それが分かる。


「むしろ俺は、それが欠点であって欲しくないと願っているのかもしれない。……俺も今、似たような境遇だしな」

「……え?」

「家出中なんだ。俺も」


 思わぬ言葉にサラは目を見開いた。


 サラが荷馬車の中でふと思いついてすぐに否定した仮説は真実を言い当てていたらしい。それぞれに家出した王族の人間同士が他国でバッタリ顔を合わせて陰謀に立ち向かうなんて、まるで売れない劇作家が苦しまぎれに書いた三文小説のようだ。


「俺の場合は、本当は兄上に来るはずの政略結婚だったんだ。だが兄上が家出されて、仕方なく俺が相手にって事になった。それだけでもうんざりなのに、何か他にも色々ゴタゴタあって、プチっといっちまったんだ。それにリーフェとヴォルトが着いてきて、こんな形になっている」

「……ハイトが飛び出してくるのに、リーフェとヴォルトがついてきたの?」


 王族二人、おまけに片方は直系で、その二人につく護衛は一人。いくら三人の絆が強くても、そんなメンバーで勝手に出国できるものなのだろうか。


 おまけに出国理由が家出ときた。


 女の身であるサラは、王族と言っても国政に関わる立場にはないのだが、ハイト達はそうは言っていられないだろう。三人が三人とも、国を回していくために日々重要な政務に取り組んでいるはずなのに、家出を理由に簡単に出国できるとは思えない。


 政務を滞りなく回していくためにも、せめて一人は置いていこうとか、そういうことは考えなかったのだろうか。


「まぁ、な。あまり二人と長く離れた事がないから、長旅に出ると予想出来た時には二人共着いてくるものだと思い込んでいて……。昔から俺が三人の筆頭みたいな感じだったから、俺の行く先には必ずあの二人も着いてきたし」

「リーフェが率先して動くってことはないの?」

「あいつの家の事情が複雑だって事は、言ったよな? リーフェ自身も、まあ色々あって。あいつは昔から、自分から外へ出ようとはしない人間だったんだ。放っておくと、自分の中へ中へと入り込んでいく人間でな。それを俺が外へ外へ引っ張っていこうとしている内に、リーフェの定位置は俺の斜め後ろになったんだ」


 だから宿にいる時もハイトの方が主人のように見えたのか、とサラは内心で納得した。


 王家の事情はどこであっても基本的には複雑だ。揉めない王家はないと言ってもいい。だからその辺りのことをサラは根掘り葉掘り訊こうとは思わなった。


「だから、歪んでいるなら、俺も相当歪んでるんだろうな」


 歩いているうちに、分かれ道が多くなってきた。だがハイトの足が止まることはない。ヒョイヒョイと、まるで歩き慣れた王宮の中を歩いているかのように、ハイトは一瞬の迷いもなくサラのこと導いていく。


「だが俺は、そんな事は気にしないようにしている。誰に何と言われようとも、俺は俺だ。人に言われる事を気にして、周りに求められるがままに自分を変える事は、ありのままの俺を認めてくれる人達への冒涜ぼうとくになると思っている」


 そんなハイトの足が、ピタリと止まった。


「胸を張れ、サラ。ほぼ身一つの状態で家出してくるくらいの根性があるんだ。それくらいの事は簡単に出来るだろう?」


 そう言ってハイトは笑った。


 コベライトの瞳が真っ直ぐにサラを見て、ふわりと優しく細められる。


「……うん」


 その言葉に、笑顔に、今まで張りつめていた何かが緩んでいくのが分かった。両肩にのしかかっていた何かが、スッと消える。ここまで体が軽いと思えたのは初めてかもしれない。


「うん。……ありがとう、ハイト」


 その言葉に、ハイトの笑みが一層深くなった。


「サラ」


 サラの手をつかんでいた手が離れる。そして急にハイトの腕が、サラの体を引き寄せた。


「なっ……!?」


 安心できる温かさが離れていくのを惜しむ間もなくハイトの腕の中に納まったサラは、いきなりの抱擁ほうように息を呑んだ。だが不思議とハイトの腕に嫌悪感や不快感は感じない。


「俺が合図をしたら、全力で走れ」


 その理由は、突然の抱擁が甘い感情を抱くものではなかったからかもしれない。


「……待ち伏せ?」


 サラが顔を上げて問えば、ハイトは硬い表情で頷いた。抱き寄せられたことでハイトの口元とサラの耳元が近くなり、ささやくような声でも漏れることなく聞き取ることができる。


「もうこの先が出口だ。外へ出られる。どうやらあの王太子は、俺達がここから出てくると確信しているらしい」

「どうするのっ!? 私達だけじゃ、どうやってもボルカヴィラの手勢には敵わないわっ!」


 あのカティスのことだ。待ち伏せているならばこちらが二人であることを度外視した戦力を揃えているに決まっている。このまま無策で出ていったらサラは捕らえられ、ハイトは丸焼きにされることだろう。


「……今更洞窟の中に逃げても、相手は追ってくる。それくらいの事は想定して装備を揃えているはずだ」


 チラリと出口の方へ視線を投げながら、ハイトは鋭く囁く。どうやらハイトもサラと同じことを考えていたらしい。


「狭い洞窟の中で、あんな大人数を迎え撃つのは無謀だ。王太子に『焔繰ボルカヴィーディ』を使われでもしたら厄介だしな。やはり、出るしかない」


 ハイトはサラを腕の中から出すと上衣のあわせに手を入れた。


「何とかしのぐしかない。……多分、あいつらも近くまで来てるはずだ。あいつらが着くまで凌げれば、勝機はある」


 えりから抜かれたハイトの手には、サラのリボンが握られていた。包帯代わりに巻きつけられていたリボンは、ハイトの血で濡れている。


「サラは、自分の身を守る事だけに専念しろ。何があったかは知らないが、あの王太子に目を付けられているんだろ? あいつはしつこい上に、手段を選ばない。腕の一本や二本は簡単に飛ばす」


 淡々と呟きながら、ハイトはリボンをサラの手首に巻いた。決して優雅とは言えない指先が器用に動いて、サラが今まで見たことのない結び目を作っていく。


 手早く結び目で花の形を作ったハイトは、その上に手をかざすとそっと瞳を閉じた。


「我等が神よ、我が願い、更に恐縮なれども、我が血をあがないに叶え給え。……の者に絶対の加護を」


 ぽぅっと光が宿ったと思った瞬間、その光は消えていた。自分の目がおかしくなったのかと目をしばたたかせるサラに、瞳を開いたハイトが小さく笑いかける。


 その瞳の色を見て、サラは息を呑んだ。


「御守。俺の力では大した効力はないかもしれないが、気休めだと思って持ってってくれ」


 リボンは血に染まる前の色と質感を取り戻していた。その代わりに、花結びの中心に小さな石がはめ込まれている。リボンに吸い込まれたハイトの血が固まってできたはずなのに、その石はまるで水が固まったかのように透明で、わずかに青色を帯びていた。


 その石から、ハイトの気配がする。


「武運長久を」

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