「……今の発言は、さすがになかった事には出来ないぞ。これ以上言葉を重ねるならば、お前が陛下へ捧げる忠誠に疑問を持たざるを得ない」

「反逆罪って事? 処罰出来るなら勝手にすればいい」


 リーフェの周囲の空気が不穏に揺らめいている。その空気がうっすら青みを帯びて見えるのは、リーフェの怒りに引きずられて勝手に力が発動している証拠だ。


 それが危険なことであるとヴォルトも知っているはずなのに、そのヴォルトはリーフェを止めようとはしない。


「はっきり言うけれど、僕が忠誠を誓っているのはハイトに対してだけだよ。陛下も貴方あなたもアクアエリアという国も、本音を言うとどうでもいい。ハイトがみんなを守りたいと思っているから、ハイトの願いを叶えているだけだ。でもその願いを叶える事でハイトの身が危険にさらされるというのならば、話は変わる」


 そのただならぬ空気をやっと察したのか、イーゼの従者達が一斉に刀を抜いた。それを見たリーフェは、ヴォルトに小さく目配らせを送る。


「お前だって、陛下に恩があるだろうに。……それにあだを返して、ハイト一人のために動くと言うのか? 今まで手に入れてきた権威も栄光も、失うかもしれないのだぞ?」

「陛下は僕を殺そうとしたんだよ? そんな相手に忠誠が誓えると思う?」


 再度イーゼを睨み付けたリーフェの瞳には隠しきれない陰があった。紡がれる声は低く、冷え冷えと殺気をまとっている。


「そもそも陛下やアクアエリアという国が、僕に何をしてくれた?」


 冴え冴えとした殺気を声と言わず、雰囲気と言わず、存在全てに纏わせて、リーフェはイーゼに真っ向から牙を剥いた。


「僕の命を救ってくれたのはハイトだ。力を全部注いで僕の命を繋ぎ止め、リフェルダ・ハイライドという名前を付けて、僕に心を与えて、ロベルリン伯という重職に就けるようになるまで心を砕いてくれたのは、全部ハイトだ。陛下や貴方は僕どころか、力の大半を失ったせいで王宮の人間に手のひらを返されたハイトにさえ、何もしてくれなかったじゃないかっ! ハイトは、貴方の実の弟で、陛下にとっては実の息子なのにっ!」


 血を吐くように叫ぶリーフェの隣にヴォルトが並ぶ。そんなヴォルトの手は腰の刀に添えられていた。


「僕はハイトがアクアエリア第二王子だから忠誠を誓っているんじゃない。ハイトがハイトだったから、僕の全てをハイトに捧げると誓ったんだ。権威を失う事なんて怖くない。ハイトだって同じ事をして僕を助けてくれた。僕が権威ごときにしがみつく人間だと思ったら、大きな間違いだよ」


 さりげなく戦いの構えを見せるヴォルトにも、イーゼは視線を向けた。イーゼの視線を受けたヴォルトは、口元に凄みのある笑みを浮かべる。


「……お前も、これと同じ意見か?」

「行動で示してんのにわざわざいてくるなんて、本当に頭が腐ったんすねイーゼ様」


 ヴォルトの口調は軽やかなのに、言葉にははっきりと毒がにじみ出ていた。


「俺もリーフェと同じっすよ。忠誠誓ってんのは、ハイトにだけです。国も権威も、ハイトの役に立つから気にしてるだけで、正直言ってどうでもいい。その経緯はあんたも知ってる通りっすよ。ま、おおむねリーフェと同じっすね」


 その行動と言葉に、従者の刃が一斉にヴォルトに向けられた。だというのにヴォルトは平然と毒を吐き続ける。視線はイーゼに向けられたまま、従者へ散らされることもない。


「権力争いのダシに使われたあげく、使い捨てにされた俺の命を、ただでさえ少ない力を分け与えて救ってくれたのはハイトだった。俺の身内でも陛下でもなく、まだ十歳足らずのガキだった、ハイトだったんだ」


 そのまま語られる言葉は、軽い口調に似つかず重かった。ヴォルトの覚悟がにじんだ声だ。


「命の恩は、命で返す。人生の恩は、人生で返す。救われたあの時からこれから先ずっと、俺の人生はハイトのモンだ」


 笑みさえ含んでいるように聞こえる声音なのに、そこに込められた覚悟はこの上なく重かった。第一王子の従者達が、その声を聞いただけで思わず一歩後ろに下がるほどに。


 だがイーゼだけは、後ろに下がることはなかった。ただ一度目を閉じて、静かに息をいただけで。


 その息の中に潜められていたのは、思うように進まない現実に対する苛立ちなのだろうか。それとも国王の権威に楯突こうとする二人へのあきれだったのか。


 だがそれをハイトが判断するいとまは与えられない。


「……何があっても、お前達はハイトを危険に曝す事を承服出来ないと言うのだな?」

「くどい」

るならさっさと来いよ。まぁ、戦ったらられるのはそっち側だと思うがな」


 再び開かれたイーゼの瞳に、迷いは一切なかった。リーフェとヴォルトを降すべき敵だと判断した瞳は真っ直ぐに二人を射る。


 対するリーフェとヴォルトは、初めから争う気満々だ。ヴォルトの右手が長刀ちょうとうつかを握り、リーフェがいつでも力を発動出来るように指を構える。


 何をきっかけに第一王子対第二王子の争いが起きてもおかしくない空気が、部屋の中を満たす。


 それを肌で感じたハイトは、奥歯を噛み締めると目の前にある二つの背中を見つめた。


 ハイトを庇うように二人がこうやって背中を向けることは、実は珍しい。ハイトの実力を正しく知っている二人は、いつも臣下としてハイトの後ろにいる。恭順を示すために下がりつつも、ハイトが間違った判断をした時に殴ってでも止められるように手が届く範囲に立つ。


 二人が後ろに控えていると知っているから、ハイトは恐れることなく前へ進んでいくことが出来る。背中が危なくなれば二人が守ってくれるし、間違った判断をすれば二人が必ず止めてくれると信じているから。


 だから役目がいつもと逆転しているならば、二人が間違った道を行こうとするのを止めるのは、二人の後ろにいるハイトの仕事であるはずだ。


「お前ら」


 ハイトは両の拳を握ると、軽く床を蹴った。


当事者オレを差し置いて話を進めんじゃねぇっ!!」


 その拳が無防備に背中をさらす二人の脳天に向かって真っすぐに振り下ろされる。ガツンッといういかにも痛そうな音が部屋一杯に響き渡った。意識の全てを第一王子側に向けていた二人は、背後からの予期せぬ攻撃になすすべもなくうずくまる。


「お前らが俺の事を良く考えてくれてんのは知ってる。だが俺を蚊帳の外に放置して勝手にドンパチ始めようとすんじゃねぇっ! 面倒くせぇ事後処理をこなすのは誰だと思ってんだっ! ドンパチする前に許可を取れ! 許可をっ!」

「は……ハイト、容赦ない……」

「口で止めてくれやぁいいじゃねぇかよ……」

「喧嘩っ早い馬鹿どもには、体で分からせた方が早い」


 しゃがみ込んだまま頭を押さえて涙ぐむ二人に、ハイトはすげなく言い渡す。ハイトが腰に両手を当てたままイーゼの方を向くと、イーゼ達が揃って一歩後ろへ下がった。イーゼの表情が妙に引き攣っている。


「こいつらの発言に対する謝罪はしません。あれがこの二人の本音です。俺が謝罪する事は、二人の本音を曲げる事になる。だから俺は謝りませんよ」

「じゃ……じゃあ、何で二人を止めたんだ?」

「事の流れが俺の望む方向に流れていなかったからです」


 その言葉にイーゼは目を瞬かせた。


 それに構わずハイトは言葉を続ける。


「結論から行きます。ボルカヴィラ王宮への潜入役は、俺が引き受けます。ただし、兄上にはいくつか条件を呑んで貰う事になる」


 誰も頓着していないようだが、ボルカヴィラ王宮にはサラが囚われているのだ。彼女のことを放置したまま、アクアエリアにすごすごと帰るつもりはない。


 ここでハイトが引き下がれば、エルザのことはイーゼが引き受けてくれるだろう。だがサラの行動に対して責任はないと言ったイーゼが、サラにまで気を回してくれるかどうかは分からない。最悪の場合、サラがどうなろうとも当代ボルカヴィラ王と王太子を葬ることができればアクアエリアには最低限の利が出るのだから。


 サラを確実に助けるためには、自分がボルカヴィラ王宮に行くしかない。だからこの流れはハイトが望むものではないのだ。


「ちょっと待ってよハイトッ!」


 だがこれに否を唱えたのはリーフェだった。


「考え直してよっ!! どうしてハイトがこれ以上危険な目に遭わなくちゃいけないのさっ!? 話聴いて分かっただろっ!? イーゼ様が作った迷惑事を全部押し付けられてるんだよっ!? 今までの分でも相当な貧乏籤引かされているのに、これ以上君が苦労する必要なんてないっ!!」


 両肩に手を置いて正面からハイトの瞳を見据えるリーフェは、どこまでも真剣だった。澄んだ淡青色の瞳は、怖いほど強い光を宿してハイトを射抜く。


「今回は俺も賛成できないぜ、ハイト」


 その傍らにヴォルトも立った。


「危険すぎる。ボルカヴィラ王宮だぞ? 責任感だけで動くのは割に合わない」


 二人が真剣にハイトのことを思ってそう言ってくれているのは、分かっている。


 だが今回ばかりは、それに甘えて己の意志を曲げる訳にはいかない。


「君が何を気にしているかは分かってる。サラの事だろう? サラの事は僕達がどうにかする。僕とヴォルトがどうにかするよ。だからハイトは危険な場所に行かないでよ! お願いだからっ!!」

「……悪いが、今回は聴けない」

「ハイトッ!!」


 リーフェの声はもはや悲鳴に近かった。


 リーフェがこれだけ言ってくるということは、本当に今からやらかそうとしていることは危険なのだろう。大抵のことには不敵な笑みと共に背中を押してくれるヴォルトまでもが、今までに見たことがないくらい渋面になっている。


 だが、それでも……


「俺自身が行かなきゃ、意味がないんだ」


 守ると、約束したから。


 あの約束を、そこに込めた覚悟を、曲げたくない。自分の人生に対するやるせなさを語った彼女を、あの絶望の中に独りで置いていきたくない。


 ──……でもね、それでも私、自分に押し付けられる運命が本当に嫌で仕方がなくて……


 そう語った彼女が抱える絶望とも虚無とも言える感情を、ハイトは知っている。自分の中にもあるその感情を彼女も抱いていると知った時、ハイトは彼女を『同士』だと感じたのだ。


 だから、自分に尽くしてくれる腹心達に心配を掛けることになっても。


「俺の我が儘って、珍しいだろ?」


 心配するなと言っても、二人が勝手に心配し続けることは知っている。逆の立場に置かれたら、ハイトだってそうするだろうから。


 だからハイトは小さく笑って軽口を叩くことにした。


「……そうだな。ハイトは、我慢強くて、変な所で控えめなヤツだからな」


 その表情を見て、説得しても無駄だと覚ったのだろう。ヴォルトは肩をすくめながら深く溜め息をくと、刀に掛けていた手を外した。


「……ついでに、誰に対しても優しすぎるんだよ。なんだかんだ言いつつも僕達の無茶振りを受け入れてくれるように、誰の無茶振りでも、黙って受け入れちゃうんだ」


 一方リーフェはまだ諦め切れていないらしい。ハイトの肩から手は外したものの、表情がまだ喰い下がる隙を探っている。


「俺の珍しい我が儘を聞いてくれよ。な? 後でお前の眼鏡、特注で作ってやるから」


 だがその言葉を聞いて、そんな隙もないと諦めがついたらしい。リーフェを包んでいた禍々しい空気が消え、放出されていた力も鳴りをひそめる。


「耐火性で耐久性もあって、デザインもいいヤツじゃないと嫌だよ。もちろん、防弾加工もしてね」


 その言葉に、ハイトは笑みを深めた。リーフェは照れ隠しのように前髪を掻き上げると、プイッとハイトから視線をらす。


「ついでにヴォルトの斬撃を眼鏡で受け止められる様に、防刃化工もしてやるさ」


 ハイトは軽く答えるとソファーに腰を下ろした。膝の上に肘を突き、その上にあごを乗せてイーゼを見上げる。


 リーフェは足と腕を組んでハイトの隣にドスンと腰を下ろした。ヴォルトはそんな二人の後ろに立つと、イーゼの従者達に凄みの効いた笑みを向ける。


「お待ちください!」


 そんな風に万全に態勢を整えた瞬間、廊下へ続く扉が開かれた。突然の乱入者に驚いて視線を上げれば、そこにはキャサリンを従えたエルザが立っている。


「エルザ嬢……!?」

「今から行われる話し合いに、私も混ぜてください」


 エルザの名前を呼ぶイーゼの声が裏返っていた。


 エルザとキャサリンは別室にいると言っていたイーゼは、この部屋にエルザが自主的にやってくるとは思ってもいなかったのだろう。恐らくずっとリーフェの殺気に押されていて、誰も部屋の外の気配にまで気が回っていなかったに違いない。


「お話、立ち聞きさせていただきました」

「な……っ!?」

「私は、作戦に協力させていただきます。そこにどんな思惑があろうが、構いません」


 イーゼは今までエルザにこちらの思惑は完璧に隠し通せていると思っていたのだろう。だからこそ『すべてを聞いていた』とも取れるエルザの発言に焦りを見せた。


 だがハイトはすでにエルザがこちらの思惑くらい見透かすことができる聡明な人間であるということを知っている。エルザは確かにまつりごとを知らないが、ただの純朴な村娘でもなかった。


「私は、ハイト様とサラ様に命を救われました。そしてお二人のお優しさに、心を救われました。私が今ここに立ち、己の足で進む道を選べたのは、すべてお二方に出会えたからです」


 発言の真意を問うハイトの視線に、エルザは物怖ものおじすることなく対峙した。出会った頃は常に伏せられていた紫水晶アメジストの瞳は今、強い光を放ちながら真っ直ぐにハイトを見詰めている。


「命の恩は行動で、心の恩は覚悟で返します。……キャサリンさんに、今までの事情はおおまかに聞いています。私は、お役に立てます」


 ハイトの前に堂々と立ったエルザは、ボルカヴィラ王位に挑む者の顔をしていた。


「私を、この作戦会議に入れてください」


 そんなエルザに、ハイトは思わず笑みを浮かべていた。


 ──いい表情をするようになったな。


 今のエルザならば、協力者にふさわしい。利用し、動かすだけの駒としてではなく、ともに手を取って協力し合う、対等な仲間として。


「……リーフェ、場所を譲ってやってくれるか?」


 ハイトと同じことをリーフェとヴォルトも思っていたのだろう。リーフェはいつもと同じ笑みを口元に浮かべるとスッと席を立ってヴォルトの隣に並ぶ。


 空いた空間にエルザが優雅に腰を下ろし、キャサリンは扉の前に控えるように立った。まるでイーゼ側の逃亡を阻止し、外から誰も邪魔に入れないように警備を固めるかのように。


「さぁ、兄上。まずはお座りください。立ったままだと、話もしにくいでしょう」


 ハイトが席を勧めると、凍り付いたまま一連の流れを見ていたイーゼは糸が切れた操り人形のようにドサリとソファーに座り込んだ。他の従者も、ハイト達がまとう空気に気圧けおされたかのように動くことができない。


「さて、同じ土俵に立って話し合おうじゃありませんか。嘘も偽りも作らず、裏も描かずに、ね」


 場の支配権を握ったハイトは、ゆったり笑みを浮かべた。


 それこそ、世界の支配者であるかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る