第二章 雨のブルース
脱出後の小景
掌の中、髪の毛一本程に裂いた木屑が灰になった。
「また、失敗ですわ」
幼い少女、万里小路荊が涙目で俯く。風に吹かれ溶けた灰は本来、旧術式電球の芯として光を放つはずだった。旧術の修業を開始してもう二年にもなるが、碌に成功したためしがない。
「『もうみのほし』の方々は、符なんて使わずに何でもできるのでしょう、お父様?」
荊が見上げるのは彼女の父親。この緑溢れる惑星センゲンがまだ氷点下、不毛の大地だった頃から、魔法の知識によって発展を支えた万里小路家、その当代の主。
「全員が全員そうではない。だが、『何でもできる』というのは当たらずとも遠からずといったところだ。時間操作、死者の復活、永遠の命――魔法文明を極めた彼らは、あらゆる現象が制御できるようになったとき、その星ごと閉ざしてしまったが」
彼は厳しい師匠であり、優しい父親だった。好奇心旺盛な荊のために、魔法以外のことについても色々と語ってくれた。庭に生えている植物の名前と効用、『真海星』の神話、星雲鴎にまつわる言い伝え、センゲン以外の星について。
だが、最も印象に残っているものは、やはり旧術だ。
「万里小路家の当主は代々旧術を学ぶ。禁忌魔法――絶対に使ってはいけない魔法を封印するためだ」
「『反転の魔法』ですわね?」
「そうだ、魔法に干渉する魔法――宇宙を滅ぼす可能性すら持つ最悪の力だ。単にエネルギー源である三重水素を取り払い厳重にしまい込んだとしても、こいつはその影響を及ぼすだろう。正に呪いだ。我が一族に憑りつく、忌々しい……」
「お父様?」
父親の苦痛すら感じさせる声色に、心配そうに首を傾げる。それに気づいたのか、ふ、と微笑みに戻ると、荊の肩を叩いた。
「……だからこそ、責任を忘れてはいけないよ。力を持つものは相応の責任が必要だ。責任あればこそ、我々は華族という立場でいられる。……そう、責任があるのだ」
明神丸船員用の宿舎は右翼、左翼に取り外し可能なブロック構造として埋め込まれている。都市ほどにも広大な船内。世良田元清が亡命の為に出航した時点では一万人弱の人員が乗船していたが、現在では旅客を合わせても二千人に満たない。元々亡命に当たり過剰な数の『家臣』を引き連れていたものだが、船の運用に十分な人数にまで削減した結果五分の一にまで減ったそうだ。
その甲斐あって、新人砲手の荊でも六畳二間、十坪ほどのささやかな宿舎を手に入れることが出来た。故郷センゲンの屋敷に比べると、本当にささやかなものだが。
「破壊魔法を使うまでの仮寝宿――と考えてはいましたけど、思いの他情が移ってしまいましたわね……」
明神丸の事だ。密航が見つかってから四十日が過ぎた。平時の戦闘要員など暇なもので、上司であるキサラギも徹底した実戦主義者であるために、大した訓練も行ってはいない。砲術課としての仕事は、三交代での待機任務くらいだった。八時間の待機が終わると、業務日誌を保存して宿舎に戻る。
「憂鬱なときにはハーブティーなど如何でしょう、荊先輩。卍先輩から儀式で使うハーブを戴いたのです。体中がリラックスして神の声が聞こえるとか」
「煎じるようなハーブだとは思えないのですけど……」
隣室にはシャルロッテが住んでいる。クルップが食料やタバコと交換した
子爵家の従者として生を受けたシャルロッテは、誰に対しても様を付ける。そのため
「……今日の夕飯がお気に召しませんでしたか?」
人当たりの良いシャルロッテだったが、荊と卍には特に懐いており、隣室の荊には朝、夕と食事を作ってきてくれる。
「まさか!? よもや!? そんな訳ありませんわよ!? この……ええと、アイーン……」
「アイントプフですか?」
「ええ、それなど絶品でしてよ。ただ、目的を果たした時の身の振り方を考えていただけですの」
「私はどこにも行き場所が無いので、一生明神丸に御厄介になる所存ですが……」
「行き場所が無ければそうですわよね。元々この船、わたくしも含めてどこの惑星国家にも居場所のないはみ出し者の集まりって感じですし」
「荊先輩は、どこでも通用するような素晴らしい能力をお持ちだと思うんですけれど」
「能力があろうがなかろうが、共同体ってのは気まぐれに人を裏切るんですのよ。何があってもセンゲンにだけは絶対に戻りませんわ。わたくしを……この万里小路荊を不要と断じた場所になど、絶対に」
国の為と代々禁忌魔法を継承してきた万里小路家が、政治犯として扱われた時点であの星は見限っている。当時のことは思い出すだけで腸が煮えくり返りそうになる。
「……私個人としては、荊先輩にずっといて欲しいです。御免なさい。我儘ですけど」
シャルロッテの気持ちは有り難いが、荊の父はあの星に未だ生きている。センゲンに定住することは二度と無いが、一度迎えに行って別の星で暮らすのも手だ。明神丸と天秤にかける日が、いつか来るだろう。
ある日、平常任務のために砲術管制室まで来ると。
「うぇへええ!」
上司の奇声が聞こえた。
「どうしましたの、また奇声など上げて」
砲術管制室の中では世良田元康がキサラギを手錠拘束し十字架を高らかに立てたポーター車で運んでいくところだった。その様子を、医局長が深いため息とともに見ている。
船長がこちらに気付いた。
「ああ、万里小路か。引継ぎはいつも通りだそうだ。励みたまえよ」
「いや、どういうシチュエーションですの、これ」
「医局長の要請により船内の衛生状態を改善しているところだ。彼の洗浄は私にしかできないからな。手間のかかる犬か貴様」
元康がキサラギの肩を掴み強くゆする。断続的な奇声の後で、彼女は動かなくなった。
「では医局長殿、後は私に任せたまえ」
「いつもすいませえん、元康さあん」
二人は嵐のように去っていった。
「洗浄って、一体」
荊の疑問には里見接が答える。
「そのままの意味ですよう。元康さんが無理矢理入れない限り、あの男女はシャワーも浴びないんですう。ほっとくと冷凍の煮豆しか食わないしい、部屋は薬莢だの雷管だので足の踏み場もないそうですしい、生活力ってのが皆無なんですねえ」
「へ? 入れる? 船長が掌砲長をシャワーに?」
「……あの二人の関係、気づいてなかったんですかあ? もしかして
「まがりなりにも医局の幹部がコンプライアンスゼロのセクハラはやめてくださいな! ……そういう関係だったんですのねえ……」
「元康さんが家督を引き継いで、旧帝亜共栄圏諸国から睨まれている四面楚歌状態の頃からのパートナーなんですよう。明神丸が私の出身、イツクシマに来たときにはまだ『ヤクザの二代目とその鉄砲玉』って感じだったんでえ、いつの間にか取られちゃってましたねえ。まあ、結婚してるわけでも子供がいるわけでもないから私にもチャンスはありますう。元康さん程顔が良くて金持ってる男もいないですからねえ」
含み笑いする接に、荊の頭は完全に冷えた。
「わたくし一応世良田船長の許嫁なのですけれど」
「元でしょお?」
「まあ、元ですわね」
どちらかと言うとキサラギの方が好みではあったが、それこそ誰にも信じてもらえないだろう。
明神丸の右翼付け根に、その屋敷はあった。イズモの名だたる名工が作り上げたものをブロック構造として移築した『世良田屋敷』は、この船内で最も華美な空間である。現在、この広い家には二名の住人しかいない。世良田元康と、キサラギだ。
元康はポーター車の動きを止めると、米俵のように己のパートナーを担いでシャワー室に向かう。
湯を張った浴場というものは、どれほど船内が広く水に余裕があろうとも存在しない。重力装置が故障し、無重力状態になった場合、水中呼吸可能な種族でも無ければ確実に死ぬためだ。
「もう抵抗しないよう、元康」
全てを悟って急にしおらしくなった猫のように脱力したキサラギ。古代
「無抵抗からもう少し進歩して、自発性というものを獲得してくれると有難い」
「うぇー、努力します」
元康自身も服を脱ぎ、ボトルに入った洗剤を乱雑にプッシュ。スポンジでキサラギの身体に塗りたくっていく。色気の欠片も無い単調な作業で、まさしく出来の悪い犬を洗っているような感覚だった。
「それでも、他の誰にもこんなことをすると思うなよ。結局のところは極個人的な感情でやっているだけなのだから……」
「うぇ、今なんて言ったの? ワ、ワンモア言ってほしいな?」
「二度とは言わん。今のは説教なので意味を勘違いしないように」
「うぇええ……」
泡を洗い流すと、長い黒髪が白い肩に張り付く。面倒でしかない作業だが、この瞬間だけは気に入っていた。
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