歴史から消えた星

 青い海と緑色の大地。テラフォーミングの目的が『真海星』の環境を模倣であれば、この惑星は居住可能天体として完成している。

 目視で確認できるほどに近づいたそれを、荊は砲術管制室のディスプレイから眺めていた。

「電磁波の痕跡から人類文明圏を辿ってみれば……」

 拡大する。光学センサーが映す、星のいたるところに書かれた文字は『アカギ』。四百年ほど前、帝亜共栄圏すら無かった時代、倭語圏の歴史から忽然と姿を消した幻の惑星国家だ。

 元々イズモやスワのように大した影響力を持つ国では無かったため、星間文明の煩雑さに嫌気がさして鎖国政策を取るようになったのだろうと言われている。このような星は歴史上少なからず見られる上、これといって大した産物も無いので、誰も調査など行わないまま放置されてきた。

「強いて言うならば、『魂持つ機械』で有名だったさね。機械に魂が宿り、魔法を中核としたあの世を経て輪廻する。まあ、多少人工知能の性能が良くなるくらいで、大それたもんでも無かったそうだけど」

 明神丸の生き字引、主計長の愛宕が解説する。国家の中核を成す程の惑星には、物理法則レベルで影響を及ぼす固有の魔法が使用されている。センゲンならば地熱を循環させる第二種永久機関、アツタならば周期表より外れた特殊な合金を生産し加工する冶金概念など。中には物理体の情報化によって時の流れを千分の一にまで落とし、相対的な長寿を実現した星も存在する。

「で、その『幻の惑星国家』アカギだが、星系ただ一つの関はイズモにまで繋がっているそうだ。運の良いことに当初の目的地だな。――都合よく手形が見つかればの話だが」

 船長が付け加えた一言に、船内の空気が重くなるのを感じる。このアカギは、生きている知性体はおろか脊椎動物、無脊椎動物含め滅び去っている死の星だった。生命体といえば植物と微生物、そして魂持つ機械類のみ。

「何があったのかは知らんが、首都の運輸局に向かい、臨時でも何でも手形を発行しない限り明神丸はどこにも動けん。関を通過せずに星系を移動しようとすれば、数十年数百年がかりになるからな」

 移民船でも無いのに、そんな長旅はやっていられない。

「レーダー室は気象、有毒ガス、致死性微生物の有無など入念な観測を。水夫長は先遣隊の編成を行うように。必要に応じて幹部含めた他部署の人員を使っても構わない。船長として許可しよう」

「うむ、心得た。宇宙オーディンの加護のあらんことを」

 宇宙怪獣との激戦から、とっくの昔に復帰した卍が力強く頷く。

「では状況を開始したまえ。なに、いつも通りだ。いつも通り、ただ一つの途がたまたま前人未踏、虎の尾と龍の逆鱗が転がる命綱無しの崖登りになってしまったというだけだよ。いつも通りに生を拾おうでは無いか」



 転移魔法でアンカーの位置、アカギの首都郊外に位置する唯一の宇宙港に降り立つ。ここから人工知能搭載型のホバージープで運輸局へと向かい、手形を手に入れる作戦だった。

 荊は港に掲げられた看板を見た。四百年間差し込んだ日光によって激しく退色しながら、室内にあったために腐食を免れた看板。それには踊るような文字で『ようこそアカギへ』と書いてある。

「本当に歓迎してくれていればいいのですけれどね」

「まあ、成るようになるって。うぇひひ」

 ガスマスクに宇宙ケルピーの革製戦闘服、アツタ製碧鉄鋼のヘルムと同素材の防弾プレートをチェストリグで固定したフル装備は掌砲長のキサラギ。全身に巻いた弾帯には愛用の散弾銃で射出するための弾丸が、各種二百発ほど収められている。

 銃器以外は同等の、慣れない戦闘用装備を身に纏った荊の動きは、少々ぎこちない。旧術の対応力を見込まれて荊が、戦闘員としての技量からキサラギが卍によって指名されたのはこの際諦めざるを得ないだろう。主計課からは臨時報酬として少なくない額も提示されている。

 当然だが、人はいない。都市の構造はそのまま、動物のみがぱったりと姿を消していることから、毒ガスや細菌、放射能による汚染が懸念されていたものの、いずれも観測の結果は正常。ガスマスクこそ念の為に着用しているが、一見何の意味もなさそうだ。むしろ、人が存在せず植物のみが繁る星の空気は正常そのものといった感じだった。

「あらゆる扉がガチガチにロックされておるな。手荒だが、破る他無いか。皆、離れておれよ――ままよエイメン!」

 ただ一人だけ、いつもの僧服姿にガスマスクの卍が、一つ目鬼としての体格から蹴りを入れる。ガラス製の扉はあっけなく割れ、暖かく湿った外の空気を取り込んだ。

 港の外は、一面うっそうと茂る照葉樹林である。四百年の時がこの星一面をこのような姿に変えた。

「まあ、飛んで行けば問題なかろうよ。都市中央部は人工物が多く森林の浸食も薄いようであるし」

「はい、法師チーフ

 ホバージープを用意する水夫たちを見ながら、荊はあるものに気付く。

「これって……」

 そこにあったのは、魔法の符だった。朽ちた布切れ。ベルトのバックルと思しき錆びた金属などと一緒に、大量の符が堆積している。

「うぇー、何これ? どういう状況?」

 キサラギの疑問は尤もだ。魔法というのは一般庶民が一生触れないほどに高価で希少で、たかが一枚の符の恩恵を数千、数億の人間で共有しなければならない。

 その貴重品が、気づくとそこら中に転がっている。

 まるで、港に入りたくても入れない――符そのものが意思を持っているかのように。

「……っ!」

 背筋に寒いものが込み上げる。これはまずい。とてもまずいものだ。

「って、これ魔法の符じゃん。ラッキーだな、戴いちまおうぜ。宇宙ゼウスのお導きだ」

 戦闘員の一人が、その符を拾おうとしていた。

「ちょっとお待ちなさいな! それに触ってはいけませんわ!」

 荊の制止も無駄だ。戦闘員は薄ら笑いを浮かべながら、

「おいおい、符ってのは詠符機カードリーダーに差し込んで、三重水素の魔力を与えてやんねえと動かないんだぜ? 触っただけじゃ無害なんだ。君、砲術課の新入りだろ、確か。新入りでも専門職がそんなことも知らないようじゃ駄目だな」

 符を取り上げた。

「はは、こいつ売っぱらったら、どっか水が豊富で暖かい星に宇宙コーヒー園でも買って暮らそうかね」

 そして、その未来は永遠に無くなった。

「ひっ!?」

 荊は息を呑む。戦闘員の姿は服に詰め込まれた大量の符に変わり、地面にぽとりと柔らかい音を立てて落ちた。

「ちょ、荊ちゃんこれって!」

「ぞ、『増殖魔法』……! 禁忌魔法ですわ!」

 閉鎖された『真海星』でしか生産不可能な魔法の符を、唯一無条件で増やすという伝説の魔法。手に入れればあらゆる魔法が自由自在、誰もが夢に描きながら求める至高の力。

「こんな僻地の星に、しかもゴミのように大量に転がっているだなんて……」

 よくよく見れば、地面に転がっている魔法は同じ古語が書かれているものが半分ほど。ここには、宇宙を揺るがす程の禁忌魔法が塵芥の如く満ちている。

「いかん、戻れ! 飛び降りろ!」

 卍の指示は間一髪で間に合った。ホバージープで飛び上がった戦闘員たちが、空を飛んできた何者かに襲われ地面に飛び降りた。

 明神丸の戦闘職は、基本的に手練れぞろい。たかが二十米程度の高さならば、問題なく着地可能だ。先の不運な戦闘員のように符にもなっていない。

「あれは……」

 卍、荊を含めた全員がそれを見る。符を全身に張り付けた、配達用飛行ロボットを。

「四百年ぶりの人の気配を感じて起動したってとこかな。やばいよ、卍さん!」

 キサラギが銃を構える。鉄と木で作り上げられた、古風な散弾銃を。

「うむ、撤退する! 明神丸に戻るぞ、子羊たちよ!」

「はい、法師!」

「符には絶対に触らないようにお願いしますわ!」

「符には絶対に触らないように!」

「はい、法師!」

 戦闘員たちの先頭に立って走り出す卍。その背を、どこからともなく現れたロボットどもが追う。二足歩行、四足歩行、履帯、車輪、マニピュレーターを持った作業用に、プロペラで空を飛ぶもの。形は様々だが、皆人を狙っているかのように接近してくる。

 明神丸の船員は、行きと同じく破壊されたガラス戸から撤退していった。港を包むガラスの窓は、ロボット達が壊そうと思えば壊せそうなものだが、彼らは執拗にその一か所だけに殺到する。おそらくは人工知能としての本能で器物や人間に直接危害を加えることが出来ないのだろう。それでいて、禁忌魔法に操られ『増殖』をしようと接近を試みる。

 キサラギは鋼鉄であろうとも貫く防御貫通魔法を混ぜつつ、ロボットの脚部を正確に撃ち抜いて殿を務めていた。荊は万が一にも自分たちの方向に符が飛んでこないよう自動迎撃魔法を張っている。感知術式だけがパッシブ状態で、迎撃時のみ物理干渉力を発揮するために魔力消費が少ないのが有難い。

掌砲長チーフ、そろそろわたくしたちも逃げないと!」

 荊が叫ぶが、キサラギは撤退しようとはしない。

「うぇー、オレたちは残ろうよ。残って手形を取りにいかないと」

「いえ、そんなこと言ってる場合じゃ!」

 手当たり次第に破壊した後で銃を構え、増援に備えている。

「荊ちゃんも残ってよ」

「撤退しないと!」

 上司の命令だが、従う訳にはいかなかった。仲間は撤退した。ここで残れば死ぬ。符にされて、死体も残らない。無惨な最期だ。

「……じゃ、もういいよ、君。要らないから帰っていいよ」

「んな……!」

 普段ふにゃふにゃと掴み処の無いキサラギ。不器用ながらも一応荊を部下として見ていた彼女の、急変した態度に心臓が縮み上がった。まるで、最初に出会ったとき宇宙海賊どもを立て続けに痛めつけた、あの酷薄な銃口をこちらに向けられたかのようだった。

 それはいい。荊は間違ったことを言ったとは思っていないし、他人などそんなものだ。だが、聞き捨てならないことを言われたのは自覚した。

「要らないとまで言われて、はいそうですねと帰るわけにはいきませんわよ……!」

 唯一与えられた武器。小型のレーザーガンを構え、キサラギに並ぶ。

「うわあい、ありがとう! いや、どっちにしろ再度来なきゃいけないとなると、アンカーがあいつらに囲まれている可能性があってさ。そうなったら一人じゃ済まない犠牲が出ると思ったんだ。オレ一人でも大丈夫だとは思うけど、荊ちゃんいると旧術でなんでもできるからね」

 また態度が急変。饒舌になった。彼女に関しては、もうあまり深く考えるのを諦めた方が良いかもしれない。

「それならそうと最初に言えばいいのに……」

「御免ねえ。オレどうもコミュニケーション能力ってのがさっぱりでさ」

「そうでしょうとも! 自覚がありますのね!」

 キサラギの感情は知らないが、荊の怒りはしばらく引く気配がない。

「ああ、あとその銃ね」

「何ですの?」

安全子セーフティー外れてないよ」

「……」

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