第三章 討匪行
検疫と脱獄
配水管に結露した水が、コンクリートに囲まれた薄暗い病室に落ちる。ここは医局ブロック第四隔離棟。最も危険な患者を治療するために造られた『存在しないはずの』病棟である。
四百年以来歴史の表舞台から姿を消した惑星アカギでの任務から三日。検疫のために閉じ込められた荊とキサラギは暇を持て余していた。
「ひどすぎますわ、手形取得の功労者にこんな扱い……」
荊が呟くと、部屋の反対側のベッドに横たわるキサラギが気だるげに身を起こす。
「二日に一遍シャワーを浴びろだなんて人道に反するよ……」
「いえ、それは当たり前ですわ」
やや湿気てはいるものの清潔な環境、清潔な食事、清潔な上司。必要なものは揃っているが、退屈はどうしようもない。
「荊先輩、キサラギ先輩、お見舞いの品をお持ちしました」
薄暗くとも、揺れる金髪は目立つ。荊のように上流階級のステータスシンボルとして遺伝子操作による銀髪化を施すことはあるものの、旧帝亜共栄圏では黒髪の人種が多い。倭語圏の外、ハイリガー帝国圏出身の少女、果物や本を抱えたシャルロッテが階段を下りて見舞いに来た。非番になると、荊を慕ってかこうして足しげく通ってきてくれる。
「水夫長が栽培プラントで作ったものを分けて下さって。マクワ瓜を遺伝子改造して糖度を上げたものを試験的に栽培していて、『甘え露』が訛って『めろん』と呼ぶそうです」
「誰が名付けたのやら……」
動植物には事欠かないセンゲンではあらゆる野菜や果物を栽培しており、マクワ瓜も当然のように知っている。荊も間食や朝食として普段から口にしていた。塩で漬けたり味噌と食べるのが良い普通の瓜だ。
刃物の受け渡しは厳しく制限されている。水夫長旗下の警備部にはハチマン出身の侍もおり、ポケットナイフで斬鉄など当たり前のようにこなすためだそうだ。房の鉄格子越しに『めろん』を切り分けるシャルロッテの手つきは、中々堂に入っている。彼女の手料理が食べられる娑婆が懐かしい。
「はい、どうぞ」
鉄格子下の隙間から果物を渡される。完全に囚人の扱いだった。
「ありがとうございます」
「ありがとねえ」
キサラギと分け合い『めろん』を齧ると、絶妙な甘みに思わず口が綻ぶ。
「甘いですわねえ。栽培プラントも水夫長の管轄でしたの?」
「施設そのものは主計課が管理してるみたいです。人員の手配は水夫長配下の主務課が行っているので、私もたまに収穫のお手伝いとかさせていただいてるんですよ」
シャルロッテの担当は前職通りに輸送機械の整備員だが、心の底から仕事を愉しんでいるようだった。乗船のきっかけは思い人との別れだったが、彼の遺言通り前を向いて進んでいるらしい。
そのまま船の様子など話をしていると、船内放送が始まった。非常時以外は鉄琴か何かのメロディーの後に続くものだが、基本的には重要な情報だ。全員で傾注する。
「キュッキュー、キュッキュー。キュー。キュッキューキュー」
主任操舵手にして高知能イルカのオズワルドの声だった。当然、端末のイルカ語翻訳機能をアクティブ化していなければ意味など分からない。
「適材適所という言葉を存じないのかしら」
慌ててアクティブ化すると、実に味わい深い倭語訳が文字情報として出力される。
「キュッキュー、キュッキュー。キュッキュー(性交機械のように繰り返します、空気頭たち。我々の性交船は三十分後に性交関所を通ります。各自安全な場所であなた自身の尾を吸って待機してください)」
オズワルドはハイリガー帝国出身で、イルカ語、ヴァルド語、倭語の順に機械翻訳されている。ヴァルド語が母国語のシャルロッテは、少し驚いた表情で端末のヴァルド語を読んでいた。
「なんというか、地元付近でたまに見かけたサッカーファンの方々のような言葉遣いですね。マイスターには『テレビで見る分には構わんが、スタジアムには近づくな。というか奴らに近づくな。君には相応しくない連中だ』と言われていたのであまり良くは知らないのですが」
「まあ、賢明ですわね」
ともあれ、シャルロッテはもう自室に帰った方が良いだろう。
「『めろん』御馳走様でしたわ」
「ええ、宜しければまた持って参りますね」
シャルロッテを見送り三十分後、軽い揺れとともにその時が来た。明神丸が星系と星系を繋ぐ巨大転移魔法、関に入るのだ。正直な話、自信があるかと言われれば微妙な所だ。荊が関に入るのは前回が初であり、そしてあのときは禁忌魔法の暴走により手ひどく失敗をしている。つまり成功率零パーセントということだ。病室のベッドに腰かけながら、いつも以上に封印に集中。無言で関を通り過ぎるのを待つ。
そして、なんとなく空気感が変わったと思ったときに、再び船内放送が入った。
「キュッキュー(性交関を無い問題で通過しました。付近に母性交船影無し。通常航行に動きます)」
無事に通過できたことに胸を撫で下ろす。また宇宙怪獣と激闘をせねばならないという最悪の事態は回避したようだ。
イズモは倭語圏でも中心的な惑星国家だ。普通の関所付近ならば、軍艦や明神丸のような民間輸送船、そして魔法や手形目当ての海賊船が少なからず航行しているものだが、忘れ去られたアカギとの出入り口には何もいない。
「荊ちゃん……」
シャルロッテとの会話中ほとんど黙っていたキサラギが『めろん』の蔓を噛みながら声を出す。虚ろな目が少し怖い。この状態で三日を過ごした荊だから分かる。これは禁断症状だ。
「銃撃ちたくない? 撃ちたいよね? 撃とう」
「どこに銃がありますのよ」
この監獄のような病室の、どこにも銃など存在しない。
「脱獄するんだよう……」
掌砲長の手には『めろん』の蔓が二本。箸のように摘まんで弄んでいる。
どのような魔法を使ったのか、二本の蔓を病室の鍵穴に差し込むと、瞬く間に開錠した。旧術を用いれば簡単に開きそうな牢だったが、脱獄などに使うのは憚られる。キサラギが妙な特技を持っていて良かった。
「いや、良かったんですの? これで……」
抜き足で幻の第四隔離棟を脱走。関を抜けたばかりのためか、消毒液臭い医局ブロックには人通りが少ない。キサラギはこの瞬間を狙ったのか。
「合図をしたら移動だ」
あらかじめ定めたハンドサインに従い移動を繰り返すと、居住区の中でも一際豪勢な屋敷に到着した。
「ここは……」
「元康の私邸だよ。オレの家でもあるけど」
待つように言われて立っていると、目の前をピンク色の塊が通りかかった。
「なんですのよあれ」
それはピンク色毛並みの獣だった。大型犬ほどのサイズだが、顔は狸のようでもある。謎の珍獣はこちらに気付いたようで、毛を逆立たせる。
「う!?」
奇妙な鳴き声を発すると、一瞬硬直。全速力で逃げていった。
「いや、本当になんですの、あれ」
しばらく呆然としていると、キサラギが戻って来た。荊の愛銃も彼女の部屋に移動されていたようで、キサラギのそれと同じく鉄と木でできたクラシカルな散弾銃を手渡す。アカギの脱出劇ではあれだけ手に馴染んだ銃が、別物のように重く感じられる。
「まるで魂が抜けたような……。アカギを離れたので仕方ないのかもしれませんわね」
一抹の寂しさも覚えるが、それはそれとして射撃場に向かった。陶製の円盤を十発も撃ち、やっと当たるようになったあたりで追手の武装看護師に逮捕されることになったが。
四日後、万里小路荊とキサラギはこれといって問題のあるウイルスや病原性微生物を保菌していなかったために、釈放されることとなった。脱獄回数、未遂も含めれば計三回。
「暇な奴らだ」
と、報告書を畳み紅茶を飲むのは世良田元康だった。
水耕栽培の観葉植物に囲まれた温室。明神丸内に店を構える外注の菓子屋で調達した『めろん』のタルトを傍らに、小休止を取っている。
暫し目を閉じて茶と花の香りを愉しんでいると、呼び鈴が鳴った。
「誰かね?」
ホロディスプレイに映ったのは見知った顔だ。
「オレだよう、元康」
白縁眼鏡に野暮ったく伸ばした黒髪。旗揚げ以来毎日のように拝んできたキサラギの顔。
「鍵は開いている。私は温室だ」
手短に伝えて少し経つと、温室の扉が遠慮がちに開いた。
「うぇへへー、ただいまー」
小走りから元康に寄りかかる。女性にしてはやや太めの骨格。細身の男性のように筋肉質だが程よく皮下脂肪も乗っている。両性としては理想形に近い肉体だ。陰気で野暮ったい風体からは予想も付かない程に。
「検疫ご苦労だったな。菓子を用意しておいたので食べるといい」
素っ気なく返答し、紅茶を口に運ぶ。
キサラギは不満げに口を尖らせ、妖艶に足を絡めてきた。
「そんなことよりい、久しぶりなんだからご褒美欲しいなあ……」
あからさまな誘い。元康は無表情で息をつく。カップをテーブルに軽く置き、キサラギの目を見た。
「褒賞が足りないようなら主計課と交渉をしてくれ。最近の貴様には仕事を任せすぎているので、医療スタッフも含めて多めに払うよう主計長には私から口を利いておこう。それで良いな、里見医局長」
「ちえっ、こんな早くバレるもんですねえ……」
舌打ちとともに、キサラギの姿が変化していく。黒髪が瞬く間にピンク色に染まり、軽くウェーブしたセミロングに変わった。
「変化に特化した不定形魔族『宇宙貉』か。キサラギのふりをしたいならば、酢酸0.1ppm、アンモニア0.05ppm、イソ吉草酸0.0002ppm程度を混ぜ合わせて全身に一吹きしてみたまえ。私自らシャワー室に叩きこんでやる」
「うわあ、恋人に化けた相手をppm単位で見破った人初めて見ましたあ。流石に少し引きますう……」
里見接は半目のまま元康の対面の椅子に座った。
「他にも理由はある。キサラギなら呼び鈴など鳴らさず無言で部屋に戻り、無言で銃を掴むと、無言で射撃場に行く。――食器をもう一人分持って来よう。その菓子は元より三人分用意してある。遠慮せずに茶会でも愉しみたまえよ」
言外に接を待っていたと、そう言っているのだ。無論、茶会のためではない。非常に重要な報告の為、直接元康の私邸に来たということだ。ここならば誰に聞かれる心配もない。
柑橘系の香りのする茶をもう一杯淹れると、猫舌の接はしばらく口を付けずに放置する。紅茶の抽出温度は熱湯に近いため、数分は待つ必要があるだろう。
「分かってるとは思いますけどお、万里小路さんの件ですう」
ただの検疫ならば七日もかかることはない。二日中に解放してやれただろう。まして検査対象二名の内、キサラギは幹部だ。早々に復帰してもらわねば有事の際に困る。そうまでして秘匿するべき疑惑が明らかになってしまったのだ。あの万里小路荊に関する疑惑が。
「ああ、確信は持てたようだな。どっちかね? 『当たり』か『外れ』か」
「『当たり』の方ですう。事態がもう少し単純ならよかったんですけどお」
そうか、と呟き、元康は思案した。人の意向は実に単純だ。ただ、単純な意思が絡み合い複雑な事態を形成してしまっている。
「万里小路さんには辛い事実を突きつけることになりますねえ」
「辛いか否か、それは彼女が決めることだ。私の与り知る所ではない。しかし、そうだな……既に地獄に突き落とされた後で、全て遅い、貴様の命は失われたのだと周囲に罵声を浴びせられながら、死んでも生きたいともしも願うのならば――彼女の望み通りにしてやろう」
接の茶は適温になったようで、化粧を一切使用していないにもかかわらず妖しく紅い唇を、少しだけ湿らせる。
「あなたは何をする気ですかあ? 厳かな神像のように沈黙して、また悪魔のようなことをする気じゃないんですかあ?」
カップを冷ます接が上目遣いに笑うと、元康も口の端を少しだけ歪めた。
「私が悪魔ならば、魔女を助けるのは当然のことだよ」
「格好いいですよねえ……。でも、同じこと誰にでも言ってるんでしょう? 私の時だってえ……」
「一人につき一度きりだ。信念を知らしめるのにそれ以上の言葉は要らない。だから貴様に対してはもう二度と言わない。――ともかく、万里小路荊のバイタルは貴様が監視していたまえ」
「多分あの子、次の寄港地でしばらく外泊すると思うんですけどお」
接が言わんとしていることは分かる。例の『魔法を破壊する魔法』を捜索するための情報収集だ。イズモ本星を除けば、その手の行動にはうってつけの場所ではあった。
「貴様も降りろ。勤務扱いにはしてやる。遊んでいても何をしていても良いが、万里小路からは目を放すなよ」
「はあい、任務了解ですう。さあて、あの小娘どうやって言いくるめてやりましょうかあ」
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