脱出作戦
シャルロッテの回復は早かった。荊たちが漂流を開始してから四十八時間が経過した現在、むしろ荊よりも元気に動き回っている。
今は一日二回だけ許された食事の時間。漂流も長丁場になりそうなので、明神丸への連絡役は四時間ごとに交代して三人で回している。
シャルロッテが渡された高カロリー栄養バーを、
「申し訳ありません、この食事は腐敗しています。衛生上問題があると考えたので報告しましたが、廃棄してよろしいでしょうか?」
と言い出したので、納豆味とポテト味を交換してやった。
「人造人間はまず労働力としての役割を果たすために、遺伝子レベルで能力が強化されています。私は以前戦闘機の整備士をやっていました。重いパーツを持ち上げたり、配線を力ずくで外したりすることもあるお仕事です。力仕事でもお料理でも、何でもお任せください」
「それは頼りになっていいのですけれど、あまり動かないようにお願いいたしますわ。その、食糧にも限りがあるので」
「はい、荊様。宇宙ストロマトライトのように静かにいたします」
「そんな縮こまらなくてもいいんですのよ」
人造人間という種族は、基本的に他人に対し従順にふるまう。従属種族として遺伝子を篩にかけ続けた、一種の進化。はっきり何の遠慮も無く言ってしまえば『家畜化』というものだ。
憐憫は、それこそ礼を失するというものだろう。シャルロッテが『家畜』ならば荊は『野生動物』に過ぎない。知恵を持つ生き物も持たざる生き物も、ただの動物――数多の種族の闊歩する広大な宇宙でその線引きを失えば、人は醜い何かに成り下がる。
「ところでこの資料ですが」
アトミラール・クルーゲの資料は全てヴァルド語で書かれている。荊が知っているヴァルド語など『ヴルスト』や『ザウアークラウト』くらいのもので、大雑把な機械翻訳に掛けたものを、意味不明な部分は文脈から補完して読み込んでいく他なかった。シャルロッテとの会話も自動翻訳だが、ネイティブの解説という意味では大いに助かる。今は休憩中だが、常在戦場を地で行く状況でもある。貴重な意見は遮らない。
「何か気になることがありますの?」
「現在マイスターたちのいらっしゃる『外のグラ』体内宙域の調査結果です。呑まれてすぐの宙域には密集といってもいい程の残骸や小惑星が漂っているのですが、五光時間も離れれば氷塊一つ見られなくなるんです。端から端まで二千光年もある広大な宙域だというのに」
「それは、万有引力の法則で説明できますわよ。質量と質量は引かれ合う。だから、恒星でもガスでも密集しているところには密集しているし、それ以外の場所には塵一つ無いのですわ」
「それにしては、呑まれてすぐの場所が『ここ』っていうのは何か引っかかりませんか? 二千光年ですよ? 何百年全速力で船を飛ばしても、別の船の残骸どころかデブリ一つ見つからなくても不思議じゃないです――って、機関士のエーリカさんがおっしゃっていたのを思い出しました」
既に亡き機関士の受け売り。だからこそ、新たに戦いを引き継ぐ荊たちには伝えなければと思ったのだろう。律儀で良い娘だ。クルップ卿はこのような娘に忠誠――いや、好意を向けられて幸運だ。
「……ええ、それもそうですわね……」
もう一度、根本から考え直す。この空間に対する考察はいかなる前提で行ってきたか。
「『この空間』は『空間』である――そういう前提で話してましたわね」
「意味不明です。それは再帰論述法というものでしょうか」
「この前提は半分間違っていますわ。『この空間』は『体内』ですのよ」
「……あっ!」
生物の構造を考えた場合、口から肛門までは一本道に繋がっている。何が呑まれようと、行きつく先は同じだ。食われてすぐにたどり着く場所は――
「口腔内……。じゃあ、宇宙怪獣――マイスターたちが名付けた
「閉鎖宙域の端なんか無い。心臓ど真ん中で消化管が完結している生物なんてどこにもいないので盲点でしたわね。『口』は、そう遠くない場所にありますわ。わたくしたちの乗ってきた戦闘機でも、そこら辺を漂っている船でも、ログを辿って統計学的に位置を割り出せる位に」
「でもでも、位置だけ分かったところでどうやってその口を開けるのですか?」
「……一か八か、禁忌に手を出す価値はありますわよ」
手を尽くし知恵を尽くし、最後に残った勝算が、明神丸にとって最初の敗因であろうとは。
「神はいらっしゃいますわね。ここに――!!」
古語の書かれた黒いカードを目の前に、万里小路荊は笑った。
二枚の巾着を想像する。一枚の巾着が二枚目の中に入った。これで巾着は二重になった。しかし、双方物を出し入れする口は存在する。二つの口の位置を合わせ、内側の巾着を『反転』させると――
「内側の巾着にしまい込まれていた物は、広大な外界に放り出される。幾分特異ですが、この閉鎖宇宙も宇宙には違いありませんわ。紐の魔法をベースとした力で構成されている筈。中心から指向性を持たせた『反転魔法』を使えば……」
巾着と同様、一番内側の存在を吐き出して――滅ぶ。
「絶対に使ってはいけない力で、あえて宇宙を滅ぼそうというか。面白い。久しぶりに興がそそられるな」
白木の杖を支えとし、傲岸に座る世良田元康は、珍しいことに笑っている。彼の中では、次の行動が決定しているらしかった。
「『外のグラ』と『内のグラ』の口に該当する空間を一直線に合わせ、『反転の魔法』を付与した明神丸の主砲で貫通させる。すると反転の影響を受けた二つの空間が同時にペロリ。縦長の袋に棒を突きこんで、一気に裏返すようなものですわ」
「万里小路荊、貴様の案を採用だ。しかし悩みどころだな。その作戦では明神丸も貴様らの居る『内のグラ』の中に突入せざるを得ないが、そうなると『内のグラ』の口を『外のグラ』の口に合わせる者がいなくなる。唯一残った可能性は――」
アトミラール・クルーゲ。
推進力を失った固定砲台だが、あの艦の主砲レーザーならばグラの注意を逸らす程度は可能だと判明している。作戦概要を聞いていた卍が、苦々し気に発現した。
「殉教者を募ってアトミラール・クルーゲに残ってもらう他あるまい。心苦しいが、キサラギ殿の部下の一人になるか。クルップ殿は――」
「未だ意識不明だ。目覚めれば……そうだな、あの少尉殿ならば進んで残りたがるだろうが」
己の立案した作戦とはいえ、荊は俯いた。あまりにも残酷だ。せっかく死んだと諦めていた思い人が蘇ったというのに、一度も会わずにに人柱になるのが最良の選択だなんて。
「南無。砲撃担当者に家族あらばどうか手厚い補償をしていただきたい。この蒲生卍、たってお願いする」
船長は、水夫長の提案に目を伏せた。何かが気に食わない。そういう雰囲気だ。
「義務だ、皆の為だなどと部下に確実な死を強要するのは御免被る。我々は――私は商人だ。軍人ではない。命を売り買いしようとも、捨て去る選択肢は持たない。いまだかつてない強烈な打撃を加え、口の向きを合わせた状態で身動きできなくし、一気にそちらまで飛び込んで片を付ける。作戦決行は十八日後。心して待て」
それでは成功確率が低くなる。分の悪い賭けだ。しかし、それが明神丸全体の方針ならば。絶望的な巨艦と底知れない勢力の暴威を前にしても、荊の命を差し出さないと言い切った世良田元康の器だとすれば。
「部下の命に例外があれば、誰もわたくしの命を認められなくなる。であれば、わたくしの方にも賭けに乗る理由がありますわ」
荊は通信室を出ていく。シャルロッテは部屋に待たせてあった。いまだ当直の連絡役は卍だ。彼女と自分の共有部屋に戻って、睡眠時間にでも充てよう。
通信室を出てすぐの通路に、シャルロッテが立っていた。
「……嘘だったんですね。いえ、嘘は付かずに、真実をぼやかして伝えただけ。ジグが意識不明だなんて、あなたは一言もおっしゃりませんでした」
「御免なさい」
シャルロッテは怒っていない。何かをこらえるよう、俯きがちに震えている。
「あの方は勇敢な人です。勇敢で立派で、私のマイスターです。だからきっと意識を取り戻して、『外のグラ』の足止めを買って出ます。だから……だから……!」
その一時間後、突如として明神丸との通信が不可能になった。傷が塞がったのだろう。
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