取り残された少女

「……」

「……」

 六時間後。とうとう話題の種が尽きてしまった。荊は無言で三十年分の資料を確認している。

 卍はその長い足を意味不明な方向に折り曲げて瞑想を行っていた。

「万里小路殿」

 卍が瞑想の姿勢をするりと解いて荊を呼んだ。

「はい?」

「拙僧最大の罪があのロケットの中の少女、篠だと前に話したな」

「ええ……」

 会話の端にさらりと付け加えた程度だったので、特に深く訊かずに流してしまったが。

「良くある話だ。拙僧も篠も辺境の開拓衛星の集団農場に生まれ育った。初期のテラフォーミングが上々だったので、暮らし向きはそう悪くは無かったな。ただ一つ拙僧と彼女の違いは――拙僧はそこの地主の息子で、篠は人造人間の奉公人だった」

 身分違いの恋。確かに良くある話だ。結果は、

「彼女を拙僧の『愛人』として囲うことは簡単だった。手籠めにしたとでも吹聴すれば誰も手を出さんし、自然とそうなるだろう。だが、どうにも融通の効かん馬鹿だった拙僧はそれに満足しなかった。二人だけの所帯を持って暮らそうと、本星だったアツタに移住しようとした」

 惑星国家アツタは鍛冶と工業技術の本場として有名だった。彼の地で造られた製品は、どこの星にも真似できないほどの高耐久を持つ。そういう魔法が星そのものに掛っているのだ。

「種族特性により、エンジニアとしての就職口は無数にある。経済的にはまるで問題なかったのだ。競争率は高かったが、この一つ目は祖たる神より賜ったもの。余のヒト族などが並々の努力で追い付けるものでは無い」

 それこそ、対抗できるとすればハイリガーを中心に定住しているドヴェルグ族くらいだろう。

「だが、家がそれを許さなかった。一介の人造人間と後継ぎが駆け落ちなど、田舎では八代付きまとう醜聞だ。そして空港で本家の雇った探偵に捕まった拙僧と篠は……否、篠は無実の牛泥棒など数件の罪を着せられ、市民権を剥奪……『廃棄』された」

「……」

「辺境での人造人間の扱いなどそんなものだ。地方の有力者が口利きすれば、あれよあれよという間に命がモノに成り下がる。彼らの命は軽い。軽すぎる。……軽いのだ。あまりにあっけなく殺される」

 それでか、と、荊は腑に落ちた。六本松の悲劇の、蒲生卍がその主犯格になった原因だ。

「結局のところ、拙僧が馬鹿だったのだ。あまりに馬鹿で、世を知らなかった。世の人間に渦巻く悪意というものを知らなかった。悪意は人の常だ。誰もが殺意のタガを今か今かと外したがっている。神以外にどうして救えるというのか?」

 告解の様な独白を終えた卍は、そのまま黙って数珠を外し始める。

「このロケット――篠を万里小路殿が持っていてはくれまいか」

「それって……」

「もしもの話だ。もしも拙僧と万里小路殿、どちらかの命しか助からないとなれば、拙僧は迷わず万里小路殿の命を守る。万里小路殿も拙僧のことは迷わず見捨てて欲しい。生き汚くもここまで罪を重ねて生きてきたが、これが最後のチャンスなのだろう。贖いにすらならんだろうが……」

 卍の一つ目は俯いてなどいない。真っ直ぐ、荊を見つめている。処刑台に向かう殉教者のように。

 とりあえず、ロケットを受け取り開いてみた。

「ちょ、これ篠さんじゃありませんわよ!」

「むむ!?」

 中の写真は、金髪の少女と黒い軍服の青年。おそらくこれは、

「クルップ卿とシャルロッテさんじゃありませんの?」

「入れ違えた……! なんと、拙僧はまた罪深いことを……! 宇宙ヒマラヤに立つ三柱の神々よ、我を許したまえ! 否、罰したまえ!」

 実のところ先に入れ違えたのはクルップの方なのだが、今の卍にそこまでの頭は回らないらしい。あまりに多くの事が起こりすぎた。些細な記憶を保つ方が難しい。

「万里小路殿……!」

「嫌ですわよ。自分で返しに行きなさいな」

 ロケットを突き返す。卍の責任なのだから卍がどうにかするべきだ。

「じゃあ、ちょっとわたくしは外しますけど……」

「手洗いならば突き当りを右に曲がり、さらにその突き当りを右に、階段を降り二部屋の昇降機を上上下下左右BAに入力し……」

「……」

 覚えきれるだろうか。



 軽く迷った。いい線は行ったと思う。だが、あともう一歩が分からない。行ける内に行っておこうと、急いではいないのが救いだが。

「この部屋も違いますわね」

 ライトを当てると、白い二段ベッド二台に酒の缶。壁面には主の家族と思しき写真が一面に貼り付けてある。元からこうだったわけではないだろう。最期の時を過ごすために、そのために酒と家族の思い出を頼ったのだ。

「……」

 長居する資格は無い。早々に出ていった。

 次の部屋には写真など貼っていなかった。白く、シンプルな部屋にベッドと数着の服が几帳面に畳まれている。だが、一か所だけ異常があった。

「……人?」

 ヒト族の特徴を持つ金髪の少女が、四床あるベッドの一つを占領していた。

「この人……!」

 その少女は、卍に渡されたクルップのロケットの中で微笑んでいた人造人間、シャルロッテだった。

 六十年前の姿そのままに、寸毫も動かず横たわっている。



 何分緊急事態なので現場の指揮命令者たる卍の指示を仰ぐため、通信室から彼を呼んできた。

「むう……脈も瞳孔の収縮も見られん。これは仏様ではないのかな?」

「それにしては腐敗も無いですわ。それに――」

 視線を移したのは、腕の詠符機と挿入された魔法の符。

「ちょっと失礼」

 荊はシャルロッテに顔を近づけると、少女の口に自らの口を当て、吸った。舌を挿れ、その口中を味わう。

「むむ、同性とはいえ破廉恥に過ぎないかね!? 魔羅に憑かれたか、万里小路殿!」

「甘いですわ。体内水分のトレハロース化……クリプトビオシス……?」

 卍の驚愕を無視して、考察を続ける。やはり答えは、

「彼女が使っているのは仮死魔法ですわ。然るべき水分を与え、魔法を解除すればシャルロッテさんは蘇りますわよ。クルップ卿に教えないと……!」



「マイスター……」

 六十年間閉ざされていた口が、ぎこちなく開かれ、一声を発する。

 然るべき準備をした後魔法を解除すると、金髪の少女は蘇生した。

 蘇生直後だが、焦点ははっきりしている。

「シャルロッテさんですわね?」

 荊はシャルロッテに呼び掛ける。身体の方は萎えてしまっているようで、視線だけを荊に向けた。

はいヤー……。クルップ家侍従、シャルロッテと申します」

 ヴァルド語で受け応える。蘇生前の彼女に付けた端末の翻訳機能は正常に機能しているようだ。

 少女は天井をゆっくりと見つめ、口を動かす。

「マイスター・ジグ――ジギスムント・フォン・クルップ様はいらっしゃいますか?」

「クルップ卿は……」

 クルップの意識はまだ不明だ。峠は越えたということらしいが、予断を許さない容体だった。

「……マイスターがいらっしゃらないなら、元の状態に戻してください。私はあの方を待たなければいけないのです」

「そうそう戻せるようなものではありませんわよ。クルップ卿なら、一ヶ月もすればわたくしたちの船で来ると思いますわ」

 半分は嘘だ。そのタイムリミットを迎えて、クルップが生きている保証はない。流石にシャルロッテが生きていると知れば、明神丸に乗船して『内のグラ』の体内にまで来るとは思うが。

「ではこのまま起きています。……あの、今はディートリヒ暦何年でしょうか?」

「ディートリヒ暦何年かは分かりませんが、この船が宇宙怪獣に呑まれてから六十年は経過したそうですわ」

「……では他の方々は……」

「生き残りは、おそらくあなただけですわね。他に仮死魔法や、凍結保存魔法など持ち合わせていないのなら」

 与圧室の仏様を思い出す。あれで船尾に残った全員だろう。

「そうですか。……あの魔法を人造人間に過ぎない私が戴いたのは、皆様の意思だったのです。あの魔法を他の漂流船から戴いたとき、立派な制服を着た方が胸に鉄の棒を刺されながら、この魔法を詠符機にセットしていたそうです」

 船の有力者が存命の為仮死魔法を使ったものの、他の船員の恨み、嫉妬を買い、仮死状態のまま殺されたのだ。船内の状態は推して知るべしだろう。

「だから、今すぐこんなものを使って、独り当ての無い助けを待ちながら死ぬくらいなら、各々残された時間を生きて、限界が近づいたら自分たちの手で終わりにしようと、そういうことになったのですが」

 一息。その一息の中に、過ぎ去りし仲間との思い出を込めるように。

「私だけは、主を待たなければと我儘を言ってしまって。それでも快く魔法を譲っていただけました。『一番若く、女性で』……ええと『最も美しいのが君なのだから、ブラウリンゲンの騎士の選択は決まっている。眠り姫を守るために散るのも悪くない』――などとおっしゃられて」

 涙が、その蒼い瞳から一筋垂れた。

「良き方々ばかりでしたのね」

「……はい」

 荊はシーツの端でその涙を拭った。

「ところで万里小路殿」

 シャルロッテの蘇生には卍も同席している。彼は諭すような口調で、

「一人漂流仲間が増えるということは一人食い扶持が増えるという事。これで食料枯渇までのタイムリミットが単純計算で二十日に減ったぞ。……いや、責めてはおらん。これぞアガペー。自らの命を削るような施しの精神、感心する他無い。見事だ万里小路殿」

「あ……」

 冷や汗の止まらなくなった荊を、シャルロッテが心配そうに見ていた。

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