漂流船

 世良田元康は見た。量子観測機の向こう側、可視化された戦場で、蒲生卍の愛機『隻法師』が巨大な宇宙怪獣に呑み込まれ、消え去る様を。次いで、明神丸の主砲がグラの腹に大穴を空けた。

 キサラギの判断は不治魔法と貫通魔法の二つ掛け。砲撃補助用の魔法を増やす度に、制御が難しく、反動が強くなる。キサラギは必要十分の判断をした。誰も間違っていなかった筈だ。ただ、全てが唐突過ぎた。

「元康……卍さん死んじゃった?」

 砲術管制室から、キサラギの呆けたような声が飛んできた。蒲生卍は時折意味不明な宗教観で煙に巻くような言動を取ることがあったが、温厚な性格で部下は無論のこと幹部からも信頼の厚い男だった。

 それが、消えた。

「宇宙怪獣の逃亡を確認した。砲術課は引き続き第一種戦闘態勢で待機せよ」

「……了解」

 久しぶりに主砲を撃ったというのに、キサラギの声からは昂揚が引いている。

「アトミラール・クルーゲ応答せよ。クルップ卿、こちら明神丸だ」

 味方戦艦からは応答が無い。

「映像通信に切り替えろ」

 砲術室の映像が、航法管制室のメインディスプレイに映し出された。ジギスムント・フォン・クルップは、詠符機とトリガーの並ぶ照準器の前に倒れている。

「里見医局長」

「……はい、戻りますよう。うう……」

「話が早くて助かる。なるべく急行してくれ」

 命からがら宇宙怪獣より逃げ延び、明神丸を目前にしていた医局長をアトミラール・クルーゲに再び向かわせる。

「オズワルド航海士長、明神丸本体もアトミラール・クルーゲに近付けろ。再来するとなれば、迎え討つべきはこの場所だ」

「キュッキュー(はい、性交大統領。性交牛の糞戦艦が性交目的地です)」

 イルカ語からヴァルド語、倭語への連続変換は、実に味わい深い翻訳となって出力される。そういえば万里小路荊にはこの翻訳プラグインを渡していないことを思い出した。結局、彼女はオズワルドと会話しないまま帰らぬ人になってしまったか。

「……いや、そうは思えないな」

 白木の杖で床を軽く叩き。

「掌砲長」

「うん?」

「貴様の目ならば信用できる。隻法師は最期に自らグラの口に入って行ったな」

「うん、そういう動きだった。いっそ一思いにってことで自殺かなあ?」

「蒲生卍の宗教観では自殺はご法度だ。でなければ、あの男は自らの犯した過ちによって、とっくに首を吊っている」

「じゃあ、どゆこと?」

「あちらには万里小路荊も同乗していた。彼女は新入りだが、魔法に関しては秀でた能力を持っている。その万里小路が下した判断だとしたら……」

「うぇー……オレは考えるのパスするよ」

「何か理由があっての行動だ。少なくとも、私は私の部下を信じる。どいつもこいつも生き汚い連中だ。死なないためならば何でもするような。今後、蒲生卍および万里小路荊の生存を前提に現状への対処を論じる。これは船長命令である」



 狭いコックピットの中。ベルトの圧迫感を感じながら、荊は目覚めた。気を失っていたらしい。

 蒲生卍が横にいるということは、ここはあの世では無いようだ。同じ神を信仰していない以上、行先は別々だろう。

「水夫長、生きてますの?」

 気付けに軽く頬を叩くと、卍は静かに目を開けた。

「むう……ここは宇宙ヴァルハラか、宇宙黄泉平坂か、はたまた宇宙タルタロスか」

「相も変わらず娑婆ですわ。なんとか生き残りましたわね」

「それは重畳。して、口の中に飛び込んだ末にたどり着いたということは――」

「尻の穴なら良かったんでしょうけど、生憎宇宙怪獣が内包する二つ目の宇宙ってとこですわね」

「グラの体内は二重構造になっていたのか。クルップ殿の言っていた『外のグラ』に呑まれた先に閉鎖宙域があったように、『内のグラ』の中にももう一つの宇宙があった」

 空間の見た目はさほど変わりない。外よりはやや少ないが、船の残骸が浮かぶ虚空だ。

「む!」

 起動中の自動迎撃魔法が何かを弾いた。直径およそ十二米。巨大な鏃のようなものが、ものすごい勢いで隻法師を襲い、弾かれた。反動で隻法師があらぬ方向へ飛ぶのを、卍は両手両足に分割したスラスターを器用に操り制御した。

「明神丸の主砲だな、今のは」

「明神丸の?」

「勢いは著しく削がれていた。……もしやとは思うが、貫通したものが飛んできたのではないかな?」

 こちらが口の中から体内に侵入したとしたら、先程の砲弾は腹か何かを突き破ってここまで侵入してきたということだ。もう何が起こっても信じることにする。

「明神丸との通信は可能ですの?」

「試してみよう」

 通信機は無事に起動した。量子状態安定。交信の可否は向こう次第だ。

「こちら“隻法師”蒲生卍だ。明神丸、応答は可能なりや。明神丸、応答は可能なりや」

 心臓が高鳴る。クルップ卿によると、中に呑まれた仲間との交信は不可能――そのため死亡したものと見なしたそうだが。

「――信じら――せん――長、船長――水夫長――生きていました! こちら明神丸、貴機の所在を問う!」

 興奮したオペレーターがまくし立てる。何かが原因となって条件が変わったのだ。あるいは、キサラギ掌砲長が撃ち込んだ砲弾が空間の断絶に『穴を開けた』のやも。状態が悪く途切れ途切れだが、現状において通信は可能だった。

「――宇宙ヴァルハラでは――だろうな、水夫長? ともあれ、生還おめ――う。こちらの宇宙――帰還は可能かね?」

「外と同じだよ、船長。帰還の方法など、皆目見当も付かない。通信状態が悪い故、周囲の船の残骸から使える量子通信機は無いか探ってみることにする。三十分ごとに定期連絡を入れることで如何かな?」

「構わん。――生きて帰りたまえよ」

「さて、神のご加護があればなあ」

 交信終了した。



「水夫長、あれは」

 当ての無い漂流の中、荊が指さしたのは船の残骸だった。しかし、他の残骸とは異なるものがある。既視感だ。

「船尾から全体の六分の一程度、綺麗に分かたれた残骸……か。これも神の定めし運命であるな」

 おそらく、グラに食われたというアトミラール・クルーゲの機関部。ほんの十分も飛ばない内に見つかったのは、確かに運命を感じる。

「着艦するぞ。隻法師モードならば誘導も何も要らないのが楽であるな」

「異論はありませんわ」

 アトミラール・クルーゲ後部のコンテナ用ハッチをこじ開け、人型状態のまま戦闘機を待機させる。

「思いの他損壊は少ないですわね」

「栄養素である三重水素に、余計な損壊を与えず貯め込むための知恵……という可能性もあるな」

 未だ宇宙空間と船体の間、真空ドックだが、荊の言うとおりに当時のまま綺麗に保存されている。数頓級のコンテナを出し入れするために、内部は倉庫のように広大だ。入り組んだキャットウォークは折れの一つも見られない。

 荊と卍は宇宙服の残圧を確認し、室内へと出ていった。

 真空ドックと船内の間には与圧室が存在する。真空状態から一気圧状態まで徐々に空気を送り込んでいくための部屋だ。手摺に摑まりながら解放ボタンを押すが、反応しない。

「ロックが掛かっているようだな」

「まだ通電しているなら外せないことは無いですわ。型式を教えてもらえれば旧術で開きますわね」

「承知した」

 機械の構造を把握する一つ目で得た情報を元に、開錠の呪文を唱えると、通電していたハッチは軽く開いた。

「……って、なんですの!?」

 与圧室の隅、認めたものに背筋が凍る。

「仏様よなあ。南無南無。きっと浄土へ行かれたことだろうよ」

 およそ二十名の男女が、手を繋いで躯となっている。真空、絶対零度のために保存状態は良好だが、間違いなく死んでいる。

「食料や酸素にも限度がある。何年ここで過ごしたのかは知らんが、限界が近づいての集団自決と言うところだろう。餓死も緩慢な窒息死も、普通に考えれば御免被りたいものな」

「……」

 そこには死があった。終わりがあった。どれほど潔く綺麗なものであろうとも、生者であれば目を背けたくなる最期があった。

 荊は無言で手を合わせると、手摺に摑まりながら与圧レバーを下げた。空気がゆっくりと送られてくるのと同時に、人工重力がかかる。久しぶりの間隔に安堵の息を漏らしながら、酸素濃度を確認した。

「正常。ということは、食糧の方が先に尽きたということですわね」

「戦闘機の中には非常食が入っている。広大な宇宙空間だ。遭難の憂き目に会おうとも、二人で一月分は賄える量だぞ。カロリー優先で味は期待できんがな」

「この期に及んで霜降り牛を出せなんて言いませんわよ」

 与圧が完了した。少々耳鳴りはするが、息苦しいヘルメットを外して空気を吸う。

「まずは通信室に向かうとするか」

 卍はずいずいと迷いなく進んで行く。

「場所が分かりますの?」

「見ればな」

 卍の種族としての能力は、この程度の構造体を大雑把に把握することも可能らしい。

 通信室にたどり着いた。アトミラール・クルーゲの通信装置は、戦闘機に備え付けられているそれより性能が良く、明神丸ともノイズ無しで更新可能だった。

「そうか、アトミラール・クルーゲに入ったのか」

 容量も向上しているため、明神丸との通信は世良田船長の映像付きだ。

「うむ、ここを起点に周囲の調査などするべきだろうかな?」

「いや、その必要はない。無駄な体力と燃料を使い、危険を冒す必要も無いだろう。貴様らはそのアトミラール・クルーゲ船尾で待機していたまえ。いざとなれば、我々も『そちら』に行けるのだ。ただし、状況に応じた行動はこちらへの報告の後随時許可する」

「了解した、船長殿。ところで、クルップ卿はいかがされたかな? 船尾構造の詳細なデータなど戴けると待機するにも都合がいいのだが」

「ジギスムント・フォン・クルップ子爵は脳溢血にて倒れ、現在危篤状態だ。この数時間が山だと医局は言っていた」

「そんな……!」

 荊は掌を強く握る。従者シャルロッテの仇を取ると言っていたのに、これでは――犬死だ。

「兎に角も、掌砲長の見解によると不治魔法の効果は永続では無く、脆弱なヒト族で七十二時間が限度ということだ。明神丸の砲撃で開いた穴が通信の要だとすれば――」

「それだけの時間で通信不能になる……ということですわね」

「そういうことだ。グラの回復力にもよるだろうが。今までどおり、定期通信は三十分ごとに入れたまえ。言うまでも無いが、命令は一日二十四時間適応される」

 交代で寝ずの番をして、定期連絡を入れろということだ。

「そして万里小路荊」

「何ですの?」

「クルップ卿から預かったデータと追加の調査結果は定期連絡の度そちらに送信しておく。あくまで魔法のスペシャリストとしての貴様には期待している。新入りだろうが意見があれば包み隠さず言うように」

「元はと言えばわたくしの秘密主義が招いた事態ですものね」

「分かっているならそれでいい。では通信を終了する。三十分後にまた」

 通信が終了した。

 蒲生卍と万里小路荊は二人、アトミラール・クルーゲの通信室に取り残された。最大一ヶ月、二人きりでここに住むのだ。

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