愛の結末

「こいつの腹に穴を開けるため、主砲装填をするような時間は無い。荊ちゃんの言う通り、『一番内側の巾着』をひっくり返さない限り脱出できないとすれば、オレたちはまたあの『内の内のグラ』に突入次第、必殺の一撃を撃たなきゃいけないんだからね。つまり、卍さんとクルップおじいちゃんを信じて勘で撃つ他無い。状況は最悪だ。勃ってきた!」

「あなたがふにゃふにゃトリガーハッピーの変態で、シャワーも浴びない歩く衛生公害でも、直属の上司なので見限ったりはしませんわ。ええ、多分」

「うぇへ、荊ちゃん漂流生活してからちょっとタフになったね!?」

 砲術管制室。次弾の装填状況や各部の稼働率など様々なホロディスプレイを確認しては隅に追いやりながら、キサラギと荊がやり取りをしている。

 三体目の宇宙怪獣、『内の内のグラ』の口内に突入。即座に、三つ目の宇宙が露になる。

「キュッキュー! キュッキュー!(周囲に母性交者異物はありません。しかし、私たちは――明神丸は尻の穴船体表面が分解されています。性交)」

 翻訳プラグインが味わい深いオズワルドのイルカ語を訳す。それは、絶望でもあり、また希望でもあった。

「ここが最終目的地。消化して、栄養を取り込むための終点ですわ。この先『内の内の内のグラ』なんて戯けたものは現れない!」

「断言できるかね?」

 船長が最終確認に来た。答えは決まっている。

「断言しますわ」

「では主砲発射を許可する。指定エンチャントは『反転魔法』ただ一つ。ケリを付けろ。以上だ!」

 荊は一枚の符をキサラギに投げた。禁忌魔法『反転の魔法』。あらゆる魔法を『反転』させることにより、最悪宇宙を滅ぼす禁断の力が、主砲に装填される――筈だったが、

「うぇー、やべえ! 発動しないよこれ! 『反転の魔法』! どうやっても発動しない!」

「……っ! 貸してみなさいな!」

 副砲手としての席を立ち、掌砲長のみに許された主砲の発射制御装置に触れる。キサラギは突然距離を詰めてきた他人に頬を染め、かえってトリガーを握り込んだ。

「うぇひっ!? 急に近づいてくる人苦手なんだよう!」

「あら、臭いが」

 何日もシャワーを浴びないのが通常で、近寄ると異臭すら漂う彼女が、今日に限って無臭だった。臭いがまともなら、存外に造作の整った顔も、てかてかとした脂が抜けてさらりと長い黒髪も少し魅力的に見えてしまう。

「ちょうど昨日身体洗ったんだよう。……いや、そんな事どうでもいいから撃とうよ!?」

「分かってますわよ!」

  絹のように白いが、固く、柳のように細いが、力強い――両性の矛盾を体現するような手を握り、荊が力を込める。詠符機に挟まれた符は未だに反応しないが。

「いい加減に……くたばりなさいな!!」

 叫び。

 叫びとともに、砲弾に魔力が充填され始める。黒と白。反転し相克する巴の如き魔力の光だった。

 発射が、成された。



 一つ目の巨人、隻法師が半神たる巨龍『内の内のグラ』を殴りつけた。右正拳突き。左正拳突き。右正拳突き。左正拳突き。交互の攻撃は機械の両腕を歪め破壊していく。しかし、破壊しながらも修復を成すのが蒲生卍の『変形魔法』だった。

「万物流転! 万象は神の定めの下に輪廻転生せり! されど汝が如き悪龍には奈落の底こそ相応しかろう!」

 そしてその姿は常の戦闘機が変形したものでは無い。もっと巨大な、江神級戦艦六分の一の質量と反重力子エンジンが合一した。

「機関部の方とは仲良くしてたんです、私。だからちょっと反重力子魔法も制御できるんです。負ける気はしませんから……!」

 副操縦席のシャルロッテに、卍は頷いた。巨大人型戦闘機械。その中核は頭に刺さった戦闘機だ。二十日間過ごした艦内構造は、我が家のように把握している。故に変形は容易だった。

 シャルロッテは、『外のグラ』に繋がる通信機に叫ぶ。六十年抱え続けた、思いの全てを。

「マイスター! ジグ様! 聞こえていますか!? あなたを愛していました! この六十年間、あなたを思って眠り続けていました! だから、ジグ様――」



 レーザー光が『内のグラ』を焼く。最早本体の耐久など度外視だ。ただ一人だけ残った主の肉体と同じく、この砲も老いぼれだった。だから最後に一花咲かせてやるのが粋というものだろう。

 ぼやける視界。絶え間なく続く耳鳴り。思考はとうに焼き付き、士官学校時代の友人と記憶を失うまで飲んだ時の方が幾倍もマシだと思えた。だが、ここで意識を失う訳にはいかない。この、どれほど憎んでも足りない悪龍の最期を見届けない内は、死ぬわけにはいかない。

『内のグラ』の口が、『外のグラ』の口の予測地点から離れそうになる。

 まだだ。

 そっちじゃない。

 そっちはお前の死に場所じゃない。

 散々生きて、食らって。まだ生きたいのか?

 許さない。

 こっちを見ろ。

 こっちを見ろ!!

「……!!」

 ジギスムント・フォン・クルップの本業は戦闘機パイロットだ。

 砲は暴走状態のまま置いてきていた。稼働可能なパーツを継ぎ接ぎして、アトミラール・クルーゲにたった一機だけ残った戦闘機。駆り手の老兵は宇宙怪獣の注意を向けるために全力攻撃を敢行する。最後に乗ったのは六十八歳のときだから、十五年前だ。最後の戦友、フリッツが死んでから乗るのをやめた。曲芸飛行を自慢する相手がいなくなったからだった。

「……み、た、な?」

 損傷した言語野で絞り出した言葉が虚空に溶けた。敵が正しい方向を向く。

 ガモウも成功したそうだ。彼の乗る戦闘機の副操縦士の声には覚えがあった。とても懐かしく、愛おしい。

「――だからジグ様、一緒に生きてください。私と一緒に、生きてください!」

「俺も君を愛しているよ、シャルロッテ。だが美しい君よ、君を思って起き続けていた男が言おう。君は誰かの向いていた方向を眺めて生きないでくれ。過去を見ていた視線に絆されて過去に生きないでくれ。君は今を生きろ。未来へ進め……! そのときこそ、一緒に生きよう……」

 一瞬の閃きとともに、龍の口から飛び去る砲弾。歪み、ひっくり返り、反転する宇宙。

 勝利を確信した老兵は、戦闘機のコクピットに倒れ伏した。

「ああ……なかなかどうして、思い人に気持ちを伝えて死ねるとは、この老いぼれもやるものだ。……いい人生だった……!」



 数日後。

 明神丸は、その白い機体に剥離の跡を残しつつ、どことも知れぬ宇宙を進む。グラの体内宇宙が反転し、無事に放り出されたはいいが、そこが帝亜共栄圏内であるという保証はどこにもない。どころか人類の居住領域から数百光年という可能性すらあった。

 あくまで可能性の話であり、結果としてそうはならなかったのだが。

 医局長里見接の居城、総合病院としての機能を完全に備えた医療ブロックに、蒲生卍は入院していた。

「むう、拙僧は御覧の通り、万事宇宙薬師如来の後光が如く健康そのものなのだが」

「うるさいですねえ! 閉鎖宇宙が反転して、宇宙怪獣の口と口が繋がる一瞬の隙を突いて転移魔法で帰還――なんて馬鹿みたいな無茶やった人間、キ〇ガイ病院に終身刑が妥当な所ですよう!」

「ああ、転移魔法を篠と一緒に渡してくれた愛宕殿には頭が上がらんな。ところで拙僧をいくら罵ろうが構わんのだが、シャルロッテ殿が同室と言うのはどうか。男女七歳にして席を同じうせずと――」

「私は別に気にしませんけど、蒲生様の気が休まらないのであれば移していただけると……」

 シャルロッテと卍は同じ病室に強制入院させられた。医局長が言うには、

「連帯責任ですう! 精密検査の結果が出るまではここから出しませえん! どうせあの船の残骸の中で一緒に住んでたんだからいいじゃないですかあ! はい論破あ!」

「むむう……」

 武将商船明神丸は進む。ひとまず、電磁波を頼りとして補足した一つの惑星に向かって。

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