キサラギの過去

 深夜、何やらごそごそとした音で目を覚ます。宇宙怪獣体内に囚われていた時のように、四時間の交代制で番をすることになっていたが、これでは貴重な睡眠時間を無駄にしそうだ。目を閉じた鼻腔に、何か嗅ぎ慣れない匂いが漂う。ケミカル……としか形容しようのない不思議な匂いだった。

「……?」

 思わず薄目を開けると、キサラギが背を向け、ズボンの中を弄っていた。何をやっているのか、荊は処女だが流石に分かる。

「ちょ!? 何やってますの、この変態!」

「うぇへえ!? 起きちゃった!?」

 キサラギはいそいそと戦闘服のジッパーを閉じ、気まずい笑いを浮かべた。

「銃撃つとなんかムラムラしちゃうんだよねえ。性癖でもうどうしようもないんだよ」

「どうしようもないって……」

「いや、ホントにホント。ヒト族両性の習性みたいなもんだから」

 ついに種族を言い訳に使ってきたかと荊が身構えたが、キサラギは大真面目のようだった。

「両性って性欲強いんだよ。両性だけで何世代も繋いできた集団に限るとは思うんだけど」

「それはどういう……」

「うぇー、あの西の沃野ウェストランド語のさ、男女の性格の違いみたいな……ジェ、ジェ……ジェットリー……?」

「ジェンダーロール?」

「そう、それ。性別を分けるジェンダーロールってもんが無いから、軽いスキンシップ感覚で子作りまで行っちゃうんだよ。……昔その習性が人口維持に有利だからって、両性ばかり移民船に乗せた馬鹿がいてさ」

 それは昼間のキサラギの生い立ちの続きだった。

「逆に船内は人口が増えすぎちゃってもう収集付かなくなっちゃってさ。百年位前の誰かさんがその時点まではマメに付けてた記録によると、たまたま無能な元首が、たまたま人口急増のタイミングにいたせいでインフラも一気にズタボロ。オレが生まれたときはオレよりひでえバカが巨神ジャガンナート級の船内都市にひしめき合ってて、そりゃ見事なもんだったね。エサを断たれて檻に閉じ込められたネズミが、共食いしながらガキだけはぽこじゃが産むようなもんだ。七歳のときに船を拿捕した人買いどもに攫われるまで、同じように訳の分からない病気で親亡くしたガキどもと肩寄せ合って残飯漁ってたよ」

「……」

 ひどい境遇だった。世の中の残酷さを一身に受けたであろう彼女は、それでも笑っている。

「あの船の生き残りは大抵娼婦にでもなったんじゃないかな。病気が無ければ見れる顔だからね。そうでなけりゃ使途不明魔法の実験台か、オレみたいに少年兵やらされたか。まあ、オレは運が良かったよ。生き残りたいって気持ちだけで結局粛清隊も裏切って、おめおめ大企業の幹部としてのさばっちゃってるくらいだから」

「……そうでしたの」

「荊ちゃん昼間聞きたそうにしてたろ? 両性ってだけでステロタイプに見られるのが嫌で黙ってたけど、オ〇ニー見せちゃったお詫びだよ」

「……いや、わたくしオ〇ニー見せられたお詫びに重い過去語られましたの? 要りませんわよ、オ〇ニーのお詫びなんて。……どうしてくれますの、受け取ってしまいましたわよ。オ〇ニーのお詫び」

「いやあ……」

「『いやあ』じゃない」



 荊は小屋で拾ったロボットをチェストリグに縛り付け、息を切らせながら歩みを進める。午前中、一度の休憩を除いて歩き詰めだ。ロボットの重量は飛行型の為軽量だったが、それでも多少の負担にはなった。

 徐々に、森の中に人工物が増えてきた。アスファルトの上、堆積した腐葉土に生える草を注意深く踏みしめながら、前方を確認する。

「あれがアカギの首都……」

 ひび割れたアスファルトからは草木が這い出し、高層建築が無言で佇む。そして、見渡す限りの黒い符。

「風のせいで例の符は集中して堆積しているようだ。道の真ん中を歩く分には心配なさそうかな。ところで荊ちゃん、あの符、踏んでも発動するのかな?」

「何とも判断は付きかねますわね。あれだけ歩いて地面に符の埋まっている場所を踏んでいないとも限らないので、ある程度厚みがあれば――あるいは素肌にでも触れなければ防ぐことは出来るという推測なら」

「……なるたけ避けつつ地上を進むか。あるいは地下鉄を通るって選択肢もあるけど……オレはお勧めできないな」

「何故ですの?」

「ロボットに襲われた時に逃げ場が無くなる。地上だったら、連中私有地に勝手に入ることができないからそっちに逃げ込めばいいけど、地下だと足元が見えない上に逃げる場所が無い。路線図さえ見つかれば道は楽だけどね」

 あえて荊に判断を仰いだということは、魔法知識からの判断が必要ということだろう。

「わたくしも地上の進行に賛成ですわ。地図は生きてます?」

 キサラギが荊の背中、ロボットのディスプレイを確認する。

「案内板によるとここが杉田町で、ショッピングモールがあっちで……良し、合ってる。位置情報機能が生きていたのは奇跡だよね。官公庁街までは上のモノレール線を参考にすると良さげだ――っと、さっそく現れた」

 荊には未だ見えないが、キサラギの睨む方向に暴走ロボットがいるのだろう。

「『符付き』の奴だ。起動してる――悟られてるな」

 キサラギは銃を外した。安全子を外し、照門を覗く。撃つ気だ。

「こんな遠くから当たりますの?」

「『ライフルでもないこんなスムースバレルの鉛弾が、スコープも無しに』? 当たるよ。オレの魔法は全部見せただろ。オレが撃ったらあっちの建物まで走ってね」

 キサラギの持つ“五不”の魔法で長距離狙撃が可能な魔法といえば、

「“削威不能いをそぐことあたわず”。空気抵抗も、重力も弾丸の威力を減衰できない。この弾はもう成層圏まで直線にしか飛ばないよ」

 撃った。耳を劈く破裂音が無人の都市に響く。

「他の連中が寄ってくる前に走って隠れるよ!」

「……!」

 息が切れるまで走り、カフェテリアの様な建物に入り込む。キサラギの持っていたライトで照らすと、服に詰まった符の群れ。ここも襲われたのだ。

「すぐに裏口から出て隠れながら進もう。位置を知らせた分、こちらに集まってくるはずだから、後の道行はむしろ楽になる」

「囲まれた場合は?」

「認知不能魔法でこっそり撃って包囲を抜ける。離れないでよ」

「分かりましたわ」

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