老兵に残された時間

 アトミラール・クルーゲの食堂は、何十年も使用されていないという雰囲気だった。宇宙船においてはあり得ない話だが、鼠でも出そうな雰囲気だ。――移乗攻撃を仕掛けてきた戦闘員に高知能スナネズミが紛れ込んでいた場合を除いてあり得ない話だが。

 荷役や船匠課の指示で船の保守作業など行うのは、蒲生卍の下に付く水夫たちの役割だ。仕事を終えて一汗流した水夫たちは、ミストシャワーを借り小ざっぱりとしている。早速冷えたビール缶を開けて飲んでいる様だが、キサラギ掌砲長よりはよほど清潔感がある。彼女も汗を流すたびにシャワーに入るという習慣を徹底してくれれば、荊が一歩引いた場所から会話せねばならないということも無くなるのだが。

 卓の中央に座しているのはクルップ卿と蒲生水夫長。年齢くらいしか共通点の無い二人は不思議と打ち解けている。

「では貴公も戦闘機イェーガー乗りか。外の世界ではどれほど進化しているのだろうな」

「さほど進歩してはおらんよ。六十年前も今も、見た目は相も変わらずのオクラだ」

「オクラか。ふふ」

 特徴的な紡錘形を差して、戦闘機乗りは『オクラ』と呼ぶのだそうだ。二人の会話を聞いていて初めて知った。

「つかぬことを伺いますが、戦闘機とは戦場でどのような役割を担っていますの?」

 荊が卍に問う。魔法に関しては誰にも負けない自負があったが、戦争の常識となると完全に素人だ。ただ、巻き込まれた以上は絶対に死にたくない。その一心で付けるべき知識は付けておこうと思っていた。

「艦隊戦とはまずジャミングで置物に出来るなら最上。移乗戦で奪取できれば次善。いずれも魔法が無ければ不可能な芸当だ。砲撃戦でも、レーザーにエンチャントを掛けねば対艦級の装甲魔法などとても抜けん。戦闘機は汎用性に優れるが、実戦ではお互いの魔法がぐちゃぐちゃに絡んで、戦場が末期的な状況に陥った際の白兵戦くらいにしか適さん。貧乏兵器なのだよな、基本的に。故に、技術的進歩に意味は無いし、誰も無駄な予算を投じて開発しようとなどしない」

「成程」

「ところでマデノコージ、君は何歳だ」

 唐突に、クルップが質問を投げかけてきた。

「あら、ハイリガーの子爵様は乙女フロイラインに歳を訊きますの?」

「乙女と自身を呼べるくらいの歳だということは分かったさ」

 クルップは薄く微笑み、ビールを傾けた。

「十五ですわよ」

 センゲンでの成人は十八歳からだ。亡命の身では関係ないのかもしれないが、酒を飲む気にはなれなかった。

「若いな……。戦うには若すぎる」

「生きるために戦うしかないのならば、生きていくことに年齢は関係ありませんわ」

「老い先短い吾輩には耳の痛い話だ」

 もう一缶空にしたらしい。人種的なものか、数時間前まで長椅子に寝込んでいた老人とは思えなかった。

「逆にこっちからも訊きますわ。あの船尾、どのような攻撃を受けて損壊しましたの?」

 アトミラール・クルーゲの船尾部分、ごっそり丸ごと削られた損傷の記述は、調査資料のどこにもなかった。

「あれはな――食われたのだ」

 ビールの缶を握りつぶし、静かに言う。

暴喰グラは艦を食らう。それも二度食う」

「どういう意味ですの?」

「貴公ら『外の奴』に逢わなかったのか? どうやってここまで来た」

 話が噛み合っていない。明神丸とクルップの間には、致命的な前提条件の齟齬があるのだ。用意された資料は宙域内部の調査結果をまとめたものだった。それ以前の事柄に関しては、暗黙の了解として書かれてはいない。

「関の故障で偶然転移させられたのですわ。そちらはどうやってこの宙域まで?」

「我々は宇宙怪獣討伐の命を受け、奴が出没するという座標まで、ヴァルトシュタイン提督率いる第八外洋艦隊で攻め込んだ。奴は現れ、そしてこのアトミラール・クルーゲだけが食われた」

「食われたって……じゃあここは」

「外のグラ――その腹の中だ。貴公らを襲い、当艦の船尾を食らったのは内のグラ。吾輩は勝手にそう呼んでいる」

 荊は勝手にこの閉鎖宙域を『内のグラ』が作り出した結界か何かだと思い込んでいたが、そもそもそれが間違いだった。おそらく『反転の魔法』は宇宙空間を歪め、数千光年すらも一気に跳躍する転移魔法を『反転』」させ、最も近い『内側の宇宙』に明神丸を送り込んだのだろう。

「船尾にいた仲間とは通信途絶。他の位置にいた船員も、機関部の喪失によって発生した無重力状態下で小惑星に叩きつけられ、あらかた死んだ。吾輩は戦闘機パイロットで偵察中だったから生き延びたのだ」

「グラが船尾だけで満足した原因は……」

「機関部の反重力子エンジンと、燃料の三重水素だろう。あの巨体にして、たった一隻の船を食らうだけで何百年と活動可能らしい。アトミラール・クルーゲとミョウジンマルを除けば、呑まれている船の年代は皆百年単位だ。牛のように複数の胃袋で消化する――あるいは食事を体内にため込んでいるのやも」

「では、船尾にいた方々は……」

「『消化』された可能性が高い」

 クルップは、己の胸元を探り、一つのペンダントを取り出した。ペンダントには写真が入っているであろうロケットが付いている。

「ご家族ですの?」

「従者だ。ハイリガー帝国は貴族社会でな。貴族士官は戦場に私的な従者を従軍させ、伍長相当を任じさせることができる。吾輩のそれも、本家から押し付けられたものだ」

 ロケットを開く。その中身は、彼にしか見えない。

「……愚かなことだ。シャルロッテを戦場になど連れてくるべきではなかった。本家の面子など軍属らしく無視すればよかったのだ。あのとき、シャルロッテは船尾側にいた。潰れたトマトの様な死体を見なくて済んだのが救いだ」

 ロケットを閉じ、机に置く。そのまま身に付ける資格がないのではないかと言う逡巡がそうさせるように。

 無言で話を聞いていた蒲生卍が。己に付いている謎の装飾品群を外し始めた。

「何ですの一体。お守りでも売りつけるつもりですの?」

「一番奥に身に付けておるが故、祈祷具を全部外さないと取り出せないのだ。――ああ、あった」

 卍がその太い首から取り外したのは、やはりロケットが一つ。

「……貴公もか」

「つくづく気が合うらしい」

 卍はロケットを開いて見せた。髪と服装以外あまり姿の変わらぬ一つ目の巨漢と、年若い黒髪の少女が放牧場を背にして立っている。

「篠という」

 それだけ言うと、卍はロケットを閉じた。

「拙僧の罪の、その最大のものだ」

 お互いに黙り込み、ただ時間だけが流れる。その場にいない誰かに捧げるような時間は、どちらともなく席を立ったことで終わった。



 宴席の片づけを、最後まで残ってやっていたのは荊だった。荷下ろしを手伝えなかった分、せめて片付けだけはやろうと、水夫たちに提案したのだ。

卍とクルップの座っていた席を見ると、全く同じ意匠のロケットが二つ置いてある。

「大切なものでしょうに、置き去りにしたらシャルロッテさんも篠さんも可哀そうですわよ」

 手を伸ばすと、別の誰かによって攫われた。

「忘れるところだった。すまんな、シャルロッテ」

「クルップ卿」

 寝付いたと思われたジギスムント・フォン・クルップがそこにいる。

「ちょっと飲み過ぎたんじゃありませんの? 顔色悪いですわよ」

「あの程度飲んだ内にも入らん。いつものことだ……気に……」

 言いかけたところで、クルップが倒れた。重い音と埃が舞い、倒れた老人は動かない。

「クルップ卿!?」

 荊は呼吸を整え、やるべきことを考える。この船に医者はいない。ならば、明神丸からでも呼び寄せねばならない。



「お酒はきっかけに過ぎませえん。原因は心臓。いや、それ以外も駄目ですねえ。あなたもう体中がボロボロなんですよう」

 明神丸で最高の医者が来た。医局長里見接は、砲術室の長椅子に寝かせたクルップの診断結果を述べる。

「碌に医療体制も無いような船で、ただのヒト族が八十過ぎまで生きているということがもう奇跡なんですう。ほんと、よく今の今まで生きていたものですねえ」

 寝かされた老人は、苦しげに呼吸をしながら反論する。

「医療用の符もいくつか手に入れていたし……問題は無かったのだ」

「何が医療用の符ですかあ。あんなもん素人が使ったって気休めぐらいにしかなりませんよう。医者舐めないで下さあい」

 接の厳しい叱責に、クルップはただ唸るだけだった。

「とにかく、こんな生活続けてたらすぐにでも死にますう。私としては、明神丸の旅客エリアへの移住を勧めますう。あなたの資産なら、一等船室だろうが一世紀は住んでいられますよう。余生という言葉をもう一度よく考えてみて下さあい」

「無理な相談だな。吾輩はグラを殺すまでは死ねん」

 強情な患者を前に、医者が折れた。

「もう何言っても無駄だということが良く分かりましたあ」

 接は深い溜息と共に出ていった。

 クルップは、強くロケットを握りしめている。

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