27. シャーリィ、提案を持ちかけられる
「お呼びでしょうか」
別館の最上階の客室を訪れたシャーリィは、窓際に座るアークロイドに向き直る。
暑い夏が終わり、朝晩もだいぶ涼しくなってきた。木の葉はまだ色づいていないが、来月になれば黄色や紅色に変わっていくだろう。
「まあ、座ってくれ。ルース、茶の用意を」
壁際で控えていたルースが動き、ティーポットからそれぞれのカップに茶を注ぐ。コトンとテーブルに置かれたお茶は綺麗な緑色だった。
「これは……?」
「東の国で栽培されている茶葉だ。健康にいいらしい」
「……いただきます」
一口飲むと、爽やかな味がした。やや苦みもあるが、思ったより飲みやすい。まるで茶畑にいるような茶葉の香りが強い。
「飲みやすいですね」
「一緒に甘いものと食べるとよいと聞いた」
「なるほど、確かによさそうです。……それで、ご用件はなんでしょうか」
空き時間を縫ってやってきたが、この後の予定もある。本題を促すと、アークロイドは窓の外を数秒見つめてからシャーリィに視線を戻す。
「魔木について、聞きたいことがある」
声に真剣味が帯び、反射的にシャーリィは背筋を伸ばした。
「……わたくしがわかることでしたら」
「あまり構える必要はない。確認したいだけだ。……魔木の生息地では、周辺の栄養を根こそぎ奪われるのだったな? だったら魔木から隔離した場所を作れば、自家栽培が可能になるのではないか?」
思ってもみないことを言われ、瞬く。
(自家栽培が可能になる……?)
作物が育たない黒の小国。それがレファンヌ公国だ。魔力が浸透した土壌で生きていけるのは、魔力を持った植物だけだ。
自家栽培の話は荒唐無稽に思えたが、アークロイドは何かを確信しているような表情だった。シャーリィはごくりと息を飲み込み、口を開いた。
「でも、どうやって隔離したらよいのでしょうか。土壌中には魔木からの魔力が行き渡っていると思います。阻害する方法が思いつきません」
心配事を口にすると、アークロイドは太ももの上で両手を重ね合わせた。
「物理的に遮断すればいい。地面を舗装し、その上に土を被せて栽培するんだ。四方を囲んだ温室を作れば、雨にも風にも負けない野菜作りができるだろう」
「…………」
「どうした、金魚のように口をパクパクと開けて」
「……その表現はどうかと思いますが、発想自体は素敵だと思います。考えもつきませんでした」
素直に感想をこぼしたら、アークロイドは少し顔を曇らせた。ティーカップに注がれた緑の水面を見つめ、ふう、と息をつく。
「だが、すでに魔力が満ちている土壌は使えないかもしれない。他国の土を使うとしたら、適宜輸入しなければならないだろう。野菜が生長して、土が徐々に減ることを考えれば、初期投資だけでは足りない恐れがある」
「うっ……予算が必要ですね」
顎に指先を乗せて、むむむと眉根を寄せる。
初期投資だけでなく、追加の費用が加算されるならば、あらかじめ毎年の予算に経費計上しなければならない。
「とはいえ、少しずつでも自給自足ができれば、今よりは助かるだろう?」
「それはもちろんです。貿易赤字を解消とはいかなくても、赤字幅の縮小はできるでしょう」
「鉢植えでは野菜作りは成功しているんだ。成功する確率は高いと考える」
「だったら、まずは小規模な土地から研究を始めなくては。……いえ、その前に予算会議で大臣たちから承認を得ることからですね……」
予算をもぎ取るための算段を練っていると、アークロイドの顔色が冴えないことに気づいた。
(どうしたのかしら? 温室の案を出してくれたし、これから研究することが増えるのに……あ)
そこで、はたと我に返る。
彼はレファンヌ公国の人間ではない。今まで当たり前のように近くにいて、困ったときには助言をしてくれていたが、本来はこうして気軽に会話できる関係ではないのだ。
(忘れていたわ……もうすぐアークロイド様は国に帰るのよね……)
季節が移ろいゆくということは、別れの時が近いということだ。ちくりと胸の奥が痛む。滞在期間が過ぎれば、彼はこの国を去っていく。
その事実に胸の痛みは増す一方だったが、営業用の笑顔で自分の気持ちに蓋をした。
「そういえば、アークロイド様がお帰りになるまで二週間を切りましたね」
「……そうだな」
なんでもないように振る舞ったものの、アークロイドの反応は鈍かった。ルースが様子を窺うように視線を向けているが、それすら気づいていないのかもしれない。
シャーリィはぽんと両手を合わせ、努めて明るく言う。
「第三皇子が次期皇帝に内定したそうですし、これでいつでも帰れるんじゃないですか?」
もともと、長期滞在の理由は、皇位継承権の争いから逃れるためだったはずだ。情勢が安定した今、いつ帰国しても支障はないだろう。
(それに、離れていたぶんだけ、自分の国が恋しくなっていても不思議はないし……)
さびしさは募るが、こればかりは仕方がない。出会いがあれば別れもある。この国が離れがたいと思ってもらえたら幸いだが、彼は海の大国から来た皇子だ。与えられた役割や皇族としての義務もある。それはこの国にいたら、できないことだ。
シャーリィにできることは笑顔で見送ることだけだ。自分の役目を心に刻みつけていると、不意にアークロイドがつぶやいた。
「…………帰らない」
空耳が聞こえたが、気のせいだろう。しかし、万が一のこともある。念のため、確認は取っておくべきだろう。
「あの、すみません。私、聞き間違えてしまったようです。今、何と?」
「帰らないと言ったんだ」
「…………」
「この手はなんだ」
シャーリィは右手を突き出したまま、当然の要求をする。
「何って、延長料金ですよ。宿泊を延長されるのでしょう? でしたら、また前払いでお願いいたします」
嬉しさを感じるより先に反応したのは、お金のことだ。我ながら薄情だと思うが、貧乏国の性なのだから仕方ない。
アークロイドは肩から力を抜き、背後に立っている従者の名を呼んだ。
「ルース」
「はっ」
主の望むものがわかっていたように、ルースが備え付けのチェストの引き出しから封筒を取り出し、アークロイドに渡す。大きさはお年玉袋のように小さい。
無言で封筒がテーブルに置かれるが、一体何が入っているのか、予想ができない。
(何か危ないもの……ではないわよね?)
ごくりと喉を鳴らし、シャーリィはおそるおそる問いかけた。
「……これは何ですか?」
戦々恐々とした反応しか返せず、ひたすら返事を待つ。そんな胸中を知ってか知らでか、アークロイドは口角を少し持ち上げ、得意げに言った。
「蕪の種だ。レファンヌ公国は温暖な気候だそうだな。それでも期間は短いが、冬はあるだろう? 寒い季節に食べる、ホクホクの野菜の甘みに興味はないか」
「ありますあります!」
深く考えるより先に口走ってしまったが、後悔はない。すでに脳内は、ほかほかの湯気に包まれた蕪の温野菜が占めている。
しかしながら、目の前の男は無情にも首を横に振った。
「……悪いが、これは無償ではあげられない」
「無償ではないということは……つまり、お金を取るんですか? いくら払えば譲っていただけるんです?」
「いや――取り引きをしないか」
内緒話をするように、アークロイドが少し前屈みになる。つられてシャーリィも身を乗り出し、声の声量を落とす。
「取り引きですか……? 一体何を?」
こそこそと話し合い、まるであくどい執政官に加担する付き人のような心持ちになってくる。良心との呵責を感じていると、アークロイドは真面目な顔で言い募った。
「そう難しいことじゃない。俺を雇わないか?」
「え?」
「俺を雇う気はないかと言ったんだ」
「……本気ですか?」
「当然だ。そうだな、これは例えばの話だが……俺を婿養子にすれば持参金もあるし、貿易の融通もきくし、人手不足の助っ人にフル参加してもいい」
脳内でそろばんを弾く音がする。フリーズしたシャーリィに、たたみかけるように甘い誘惑が耳朶に吹き込まれる。
「俺と従者の二人分。将来、子どもができたら稼ぎが増えるぞ」
「――乗った!」
「契約成立だな」
固い握手を交わし、輝かしい未来に思いを馳せる。
蕪の種も手に入るし、何より優秀なブレーンが手に入るのだ。これ以上の条件はない。
「ご自分を安売りサービスみたいに売り込むアーク様もどうかと思いますが、生涯の伴侶をノリで即決する公女もどうなんだ……?」
壁際で控えていた従者の小さなつぶやきは、盛り上がる彼らの耳には入らなかった。
転生公女はバルコニー菜園に勤しむ 仲室日月奈 @akina_nakamuro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。