21. アークロイド、ツッコミを入れたいのを我慢する

 どうやら、トルヴァータ帝国からの若い客は一週間滞在するらしい。


(オレール・ベルトランか……春にアカデミーを卒業し、実家の商家の手伝いをしていると報告にあったが……)


 彼の好意はあまりにもわかりやすい。

 しかし、その恋心を向けられているはずのシャーリィには、一ミリも届いていないようだが。笑顔で接する態度から見ても、社交辞令だと思って受け流している可能性が高い。


(一輪の花言葉は「あなたこそが運命の相手」。ひまわりは「あなたは素晴らしい」「あなたを見つめる」だったか)


 鈍感にもほどがあると言いたい。なぜ気づかないのか、と問い詰めたくなる。

 けれども、それはアークロイドが言うべきことではない。他人の恋を手助けする理由は自分にはない。シャーリィが気づかないなら、そのままにしておくほうがいい。


(何を……焦っているんだ)


 彼女が誰のものになっても、アークロイドには関係ない。そのはずなのに、心に闇が巣くったようにモヤモヤした気持ちが広がる。

 自分の気持ちなのに、うまく制御ができない。

 母国では政変に巻き込まれないように、表情を表に出さないように努めていたのに、ここでは簡単に素の自分が出てしまう。

 孤軍奮闘しているシャーリィを見ていると、なぜか放っておけないのだ。

 いつもなら見て見ぬふりをするのに、気づけば手が出てしまう。自分には関係ないと捨て置けばいいのに、つい関わりを持ってしまう。

 食後のコーヒーをルースが持ってきて、コーヒーカップの取っ手に指を添える。


(俺はどうしたいんだ……)


 自分に問いかけるが、答えはなかなか出てこない。

 そんな自分を嘲笑うように、軽やかな声が耳に滑り込んでくる。


「ここで会えたのも何かの運命かもしれませんね」


 振り向かなくてもわかる。声変わりをしたはずなのに、男性にしては高い声。オレールだ。ここ数日、幼い顔立ちを武器に、シャーリィにつきまとっている男。


「オレール様もランチですか? 奇遇ですね」

「ええ。シャーリィ姫はクリームパスタですか。美味しそうですね」

「季節のパスタもございますよ」

「そうなのですか。これは悩みますね」


 二人の声を聞いているだけなのに、心が落ち着かない。平穏を脅かされそうな恐怖観念に迫られているようで息苦しい。

 もどかしい思いとともに息を吐き出して、コーヒーカップを傾ける。


(苦いな……)


 いつもならミルクを入れるところをブラックで飲んでしまい、眉間を険しくする。それに気づいたように、ルースが視界の端からミルクピッチャーを差し出した。

 無言のまま、ピッチャーを傾ける。黒い液体に白い渦が広がる。それを見つめ、カップの取っ手に指をかける。


「シャーリィ姫、それで僕の婿入りはいつになったら許可されるのでしょう?」


 あどけない笑顔とともに繰り出された質問に、聞き耳を立てていたアークロイドはコーヒーを噴き出しそうになった。

 シャーリィは背中を向けているため、表情はわからない。だが、動揺したような間はなく、すぐに返事の声が聞こえてくる。


「そこまでこの国を好きになってくださり、ありがとうございます。公女として、そのお気持ち、とても嬉しく思います」

「……僕は今月で十八歳になりました。見た目はどうにもなりませんが、トルヴァータ帝国では成人の歳です。どうぞ、僕の気持ちを受け入れてください」

「もったいないお言葉です。オレール様の伴侶となる方は幸せ者ですね」


 違う。そうじゃない。

 誰もがそう思う言葉をアークロイドは胸の中でつっこみ、コーヒーカップを置く。咳き込んでいた背中をルースが優しくさすってくれた。


「……つれない態度も素敵ですが、僕は諦めません」

「わたくしも影ながら応援しております」


 不憫なほどに、会話がかみ合っていない。だけど、どこかホッとしている自分もいた。


(このぶんなら、すぐに進展するとは考えにくいな)


 幸か不幸か、自分にはシャーリィの気を引く術が残っている。自分の優位性を再認識し、アークロイドはコーヒーを飲み干した。


       *


 先週に手配していた自分を褒めてあげたい。シャーリィを釣る餌の準備を終え、そのときを待つ。

 やがて、部屋に設置された呼び鈴が鳴り、来訪者が姿を現す。


「お呼びと伺い、参りました」


 シャーリィは膝下の白のワンピースをつまんで、トルヴァータ帝国式の礼を取る。アークロイドはルースに目配せし、朝に届いたばかりの鉢と苗を持ってきてもらう。


「……これは?」

「ミニトマトは順調だと聞いた。ならば、新しいものに挑戦してもいい頃合いだろう」

「やっぱり、アークロイド様は神の使いだったんですね!? ちょうど、他の野菜も栽培してみたいと思っていたところでした」


 予想以上の食いつきだ。興奮した様子で、新しい苗をさまざまな角度から眺めている。


「で、これは何の野菜なんでしょう……?」

「ナスの苗だ」

「ほほう、ナスですか。なるほど、なるほど」

「水ナスだそうだ。実がつくのが少し難しいらしいが、味はなかなか美味らしい」

「それは腕の見せどころですね。……栽培したことはありませんけど」


 難問にぶちあたったように渋い顔で顎に手を当てているが、エメラルドの瞳はきらきらと輝いている。どうやって実をつけようかと悩んでいる顔だ。

 アークロイドは自分の世界に入っているシャーリィを見つめた。


「シャーリィ。……その、なんだ。オレールのことだが」


 オレールの名を出したことで、シャーリィがふっと微笑む。それから同士を見つけたように、アークロイドに詰め寄った。


「可愛らしいですよね。いつも一輪の花を携えて、まるで子犬のように懐いてくださっていて、弟がいたらこんな感じかなと思います」

「……弟……」

「はい。成人されたといっても、見た目は十五、六ですし。私が守ってあげなくちゃ! という気になってしまいます」


 無意識に力んでいた体から力が抜けた。


(俺は……弟のように思われている男に嫉妬していたのか)


 さんざんシャーリィを子ども扱いしておいて、自分がこんなことで心を揺さぶられる羽目になるなんて、我ながら情けない。


(まさか、ライバルにもならなかったか……)


 オレールに同情してしまう。あんなに真摯に思いを告げているのにまったく伝わらず、挙げ句、弟のように思われるとは。

 だが、それなら好都合だ。直接手を下すまでもない。

 このときの判断が誤りだと気づいたのは数日後のことだった。

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