20. お得意様のご到着です
アークロイドが別館に滞在するようになって、早三ヶ月が過ぎた。ミニトマトの収穫は好調だ。防鳥対策のおかげもあり、鳥の被害もなく、すくすくと育っている。
ここ最近の変化といえば、アークロイドが他のツアーにも参加するようになったことだろうか。ルースとともに、小規模のツアーに申し込むことが多くなった。
(はじめは引きこもってばかりいたけど、最近は宿以外の温泉も堪能しているらしいし、これで安心だわ)
顧客満足度は高いに越したことはない。
(……と、噂をすればなんとやらね)
温泉宿の入り口で花壇の手入れをしていたシャーリィは腰を上げる。花壇は数日前に整備したばかりで、鈴なりに咲く白い花――夜の花を植えている。夜は月明かりの下、淡く光り出し、宿泊客からも好評だ。
シャーリィが気づいたように、太鼓橋を横切って歩いてくる彼らも気づいたらしく、ふと目が合う。
「アークロイド様。お久しぶりです」
「……ああ、久しいな。息災だったか」
「このとおり、元気でやっています。そちらは温泉めぐりですか?」
アークロイドの手の中には、近所のお土産屋で買ったものと思われるレファンヌ公国の紋章入りタオルが抱きかかえられている。
「宿の露天風呂もよいが、たまには外の温泉をめぐるのも悪くない」
「お気に召していただけて何よりです」
彼の後ろに従うルースの顔もほかほかだ。主と一緒に長風呂を堪能してきたのかもしれない。すっかり公国に馴染んだ様子で、シャーリィは感慨深くなる。
「そういえば、ミニトマトはたくさん収穫できているようだな。この前、料理長経由で食べたが、やはり輸入品とは違うな」
バルコニーで収穫した野菜は、温泉宿に持っていっている。ただ量産はできないので、他の客には出さず、シャーリィとアークロイド、ルースの三人のみに振る舞うようにお願いしてあるのだ。
シャーリィはふふふ、と人差し指を左右に振る。
「二本仕立てにしたんです! 二つの茎から実がつくので、今も収穫待ちの実がなっていますよ。冷やすとまた格別ですよね」
「ああ、一度食べたらやめられないな。食べられないと、あの新鮮さが恋しくなる」
「同じ気持ちで嬉しいです」
会話が途切れたタイミングで、馬の蹄の音が近づいてくる。
大通りの先を見つめると、一台の馬車がこちらに向かってきているところだった。シャーリィは腕時計を見て、到着予定時間との差異を確認する。
(ほとんど時間通りね……)
貴族用の豪奢な馬車から降りてきたのは、金髪の少年。ふわふわの猫っ毛に、好奇心旺盛なスカイブルーの瞳がきらきらと輝く。背はミュゼよりも低く、シャーリィの少し上といったところだ。顔立ちも整っており、小顔も相まって幼く見える。
「オレール様。お待ちしておりました」
シャーリィが腰を曲げて歓迎の意を示すと、オレールが駆け寄る。
「あなたにお目にかかれるのを楽しみにしていました。シャーリィ姫、こちらをどうぞ」
恭しく差し出されたのは、包装された一輪の花だった。茎の部分に白のリボンが巻かれている。
「まあ、今月は小ぶりのひまわりなんですね。いつもありがとうございます」
「これが僕の気持ちです」
シャーリィは両手で受け取り、黄色い花びらの部分を指先でさわる。
「ふふ。でも毎回プレゼントをご用意いただかなくても、ツアーにご参加いただけるだけで充分嬉しいですよ?」
「いえ、それだけでは僕の気持ちは伝わりませんから。それにここ数ヶ月は家の用事で来られませんでしたから、今回はのんびり滞在するつもりです」
「まずは温泉宿で、旅の疲れを癒やしてきてくださいね」
「はい!」
素直な返事に微笑ましくなる。旅館に入るのを見送っていると、横にいたアークロイドがオレールの背中を見ながら口を開く。
「……おい」
「なんですか?」
呼ばれたので振り向いたが、アークロイドの表情はどこか硬い。
「今の客は、お前の婚約者か何かか?」
「いいえ。ただの常連のお客様です。三年前から、二ヶ月ごとにツアーに参加してくださっているんですよ。海の大国からお越しになるだけで大変でしょうに、よっぽどこの国がお好きなんですね」
隣国といえども、陸路で片道二日はかかる。
トルヴァータ帝国の首都は海沿いなので、山に囲まれたレファンヌ公国に来るまでには横に連なる山脈を避け、大きく迂回しなくてはならないのだ。
それでもここ数十年で馬車道は整備されたので、旅はいくぶん快適にはなったはずだ。
いつもにこにこのオレールの顔を思い出していると、脱力したようなため息が聞こえてきた。見れば、アークロイドが灰色の瞳を細めている。
「本気でそう言っているのか?」
「え? 何かおかしいこと言っていました? リピート客はこの国では珍しくないですけども。あ、でも毎回お花をプレゼントしてくれるのはオレール様だけですね」
あれほど心優しい少年はいないと思う。
シャーリィが一人頷いていると、アークロイドが探るような目で見下ろす。
「……彼はどういう人物なんだ」
「あ、同じトルヴァータ帝国の方だから気になるんですね? 彼は中級貴族の次男だそうですよ。確か、中立の貴族です。ご安心ください」
「…………」
無害であることを述べるが、アークロイドの顔色は晴れなかった。
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