19. 初めての収穫
別館の清掃作業に勤しんでいると、聞き慣れた声がかかる。
「あれから、鳥避けの対策はどうなった?」
雑巾を持った格好のまま振り返ると、館内着に身を包んだアークロイドとルースが階段から下りてくるところだった。
シャーリィは雑巾を握りしめ、熱く語った。
「ネットやイラスト、あと光るものを置いたのがよかったみたいで、次の実が無事に大きくなっています。これもアークロイド様のおかげです!」
「そうか。今度は食べられるといいな」
「はい! 熟した頃にお持ちしますね」
「ふっ、楽しみにしている」
一度は絶望したバルコニー菜園だったが、幸い、次の花がすぐに咲いてくれた。
毎日声かけをしながら、シャーリィが丹精込めて水やりをした結果、順調に実は大きくなっている。週に一度の液肥やりもこなしているし、葉もみずみずしい緑色だ。
(ふふん。ネットで守られているから、鳥に食べられる心配もないし、今度こそ新鮮な野菜を食べられるはずよ!)
気温も高くなって、実が大きくなるまでの日数も短くなった。このぶんなら、前回より早めに収穫できるだろう。期待は否応なしに膨らむ。
油断すると頬が緩んでしまいそうになるのをこらえ、シャーリィは階段の手すりを丹念に磨いた。
*
バルコニーに出て、朝の日差しに目を細めていると、小鳥のさえずりが近くの木から聞こえてくる。
広いバルコニーの中、ちょこんと置かれた鉢の前に座り込み、白いネットを左右に開いた。日課の水やりを済ませ、鉢全体を見つめる。
「これは……なかなかの眺めね」
たくさんの房に、色鮮やかな赤い実が重そうにぶら下がっている。緑と赤のコントラストが美しい。トマトの感触を確かめ、園芸用のハサミで房の上を切った。
その途端、トマトの香りが鼻につんときた。
(スーパーで買ったやつだと匂わないやつだわ……これがトマトの香り……)
ぷっくらとつやつやしたミニトマトを掲げると、太陽の光を浴びて神々しさが際立つ。
焦る気持ちを落ち着かせながら、ミニトマトを胸に厨房へ向かう。
コック帽を被った料理人が忙しなく行き交う中、水場を借りてミニトマトを洗う。そして邪魔にならない場所に移動し、ふーっと呼吸を整える。
(い、いよいよね……)
いざ実食だ。ここまで二ヶ月半。トラブルにも見舞われたが、やっと収穫したての新鮮野菜をこの手にできた。
前世からの悲願が今、叶う。改めて意識すると、武者震いまでしてきた。
(見た目は美味しそうだけど、問題は……味よね)
これがうまくいったら、アークロイドにも試食してもらうのだ。
シャーリィは目をぎゅっとつぶり、口を大きく開けてミニトマトを放る。
(ん……? これは……)
思ったより皮に厚みがあり、弾力もある。プチッと実が口内で弾け、トマトの甘みが口の中に広がる。
(トマトって、こんなに甘かったんだ……知らなかった)
少し酸っぱい想像をしていたが、これは全然違う。断然、甘さのほうが上回る。
今まで食べてきたものは何だったのかと問いたいくらいだ。トマトのカルチャーショックだ。大事件だ。
(ううう。美味しい……美味しいよ)
今まで苦労は無駄じゃなかった。
静まることのない興奮を前に、シャーリィは打ち震えた。
*
水洗いをしたミニトマトを載せたザルを手に、呼び鈴を鳴らす。
「失礼します。シャーリィです」
声を張り上げると、しばらくしてドアがゆっくり開かれる。
「……入ってよいとの仰せだ」
「おはようございます。ルース様」
「ああ、おはよう」
最初会ったときは全員が敵とでもいうように警戒心が強かった彼だったが、刺々しい雰囲気もずいぶん和らいできたように思う。
窓際の席で読書をしていたアークロイドの元へ向かうと、読んでいたページにしおりを挟んで文庫を閉じる。そして、彼の視線が自分の手元に向けられたのを感じ、シャーリィはザルをずずずいっと前に出した。
「見てください、アークロイド様! やっと実がつきました……!」
「……朝から元気だな」
「大量なので、房ごと収穫してきました。味見もしたので、ぜひ召し上がってください!」
竹ザルに載ったミニトマトを見せると、アークロイドが覗き込むようにして顔を近づける。それから顎に手を当て、感心したような声を出す。
「確かにたくさんあるな。一度にこんなにできるものなのか」
「夏だから、生長が早いのかもしれませんね」
「なるほどな……」
「水洗いはしています。どうぞ、パクッと食べてみてください」
「毒味は私が」
どこから出てきたのかと思うような俊敏さでルースが顔を出し、アークロイドと目配せする。アークロイドはそっと息をつき、顔を手で覆う。
「ルース。失礼だぞ」
「ですが、宮殿で栽培されたものが安全であるかは、私どもにはわかりません。御身のためです」
その言葉で折れたのか、アークロイドが無言でミニトマトをルースに渡す。
ルースはそれをジッと見つめたかと思うと、一口で食べた。長いような短い時間を経て、ルースが口を開く。
「アーク様。大丈夫のようです」
「では、いただこう」
残りの房からミニトマトをヘタごと千切り、アークロイドが大きく口を開けた。
「ん……これは思ったより甘いな。そういう品種か?」
期待した反応が返ってきて、シャーリィは内心ガッツポーズをした。だけど、その嬉しさをおくびにも出さず、すまして答える。
「調べましたが、これは普通の品種でした。おそらく、これが本来の野菜の甘みです。不思議ですよね」
「へえ……ルース、知っていたか?」
主の質問に、壁際で彫刻のように静止していたルースが口だけを動かした。
「水を少なくしたら、そのぶん、実が甘くなるらしいです。あとは、採れたて野菜ならではの美味しさではないでしょうか」
「……ふむ、これが新鮮であるということか」
「癖になりますよね」
「そうだな。悪くない」
アークロイドは肘掛けに頬杖をつき、大事そうにザルを抱え込むシャーリィを見上げた。
「それで、残りのトマトはどうするんだ?」
「……どうしましょうか?」
「その反応は考えていなかったな。……せっかくの採れたての野菜だ。サラダにするのもいいんじゃないのか?」
「ナイスアイデアです! では、昼食時のサラダに使ってもらうように料理長に頼んできますねっ」
善は急げだ。シャーリィはくるりと踵を返し、本館一階へ向かう。
昼食の下処理をしていた料理長に事情を説明すると、すぐに快諾してくれ、シャーリィとアークロイドのサラダに使ってくれることになった。
仕事を終わらせて正午に食堂に行くと、入り口のところでアークロイドと鉢合わせた。それぞれ好きなものを注文し、サラダとともに受け取る。
レタスときゅうりの中央に赤い実が添えられており、きらきらとした水滴がついている。
「いただきます!」
フォークで突き刺し、パクリと頬張る。
料理長がしばらく冷やしたミニトマトは朝食べたものより、ずっと美味しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。