3. シーツの山に囲まれて

 隣国から皇子が来てから早一週間。最初は二人揃って、おろおろと館内を歩いていたが、今では自国のように悠々と振る舞っている。ツアーには参加せず、城下街に下りてみたり、部屋で読書などをしたりしているらしい。


(郷土料理が出た日はよほど口に合ったのか、料理長をべた褒めしていたらしいし、他の従業員とも挨拶をする仲になったみたいだし。いい兆候ね)


 大量の洗濯を終え、あとは干すだけだ。川から腰を上げ、絞ったシーツの山を載せたカゴを両手で運ぶ。この仕事をするようになってから、自然と腕力もついてきた。

 優雅なお茶会や刺繍に明け暮れるお姫様は、この国には不要だ。何でもできるバイタリティーこそが必要だ。


(前世の記憶が戻ったときは混乱しちゃったけど、今の人生も悪くないわよね。だって必要とされているのが実感できるもの)


 テレオペレーターはいくらでも代わりがいる。しかし、シャーリィの代わりはいない。

 やりがいがあるから、頑張れる。頑張ったぶんだけ、皆が褒めてくれる。

 大きなシーツを竿にひっかけ、皺を伸ばす。だが量が多いため、いくらやってもシーツの山は崩れない。


「……何をやっているんだ?」


 ぶっきらぼうな声に振り返ると、簡素な館内用の服に身を包んだアークロイドがいた。朝風呂からの帰りかもしれない。


「何って、見てのとおりです。シーツを干しているんですよ」

「……さっきから減っていないように見えるが?」

「それだけ量が多いんです。っていうか、なんで裏口にいるんです?」

「散歩をしていただけだ」


 従業員しか通らないような道を歩いていたとは、よほど暇だと見える。


「暇なら手伝ってください。こっちは猫の手も借りたいぐらいなんですよ。お礼にデザートをサービスしますから」


 だめ元で言ってみると、いいぞ、と言葉が返る。冗談だと言おうとした口が半開きで固まる。驚くシャーリィをよそに、アークロイドは腰をかがめてカゴからシーツを取り出し、物干し竿の向こう側に放り投げる。

 そして、見よう見まねで端と端を引っ張って、パンパンと皺を伸ばす。


「……え」

「なんだ。皺を伸ばせばいいんだろ?」

「いや、そうじゃなくて。……どうして手伝ってくれるんですか?」


 曲がりなりにも、彼は皇子だ。レファンヌ公国とは違い、ちゃんと皇族として育てられた人のはずで。それがこんな庶民の真似事をするとは思っていなかった。

 アークロイドは次のシーツをつかみ、シャーリィを見ずに素っ気なく答える。


「人手が足りていないんだろ。それに、やったことがないことを体験するのも、いい気晴らしになる」

「でも、これって結構、重労働ですよ」

「お前が楽しそうだったから。大変な仕事でも、本人が楽しそうなら、どんなものか気になるだろう。あと、暇なのも事実だからな」


 そう言いながらも、次々にシーツをテキパキと干していく。無駄のない動きに呆けていたシャーリィだったが、負けるものかとスピードアップを図る。

 そのおかげで取り崩せないかと思っていた山はどんどん小さくなり、あとは残る一枚だけとなっていた。

 最後の一枚を干し終え、シャーリィは深々と頭を下げた。


「手伝ってくださって、ありがとうございます。いつもより早くに終わりました」

「いや、礼を言われるほどじゃない」

「そうだ。デザートは何がいいですか? お好きなものを用意します」

「……なんでもいい」

「そういう台詞が一番困るんですが」


 素で答えると、アークロイドが目に見えてうろたえた。少し悩んだように間を置いた後、何か思いついたように口を開く。


「アップルパイが食べたい」

「……お好きなんですか?」

「パイは何でも好きだ。サクサクとした食感が好ましい」


 口元をゆるめて言う様子から、噓でないことがわかる。本当に好きなのだろう。

 これはぜひとも、料理長に伝えておかなければならない。顧客の満足度は宿全体の満足度につながる。リピート客ゲットのためにも、こうした小さい情報の積み重ねは重要だ。


「わかりました。手配します。三時に食堂にお越しください」

「……お前も食べに来るのか?」

「私はその時間、仕事なので。仕事が終わってから食べます」


 答えると、なぜか微妙な顔をされた。返答を間違えただろうか。一抹の不安を抱えていると、アークロイドが困ったように眉を寄せて言う。


「お礼をする気があるのなら、お前も一緒に付き合え。男だけでデザートを食べるのは趣味じゃない。俺はいつでも大丈夫だから、お前の休憩時間に合わせる」

「…………ひょっとして気を遣ってくださってます?」

「ルースは甘いものが得意じゃない。どうせ食べるなら、一人より二人がいいと思っただけだ」


 彼は早口でまくしたて、もしかして恥ずかしいのを隠しているだけなのでは、と勘ぐってしまう。


「今日は四時前に少しだけ時間が取れます。その時間でよろしければ」

「それでいい」

「では、食堂でお待ちしています。できたてをご用意しますね」

「……ああ」


 自分の部屋に戻っていく彼の背中を見ながら、ふと思う。


(偉そうな人だと思っていたけど、実は優しい人なのかもしれない)


 遠くから見守っていたのだろう。ルースの赤髪がアークロイドに近づく。護衛とも言っていたから、完全に一人きりになるのは難しいのかもしれない。

 今、海の大国では皇位継承権で派閥争いが激化していると聞く。亡命のように、この国を訪れた彼はきっと皇位に興味がないのだろうと予想がつく。

 一人っ子はさびしいと思うときも多いが、兄妹が多いのも考えものかもしれない。

 せめてレファンヌ公国にいる間は、そうした心の負担が軽くなればいいと願わずにはいられなかった。


       *


 約束の時間、アークロイドは従者を連れて食堂に顔を出した。

 料理長に目配せすると、すぐにデザートのお皿が運ばれてくる。熱々のアップルパイからは熱気がもれ出て、その横にはアイスが添えられている。


「どうぞお召し上がりください」

「料理長、ありがとう」

「いえ」


 アークロイドが着席し、その横にシャーリィも腰を下ろす。


「……いただこう」

「いただきます」


 フォークで生地を割ると、中から焼いた林檎がとろっと出てくる。

 そのまま口に頬張れば、ほどよく甘い林檎とサクサクの生地の組み合わせは見事と言うよりほかなく、合間に挟まれているカスタードクリームが絶妙なバランスで口の中を幸せにしてくれた。

 次にひんやりとしたアイスが舌の上で溶け、熱々と冷たいコラボレーションは背徳感を抱かせる。


「……いかがですか」


 横で食べていたシャーリィが控えめに尋ねると、アークロイドが小さく頷いた。


「絶品だ。ここの料理長はいい仕事をする……」

「そうですよね。これは……贅沢なひとときですよね。お仕事、頑張れそうです」

「ああ。そのとおりだ」


 食の感動を共有したことで、目に見えない絆が結ばれた気がした。美味しいものは人に幸せをもたらす。その尊さを改めて実感した。


「何かお困りなことはありませんか? 少しでも気になった点がございましたら、改善させていただきますが」


 シャーリィがさりげなく探りを入れると、そうだな、とつぶやき、考えこむような沈黙が続く。アークロイドはフォークを置き、腕を組んだ。


「セルフサービスは戸惑ったが、慣れればどうということはない。ここでは祖国のように、他人に気を遣う必要もないしな。案外、自分で動くのも悪くない」

「ご満足いただけたようで何よりです。ですが、そろそろ退屈なさっている頃合いではありませんか?」


 初めは物珍しさが勝っていただろうが、慣れれば当然飽きがやってくる。半年にわたる滞在期間をいかに退屈なく過ごしていただくか。シャーリィの腕の見せどころだ。


(ここはアークロイド殿下の特別ツアーでも企画したほうがいいかしら)


 脳内で算段をしていると、アークロイドがゆっくりと首を横に振った。


「いや、しばらくは部屋で過ごす。城下町で仕入れた本もたくさんあるしな。暇つぶしに散歩もしているし、こうして伸び伸びと過ごせるのは数年ぶりだ。気遣いはありがたいが、適度に放っておいてくれて構わない」

「……かしこまりました」


 お客様の要望を叶えるのが従業員の仕事である。

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