2. 海の大国から来た皇子様一行
「お待ちしておりました、アークロイド皇子殿下。わたくし、レファンヌ公国の第一公女、シャーリィと申します。早速ですが、お部屋にご案内させていただきます」
お辞儀をして出迎えると、馬車から降りてきた青年がジッと見つめてくる。
不敬にならない程度にシャーリィも彼を見つめ返す。
藍色の髪は肩にかからない長さで、少し長い前髪から覗くのは灰色の瞳。理知的な瞳は不思議そうな色を宿し、整った目鼻立ちは芸術品のように美しい。
白いワンピースに青い帯を腰に巻いただけのシャーリィとは対照的に、異国の服をまとう彼は皇子らしい気品にあふれている。水色を基調としたコートには金色の刺繍が施され、紺色のズボンは裾がゆるやかなデザインだ。
アークロイドは、ぽつりとつぶやくように言った。
「……驚いたな。公女が一人で出迎えか。話には聞いていたが、ここまで人手不足とは。失礼だが、君はいくつだ?」
「先月、十六歳になりました」
「まだ子どもじゃないか」
小馬鹿にした口調に、シャーリィはむっと口を尖らせた。
隣の大国、トルヴァータ帝国の第六皇子。本日から長期滞在の上客だ。すでに半年分の滞在費を一括で前払いしてもらっている。
本来なら一家一同、雁首揃えて出迎えたいところだが、いかせん我が国は貧乏国。大公をはじめ朝から観光ツアーで出払い、大臣も使用人も皆忙しい。決して、海の大国を侮っているわけではない。
それに、シャーリィが一人で対応しているのにも理由がある。
なぜなら、長期滞在の予定人数は二名。アークロイド皇子とその従者だけだ。こちらも非常識だが、皇子ともあろう方の供がたった一人だなんて、はじめは何かの冗談かと思ったほどだ。
ちらりとアークロイドの後ろを見やる。主人の影のように存在を消しているのは、赤髪の男。ばちっと目が合うと、三白眼が威嚇するように細められる。
シャーリィは慌てて視線をそらし、空咳でごまかす。
「……この国では、十六は成人の歳です」
「トルヴァータ帝国では、十八から大人として認められる。俺より四歳も下の子どもが案内役か」
「私は十二歳のときから、一人で働いています。ご心配は無用です」
独り立ちするまでは、両親の横で愛嬌キャラとして振る舞ってきた。一人での観光案内も四年間の実績がある。こちらはプロとしてやっているのだと目で訴えると、諦めたようにアークロイドが吐息をもらす。
「君しか空いていないなら仕方ないか。……案内を任せよう」
「かしこまりました」
通常客が宿泊する本館ではなく、その東側にある別館へ案内する。別館は特別なお客様用の場所で、寝室や応接間、リビングルームが揃った間取りになっている。
最上階の部屋のドアを開け、二人を中に入れる。広々とした部屋はシーツ、ソファのクッション、壁のオブジェは青に統一している。
窓の向こうにはバルコニーがあり、城下町が一望できる。
山に囲まれた国では海は臨めない。壁にはきらきらと海面が輝く景色の絵画を飾っている。海の大国出身の彼らのために、少しでもくつろげるように青を取り入れたのだ。
部屋を眺めていた皇子は、荷物を室内に運び込んだ従者を一瞥し、シャーリィに向き直る。
「そういえば、紹介がまだだったな。彼はルース。従者兼ボディーガードといったところだ。目つきは悪いが、いいやつだ。長く滞在する予定だから、まあ、よろしく頼む」
「承知しました。ルース様、よろしくお願いいたします」
「……ああ」
言葉少なに返す様子からして、喋るのは苦手なのかもしれない。
シャーリィはポケットからメモ帳とペンを取り出し、聞き取りの体勢になる。
「苦手な食材があれば伺います」
「……特にはないな。ルースも好き嫌いはない」
「左様でございますか」
これなら料理長が献立に困ることはないだろう。滞在期間は長い。ゆくゆくは好みの味付けも把握しておきたいところだ。
メモ帳を戻し、シャーリィは接客用スマイルを浮かべた。
「遠路でお疲れでしょう。公国自慢の温泉で、旅の疲れを癒やしてくださいませ」
公国の観光資源は、良質な温泉だ。肩こり、筋肉痛、神経痛、疲労回復、腰痛など各種効能がある。軟らかな無色透明の温泉が主だが、美肌効果がある炭酸水素塩泉などもある。
温度も調整しているので、ぬるいお湯から熱いお湯まで揃えている。
異国の空気に少し緊張していたようだったアークロイドだが、部屋の雰囲気が気に入ったのか、いくぶん雰囲気が優しいものになっていた。
「俺たちの世話は、君が専属になるのか」
「いいえ」
「では、誰だ?」
「専属のスタッフはつきません。基本的にはセルフサービスになります」
「は……?」
信じられない、といった風に硬直するアークロイドに、シャーリィは淡々と述べる。
「朝食と夕食はバイキング方式です。芙蓉の間にお越しください。昼食時、飲み物や軽食が必要でしたら食堂にいる料理人にご注文ください。その場でご用意いたします。温泉は朝の六時から夜の十一時まででございます」
「…………」
「以上のことは、部屋に備え付けのパンフレットにも書いてあります。注意事項もありますので、一度お目通しくださいませ。何かご用がありましたら、直接フロントまでお越しください」
では、と一礼して踵を返すと、焦ったような声が届く。
「待て。君は俺たちを放っておくつもりか?」
「ツアーのお申し込みでしたら、フロントにその旨をお申し出ください。その日に空きがあれば当日でも参加できます。オプションの料金は、追加で請求させていただきます」
あくまで丁寧に答えたつもりだったが、アークロイドの顔は晴れない。むしろ、どんどん険しくなっていくばかりだ。
彼は何かを言おうとした口を閉じ、額に手を当てた。
「……君は普段どこにいる?」
「各種手配、明日のツアーの準備など、もろもろ雑務がありますので、一箇所に留まることはありません。要望、苦情はフロントにお願いいたします」
「つまり、俺たちは放置されるわけか」
声には絶望したような響きがあったが、シャーリィは気に留めない。
長期滞在の表向きな理由は療養だったはずだ。見たところ、健康は問題なさそうだし、余計な干渉は不要だろう。
二人だけの訪問だったのがいい証拠だ。
彼らに必要なのは、自由に過ごせる場所。そして、この場所を選んだのは彼らだ。
「この国では、誰の目を気にすることなく、ご自由におくつろぎいただけます。もちろん、他のお客様のご迷惑にならない範囲でですが。わたくしもこの後の予定が押しておりますので、これで失礼いたします」
これ以上引き留められないよう、早足で退室する。ぱたんとドアが閉まり、シャーリィは腕時計の針を確認する。
(思ったより、手間取っちゃったわ。急がなきゃ!)
やることは山のようにある。人手不足は少子化の影響もあるが、弱音を吐いてばかりいても問題は何も解決しない。
アークロイドたちは上客には違いないが、特別扱いはするつもりはない。あくまで彼は温泉宿の客であり、国賓ではない。ならば、通常通りの接客で我慢してもらうしかない。
はじめは戸惑うことも多いだろうが、そのうち慣れるだろう。慣れてもらわなければ困る。これが弱小国のルールなのだから。
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