11. 休日の過ごし方
外国からのツアー客を番頭のテオに引き継ぎ、従業員控え室に向かう。館内チェックをしながら歩いていると、ピンクブロンドのお団子頭が視界に入った。
「ダリア。お疲れさま」
客室から出てきたダリアを労うと、彼女はキリッとしていた表情を緩ませた。
「……ああ、シャーリィ。今は見回り?」
「うん。そんなところ」
二人並んで廊下を歩く。途中、向こう側から歩いてきたお客をお辞儀をしてやり過ごし、ダリアが声量を抑えて言う。
「そうだわ、シャーリィ。たまには私の買い物に付き合ってよ」
「……私でいいの?」
貴重な休日を過ごすのに適した相手は他にいるのでは、と戸惑っていると、その心配を見透かしたようにダリアが口角を上げる。
「もちろんよ。カタリナも誘って三人でショッピングしましょ! どうせ、シャーリィは休日も満足に取っていないんでしょ? 毎日のようにあなたの顔を見るもの。それに、アークロイド皇子のことも聞きたいし」
「それが本音ね……」
「あら、やぁね。ついでに情報収集したいなっていう乙女心じゃない」
「それは乙女心とは言わないと思うわ……」
歩きを再開し、従業員用の通路の扉を開ける。薄暗い照明に照らされた階段を下りていく。密閉された空間の中、ダリアのワントーン高い声が反響した。
「週末は皆忙しいし、平日ならツアーがない日もあるわよね?」
「もう決定事項なのね。……明後日なら時間が取れると思うけど、二人とも、休みは取れるの?」
急に二人同時に休むのは厳しいのではないだろうか。そう危惧したシャーリィだったが、ダリアは楽しげに笑う。
「ふふ。こういうときに持つべき者は友よね。いざとなったら、誰かに代わってもらうから大丈夫よ」
「わかった。じゃあ、お休み申請しておくわ」
「十時に中央広場で落ち合いましょう」
段差をリズミカルに降りていく足取りは軽やかだ。
先を行くダリアが扉をゆっくりと開くと、まぶしい光量が視界を覆う。けれどそれは一瞬で、すぐに見慣れた照明が目に入る。
「じゃあ私、急ぐから。またね」
ダリアが早足で去っていくのを、ひらひらと手を振って見送った。
*
約束の時間、シャーリィは時計台の下にいた。白地に蔓草が刺繍がされたワンピースに、フェルト生地のベストを合わせている。レファンヌ公国の代表的な民族衣装だ。
露店の屋根をぽてぽてと歩く鳩を眺めて暇を潰していると、ぽん、と肩を軽く叩かれる。
「お待たせ!」
ダリアの後ろには微笑んだカタリナがいた。
花柄の黄色のワンピースは彼女の清楚な雰囲気に似合っている。一方のダリアは身体の線に沿った細身の青のズボンに、ブラウスの裾を前でリボン結びにしている。
「久しぶりね、カタリナ。元気にしてた?」
「はい。つつがなく過ごしておりましたわ……」
おっとりとした話し方は通常運転の証しだ。
「カタリナは休みの申請、すぐに通ったの?」
「ええ。わたくしは休日出勤をしたので、今日は振替休日とさせていただきましたわ……」
カタリナの肩に片手を置いて、横にいたダリアが大げさに首をすくめた。
「私は逆ね。今日を休みにしてもらう代わりに、休日に出ることになったわ」
「そっか。……人手不足だと、休みを取るのにも苦労するわね」
「まあ、国土が狭いからね。他国からの移住者も少ないし、こればっかりはねー」
「でも三人で買い物をするなんて、本当に久しぶりよね」
感慨深くつぶやくと、そうね、と頷きが返ってくる。
カタリナは穏やかに微笑んでいる。昔の時間に戻ったみたいな感覚に、つい感傷的になりそうになるのをこらえて、シャーリィはダリアに質問した。
「今日はどこに行くの?」
「隣町に行こうと思うの。馬車は手配しているわ」
「さすが、用意がいいわね」
シャーリィが感心したように言うと、ダリアはお団子を揺らし、誇らしげに胸を張った。
昔からダリアは要領がよかった。下調べや準備は欠かさず手配してくれ、おかげで一緒に行動するときはずいぶんと助けられたものだ。
思えば、最近は仕事に集中しすぎて、遊ぶということを忘れていた気がする。気の置けない友人と話す時間は貴重だ。今日は自分にとっても、いい気晴らしになりそうだ。
四輪の無蓋馬車に揺られながら、シャーリィは横目でダリアの様子を窺う。彼女はカタリナと職場の話題で盛り上がっていた。
二人で楽しそうに冗談を言い合いながら、笑い合っている。
(やっぱり、友達っていいなぁ……)
和気あいあいとした雰囲気に和んでいると、ふと話の矛先が自分に向けられた。
「ねえ、アークロイド皇子ってどんな方なの?」
ダリアの問いに、シャーリィは言葉を濁す。
「言っても、私もそんなに親しいわけじゃないんだけど……」
「でも、シャーリィが一番接点があるでしょ。なんだっけ、鉢植え栽培……?」
「バルコニー菜園だね」
「そう、それ。一体、どういう経緯でそんな話になったの? ミュゼから聞いたときには半信半疑だったわよ。海の大国の皇子様がわざわざ用意してくれるなんてさ」
確かに、それはそうだろう。
一時の気まぐれだったとしても、旅行先の公女の願いを叶えてくれるなんて、普通はあり得ない。しかも相手はトルヴァータ帝国の皇子なのだ。
(働く公女も珍しいけど、アークロイド様も奇特な方よね……)
同類とまでは言わないが、彼も特殊な例だと思う。財力と時間が有り余っていたからこその采配だろうが、もし逆の立場だったとしても、同じ施しは与えないだろう。
シャーリィに力を貸してくれたのは、弱小国に生まれたシャーリィへの哀れみもあったのかもしれない。
「夢はあるのか、と聞かれたわ」
あのときの会話を思い出しながら言うと、ダリアが首を傾げた。
「夢? 将来の展望ってこと?」
「うん。だから、新鮮な野菜が食べたいと答えたの。そしたら、鉢植えはどうかって提案されて。でもお金がないと言ったら、資材を提供してくれることになったの」
「へえ……なんていうか、いい人ね。アークロイド皇子って」
「苗の手配もね、至れり尽くせりで。無事に野菜が収穫できたら食べてもらう約束をしているんだけど、本当に私には救世主みたいな存在で……」
自分にはもう無理だと諦めていたことさえ、アークロイドは救いあげてくれる。
幌馬車が通り過ぎるのを眺めながら、ダリアは感慨深げにつぶやく。
「いいなぁ。私にもアークロイド皇子みたいなパトロンがいてくれたらなー」
「別にパトロンってわけじゃ……」
「似たようなものでしょ。それより、もうすぐ着くわよ」
馬車はちょうど橋の上を過ぎたところで、石垣に囲まれた町が目の前に迫っていた。
門番のいない入り口で、馭者が用意したステップを下りると、ワンピースの裾がふわりと広がる。
人工の運河が張り巡らされた町は水の流れが近い。歩道が狭いので馬車での乗り入れはできず、町に住む人の移動手段は、徒歩かゴンドラである。
川面に水鳥が足をつけ、涼んでいる。その様子を見ていると、カタリナがおっとりとした声で言った。
「……隣町まで来たのですから、わたくしは実家に顔を出してきたいと思いますわ……」
「あ、そうか。カタリナはこの町の出身だったね」
「ええ。なかなか帰られないものですから……」
カタリナは頬に手を当てて、憂いの表情だ。久しぶりの家族団らんを邪魔してはいけないと思い、シャーリィが身を引こうとしたときだった。
ダリアがシャーリィの腕を引き、声を張り上げる。
「ちょっと待って! 私たちも行ってもいい?」
「え? ええ。それは、もちろん構いませんが……」
「カタリナの実家って……ああ!」
「そういうこと。行かない手はないでしょ?」
目配せされ、シャーリィは納得した。カタリナの実家はバームクーヘンで有名なお店を経営している。観光客もそれ目当てでやってくるほどだ。
(ああ。久しぶりのバームクーヘン……美味しいだろうなあ)
あのしっとりとした食感と、表面のシャリシャリとした砂糖のシュガーグレーズを思い出し、お腹の虫が今にも鳴きそうだ。
町の中央に近づくと、赤い屋根が特徴的なお店が目につく。店の横にはバームクーヘンのマークをした看板が吊り下げられている。お昼前だからか、まだ外に列はできていない。
カタリナがドアを開くと、カランコロンと鈴の音が軽快に響く。
「お兄様。ただいま、戻りました……」
コック帽を被った青年が振り返り、驚いたように目を丸くした。
「おや、カタリナ。お帰り。お友達も一緒かい?」
「はい。温泉宿で一緒に働いている仲間ですわ……」
「それはそれは。裏に回っておいで。新商品の試食の余りがあるから、よければ食べていくといい」
その申し出に真っ先に食らいついたのはダリアだった。
「いいんですか?」
「もちろん。さあ、カタリナ。お二人を案内して」
「承知しましたわ……こちらへどうぞ」
一度、お店を出てから、店の裏手に回る。裏口は表に比べると、質素な作りのドアだ。
ゆっくりとドアを開けるカタリナの後に続く。土間で靴を脱ぎ、手すりを持ちながら、傾斜がきつい階段を上っていく。
「さあ、どうぞ……」
簡素な机と椅子が並び、カウンターにはガラス瓶に入ったカラフルな飴玉が飾られている。その横には手乗りサイズのクマのぬいぐるみが座っていた。黒と白の色違いで、リボンの色は赤と青だ。女の子と男の子だろうか。
お茶の用意をしにカタリナが奥の台所へ消え、シャーリィはダリアと並んで座る。壁時計の上には白い鳩が羽根を休めている。
(可愛い雑貨が多いわね……む、あれは昨年販売の数量限定だった雪うさぎバッグ……!)
白い雪が舞う黒いバッグを見つけて息を呑んでいると、カタリナがお盆に載せてティーカップを運んできた。
「お待たせしましたわ……」
「ありがとう。……あら、レモンティーね。いい香りだわ」
「お店ではレモンも仕入れていますから……」
ダリアが満足そうにティーカップをソーサーに戻す。それを見て、シャーリィもレモンティーを一口飲んだ。仕入れているのは質のいいレモンだろう。香りがいつもと違う。
カタリナが静かに微笑んでいると、階段を上る足音がする。するとまもなくしてドアが開き、先ほどの青年が小皿に載ったバームクーヘンを持って現れた。
「やあ。今月発売のはちみつ入りバームだよ。遠慮なく食べていってくれ」
「わあ、美味しそう!」
「わざわざ、ありがとうございます。いただきます」
ダリアと手を合わせ、早速フォークで一口サイズに切り分けて口に運ぶ。
ミルフィーユを食べているような錯覚を起こすほど、生地がしっとりとしていて食べやすい。ほのかに甘みも広がり、上をコーティングした砂糖のシャリシャリ感もたまらない。
「美味しいです!」
「はは、満足してもらえたみたいでよかったよ」
カタリナの兄は胸をなで下ろした様子で、目尻にわずかに皺が寄る。けれど、妹と目が合うと、困ったように笑みを浮かべた。
「カタリナ。……お見合い話を断ったそうだね? 父さんがしょげていたよ」
「わたくしは仕事が恋人みたいなものですから。今が楽しいですし、せっかく覚えたんですもの。どなたかに嫁いでしまったら、仕事は続けられなくなってしまいます」
「そうか。それだけ打ち込めるものがあるなら、大事にするといい。父さんには僕から言っておくよ。……お友達も、ゆっくりしていってくださいね」
一礼して、そのまま去ってしまう。その足音が完全に遠のいてから、バームクーヘンを食べていたダリアが口を開いた。
「結婚かぁ……そういえば、アークロイド皇子が来たときは、お妃候補を選びにいらっしゃったんじゃ? って一部が盛り上がっていたわね」
「お妃候補? どういうこと?」
「ツアーにも一切参加せず、館内を見て回っていたでしょう? だから、未来のお妃様を探しているんじゃないかしらって誰かが言い出して……」
「ああ、そういえば。わたくしも何の仕事をしているのか、って尋ねられましたわ……」
カタリナが今思い出したようにつぶやくと、真正面にいたダリアが目を剥いた。
「え。カタリナ、アークロイド皇子とお話ししたの!?」
「はい。聞かれたことを答えただけですが……」
「いいなぁ。うらやましい。私も皇子様といろいろお話ししてみたいなー」
不満げなダリアだったが、カタリナが双子のお客との会話を喋り出すと、目を輝かせて話に聞き入っていた。
(今頃、アークロイド様はどうしていらっしゃるかしら……)
シャーリィは二人の会話に相づちを打ちながら、温泉宿にいるはずの皇子に思いを馳せた。
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