10. 野菜の生育は順調です

 朝は普段より少し早く起き、バルコニーの鉢の様子を見る。

 豆粒ほどだった実は徐々に大きくなり、五百円玉サイズまで生長した。色は赤みがかったオレンジ色。収穫の時は近い。

 瑞々しい葉っぱを触り、手触りを確かめる。葉に厚みはあるか、色が濃すぎないか。

 最近は葉の状態を見て、肥料が必要な時の見極めがなんとなくわかってきた。肥料が多すぎると、葉の色が濃くなるし、病気にもやられやすくなる。


(……まさか、前世で買ったベランダ菜園の初心者解説本の知識が、異世界で役に立つとは思わなかったわね……)


 初心者用とタイトルにあるだけあって、解説は写真付きでわかりやすかった。前世ではわき芽取りはできなかったが、今世ではやってみたい。


(うーん。二本仕立てにしたら、余計な側面から出た芽は取っていい……はずだけど、うーん。これかな?)


 伸ばす枝と摘み取る枝を選り分ける。完成形をイメージして育てない芽を摘み取っていく。せっかく出てきた芽を摘むのは罪悪感があるが、背に腹はかえられない。

 にょきにょきと伸びた茎が、重みで下に垂れ下がっている。

 前世での失敗は、植物はまっすぐに伸びるものだと思って、直線的に誘引したことだった。結果、ミニトマトの茎は垂直に伸びて、様子見に来た友人に驚愕されたのだった。


(園芸の知識なんてないから、ミニトマトは折れない程度に曲げて、支柱に沿わせるなんて思ってもみなかったのよね……)


 友人いわく、茎を誘導するのは、世話のしやすさが関係しているらしい。


(このまま背丈が高くなったら収穫が大変になるわよ、と脅されもしたっけ……)


 垂れ下がった茎を少しずつ傾け、支柱にビニール紐でくくりつける。折れない程度に力を加え、伸ばす向きを調整する。


「よし、こんなものかしら」


 出来映えに満足し、簡易資材置き場から肥料の入った袋を取り出す。軍手をはめ、土を少し掘り返して、小粒の固形肥料をパラパラとまく。その上に土をそっと被せ、最後に水やりをしたら朝のお世話は完了だ。

 朝日のまぶしさに目を細める。早朝はまだマシだが、今日も暑くなりそうだ。


       *


 フロントに出向くと、テオと目が合う。

 顎のラインで切りそろえられた髪の隙間から、つり上がった黄色の瞳がこちらを見やる。本人は無自覚だろうが、無言で見つめられるとガンをつけているように見える。

 だが、シャーリィにとっては見慣れた顔だ。今さら怖がる必要もない。


「テオ、来月の予約客はどんな感じ?」


 近くに客がいないことをいいことに、フロントのテーブルに身を乗り出して尋ねる。

 帳面をぺらりとめくり、テオは渋面になる。


「ぼちぼちだな。星祭りが終わったから、平常通りといえばそうなんだが。もう少し観光客を集められるような催しがあればいいが」


 顎に手を当てて考える素振りをするテオに、シャーリィは苦笑した。


「それだと年中お祭りみたいになるんじゃない?」

「盛況なのはいいことだろ」

「現場は大変だよ。どこも人手不足なのに」

「それは……まぁ、そうだな。無理をして既存客に逃げられないように囲い込むしかないな」


 新しい客を集めるのも大事だが、リピート客も大事にしなくてはならない。正論を前に、シャーリィも何かいい案はないかと考えこむ。


(催し物の規模が大きくなるほど、準備に人手を取られるし。準備にそれほど手間がかからなくて、なおかつ、皆が食いつくようなイベント……。うーん、思いつかないわ)


 曲がりなりにも観光課の末席に名を連ねる者として、企画力は大事だ。もちろん、実現可能な範囲で。


(国土が小さいから、どうしても滞在日数が少なくなるのよね。もっとババーン! と宣伝できるようなものがあればいいのだけど)


 ううんと唸っていると、何かを思い出したような声が現実に引き戻す。


「そういえば、シャーリィ。クラウスさんから聞いたぞ」

「……な、何を?」

「休日出勤はほどほどにしておけ。そのうち怒られるぞ」

「あ、う、そうね……」


 あからさまに視線を泳がすと、テオがため息をつく。そちらを見やると、出来の悪い弟子に失望するような顔を向けられた。

 このままだと、まずい。そう感じたシャーリィは、ぽんっと両手を重ね合わせる。


「こ、この前の宣伝ポスターはできたの?」


 無理のある話題転換だったが、テオは小言を引っ込めて話に乗ってくれた。


「できたぞ。効率よく配布できるよう、乗合馬車に手配済みだ。乗り込み時に手渡してくれることになっている」

「へえ、効率的ね」

「オリーヴィアの発案だ。彼女は効率重視の考え方だからな」

「でも、とてもいいと思うわ」


 今まで街頭でスタッフが手渡しする手間がなくなるぶん、他の仕事に精を出せる。限られた人数でうまく回していくためには、無駄を省くことが重要だ。


「あら、シャーリィ」


 艶のある声に振り向くと、オリーヴィアがいた。

 三つ編みにした銀髪を後ろでまとめ上げ、鮮やかな赤の口紅を塗った口元が色っぽい。目尻が垂れた瞳は、吸い込まれそうな青色。まっすぐに歩いてくる足取りは優雅だ。


「ちょうどよかったわ。お昼からのツアーに参加希望のお客様がいるのだけど、まだ空きはあるかしら?」


 三十代前半の彼女は、女性スタッフをまとめる立場だ。

 シャーリィは午後のスケジュールを思い出しながら口を開く。


「人数は何人ですか?」

「二人よ」

「それなら大丈夫だと思います。一時にフロントまでお越しいただけるよう、お伝えください」

「了解よ。よろしくね」


 オリーヴィアはひらりと手を振り、颯爽と去っていく。まるで風が吹き抜けたような感覚に包まれながら、彼女の背中を見送った。

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