8. 星祭り開催側は大忙しです

 今日は朝から忙しい。

 ツアーの最終調整や温泉宿の飾り付けのチェックなど、仕事は探せばいくらでもある。ツアーに参加しない旅行客にもチラシを配り、屋外施設の催し物を案内する。

 外に出ると、温泉街の周囲は屋台の設営作業が進められていた。その間を駆け回る子どもの姿を見ながら、本日の団体客のスケジュールをまとめた冊子をめくる。


(えーと、午後からは少女歌劇団の舞台と歌姫の催しでしょ。夕方は大公夫妻主催のディナーショーで、最後は花火でフィナーレと)


 迷子客の確認や食材の不足がないかなど、見回りも必要だ。


「ったく、シャーリィ! 探したんだぞ」

「……テオ。どうしたの?」


 純白のシャツとベストに青いタイを結んだ青年が、眉をつり上げて走ってくる。ズボンは紺色だが、白を基調とした制服は温泉宿の従業員共通のものだ。

 前髪を左右に分けた若葉色の髪はさらさらストレートで、つり目がちの黄色の瞳はまっすぐにシャーリィを見据えている。


「宣伝用の写真撮影があるって言ったはずだ。お前がいなければ、話にならん!」

「ごめん、忘れてた。今行く!」


 番頭のテオは、客の案内から宿全体の管理までを担う係で、特に広報に力を入れている。早足で突き進むテオの後ろに続き、客室の一室へと急ぐ。

 テーブルには来月用の御膳がすでに並べられており、カメラマン役のクラウスが眼鏡を押し上げて待っていた。

 榛色《はしばみいろ》の長髪を後ろで束ね、切れ長の茜色の瞳がシャーリィを見下ろす。三十代後半のはずだが、二十代半ばにしか見えない。色白の肌は気弱な印象を与えるが、サービス残業がデフォルトの仕事人間だ。

 というのも、クラウスはレファンヌ公国観光課長官で、シャーリィの直属の上司にあたる。しかし、シャーリィは温泉宿の経営にも携わっているため、ここで打ち合わせすることが圧倒的に多い。

 遅れた詫びに頭を下げようとすると、先に手で制された。


「今は時間がない。シャーリィは左側で笑顔!」

「はい!」


 早速指示が飛び、言われたとおりにする。レンズが縦に二つ並んだ旧式のカメラを構え、次々にシャッターが切られる。

 テオがそっと退室していくのを横目で見ながら、撮影会は進んでいく。やがて満足したものが撮れたのか、クラウスがカメラのファインダーから視線を上げた。


「星祭りの進行チェックを兼ねて、私は写真撮影をしなければならない。シャーリィは第六皇子の案内だったか?」

「はい。ツアーの参加は見送られましたが、ルース様から正式に見学希望の要望をいただいています。顧客満足度向上のため、誠心誠意、見どころをご紹介する予定です」

「そうだな。あの方は長期滞在の上客だ。これだけ盛大に催す一大イベントで、何もしないわけにはいかない。しっかり職務に励むように。大公夫妻の補助は私たちが引き受けよう」


 星祭りでは、観光課の職員が全員出払う。片手で足りるほどの人員しかいないが、他の部署からの応援もあるはずなので、なんとかなるだろう。


「皇子を放置しすぎるのもよくない。あとのことは他の者に任せ、君は皇子の元へ急ぎ向かいなさい」

「かしこまりました」


 クラウスはカメラを大事そうに抱え、部屋を後にする。何せ、カメラはこの国では高級品なのだ。国から支給されたカメラは外国製の中古品で、もし壊したらと思うと誰もこわくて触れない。よって、もっぱら長官自らがカメラマンとなっている。

 シャーリィが廊下に出ると、クラウスが廊下を歩いていた女性スタッフを捕まえ、食器の片付けを頼んでいるところだった。

 その横を目礼して通り過ぎ、渡り廊下を通って別館へと急ぐ。


(アークロイド様はお部屋にいらっしゃるかしら?)


 最上階のドアの前に着いて、深呼吸する。当然ながら廊下には誰もおらず、ここは外の喧噪が遠く感じる。

 ドアを控えめにノックすると、誰何の声がする。


「誰だ。名を名乗れ」


 やや低いけれど、聞き取りやすい声はルースだ。シャーリィは背筋を伸ばして答える。


「シャーリィです。お迎えに上がりました」


 声を張り上げると、ドアが静かに開く。そっと足を踏み入れると、ルースが真顔で立っていた。祭りの賑わいで警戒しているのか、三白眼の眼光がいつもより鋭く感じる。

 萎縮しながら部屋の中央まで行くと、窓際の椅子で読書をしていたアークロイドが立ち上がった。

 見慣れた館内着ではなく、水色のグラデーションのシャツに紺のベスト、布地がゆったりと膨らんだ白のズボンを穿いている。ところどころ金の糸で蔦や瑞鳥が絡み合い、凝った意匠が刺繍されている。異国風のデザインだが、肌に馴染んでいるようで、いつもより三割増しに見える。


「……今日は、トルヴァータ帝国の衣装なのですね」

「外に出るのだろう? ここの室内着は着心地がよいが、あれで出歩くわけにはいかないからな」

「よくお似合いです」


 素直に褒めると、アークロイドが一瞬硬直した。だが、さすが第六皇子なだけあって、すぐに持ち直して咳払いをした。


「……着慣れているからな」

「それもあると思いますが、トルヴァータ帝国の衣装は華やかでいいですね。染色の方法も違うようですし、わたくしも異国の服を着てみたいです」

「……別にうちの国でなくても、シャーリィは何を着ても似合うだろう」

「それを言うなら、アークロイド様は見目がよいですから、どれでも着こなせるのではありませんか?」

「そんなことはない」


 むっとした口調で言われ、シャーリィは口を噤む。褒めたつもりが、不興を買っては元も子もない。アークロイドは窓の外に視線を移し、話の矛先を変えた。


「今日はどこへ行くんだ?」

「まずは中央広場ですね。星祭りの日は各国から行商が集まるので、普段は並んでいない商品が売られていることも多いんですよ」

「ほお……それは興味深いな」


 本館は宿泊客や観光客で忙しないが、特別料金を払う別館のロビーは静かだ。ドアベルがついた扉を開け、外に出る。

 馬車のステップから、紳士に手を引かれて降りてくる淑女の姿もちらほらと見える。外国の上流貴族だろう。人が押し寄せる中でも優雅な微笑みを見せ、まさに淑女の鑑だ。


「これは……すごい人だな」

「それはそうです。今は観光客が特に多い時期ですからね」

「わかっていたつりもだが、予想以上だ」

「はぐれないでくださいね」


 シャーリィが先頭になり、人の波の隙間を縫うようにして温泉街をくだって、中央広場へと出る。中心にある時計台の近くでは、風船を持った男性が子どもにカラフルな風船を渡している。そのそばでは花売りの少女が籠を持って歩いている。

 遠くの通りにはレンガの家々が建ち並び、カラフルな三角の屋根が続いている。


「露店が多いな。確かに普段見たことがない外国の商人もいるようだ」

「順番に見ていきますか?」

「ああ。そうしよう」


 ござの上に商品を置いた老人のところでは、鮮やかな絹織物が並べられている。涼しげな紗の羽織もあり、これからの季節にもよさそうだ。しかし、アークロイドは眺めるだけで手に取るようなことはしない。

 彼の視線は、隣の鉱石を扱う店に移っていく。


「いらっしゃい! アクセサリー加工も承っているよ」


 陽気な主人が話しかけ、アークロイドは会釈を返したかと思えば、気難しい表情で青みがかった紫の鉱石を手に取って眺めている。


「これはあまり流通していない鉱石だな……」

「お。お客さん、お目が高いね。マグフォー鉱山で採れた鉱石だよ。少数しか販売できないから、こうした特別な市場でしか売っていないんだ」

「確かに物はいいが、金額はだいぶ高いな」

「ははは、こっちも商売だからな。希少性の高いものはどうしたって高くなるさ。どうだい、連れのお嬢さんにも似合うと思うが」


 店主がシャーリィを見て、にかっと笑う。とっさに言われた意味が理解できず、ぽかーんとしていたが、慌てて両手を振って否定する。


「わ、わたくしは違います。そういうのではなくて、ただの付き添いなのでっ!」

「……そうかい、それは残念だ」


 叱られた子犬のように落ち込む様子に、シャーリィは申し訳なくなった。一方のアークロイドは鉱石をそっと元に戻し、口を開く。


「珍しいものを見せてもらった。また機会があれば寄ろう」

「今度は買っていってくれよな!」


 愛想笑いで店から離れた後、シャーリィは先を行くアークロイドにこっそりと問いかけた。


「よかったんですか? 気になるものがあったんじゃ……」

「いや、図鑑でしか見たことがない鉱石があったから手に取っただけだ。今のところ、アクセサリーは贈る相手もいないしな。必要に迫られない限りは買う予定はない」

「そ、そうですか」


 相づちを打っていると、ひときわ大きい歓声が耳に届く。振り返ると南側に人だかりがあり、棒に上った猿の姿がちらりと見える。


「大道芸の舞台みたいですね。少し見て行きましょうか?」

「そうだな」


 ドキドキと見守りながら猿の芸を鑑賞し、近くの露店を覗いて回る。

 すべての店に共通するのはめったに出回らない品物が陳列されているが、どれも目を瞠るほどの高値であることだった。シャーリィには逆立ちしたって買えない。アークロイドもそこまで興味が引かれるものには出会わなかったらしい。

 中央広場の露店はすべて巡ったが、ここからどうするか。休憩を挟むべきか悩みながら、横に立つアークロイドに結論を委ねる。


「次はどこを見て回ります? 高台で少女歌劇団の演劇と歌姫の催しもやっています。チケットを買っていないので、遠くからの立ち見になりますが……」


 特設舞台での演劇はお昼の一大イベントだ。入場制限もあるので、早めから席取りをしなければならない。顔が曇ったシャーリィに気がついたのか、アークロイドは首を横に振った。


「いや、今日はこのあたりを見て回りたい。他におすすめはあるか?」

「中央広場は人が密集するので、あえて人が少ない通りに出店する人もいますよ。……時間もたっぷりありますし、五つの通りを巡ってみるのもおすすめです」

「五つの通り?」

「あれ、ご存じありませんか?」

「……中央広場までは来たことがあるが、周辺のことは詳しくない」


 ごほんと咳払いをして、シャーリィは意気揚揚と解説を始める。


「では説明しますね。この中央広場はいわば中継地点です。中央通り、東通り、西通り、職人通り、壁画通りに通じています。中央通りは道幅も広くなっており、観光客向けの施設が集合したメインストリートになります。中央通りは、目印として地面に花のプレートが埋め込んであるんですよ」

「花?」

「魔力を持った花です。夜になると淡く光るため、夜の花と呼ばれています。ほら、あそこに鉢植えの花があるでしょう? レファンヌ公国で咲く貴重な花ですので、中央通りはどこも店先にプランターを置いて楽しめるようになっています。そのため、地元民は中央通りのことをフラワーロードと言っているほどです」


 夜の花はすずらんのように鈴なりに咲く、白い花だ。昔から自生していた品種で、もともとは高地に咲いていたのを研究者が種を持ち帰って、鉢植え栽培を始めたのが普及して今に至る。

 左右に咲く花は目を引くため、写真撮影のスポットとしても人気だ。


「となると、夜にも観光客が花を見に来るということか」

「さすがアークロイド様ですね。そういったお客様もいらっしゃいますよ」

「観光客の受けはいいだろうな。昼と夜の違いを楽しめるということだからな」

「ええ。昼はランチを提供し、夜はバーになる店もあります」

「客商売がうまいな……」

「お褒めに与り恐縮です」


 協議の結果、中央通りから見て回ることになった。

 長官から前日にもらった軍資金で買い食いをしながら、一通りの露店の冷やかしを終えたところで、空は茜色に染まりだしていた。遠くの山の向こうに陽が沈んでいく。

 星祭りの本番は夜だ。店をたたむ行商人の姿を横目に見ながら、シャーリィはアークロイドに進言した。


「まもなく日が暮れます。アークロイド様には特等席をご用意しています。こちらへどうぞ」

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