7. 呼び方と経過報告

 今夜は満月だ。外が明るい。二週間後は新月で、星祭りの日である。

 時刻は十一時十五分。外は静寂に包まれて、渡り廊下に月明かりが差し込む。人気のなくなった板張りの床はよく磨かれており、歩くたびにキュッキュッと音が鳴る。

 急ぎ足で歩く影は二人分で、そのうちの一人が早口でまくし立てる。


「シャーリィは明日の仕事はいいの? こっちは手伝ってもらって助かるけど」


 ピンクブロンドの髪をお団子にしたダリアの問いに、シャーリィは持っていたモップの柄を持ち替える。


「明日はお休みだから大丈夫。それにカタリナとダリアだけだと、大変でしょ。一度温泉を抜いてやるお掃除は時間が勝負なんだから」

「それはそうだけど……」

「さあ、今日は病欠で来られなかった人の分まで、隅々まで磨くわよ」


 仕方がない、といった風にダリアが肩をすくめた。

 温泉の入り口には、清掃中の看板が立てかけられている。その横を通り過ぎ、残っているお客がいないか、念のためチェックして見て回る。

 モップを壁に立てかけて、脱衣所から露天風呂へと出る。涼しい夜風が肌にまとわりつく。

 左右を見渡していると、横にいたダリアが栗色のショートボブの女性に声をかける。


「カタリナ! 何でも屋のシャーリィが来てくれたわよ」

「ちょっ、私は別に何でも屋ってわけじゃ……」


 反射的に抗議の声を上げると、背中を丸めて露天風呂の隅を掃除していたカタリナが振り返った。袖をまくり、白のワンピースの裾を丸めて結んだ姿はシャーリィと同じだ。

 花びらを模した銀細工の髪留めが月夜の下、きらりと光る。


「……新しい夜中の労働仲間ですか。歓迎いたしますわ……」

「カタリナ、久しぶりね。脱衣所の掃除は任せて。ちゃっちゃと済ませて、あとで合流するから」

「丁寧な仕事ぶりを期待しています……」


 慈愛に満ちた笑みを向けられ、シャーリィは気を引き締めた。普段はのんびりとしているカタリナだが、仕事は妥協を許さない主義なのだ。ここは戦場だ。ミスは許されない。


(頑張らないと……!)


 くるりと反転し、脱衣所に回れ右をする。モップをつかみ、決意を新たにしていると、ぽんと肩を叩かれた。横を見やると、ダリアが困ったように笑っている。


「二人でやったほうが早いわ」

「ありがと」


 ダリアがガラスの洗面台を拭き、ゴミをまとめる。その間、シャーリィはモップで床を磨いた。最後は二人で手分けして、着替える服を置く籠を一つ一つ覗き、忘れ物がないかをチェックする。


「そういえば、トルヴァータ帝国の情勢はどうなのかしら。ダリアは何か知っている?」


 ダリアは誰とでもすぐに仲良くなれる特技から、この温泉宿での情報通でもある。人懐っこい笑顔で警戒心を解き、気づけば、相手は彼女の欲しい情報を喋らされているのだ。


「皇位継承権のこと? 毒殺やら暗殺やら物騒なことになっているみたいね」

「へ、へえ。ずいぶんと物々しい雰囲気ね……。ちなみに、最有力候補って誰なんだっけ?」


 籠を元の位置に戻しながら聞くと、間髪を容れず言葉が返ってくる。


「次期皇帝に一番近いのは、カミーユ第一皇子ね。次にシリル第三皇子って聞いたわ」

「……いつも思うけど、どこからそんな情報を拾ってくるの?」


 知らない間にスリーサイズを把握されていた過去を思い返しながら尋ねると、ダリアは橙の瞳を細めた。人差し指を唇の上に添えて、悪戯っぽく笑う。


「情報には情報を、よ。シャーリィは公女なんだから、もっと貪欲になるべきよ。自分の持てる武器は多くて困ることはないんだから」

「……そうかもしれないけど、適材適所っていうじゃない? 私はダリアに助けてもらうから大丈夫よ」

「あら、それは頼りにされているってことかしら?」

「いつも頼りにしています」


 おどけて言うと、ダリアが瞬いた。一瞬呆けたような間の後、二人で噴き出す。

 夜空では、雲が流れて月を覆い隠していた。


       *


 ツアー客と一緒に食堂へ向かうと、テラス席に座るアークロイドとルースの姿を見つけた。日替わり定食Bセットが載ったお盆を手に、彼らの前に立つ。


「ご一緒してもよろしいですか?」

「……好きにしろ」


 ご厚意に甘えることにして、アークロイドの横に座る。いただきます、と手を合わせて豚汁から箸をつける。野菜の甘みと豚肉のうま味が絡み合い、お椀を傾ける。

 アークロイドはカツカレー定食を無言で食べており、ルースはどんぶりをかきこんでいる。シャーリィは生姜焼きを一口食べながら、雑談を始めた。


「魔木の研究は順調ですか?」

「……なんでお前が知っている?」

「料理長から聞きました。魔木の資料を集めて調べていると」


 質問に答えただけなのに、アークロイドは眉を寄せて押し黙ってしまう。何が機嫌を損ねたのだろうと思うけれど、その理由が思いつかない。 

 でも、この重い空気のまま食事をするのは気が引ける。シャーリィは会話を続行させるべく、わざと明るく言う。


「それで、何か発見はありました?」

「……そう簡単に見つかったら苦労はしない」

「それもそうですね」


 アークロイドが食べ終わったのを見計らい、ルースが立ち上がり、二人分の食器を片付ける。その様子を見ながら、シャーリィは細切りされたキャベツを口いっぱいに頬張る。


「……美味しそうに食べるんだな」

「美味しいですよ? このジューシーなお肉も食べごたえがありますけど、キャベツにかけてあるドレッシングも爽やかな味で食事が進みます」


 ご飯が進むのはいいことだ。お肉とご飯を交互に食べていると、ルースが食後のハーブティーを持って戻ってきた。

 アークロイドが少し冷ましてから口に含むのを見て、シャーリィはかねてより疑問だったことを聞くことにした。


「なんで魔木を研究しようなんて思ったんです?」


 海の大国から見れば、魔木は珍しいかもしれないが、温泉旅行中にわざわざ研究材料にしようとする人は少数だと思う。

 アークロイドの態度を見た限りでは、研究の成果は芳しくないのだろう。けれど、料理長からこの話を聞いたときから、ずっと疑問だったのだ。

 この国の人間ならともかく、他国の人間には利はないのではないかと。

 シャーリィの問いに、アークロイドは痛いところを突かれたように視線をそらした。


「お前が……」

「シャーリィです」

「一体なんだ」


 言葉を遮られたことで苛立った様子を見せるが、シャーリィは譲らない。


「名前ですよ。わたくし、ちゃんと名乗ったはずです。……一緒にアップルパイを食べた仲ではありませんか。そろそろ、きちんと名前で呼んでくださいませ」


 本当はそこまで親しくなる必要はない。客と従業員なのだから。

 名前で呼んでほしいと思ったのは、シャーリィのわがままだ。いつもなら頓着しないはずなのに、アークロイドにはわがままを通したくなった。正直、自分でもわからない。

 困惑した様子で口を開け閉めしていたアークロイドだったが、覚悟を決めたのか、細く息を吐き出す。


「……シャーリィ」

「はい。殿下」

「だったらお前……シャーリィも殿下と呼ぶのをやめろ。ここはトルヴァータ帝国ではないし、俺は国賓でもない。ただの客と従業員だ」


 殿下呼びを禁止されるとは思っておらず、面食らってしまう。

 だが、アークロイドは真顔だ。これは不敬だからという言い訳は聞いてもらえない。困ったことになったと、ない知恵を絞る。


「じゃあ、えーと……アークロイド様?」

「まあ、そのあたりが妥当か」


 満足そうに笑う顔を見て、緊張の糸を緩める。


「ふふ。なんだか、前より親しくなれたみたいで嬉しいです」


 ジッと見つめると、アークロイドが照れたように視線をさまよわす。その後ろで控えていたルースが三白眼でシャーリィを射る。


(うっ。なんだろう。圧力を感じるわね……)


 これがジェラシーだったら可愛げがあるが、敵認定だったらどうしよう。一人焦るシャーリィをよそに、アークロイドが空咳をして皆の注意を引きつける。


「……話を戻すぞ。……魔木の研究についてだったか」

「あ、はい。そうですね」


 シャーリィが頷くと、アークロイドがテーブルに両肘をつき、両手を重ねる。


「この国では作物が育たないと言っただろう? もし魔木の力を弱められたら、普通に畑で収穫ができるかもしれない。そのために調べていた。自給自足ができれば、俺も新鮮な野菜が食べられるしな」


 言われたことを反芻し、青天の霹靂とはこういうことかと思った。

 夢のような話に前のめりになり、尊敬の眼差しを送る。


「……素敵です! ぜひその方法を編み出してください!」

「話を聞いていなかったのか? まだ見つかっていない。そもそも、そんな方法があるのかも怪しい。さっき言った話はすべて仮説にすぎない」

「でも、実現できたら画期的です!」

「……そうだな。まあ、期待せずに待っていろ」

「はい!」


 元気よく返事をすると、アークロイドはハーブティーを飲み干してから口を開いた。


「そういうシャーリィのほうはどうなんだ? 苗は元気か?」

「あ、はい。茎はだいぶ大きくなりました。小さいながらも、いくつか実もつきましたし。まだ色は緑ですけど、赤くなったら収穫できると思います」


 米粒ほどの大きさを指でつまむようにして、現在のミニトマトの生育具合を報告する。


「そうか。収穫が楽しみだな」

「ええ、それはもう! 毎朝の水やりがこんなにも楽しいなんて。アークロイド様には感謝しても全然足りないくらいです」

「そ、そうか……」


 呆気にとられるように引き気味だったが、シャーリィは笑顔で会話を締めくくった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る