6. 引きこもりの皇子様
液肥がないと涙ながらに訴えたところ、アークロイドはすぐに手配してくれ、翌週にはシャーリィの手元にプラスチックの容器に入れられた液体が届けられた。
これで当面の問題は解決である。毎日の水やりも順調だ。気温も上昇してきたし、そろそろ夕方の水やりも開始したほうがいいかもしれない。
(ふふん。葉っぱもすくすく伸びているし、誘引の紐も用意しておこうかな)
梱包用の紐なら、資材置き場にいくらでもある。
「姫様、ご機嫌ですね」
一緒に屈んで鉢を見つめるミュゼに、シャーリィは頬を緩めたまま振り向く。
今は、仕事で忙しいときに水やりを代わってもらうために、レクチャーをしている最中である。前世の友人いわく、水はやりすぎでも、少なすぎてもだめなのだ。
ちょうどいい案配を教えるためにも、じょうろで最適な水分量を指示し、根元に水をあげることをしっかり伝えておく。
「横着して、葉っぱに水をかけないように気をつけてね。収穫できたら、ミュゼにも採れたてミニトマトをプレゼントするからね」
「お気持ちだけ結構ですよ。せっかく姫様が丹精込めて作ったお野菜なんですから」
微笑みながら辞退されたが、シャーリィの心はすでに決まっている。
「遠慮は無用よ。美味しいものは誰かと分かち合いたいじゃない。……あ、でもアークロイド殿下にもお裾分けしなくちゃ」
「トルヴァータ帝国の皇子様ですか? 部屋で引きこもっていらっしゃると聞きましたが」
「今は魔木の研究をしているのですって。自国にはないから、どんな性質があるのか、興味を引かれたみたいね」
「ははあ、アレを研究するとは物好きな方ですね」
魔木は特定の国にしか自生しない、魔力を持った木だ。
レファンヌ公国では周辺の土壌の栄養を吸い取り、伐採してもすぐに生えてくる厄介な木だ。けれど、利点もある。枝を切り落とせば魔力は消えるため、普通の木と変わらないように加工ができる。したがって、木材の資材だけは豊富なのだ。
木の品質も中の上ぐらいで取り引きされるので、数少ない輸出品としても一翼を担っている。とはいっても、取引量はそんなに多くないというのが現状だ。ちなみに、魔木の関連事業は民間に委託している。
「まぁね。でも、何か有益なことがわかったら教えてくださるらしいわ。あまり当てにはしていないけれど、父上と母上も特に問題はないと言っていたから、しばらくは様子見ね」
「大公夫妻がそうおっしゃるのであれば、私からとやかく言うことはありませんね。ところで、姫様。水やりの代わりは明日からでよいのですか?」
鉢からは余計な水が出て、バルコニーを濡らしている。土の表面はしっかりと湿り、葉は瑞々しい。
「そうね。今日のぶんは終わったし、明日からは書き入れ時だし、しばらくお願いするわ」
「承知しました」
*
二週間後は、季節に合わせた特別ツアーが開催される予定だ。年間で一、二を争うくらいの観光客が押し寄せてくる時期でもある。
気の早い客はすでに宿に泊まっており、来《きた》るイベントに向けて準備している。バルコニー付きの本館の客室は半年前から予約で埋められ、キャンセル待ちの客も少なくない。
特別ツアーは大公夫妻が主催するため、シャーリィの出番は関係各所との調整役だ。宿泊客の捌き方は例年やっているので、それほど困ることはないはずだ。
今年の懸念事項があるとすれば、ひとつ。
(アークロイド殿下は参加されないのかしら?)
別館のお客様は優先枠がある。ツアーに参加する意思があるなら、今からでも予定をねじ込むことは可能だ。けれど、今までの発言から考えても、それは望み薄だろう。
(何か興味を引かないと、ずっと引きこもっていそう。健康にもよくないわ)
引きこもり皇子を引きずり出すには、何が効果的か。ツアーの客を宿に案内し終え、シャーリィは考えながら大通りを歩く。
観光客が太鼓橋を背に写真撮影をしている。彼らの邪魔にならないように脇に避けて歩みを進めていると、視界の隅に赤髪が映った。
初代大公の彫像を一人で見上げているのは、アークロイドの従者だった。
「ルース様ではありませんか。こんなところでどうなさったのです?」
シャーリィが近づくと、ルースが振り返る。そして、重いため息をこぼした。
「主に一人にしてほしいと暇を出されたのだ」
ふっと右を見る横顔は哀愁が漂い、何か言葉をかけねばという思いに駆られる。だが、今までほとんど会話をしてこなかったため、最適な話題が見つからない。
シャーリィは自分の非力さをかみしめ、できるだけ傷口に塩を塗らないように気をつけながら、そっと問いかけた。
「アークロイド殿下はどちらに?」
「部屋で休まれている」
即座に返ってくる言葉は素っ気なく、それ以上の会話を拒んでいる様子にも見える。
(本当はすぐに立ち去るのが礼儀なんだろうけど、これは考えようによっては好機でもあるのよね)
主抜きで、従者の意見を聞き出すには絶好の機会だ。すぐさま頭を切り替えて、シャーリィは慎重に言葉を選ぶ。
「……あの、ルース様にお伺いしたいことがあったのです」
「何だ?」
「アークロイド殿下は、人が多いところはあまりお好きでないですよね?」
ツアーにも参加せず、部屋で過ごす様子から見ても、他人と距離を置きたいのは明らかだろう。その原因は祖国での跡目争いにあるのか、もともとの性分なのかはわからないが。
ルースは眉を少し寄せたものの、すぐに言葉が返ってくる。
「……まぁ、今はそうだな。だが、ここは自分に無関心の人ばかりで、気が楽だとおっしゃっていた」
今は、ということは以前は違ったということだろうか。
(そういえば、完全に人嫌いというわけでもなさそうよね。従業員にも挨拶してくれるし)
ならば、迷惑にはならないだろう。そう判断し、シャーリィは口を開く。
「では、星祭りに誘っても問題ないでしょうか?」
「星祭り? 何だそれは」
レファンヌ公国では有名なお祭りだ。祭り前の今はポスターもあちこちに貼られている。まさか知らないとは思っていなかったため、一瞬、言葉を失う。
けれど、ルースにとっては純粋な質問だったようで、ジッと答えを待っている。
(うう。あまり知名度がない事実にショックが隠せないけど、知らないなら知ってもらえばいいのよね。うん)
無理やり自分を納得させ、シャーリィは営業用スマイルで解説する。
「二週間後に開催される、初夏のお祭りです。レファンヌ公国にしか生えない黒い魔木には不思議な性質がありまして、星祭りの夜だけ虹色に光り輝くのです」
「それはすごいな」
すごい、という感想に、内心そうでしょうと頷き返して、胸を張る。
「例年、これを目当てに来るお客様も多いぐらいです。花火もあげて、大々的に祝うのですよ。せっかくですから、お祭り気分だけでも味わっていただければと思いまして」
「わかった。私から伝えておこう」
「ありがとうございます」
ルースに言づてを頼み、シャーリィは踵を返す。
とりあえず、今できることはやった。あとはアークロイド次第だろう。
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