25. 大国から見た弱小国は

 宮殿の東の端に位置する観光課。あまり広くない部屋に人数分の机が並び、ほとんどがツアーで出払っている。今、部屋にいるのはクラウスとシャーリィの二人だけだ。

 ホワイトボードを睨み、来月のスケジュールをいかにうまく効率よく回せるか、脳内で計画を算段する。予定されていたツアーの書類と地図を机の上に広げ、担当区分をチェックしていく。


「……シャーリィ」


 重いため息とともに名を呼ばれたので、書類整理していた手を止めて、さっと上司の席に顔を出す。


「お呼びですか、クラウス長官」


 キリリと表情を取り繕ったシャーリィに対し、クラウスは眉をひそめた。彼は持っていた書類の束を机に放る。


「この企画はなんだ」

「海外から有名パティシエを招いた、世界各国の美味しいもの大試食会ですが……」

「では聞くが、どこにそんな予算がある? うちは貧乏小国だぞ。こんな企画通すわけないだろう!」


 クラウスの雷が落ち、反射的にシャーリィは身をすくめた。しかし、ここで反論しなければ、ただ罵倒されるだけで終わってしまう。


「で、でも夢を見るぐらい、いいじゃないですか。だって興味があります!」

「これは仕事だ。私情を挟むんじゃない」

「……疲れたときは甘いものが食べたくなるのが人の心です……」

「わかった。要するに、残業で頭が回っていない状態で出した企画だということだな?」

「……長官は見ていたようにおっしゃるのですね」

「想像するまでもない」


 ふんと鼻で笑われ、シャーリィは口を噤んだ。

 ヘタな言い訳は自滅を意味する。困ったときは発言を慎むべきだ。


「とにかく、企画書は再提出だ。期限は今日中。次にこんなふざけた企画を出したときは……わかっているな?」

「は、はいっ……肝に銘じます!」


 自分の机に戻り、筆記用具を取り出して企画書の練り直しだ。アークロイドは今頃どうしているだろうか。


(でも今は、他人の心配している場合じゃないのよね……)


 クラウスから余計なことを考えるなオーラが出ている。今は逆らうべきじゃない。まずは頭を空っぽにし、今度は実現可能な企画を考えなければならない。


       *


 ない知恵を絞って再提出した企画がとりあえず受理され、シャーリィは宮殿の食堂を後にするアークロイドの姿を見つけた。


「アークロイド様!」

「……シャーリィか。朝見たときより、疲れた顔をしているな。しっかり食べろ。温泉宿の料理も美味だが、宮殿の料理も悪くない」

「お気に召したいただけたようで何よりです。私は今から食べるところですが、その、進捗はいかがですか?」

「悪くはない。用が終わったら、君も来るといい」


 まだやることがあるらしく、アークロイドたちは急ぎ足で立ち去っていく。取り残されたシャーリィは厨房を覗き、軽食を用意してもらった。

 サンドイッチを手早く食べ、応接室のドアを軽く叩く。ドアを開けると、朝と違って文官たちが忙しなくペンを動かし、客間というより職場の雰囲気を醸し出している。

 呆気にとられる中、シャーリィに気づいたアークロイドが顔を上げた。


「ちょうどいいところに来たな」

「と言いますと?」


 向かい側の席に座ると、アークロイドが持っていた書類をテーブルに置いた。


「まだ全部は読んでいないが、いろいろ改善点は見つけた」

「本当ですか!?」

「あ、ああ。だが問題がすぐに解決するわけではないぞ」

「わかってます! でも、その改善をすれば、少しは違ってくるってことですよね?」

「……そのとおりだ」


 期待に満ちた瞳を向けると、アークロイドは気まずさを紛らわすように咳払いをした。


「ひとつは関税だ。周辺諸国と比べて割高に設定されている。これは推測だが、立場が弱いことを利用されて、ふっかけられたんだろう。しかも、税率は数百年前から固定だ。これでは時代に合っていない。この税率を適切にすれば、輸出品が売れやすくなるはずだ」


 周辺諸国の税率を知っていることに、まず驚く。


(すごい……さすが海の大国の皇族。情報量がうちとは比べものにならない)


 税率がずっと同じことに疑問を抱き、輸出の不利を指摘する手腕は見事だ。シャーリィには同じ真似はできない。世界の情勢を考えられる視野の広さに息を呑む。

 シャーリィは衝撃に近い感動をやり過ごし、おそるおそる右手を挙げた。


「立場は弱いままなんですが、どうすれば税率を低くしてもらえるでしょうか?」

「交渉次第だな。外交の交渉役は、大公妃が管轄だったか。手っ取り早く要求を飲ませたいなら、弱みを握ることが簡単だが……」

「うわあ、あくどいですね」


 思わずもれたつぶやきに、アークロイドは悪い笑みを浮かべた。


「何かを成し遂げるには犠牲はつきものだ」

「なるほど……アークロイド様が言うと説得力が違います」


 いつの間にか、集まって聞いていた文官たちも大きく頷いている。しきりにメモをしている文官もいた。

 その様子を一瞥し、アークロイドはシャーリィに視線を戻す。


「うちとの交渉には、これを使え」


 そう言いながら、机の端にあった小さな紙片をおもむろに取る。そして、それをテーブルの上に滑らし、シャーリィは折りたたんだ白い紙を拾い上げた。


「……これは?」

「トルヴァータ帝国との契約違反になっている箇所、そして次に交わす新しい契約内容だ。これを武器に交渉しろ。ただし、俺が手助けするのは今回だけだ。次からは自国でどうにかしろ」

「…………」

「それは、まず対等の関係になるための布石だ。ただお願いされただけでは、うちの外交官は相手しない。俺が介入する以上、このまま泣き寝入りするような真似はさせない」


 これ以上にないくらい頼もしい言葉が聞こえてきて、シャーリィは言葉に詰まった。

 一体、この恩を返すために、自分は何ができるだろうか。このちっぽけな小国の公女ができることなんて、たかが知れている。


(こんなの、一生かけても返せない……)


 絶句するシャーリィを置いて、話は次の段階に進んでいく。


「次は輸入品だが、他国ならもっと安く仕入れられるものもあるぞ。例えば、ルルツェッタ王国のジャクシーナ地方は染め物工場ができたから、そこと取り引きすれば、金額が桁で違うはずだ。今なら他国からの認知も少ないし、何より物価が安いからな。魚はトルヴァータ帝国のままでよいが、野菜や果物はマリーント自治州なら今より安く仕入れられる。あそこは関税がないしな。とはいえ、野菜は自給自足できるようになるのが一番だが……」

「マリーント自治州は以前、取り引きを持ちかけて断られた経験がございます」


 文官の一人が進み出て、申し訳なさそうに言う。

 アークロイドは紅茶を一口飲み、長い足を組み直した。


「あの土地は一度受け入れた人には寛容だが、信頼を得るまでが難関だからな。仕方ない。俺が口利きしよう。マリーント自治州に嫁いだ姉がいる」


 シャーリィは文官と目を見合わせた。

 数々の難題が次々に片付けられていく手腕は舌を巻くほどだ。なぜ彼はレファンヌ公国の国民ではないのかと頭を抱えてしまう。

 そんな人材不足の悩みには気づいていないのか、アークロイドは顎に手を添えた。


「そして最大の問題は、輸出量が少ないことだ。輸入量に対して、圧倒的に勝負できる武器が少ない。それが貿易赤字の根本的な原因だろう。既存のものに頼るだけでなく、新製品を開発しろ。今あるものでも、他国が欲しいと思わせるような工夫が大事だ。そのセンスを磨くためにも、外国に赴く調査隊が必要だ。その土地で何が売れているのか、どうしてそれが売れているのかを徹底的に調べ上げろ」


 凄腕の宰相のような指示が飛び、文官たちがすくみ上がっている。畏怖の念を集めながら、アークロイドは口角を上げた。


「あとは、女は度胸だ。弱小国だからといって相手の顔色を窺うだけではだめだ。自分の要望は必ず相手に伝え、何度でも粘り、勝ち取れ。大公妃は美姫と名高いのだから、雰囲気作りも忘れるな。相手を圧倒させるように側近が演出するんだ」

「……アークロイド様はすごいですね! こんなにも次々にアイデアが出てくるなんて、びっくりしました。どれも、とても参考になります」


 手放しに褒める横で、文官たちが必死にメモに取っている音が止まらない。

 その様子を眺めて、シャーリィは素朴な疑問を口にした。


「どうやったら、ここまで他国のことまで詳しくなれるのですか?」

「情報収集能力も皇位に必要な素質だからな。皇族たるもの、知っておくべきことは多いほうがよい。知識はいつ役に立つかわからないから、しっかり身に付けておけと、常々シリル兄上に言われてな……」

「そのお兄様は慧眼の持ち主ですね」

「ああ、そう思っている」


 故郷を思い出しているのか、自然と笑みがこぼれた。先ほどまでの鋭い視線はなりをひそめて、目元が和らぐ。

 その変化を見て、シャーリィはそっと視線を外した。


(なんだろ……)


 胸がどきどきと波打つ。なぜだか、目が合わせられない。気まずさを払拭しようと、テーブルに置いてあった書類を手に取った。

 数字や文字を目で追うが、その内容はまったく頭に入らなかった。

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