17. 護衛騎士の心情

 オリーヴィアに宮殿前まで送られて、ミュゼとともに寝室に直行することになったシャーリィはベッドの上で寝て過ごした。

 ぱちりと目が開き、時計を見やる。時計の針は午後二時半を指している。カーテンは閉まっているが、まだ太陽の位置が高い時間帯だ。

 のろのろと起きたシャーリィはうーんと伸びをした。薬が効いたのか、朝より体調がいい。背中に何かが乗ったような重だるさは消え、食欲もある。

 水差しからグラスに水を注ぎ、ごくりと飲み干す。


(おなかすいたな……)


 カーテンを開けると、まぶしい日差しが中に入ってくる。窓の外にはトマトの実が風でゆらゆらと揺れていた。

 そのとき、コンコンとノックの音がした。

 びくりと肩を震わせたシャーリィだったが、早足で自室のドアを開くと、すぐさま明るい声がした。


「姫様、もう起きて大丈夫なんですか?」

「ミュゼ。……もしかして、ずっとそこで待ってくれていたの?」

「はい。私は姫様の専属護衛ですから。体調を崩したとなれば、おそばに控えるのが仕事です。ところで食欲はありますか? よろしければ、厨房から何か持ってきますが」


 返事をする代わりに、お腹がぐう、と鳴った。

 二人の間に沈黙が降りる。シャーリィは居たたまれず、頬が熱くなる。


「何か、消化によさそうなものをお持ちしますね」

「……お願いするわ」


 部屋にとって返し、シャーリィはベッドの上にいそいそと戻った。風邪をぶり返すわけにもいかないので、おとなしく待っていると、しばらくしてミュゼが熱そうな陶器の器を持ってきた。


「おかゆを作ってもらいました。食べられそうですか?」

「ありがとう。いただくわ」


 ふーふーと息を吹きかけて、熱々のおかゆを口に運ぶ。

 卵とネギが散らされた卵かゆはほどよく塩気が効いていて、胃に優しい。パクパクと完食すると、ミュゼがお碗を下げてくれた。


「思ったより、お元気そうで安心いたしました」

「ごめんなさい。心配をかけたわね。……私はもう大丈夫だから、ミュゼは持ち場に戻っていいわよ」

「ですが……」


 ミュゼが少しうつむき、彼女の菫色の髪がさらりと首筋から胸に落ちる。しかし、すぐに気持ちを立て直したのか、キリッとした顔を向けた。


「わかりました。ちゃんと休んでくださいね」

「ええ」

「では、失礼します」


 パタンと扉が閉まり、部屋にはシャーリィだけになる。無音になった室内でそっと息を吐くと、外から小鳥の鳴き声が聞こえた。


(今頃、アークロイド様たちは何をしているかしら……)


 いくら前日に同じ場所を散策したといっても、ガイド役がいきなり務まるとは思えない。クラウスはスカウトしたいと言っていたが、どこまで本気かわからない。

 不安の種は一度芽吹くと大きくなる一方で、気持ちの行き場が定まらなかった。


       *


 日が傾くまで、あと二時間という時間――シャーリィはベッドを抜け出し、いつものワンピースを頭からかぶっていた。

 忙しなく働くメイドたちを壁際から様子を窺い、誰もいなくなったところで、忍び足で先を急ぐ。運よく誰にも咎められることなく、宮殿を守る門までやってきた。

 しかし、門のそばには、自分の専属護衛の二人が待ち構えていた。いつもなら何の気負いもなく通り過ぎるだけの道が、今は閉ざされた鉄壁の門に見える。

 足がすくみそうになるのをこらえ、シャーリィは唇を真一文字に引き結ぶ。


(こういうのは考えたらだめよ。当たって砕けろって言うじゃない。何食わぬ顔で行けば、意外と何とかなるかもしれないし!)


 自分を鼓舞して一歩、足を踏み出す。彼らの背中がだいぶ近くなったところで、ツンツンと尖った灰色の短髪が振り返る。黒曜石の瞳が静かに瞬いた。

 時が止まったように、沈黙が二人の間に訪れる。

 フランツの横にいたミュゼが首を動かし、石像のように固まったシャーリィを見て、あ、と声をもらす。


「姫様……まだ休んでいなければ」

「う、うん。そうなんだけど……。ちょっとだけ」


 緊張で声がかすれてしまう。長くそばで見守ってきてくれた二人に命令はしたくない。

 平和的に通してもらえれば助かるが、彼らの職務上、それは望み薄だろう。けれども、ベッドの中で待つだけなんて、今のシャーリィには耐えられない。


(平熱まで下がったし、ご飯も食べて身体も動く。……ちょっとだけ様子を見たら、すぐに帰る。だから通してほしい……!)


 心の声が聞こえたのか、黙っていたミュゼが横にいた相棒に向き直る。


「フランツ。私、代わりの騎士を手配してくるから、姫様をお願い。姫様は私がお供しますので、そこで待っていてください!」

「え、ちょっ……」


 最後まで聞かずに、ミュゼは全力疾走で駆け抜け、すぐに背中が小さくなった。宮殿の横にある騎士宿舎に向かったのだろう。

 置いてきぼりをくらったシャーリィは、制止しようとした手を握りしめ、ゆっくり下ろした。その様子を無言で見ていたフランツが、着ていたマントをそっと肩にかけてくれる。

 弾かれるようにして顔を上げると、困ったようにそっぽを向かれた。しかし、続く言葉は優しさに満ちていた。


「……ミュゼは心配だったのですよ。本当はそばで護衛する立場でありながら、いつも見送ることしかできないことに胸を痛めていたんだと思います」


 普段は雑談を一切しないのに、気を遣ってくれているんだろう。ミュゼの代弁のような語り口だったが、本当はフランツの胸中も同じだったのかもしれない。


「そっか……。フランツにも心配をかけちゃった?」

「本音をこぼせば、ベッドに直行してほしいところです」

「……ごめんなさい」

「そう思うなら、早く戻ってきてください」

「ぜ、善処します」


 両手を握りしめて頷くと、フランツが仕方ないといったように小さく笑う。長く咲かない花が突然ほころんだような変化に、シャーリィは言葉が出てこない。


「姫様! お待たせしました。代わりの護衛騎士を連れてきましたので、一緒に行きましょう」


 二十代の騎士を後ろに連れたミュゼが、晴れ晴れとした笑顔で言った。シャーリィは二人の気遣いに、申し訳なさを感じながら眉を下げた。


「ミュゼ……悪いわね」

「本来の護衛の仕事ができるんですから、何も悪いことなんてないですよ。行くのは温泉宿ですか?」

「うん……」

「公女殿下。お早いお帰りをお待ちしております」


 フランツに見送られ、坂を下る。シャーリィの横にミュゼが並ぶのはいつ以来だろう。詫びの気持ちも強いが、ミュゼの顔を見ていると安心感のほうが上回る。


「あ、姫様。馬車から誰か降りてきますよ」

「え?」


 視線を前に転じると、温泉宿の入り口に馬車が横付けされていた。馬車から上品に降りた男は首筋まで伸びた藍色の髪をしており、シャーリィは反射的に足を止めた。

 馬車二台分の距離があったはずなのに、導かれるようにしてアークロイドがこちらを見る。そして目が合ったと思ったときには、彼はずんずんとこちらに歩いてくる。

 手を伸ばせば届くほどの距離で足が止まり、前から威圧感が放たれる。


「こんなところに出てきて、何を考えているんだ」

「だ……だって……心配だったんです」

「顔色は朝よりマシのようだが、俺がいない間はしっかり寝たのか?」

「寝ました。薬も飲んで、気分はだいぶスッキリしています」


 萎縮しそうになりながらも、何とか口を動かして答えると、アークロイドが薄く口を開く。だが新たな言葉が飛び出すよりより早く、第三者の声が会話を割って入る。


「あら、イケメンのお兄さん。臨時のガイド役だなんて言っていたけど、今日は楽しませてもらったわ」

「ねー。説明もわかりやすかったし、目つきが鋭いお兄さんはお年寄りにも親切だったし。ファンになっちゃったわ」


 年配の二人組が楽しげに言うと、アークロイドが彼女らに向かって一礼する。


「またのご参加をお待ちしております」


 仲のいい二人組はまんざらでもない表情を浮かべ、またね、と言って立ち去っていく。

 帰っていく客とアークロイドを見比べることしかできないシャーリィに、自信に満ちた声がかかる。


「どうだ。俺の評価は」


 ぐぐぐ……と唸り声をあげたくなる。


(まさか、私よりも人気になっているなんて……そんなの、嘘よ……)


 もしかして、クラウスはこの展開を予想していたというのか。あり得ない。今日の助っ人は突発的な出来事だったはずだ。事前準備も心構えもできなかったはずなのに。

 しかし、先ほどの客の反応を見る限り、誠実な対応をしてくれたようだ。本音を言えば、心底悔しい。でも自分が今、すべき行動はもう決まっている。


「百点満点です。どうもありがとうございました」


 頭を下げて感謝を伝えると、アークロイドが首筋に手を当てる。気のせいか、少し耳が赤い気がする。


「……宮殿まで送る」

「え、本当に大丈夫ですよ。ミュゼもいるし」


 ミュゼは気を利かして、遠くの噴水のところで待ってくれている。

 護衛騎士がいることを視線で知らせるが、なぜかアークロイドは首を横に振った。


「病み上がりは口答えしない。おとなしく歩け。それともおぶってやろうか?」

「それは断固遠慮します」

「元気があるようで何よりだ。さあ、帰るぞ」


 恥ずかしさを隠すように早口で言われるまま、宮殿の坂道をのぼる。後ろではミュゼが微笑みながらついてきてくれていた。

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