第二十七章
「……確認する」
一真が近寄り、その手首に手を当てた。すぐにその首が横に振られる。
「駄目だな。死んでる」
「そうか……」
それ以外、言葉が出てこなかった。
「本当にごめんなさい! 私のせいで、皆こんな……!」
布団に染みを作る友葉に、胸が締め付けられる。
「……俺には、お前に謝罪される理由が見当たらない」
一真がぽつりと呟いた。
「え?」
「今回の件は友葉が悪くないのは勿論、お前は最年少でありながら、一人で大型企画の準備をした。だから俺は、感謝こそすれ責める事など絶対にしない」
友葉が目を見開いて固まる。
「良い事言うじゃん」
口元を緩めた明美が、一つ息を吐いて続ける。
「あまり喋れないから簡潔に言うけど、一真が言うように感謝しかない。寧ろ、こんなに時間かかって、しかもボロボロの状態でこっちが謝りたいくらいだ」
「そんな……」
「友葉の気持ちも少しなら分かるけど……」悠馬が言った。「本当にこれが素直な感情なんだよ」
「そうだよ」友梨奈が大きく頷いた。「それに、さっき友葉が私達を信じて託してくれたでしょ? あれだけでお釣りがくるくらい嬉しかったし」
四人の顔がこちらに向けられる。深呼吸をして、健介は、友葉、と呼び掛けた。
「この事件は不可避なものだった。彼はこれを集大成にするとも言っていたから、お前の計画がなくても、彼はどこかしらのタイミングで同じ事をしていた筈だ。だからこの事件にお前の非なんて一ミリたりともないし、そんな企画をしてくれていた事。俺らを信じてくれた事。そして、今お前がここに居る事。その全てに対して、俺らは感謝している。ありがとな」
健介が頭を下げれば、他の四人も続いた。
友葉の眼に再び雫が膨れ上がる。
「皆……有難うっ!」
そう言って泣き笑いの表情を作った友葉は、そのまま明美の胸に顔を埋め、産み落とされた子供のように大声で泣いた。
「おいおい、脱水症状起こすぞ」
明美が苦笑しながらその頭を撫でる。
それからサイレンの音が聞こえてくるまで、誰も一言も言葉を発しなかった。
救急車の対応は、全て青仮面がした。
「仕事柄、こういう対応には慣れていますので」
そう言って、言葉通りに彼は全ての段取りをつけてくれた。
「貴方はこれからどうするつもりなんだ?」
その健介の質問に対して、彼は、全てが終わったら自首します、とのみ答えた。仮面を取った彼の顔は、穏やかだった。
明美と悠馬は一週間の、一真と友梨奈は三日の、そして健介は一日の入院を経て、皆無事に健康体で退院する事が出来た。
「誰も後遺症が残らなかったのは奇跡に近いよ」
そう言って医者は笑っていた。
退院してからは忙しかった。事情聴取のため、何度も警察に呼ばれた。あれだけの事件だ。警察の捜査により義和の遺書が見つかったが、それでも事実確認はくどいほどに行われた。楽しい事ではない分、どんなに撮影や編集に追われていた時よりも、精神的疲労は大きかった。唯一の救いは、担当の刑事が健介達の精神状態を気遣ってくれていた事だろう。
事件は厳しい情報規制がなされ、世間には公表されなかった。異常性の高い犯罪である事に加え、生命力探知機や義和が用いたウイルスなど、簡単に世に出せないような代物が関わっていたからだ。決して口外はしない事、と何度も念を押された。
また、その異常性も相まって、健介と明美も罪に問われる事はなかった。武田夫妻の身体からウイルスが発見された事で、二人の供述は全面的に受け入れられたのだ。寧ろ、刑事達は揃って健介達を励ましてくれさえした。逆に罪を疑われでもしていたら、精神的に耐えられなかったかもしれない。
しかし、そんな日々とももうお別れだ。
健介は自動ドアを潜り、今しがた出てきたばかりの建物を振り返った。何度も通った、いや、通わされた警察署。もう来なくて良いんだと思うと、解放感が湧き上がる。
警察署を出て駐車場に着くまで、六人は一言も発さずにゆっくりと歩いた。
車に乗り込んだ瞬間、明美が叫んだ。
「あー、やっと終わったー!」
「いやー、長かったっすね!」悠馬が応じた。「これで最後って言われた時、おっちゃんの顔が天子に見えたっすもん」
「私も!」
友葉が笑った。
「私、まだ信じられないかも」友梨奈が苦笑する。「明日も呼び出されるんじゃないか、って」
「そんな事になっても、一回くらい無視しても怒られやしねえさ」
一真が珍しく冗談を言った。
「皆」健介は声を掛けた。「本当にお疲れ様。今日は事務所でダラダラ過ごすか」
「賛成!」
悠馬と友葉が異口同音で声を上げた。
「じゃあ悠馬。運転宜しくー」
明美が間延びした声でそう言い、後部座席のシートを倒した。
「えっ」悠馬が間の抜けた声を出す。
「まあ、適任だな」
「宜しくねー」
一真と友梨奈もシートを倒す。
悠馬が懇願するようにこちらを向いてくるので、健介は笑顔で告げた。
「免許持ちで最年少だし、頼んだぜ」
「このグループは日本特有の縦社会はないって聞いてたんすけど……」
ぶつぶつと呟く悠馬の肩を友葉が、まあまあ、と叩く。
「まあ、良いんすけど」
悠馬が苦笑しながら運転席に乗り込んだ。
「友葉と明美ちゃんはともかく、健介君まで寝てるなんて珍しいね」
助手席に座っている友梨奈が呟いた。
「まあ、こいつら二人が一番神経使っただろうからな」
一真は友葉を挟むようにして寝ている二人を見て答えた。
「それもそっか」
そう答える友梨奈の眼は優しげに細められている。
信号待ちの時、今度は悠馬が呟いた。
「なんかそうやって寝ていると、家族みたいっすね」
「そうね」
間髪入れずに友梨奈が同意する。一真も全く同じ感想を抱いていた。仲の良い兄弟にも見えるし、健介と明美が大人びた顔で友葉が童顔な分、もはや親子にも見えるかもしれない。
「二人の子供とか、凄く可愛い子になりそう」
同じ事を考えていたのか、友梨奈が穏やかな口調で言った。
「健介が起きてたら今頃むせ返ってるぜ」
施設での健介の動揺ぶりを思い出し、溜息を吐きたくなる。
「まあ彼、鋭いのに鈍感だからね」
「間違いないっすね」
そんな友梨奈と悠馬の会話を聞きながら、一真は目を閉じた。
「健介。着いたぞ」
誰かに揺り動かされる感覚があり、目が覚める。視界に特徴的な赤が飛び込んできて、事務所に着いた事を認識する。健介の肩に伸びている腕を辿れば、一真がこちらを見ていた。隣では悠馬が明美を、友梨奈が友葉を起こしている。
健介は伸びをした。
「車が動いてからの記憶がねえ」
「熟睡してやがったからな」
一真が呆れたように言った。
「悠馬。悪いな、ぐっすり寝ちまって」
任せきりにしてしまった事を謝ると、悠馬は、良いっすよ、と手を振って笑った。
「ゆりちゃんも起きててくれたし」
「そうか。サンキューな、友梨奈」
「全然。お疲れ様」
悠馬と同じように笑って手を振った友梨奈が、まだ寝惚けている明美を起こしにかかる。寝起きの悪さは相変わらずだ。
既に目を覚ましている友葉に倣い、健介も車から降りてトランクから荷物を取り出した。
先頭の一真が鍵を開け、事務所に入る。リビングへと続く扉を開けて、一真は不意に立ち止まった。それぞれ目の前の人の背中に鼻をぶつけそうになり、不満の声が上がる。
「おわっ⁉」
「どうした?」
質問に答えず、一真は黙って歩を進めた。リビングの机が目に入り、一真の硬直した理由が分かった。
そこには、豪勢な料理が所狭しと置かれていたからだ。そしてその中心には、特大のホールケーキが置かれていた。
「これは……」
ケーキの隅から、一真が何かを拾い上げる。
それは紙だった。一読した一真が苦笑しながらその紙をこちらに寄越してくる。
どうやら手紙のようだ。お世辞にも綺麗とは言えない文字で、『怪しい物ではないので、安心して食べて下さい。皆、本当にお疲れ様。そして友葉ちゃん。誕生日、そして成人おめでとう』、と書かれていた。
字だけで分かる。これはカメラマンの田中の文字だ。部屋を少し温もりが残っている。つい先程までスタッフ達が居たのだろう。
健介は友葉が最後の順番になるように、その紙を自分の後ろに居た明美に渡した。そこから悠馬、友梨奈と渡り、最後に友葉に渡る。
手紙を読み終えた友葉が、ふっと笑った。それは自分の意志で笑ったというより、自然とこぼれたような笑みだった。
「スタッフさん皆を含めたものはまた企画するから、今は厚意に甘えて俺らだけで思いっきり祝うか!」
各所から歓声が上がる。明美などは既に台所に皿を取りに行っていた。
いつになく皆がテキパキと動き回り、あっという間にパーティーの準備が整った。
「皆、本当にお疲れ様! そして友葉! 誕生日、そして成人おめでとう!」
「おめでとう!」
各自がグラスを空高く掲げる。
「皆。本当に有難う!」
お誕生日席の友葉もグラスを掲げ、六つのグラスが軽快な音を鳴らした。
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