第三章

 友葉を送り届けた後、事務所のガレージに車を止め、駆け足で事務所に向かう。

 リビングに入ると皆が声を掛けてくれるが、その表情は固い。健介が一人で帰ってきた時点で察しているようだ。

 健介は手洗いうがいを済ませると、皆が座っているリビングの机に座った。

「皆、よく聞いてくれ。友葉の診断結果についてだ。これはドッキリじゃない」

 四つの緊張した顔がこちらを見つめている。

 ドッキリに関して、『ヨナス』には一つのルールがある。本当の緊急事態の時は、相手の事を本名で呼ぶという事だ。このルールが適用されたのはこれが初めてで、このルールは破ってはならない事は、メンバー全員の共通認識だった。

 健介は深呼吸をして口を開いた。

「単刀直入に言う。友葉は、脊髄小脳変性症。SCDと言われる病気だ」

「SCD?」

「ああ」

 健介は、SCDが神経障害である事。身体の筋肉が動かせなくなり、寝たきりになる患者が多い事。今すぐに命に関わる訳ではないが、有効な治療法がない事などを、皆の顔が青ざめていくのを見ながら簡潔に伝えた。

 室内は静寂に包まれた。

「……つまり」

 数分の後、一真が最初に口を開いた。

「特効薬でも開発されねえ限り、友葉は徐々に弱っていくしかねえって事か?」

「おそらく」

 健介は頷いた。

 それから少し沈黙の後、今度は明美が口を開いた。

「……どれくらいで寝たきりになるんだ?」

「そこまでは今回はまだ話してない。こっちを気遣ってくれたんだと思う」

「リハビリの予定は?」

 友梨奈が聞いてくる。

「それも友葉がある程度心の整理がついてからだな」

「そっか……」

 友梨奈とのやり取りを最後に、室内に再び静寂が訪れた。

「悠馬、大丈夫か?」

 健介は、先程から一言も発していないメンバーに声を掛けた。

「俺……」悠馬がぽつりと呟く。「皆が怖いっす」

「はっ?」

 予想外の言葉に、間抜けな声が出る。

「怖い?」健介は聞き返した。「俺らが?」

「はい」悠馬が頷く。「何で、皆はそんなにあっさり受け入れてるんすか? 友葉が不治の病にかかったんすよ?」

「まだ受け入れられてる訳じゃねえよ」一真が冷静な声で言う。

「でも、だったら何で、そんな落ち着いてられるんすか⁉」

「悠馬、落ち着け!」

 顔を赤くする悠馬の肩を掴む。冷静なように見えて、一真の目付きもいつもより鋭い。今ここで悠馬を宥められなければ、混沌カオスに陥るだろう。

「ここで俺らが喧嘩してどうする! 俺らが仲違いしたら、友葉には相当な負担になるぞ。難しいのは分かってるけど、冷静になれ」

 友葉の名を出すと、悠馬は大人しくなった。深呼吸を繰り返す。その顔の赤みは薄れていった。

「……すんませんでした。取り乱して怒鳴っちゃって」

「気にするな」

 一真が小さく頷いた。

「なあ、悠馬」

 明美の呼びかけに、悠馬が顔を上げる。

「俺達だって、友葉がそんな病気だって事、受け入れる事は出来てないぜ。今にも何かをぶち壊しちまいそうなくらいにはな」明美が静かに笑う。「けどさ、今こうしているうちにも一番辛いのは友葉なんだ。俺らがあいつにしてあげられる事は、あいつの隣に立って少しでも精神的なストレスを減らしてやる事くらいしかない。そのためには、まず俺らが現実をしっかり受け止めなきゃならないんだ。冷静になって、今自分達が何をすべきなのか考えないと。だろ?」

「……そうっすよね」

「まずは私達がしっかりしないとだよね」

 明美の言葉に悠馬と友梨奈が頷く。

 強いな。健介はそう思った。この数分間で自分すべき事を整理した一真と明美も、その話を聞いて自分の中で道を定めた悠馬も友梨奈も。

「明美の言う通りだ」

 メンバーの事を尊敬し、誇りに感じつつ健介は言った。

「俺達は今何をすべきか。友葉がSCDであるという事実は消えない。だから俺達は一刻も早く現状を正確に把握して、あいつが安心して身を委ねられる空間を作ろう」

 四人が力強く頷く。

 健介は幼馴染の名を呼んだ。

「明美」

「何?」

「これはすげえ辛い役割だと思うけど――」

「友葉の家に行け、でしょ?」

「……流石だな」健介は苦笑を漏らした。「正解だ」

「けんちゃんが言わなきゃ自分から名乗り出ようと思ってたぜ」

「今は大勢で押し掛けるべきじゃねえ」一真が言った。「確かに、明美が一番適してるな」

「ごめんね、頼っちゃって」

「お願いするっす」

 友梨奈が両手を合わせ、悠馬が頭を下げる。

「任せろ」明美は笑って自分の胸を叩いた。「明日には元気な友葉を連れてきてやるからさ」

「頼むぞ。無理はするなよ」

「ああ」

 健介と明美は拳を交わした。


 さて、どうしたものか。

 皆の前では大口を叩いたが、あんなのは自分を奮い立たせるためのはったりだ。実際には友葉に何をしてやればいいのか、明美自身も殆ど思い付かない。

 それでも、と明美は思う。

 仲間達が明美に託してくれたという事は、自分には何か出来る事がある筈だ。まずは明美自身の心のゆとりがなければ、誰かを励ましたり寄り添ったりする事など出来やしない。

 友葉の住むマンションの駐車場に停車する。外に出て深呼吸をすれば、冬に差し掛かろうとする夕方の冷たい空気が肺に流れ込んできて、頭がすっきりした。

「よしっ」

 気合を入れ直すと、明美はマンションの入り口に向かった。


 友葉の部屋の前でインターホンを鳴らす。

「……みゆきちゃん?」

 友葉の擦れた声が聞こえた。

「よっ」明美は手を挙げた。「さっき事務所出たからさ。ちょっと寄り道だ」

 ちょっと待って、と言ってインターホンが切られる。その後すぐに玄関の鍵が外される音がして、扉が開かれる。

「散らかってるけど」

「そう言っていつも綺麗じゃんか。お邪魔しまーす」

 友葉が用意してくれたスリッパを履いて室内に入る。確かにいつもより整理はされていないが、明美の部屋に比べれば格段に綺麗である。

「飲み物貰うねー」

「どうぞ」

 友葉の返事を聞きながらジュースを取り出す。週に一回は遊びに来ているため、最早我が家のような感覚だ。

「はいよ」

「ありがと」

 友葉の前にもジュースを置き、ソファーに座る彼女の隣に腰を下ろす。

「そういえばさ、あれ見た? 昨日テレビでやってた――」

 それから暫くは雑談に講じたが、やはりいつものようなテンポではいかない。ふと沈黙が落ちた時、明美は覚悟を決めて切り出した。

「健介から聞いたよ」

「そう……だよね」

 友葉の顔が強張る。

 どう続けるべきか迷って、明美は一番伝えたい言葉を口にした。

「友葉は独りじゃないから」

 友葉と視線が交差する。

「俺らには友葉を治療する事は出来ないけど、側に居る事は出来るから。お前がどんな病気になろうとどんな状態になろうと、俺らはずっと仲間だ。お前が望むなら、俺らはいつでも近くに居るからな。そこだけは安心して」

 明美は友葉の肩を掴み、繰り返した。

「絶対に独りにはしない」

 見開かれた友葉の眼から、雫が流れ落ちた。

 その背中に手を回せば、友葉が胸に顔を埋めてくる。

「明美ちゃん……怖いよ、私っ……」

 友葉が静かに流す。

 明美は友葉が泣き止むまで、ずっとその背を撫で続けていた。


「ごめんなさい。服ぐしょぐしょに濡らしちゃって」

「気にすんな」

 少し顔を赤くして謝る友葉の頭に手を置く。

「……ねえ」友葉が言った。「前々から言おうと思ってたんだけど」

「どうした?」

 友葉が頬を膨らませた。

「みゆきちゃん、私の事子供扱いしすぎじゃない? 私もうちょっとで成人だよ?」

「いいじゃんか。友葉は妹なんだから。姉が妹を可愛がるのに年齢は関係ねえよ」

「ずるいなあ」

 友葉が笑う。勿論、明美と友葉は血縁関係にはない。ただのユーチューブ上の設定だ。

「これが成人してるかしてないか、だよ」

「違うでしょ」

 先程よりも会話のテンポが良い。少しは友葉の心を軽くしてあげられただろうか。

 それからも他愛のない話をしているうちに、時刻は午後七時となった。

「よっこらしょ」明美は腰を上げた。「時間も時間だし、俺はそろそろお暇しようかな」

「あっ……そうだね」

 急に友葉の歯切れが悪くなる。

「どうかしたか?」

 振り返れば、友葉が視線を斜め下に向けている。やがて彼女は勢いよく顔を上げていった。

「今日、泊まって欲しいなって思って」

「何だ、そんな事か」明美は肩の力を抜いた。「お安い御用さ」

 直後、明美は首を傾げた。お泊まりくらいなら別段珍しい事ではない。何故友葉はあんなに躊躇っていたのだろうか。

 その疑問は、即座に本人によって解消された。

「うん。それで……」友葉の声が小さくなる。「一緒に、寝て欲しいな……なんて」

 明美は思わず頬が緩んでしまうのを感じた。こんなに可愛いの頼みを断れる人間などいる筈がない。

「全然良いぜ。なんなら俺がゆいの事、抱き枕にしてやろうか?」

「変態おやじみたいな事言わないで」

「へいへい」明美は手をひらひらさせた。「んじゃ、取り敢えず出前でも頼むか。腹減った」

「そうだね」

 それから二人は、夕食を食べ、ゲームをしたりして時を過ごした。

 壁に掛かっている時計が音楽を奏でる。他のメンバーでもそうだが、友葉と居る時間はあっという間に過ぎ去る。この音楽は、日付を越えた合図だ。

「ゆいはそろそろ寝る時間だろ? もう布団入るか」

「うん」

 友葉と布団を並べて横になる。

「腕枕してやろうか?」

 明美は友葉をからかってみた。

「だからみゆきちゃんは変態おやじなの?」

「いやいや、腕枕は彼氏だろ」

「確かに男装したみゆきちゃんとのデート企画は伸び良かったけどね」

「な。俺見た目以外は普段の俺だったんだけど」

「まあみゆきちゃん、中身までもボーイッシュだもんね」

「貶してる?」

「いや、褒めてる」

「まあ何でも良いけど」

 少しの沈黙。

「明美ちゃん」

 友葉と目が合う。その目には、これまでと打って変わって真剣な光が宿っていた。

「ん?」

「今日はありがとね。明美ちゃんの言葉、凄い元気貰った。それに編集とかも大変なのに一緒に居てくれて、本当に嬉しい」

「そう言ってもらえて俺も嬉しいぜ。編集とかは気にすんな。仕事に追われて人間関係を疎かにするなんて、言語道断だからな」

「うん。有難う」

「ああ」

 明美は目で頷いた。

「私、頑張るから」友葉の口調は力強かった。「絶対病気になんて負けない。リハビリとかもちゃんとして、打ち勝ってやるから」

「頼もしいな」明美は言った。「でも、無理はするなよ。弱音を吐ける場所くらいにはなれっから」

「うん。頼りにさせてもらうね」

 そう言って友葉は微笑んだ。

「んじゃ、寝るか。お休み」

「お休み」

 明美は目を閉じた。程なくして、隣から寝息が聞こえてくる。余程疲れていたのだろう。その寝顔も寝息も穏やかな事に安堵する。

 明美は友葉の額に掛かっている髪をそっと横に流した。すると、友葉の明美より小さな手が明美の手を握った。

 自然と笑みがこぼれる。友葉の呼吸に乱れはない。熟睡しているようだ。

 その手をそのまま布団に下ろし、明美も目を閉じた。

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