第二十一章

「おい、お前ら!」

 最後のゾンビを倒した一真は、健介と明美の元へ駆け寄った。明美は地面に倒れ、健介は涙を流しながら赤紫の空を見上げている。

 一真はまずは明美の状態を確認しようとその顔を覗き込んだが、前方から足音が聞こえたため、顔を上げた。

 白い仮面を被った人間が、こちらに向かって歩いてくる。

「何の用だ?」

「警戒なさるのも無理ありませんが、私は皆様に危害を加えるつもりはありません」白仮面が立ち止まる。「ただ、武田夫妻を殺した報酬として、最後のバッジをお渡しに参ったまでです」

「何……?」

 どういう事だ。今、目の前の人物は何と言った。

 一真は白仮面を見て、その視線の先にある『ゾンビ』の顔を見た。その瞬間、その顔が、記憶の中の一つと一致した。

「そういう事か……」

 妻の事情は分からないが、それならば、今の健介と明美の状態も理解出来る。

 同時に湧き上がってくる怒りをどうにかして抑え込みながら、一真は封筒を白仮面から受け取った。

「これで全てのバッジが揃いました。よって、ヒントと鍵をお渡しします」

 白仮面により、一枚の紙が手渡される。その右下には鍵がテープにより固定されていた。

「これ以降、皆様がヒントを解いている間にゾンビが襲ってくる事はありません。じっくりと時間をかけてお考え下さい」

 それでは、と言い残して、白仮面は去っていった。

「一真……」

 弱弱しい声で、健介が話しかけてくる。

「聞きてえ事は山ほどあるが、まずは移動する。明美もこんなところで寝かせる訳にはいかねえからな」

「……ああ、そうだな」

 健介がゆっくりと立ち上がる。憔悴しきっているのは誰の目にも明らかだが、思考は正常に機能しているようだ。

「おい、お前ら」

 地面に膝をついている悠馬と友梨奈に呼び掛ける。こちらは疲労困憊なだけで、意識はしっかりしているし、そんな状態でもしっかりと周囲を警戒していた。

「うす」悠馬が返事をする。

 その表情を見るに、どうやら先程の白仮面との会話は聞こえていないようだ。一真は『ゾンビ』の顔を二人から隠すようにしながら指示を出した。

「こっちは俺らで警戒しておく。合図をするまでは引き続きそっちを警戒していろ」

 ゾンビが来ないかもしれないという事は、敢えて伏せておいた。

 一真は『ゾンビ』の首と膝裏に手を差し込んだ。

「取りあえず、ここに放置は出来ねえから家の中までは……っ⁉」

 持ち上げようとした途端、両腕に激痛が走った。

 声は出なかったため悠馬と友梨奈に気付かれなかったのは幸いしたが、正確には出なかったというより出せないほどの痛みだったと言った方が正しい。

「結構出血してるな」

 健介に指を差されて見てみれば、友梨奈に巻いてもらった包帯が赤く染まっていた。

「俺が寝かせてくるから、一真は見張りをしていてくれ。明美を宜しく」

「……ああ、頼む」

 これまで健介に合理的な判断を求めてきた一真としては、今は健介の意見には逆らえなかった。

「ちっ……」

 痛みの残る腕が恨めしい。

 不意に袖が弱弱しく引っ張られる。

「一真、顔怖え……」

 明美がこちらを見ていた。血の気の薄さも相まって、その表情はとても儚い。

「気が付いたか」

「気を失ったのは一瞬だけだ……お前が誰かと話してるのも聞こえてた」

「そうか」

「あれ、本当なんだ」

 一真は明美を見た。

「早紀さん。武田さんの奥さんも、俺達二人が殺した」

 その小さい声は、何故か一真の耳にはとても明瞭に聞こえる。

「今でも正しい選択だったのか。そもそもそんなものがあったのかさえ分からない。けど、悩んで中途半端な結果で終わる事は絶対にしちゃいけないと思う。だから」明美の強い眼差しが一真を射抜く。「今は前しか見てない。俺も、健介も」

「……そうか」

 一真は先程と同じ返事を繰り返した。

 健介が戻ってくる。その手には、黄色い仮面が握られていた。

 こちらを視界に捉えるや否や、健介の歩くスピードが上がった。

 黄色い仮面について尋ねようとして、一真は健介の表情をみて思い止まった。健介は一真の隣を通り過ぎると、明美の肩を勢いよく、でも、優しく掴む。

「どうしてあんな危険な事をした」

 一真は他のゾンビの相手をしていたため見ていないが、その健介の表情から、明美が相当危ない橋を渡ったのだという事は伝わってくる。

「あれだけの相手に犠牲なしで勝とうとするなら、あれくらいのリスクは――」

「あれくらい、なんて言葉じゃ済まないから言っているんだっ」

 健介が明美の言葉を遮った。決して大声ではなかったが、人を黙らせるには充分な迫力があった。

「お前は一歩間違えれば喉や心臓を抉られていた! お前が彼と一緒に倒れた時は、例えじゃなく心臓が止まった。明美が死んでしまうんじゃないかって、心の底から恐ろしくなった。お願いだから、もっと、もっと自分の命を大切にしてくれ……!」

 健介の口調は、いつの間にか非難から懇願に変わっていた。

 明美が目を閉じる。

 数秒の後、彼女は口を開いた。

「健介の言う事は理解出来るし、本当に申し訳なかったと思う。でも」明美が目を開く。「俺はまた同じ場面になったら、躊躇わずに同じ選択をするよ」

 健介が目を見開く。

「健介を助けるのは健介のためじゃない。俺の我儘なんだ。健介には死んでほしくないし、健介を見殺しにするような自分でいたくもない。馬鹿だと思われるかもしれないけど、これだけは譲れない」

 健介と明美の睨み合いが続く。

 先に折れたのは健介だった。溜息交じりに呟く。

「……やっぱり明美の説得は無理か」

「俺は我儘だからね」

「ああ。小さい頃からずっとな」

 健介と明美が笑い合う。

 結局は、二人とも似た者同士なのだ。

「おい」一真は幼馴染コンビに声を掛けた。「話が済んだなら取りあえず治療するぞ」

 二人が打って変わって真剣な表情になる。

「明美、立てるか?」

 まず最初に立ち上がった健介が、明美に手を差し出す。

「サンキュ。ちょい肩借りても良いか?」

「勿論」

 前屈みになった健介の肩に明美の腕が回される。

 一真は見張りの二人に声を掛けた。

「悠馬、友梨奈」

「何?」

「準備が出来た。そこに家に入る」一真は健介が入った家とは逆の家を指差した。

 周囲を気にしつつも、二人が近付いてくる。

「明美ちゃん、大丈夫?」

 友梨奈が明美の顔を覗き込むようにして尋ねる。明美は首を振った。

「大丈夫。それより俺の方こそごめんな。急に木刀押し付けたりして」

「全然大丈夫だよ。健介君を助けるためだって事はすぐに分かったし、一真君達がフォローしてくれたから」

「そっか。ありがとな。一真、悠馬」

「全然良いっすよ」

「てめえに比べりゃ大分リスクは低かったしな」

 一真の言葉に明美が不満げに唇を尖らせる。一真は視線を前に戻した。

 間もなく五人は揃って家に入った。




「随分と楽しそうだな」

「まあね」

 男の皮肉めいた言葉に、自分の目の前にあるパネルを操作する黒仮面は鼻唄をやめて答える。

「なあ、もうこんな事はやめねえか?」

 黒仮面が視線を男に向ける。

「あいつらはバッジを全て回収した。いずれ正解にも辿り着くだろう。この『実験』は、お前の負けだよ。素直に認め――」

 男の話の途中で、黒仮面は肩を震わせて笑い出していた。

「なにがおかしい?」

「いや、ごめんごめん」

 目を吊り上げた男に、黒仮面が笑いながら謝罪の言葉を口にした。

「お前があまりにも面白い冗談を言うもんだから」

「冗談だと?」

「ああ、そうだよ」黒仮面は両手を広げた。「俺の負け? 何を言っているんだ。さっきも言っただろ? メインディッシュがまだだって」

「まさかお前……あいつらを本気で殺す気か?」

「さあ? お前は特等席で何が起こるのかを鑑賞していると良い。自分達が作り上げたものがもたらす結果をな」

 黒仮面は扉に手を掛ける。

「おい、待てよ!」

「じゃあな」

 一度手を振り、黒仮面は扉を閉め、部屋から出て行った。

「待て! おい!」

 部屋には、男の叫び声のみが響いた。

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