第五章

 運転は全員が交代でする事にした。この先に何が起こるか分からないため、出来るだけ体力は残しておく必要がある。今は明美が運転している。

 どうしてこんな事になってしまったのか。おにぎりを無理矢理飲み込みながら、健介は思考に耽った。


 健介達が『ヨナス』を結成したのは三年半前。初期メンバーは友葉を除いた五人で、同い年である健介と一真、友梨奈は当時二十歳、明美は一九歳で、最年少の悠馬は十八歳だった。健介と一真、明美の三人で発案をして、明美の友人で当時別のツールで配信活動をしていた友梨奈と、健介と一真の高校の後輩だった悠馬をを加え、『FiveOREVERフォーエバー』として活動を開始した。

 活動は順調で、動画投稿を始めて一年で登録者数百万人を突破した。様々なゲームや企画、ドッキリ、検証などの動画はどれも好評だった。また、健介と一真は元々経営を学んでおり、立ち上げたブランドやグッズの売り上げも順調だったし、音楽に詳しい明美の監修による音楽活動、映像に詳しい友梨奈の監修による独自のショートムービーも評判が良かった。

 百万人を突破する頃にはコネクションも広がり、現マネージャーの高木義和ともその頃に出会っている。

 彼の加入は大きかった。誰からも信頼される人物であり、顔が広い義和の存在は活動の幅を広げたし、信頼しているのは健介達も同じだ。正直に言えば、初対面の時は怪しげな印象を持った健介だったが、コンタクトを交わす度にそんな印象は薄れていった。

 そして二年前、友葉が加入した。

 友葉は、健介の親戚の一人娘だった。幼い頃に両親を亡くした友葉は、引き取り手が見つからずに施設に入った。その時、友葉を引き取るように両親を説得出来なかった事を悔やんでいた健介は、施設の友葉に何度も会いに行った。友葉は、裏表のない優しい女の子だった。時には一真や明美、ユーチューブを始めてからは悠馬や友梨奈も連れて行き、友葉は四人ともすぐに仲良くなった。

 十八歳になって友葉が施設を出た時、健介は迷わずに身元保証人になった。また、彼女が進路について相談をしてきた時、健介は真っ先に『FiveOREVER』に誘う事を考えた。ショップや歌によりある程度の継続的な収入は見込めたため、友葉を路頭に迷わせる事はない。なにより、今度こそ友葉に何かをしてやりたかった。

 健介の案には、メンバーもこぞって賛成してくれた。

「向こう五年は絶対に炎上出来ないな」

 そう明美が言い、健介も含めた四人はそれに笑って同意した。

 自身も複雑な家庭で育ったという義和の口添えもあり、関係者の多くもこぞって賛同してくれた。

 友葉にその話を持ち掛けると、是非やりたい、という事だったため、友葉の正式加入が決定した。そのタイミングでグループ名も変更し、皆の本名の頭文字を並べてはどうかという友梨奈の案を採用し、『YONATH』、通称『ヨナス』が誕生した。

 友葉の加入の際はアンチが増える事も覚悟していたが、視聴者はすぐに友葉を受け入れてくれた。明美と友梨奈とはタイプの違う、可愛いタイプの美人だったのが良かったのかもしれない。

 メンバーが六人になっても勢いは衰えなかった。言葉は荒いがその整った顔立ちと不器用な優しさから特に女性からの人気が高く、様々な技能を持つ一真。格好良さと可愛らしさ、それにノリの良さも相まって男女から人気が高く、クリエイティブな才能もある明美。純粋な性格で笑いの才能があり、誰からも愛されるムードメーカーの悠馬。おしとやかな見た目と性格に反する天然な一面のギャップから、特に同性のファンが多く、映像編集や配信全般などに高い技術を持つ友梨奈。可愛らしい見た目とそれに反して毒舌家の一面も持ち、特に男子からの支持が絶大で、グループのために必要な事を意欲的に学んで吸収し、還元してくれる友葉。

 この五人の、そして義和なども含めたチームのリーダーでいられる事が幸せだったし、この六人ならどんな事でも成し遂げられると、心の底から信じていた。

 それは、友葉の病気が発覚してからも変わらなかった。誰がどんな状態であろうと、全員で力を合わせれば、このチームに不可能はないと健介は本気で思っていたのだ。

 それなのに――。

「そんなに噛んだら血が出るぜ」

 前方から声が聞こえ、意識が浮上する。信号待ちをする車で、バックミラー越しに明美と目が合う。他のメンバーは寝ているか、少なくとも目は閉じているようだ。

「運転、ぼちぼち代わるタイミングじゃないか?」

「うん」頷きながら、明美は車を発車させる。「もう少し先のコンビニに止めるから、けんちゃんもそれまでは目瞑っときな」

「分かった」

 眠れる気配はなかったが、今後の事を思って健介は目を閉じた。友葉と義和は必ず自分達の手で助けると誓って。


 自分も人の事言えないか。ミラー越しに健介が目を瞑るのを確認して、明美は自分の唇の右端を舐めた。僅かに鉄の味がする。支度のために自分の家まで帰った際に、怒りを抑えた代償だ。

 友葉と義和は無事だろうか。

 明美にとって、友葉は本当の妹のような存在だ。

 初めて会った時、可愛らしさを詰め合わせたような子だと思った。笑顔は明るいし、よく声に出して笑う子だった。しかし、何度目かの面会を経て疑問が沸いた。この子は自分の弱さを出せるような相手がいるのだろうか、と。

 注意深く観察していると、ふとした瞬間に友葉の顔に陰りが生じている事に気が付いた。その事に気付いた時、明美は、この子が本当の自分を曝け出せる存在になってやろうと心に誓った。

 時間は掛かったが、ある日の夕方、友葉は明美の前でとうとう本音を漏らしてくれた。両親がいない寂しさ、将来への不安。静かに涙を流す友葉の背中を、明美は黙って撫で続けた。

 それから、友葉は徐々に本来の自分を見せてくれるようになった。その可愛らしい見た目とは裏腹に毒舌でノリの良い友葉を、明美はますます好きになった。何よりも好感が持てたのは、変に自分を着飾る事なく、ありのままの自分でいようとする姿勢だった。

「健介君と明美ちゃんは本当のお兄ちゃんとお姉ちゃんみたい」

 そう笑顔で言われた時は、健介と一緒に思わずその頭を撫で回したものだ。だから、友葉をユーチューブに誘う事には真っ先に賛成したし、絶対に幸せに出来る自信があった。

 実際に『ヨナス』は上手くいっていたし、友葉個人との関係においても、万が一のために合鍵を預けてくれるほど信頼関係を築いていた。そしてそれは、友葉がSCDになっても変わらなかった。

 良い関係を築けていたのは義和も同じだ。彼は、若者中心のグループである『ヨナス』に安定感を与えてくれた。最初こそ胡散臭いというイメージを持ったが、今は最も信頼している人間の一人だ。

 ――一体誰が、何の目的でこんな事をしたのだろうか。

 再燃しそうになる怒りを首を振って追い払うと、明美はハンドルを強く握り直した。


「皆、栄養補給は終わったか?」

 健介が助手席から声を掛けると、横から悠馬、後ろから明美、一真、友梨奈の返事が返ってくる。皆、やるべき事は終わらせたようだ。

「その施設ってのが見えていないのにもう不気味っすね……」悠馬が腕をさする。

 車は、暗い森林の中を走っていた。上空に何か覆い被さっているのではないか、と錯覚するくらいだ。周囲は荒廃しており、人の手は長い間入っていない事を窺わせるが、車道だけは比較的まともな状態だった。そのアンバランスさがまた不気味さを感じさせる。

 一真が声を上げる。

「おい、何か見えるぞ」

 その指差す方向を眺めていると、暫くして健介の目にも、白い何かが飛び込んできた。

「メールに添付されていた外観の白い壁か?」

「だな」

 健介は頷いた。前方の車道も白い壁に向かって伸びている。そこが今回の目的地で間違いないだろう。

 道を進むと視界を遮る木が少なくなり、壁の全貌があらわになる。写真と同じく、その壁は内側に向けて緩くカーブを描いていた。恐らくはドーム型の施設なのだろう。

「怪しげな研究にはおあつらえ向きだな」明美が言う。

 そうね、と友梨奈が答える。その声は少し震えていた。明美が僅かに友梨奈に身体を寄せたのが、ミラー越しに見えた。

「人が二人、いや、三人立ってるっすね」

 片手にハンドルを握った悠馬が指差す方を見れば、壁の中に入るための門と思われるものの前に、三つの小さな影が見えた。

「仮面みたいなものを被ってやがる」一真が顔を顰める。「まあ、素顔を晒す訳もねえか」

 そう言って一真が舌打ちをする頃には、健介の目もお面を捉えていた。それから程なくして悠馬がハンドルを切り、門の手前に車を横向きに停車させる。

 遂に到着した。首謀者の言う『施設』に。

「『ヨナス』の皆様ですね。ようこそおいで下さいました」

 健介達が車を降りて外観を観察していると、仮面三人組の内の一番背の高い、赤色の仮面を被った人物が声を掛けてくる。機械を通しているような声だが、その声の低さやや体格から、恐らく赤仮面は男だろう。身長は百八十センチはあろうかという長身だ。もしかしたら義和よりも高いかもしれない。

 その左右にはそれぞれ青と黄色の仮面を被った者達が控えている。こちらは体格だけで性別を判別するのは難しい。

「既に『ボス』から伺っていると思いますが、荷物はここで全てお預かりさせてもらいます。お車のキーもここでお渡し下さい」

 赤仮面が悠馬に向けて手を差し出す。悠馬は瞬間躊躇う素振りを見せたが、すぐに友葉の事を考えたのだろうか、素直に従った。赤仮面は自分の右隣にいた青仮面に鍵を渡す。青仮面は一礼すると車に乗り込み、施設に入っていった。

「それでは今から身体検査をさせていただきます」男が言った。「徹底的に調べろとの通達なので、ご了承下さい。尚、そちらの女性二名には、こちらの者が対応させていただきます」

 赤仮面が黄仮面を示す。黄仮面は、失礼致します、と頭を下げた。その声と身体全体の曲線具合などから女性で間違いなさそうだった。どうやら首謀者――『ボス』と呼ばれているらしいが――は、人を辱める趣味はないようだ。

 全員の検査が終わると、二人は揃って頭を下げた。

「ご協力有難うございました。検査はこれにて以上になります。荷物は全て、皆様がお帰りになる際にはお返ししますので」

 二人はもう一度頭を下げた。顔を上げると、赤仮面が黄仮面に目配せをする。

 黄仮面は右手で施設内を示すと、歩き出した。「どうぞ、こちらへ」

「うわっ……」友梨奈が明美に肩を寄せる。「気味悪い……」

 ドーム型の施設の空は、全て来い赤色や紫色で構成されていた。その中には黒色の雲などもあり、それらがゆっくり動いているのが妙にリアルだった。まるでアニメや漫画に登場する異界のような不気味さだ。気温は半袖でも寒くないように設定されているようだが、健介は腕に鳥肌が立つのを抑えられなかった。

 黄仮面に案内されたのは歩いて十分ほどのところにある五階建てホテルの最上階の一室だった。隣には、時計台が設置されている。何故かその壁には竜の彫刻が彫られているが、センスが良いとは言い難い。

「こちらが当施設の構内マップとなります」

 一人一枚、地図が配られる。それによると、健介達が入ってきた門は北門であり、ホテルは北東の部分に位置している。その入り口は南を向いていた。

「一時間後に説明を行い、『実験』開始です。その間はこのホテル内であれば自由にしていただいて構いません。備品も全て好きに使っていただいて結構です。それでは」

 黄仮面はお辞儀をして部屋を出て行こうとしたが、部屋から出たところで足を止めると、振り返った。

「何か?」明美が尋ねた。

「『ボス』には余計な事は言うなと言われています。しかし、これだけはお伝えしておきます」今までとは違い、その口調には感情が、人間らしさが表れていた。「どうか、死なないで。生きてここを出て下さい」

 そう言ってお辞儀をすると、黄仮面は今度こそ部屋を出て行った。

 室内に沈黙が落ちる。

「……そこは期待を裏切ってほしかったところだけど、現実は甘くないか」

「こんな陰気くせえ場所だ。命の保証なんてあった方がおかしいだろう」

「『ボス』ってのは多分サイコパスだしな」

 真っ先に口を開いたのは明美で、それに一真と健介が同意する。悠馬と友梨奈は発言こそしなかったが、現実は現実として受け入れていた。命の危険性がある事については、既にメンバー内で話していたのだ。一真の言う通り、この状況下で命の危険性がない訳がないからだ。それを覚悟した上で、五人はここに来ている。

 それでも、やはり自分たちで予測するのと他人から言われるのでは重みが違う。現に、取り乱してはいないだけで、悠馬と友梨奈の顔色は真っ青だ。

 健介は自分たちが今すべき事を頭の中で整理した。この一時間が今後の自分達の命運を分ける事になるだろう。

「皆、聞いてくれ」健介は他の四人の顔を見回した。「ここから先は企画じゃない。本当の意味で命を懸けた救出作戦だ。これからの時間の使い方は、冗談抜きで命に関わる。そこで、現状最優先で行うべき事は地図の大体の把握とこのホテルの探索だと思うが、異論はないか?」

「ああ」真っ先に一真が頷く。「地図の把握は最優先だろうし、あの黄仮面の野郎の言葉からも、このホテルの備品とやらが今後必要になってくるのは、ほぼ間違いねえだろう」

 一真の意見に他の三人も頷くのを見て、健介は続けた。

「よしっ。じゃあこれから二分で地図を覚え、その後は二手に分かれて探索を行う。まず全員でこの部屋を見てから、俺とみゆきが下から。しんや、ゆうた、まりなの三人は上から探してくれ。いいか?」

 四人が頷くのを見てから続ける。「オーケー。じゃあ、覚えてくれ」

 地図は至ってシンプルだった。施設は円形であり、北と南西に門があり、北東の位置にホテルと時計塔、東に図書館、南東に警察署、南に市役所、西に病院、北西にショッピングセンターがある。それらの間には何も記されていないが、ホテルまでの道のりを考えれば、民家がぽつりぽつりと立ち並んでいる程度だろう。

「そこまで」部屋の時計を見て手を叩いた。「これより探索に移る。使えそうな物があったらこの部屋に持って来る事にしよう。では、探索開始!」

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