第八章

 扉の鍵は壊れていたため近くにあった椅子などをドアの前に敷き詰めて防壁とすると、五人は一斉に溜息を吐いた。

「ごめん、ちょっとだけ水飲ませてもらって良い?」

「悪いけど俺も」

 手を差し出せば、悠馬と友梨奈は快くからペットボトルを差し出してくれる。

「全然良いっすよ!」

「寧ろ全部飲んじゃっても良いくらいよ。けんせい君もみゆきちゃんもお疲れ様」

 二人が飲み終わったタイミングで、一真が、取りあえず、と切り出す。

「これまでで分かった情報をまとめるぞ。まず物資についてだが、飲食料に関しては、くそ野郎がこれからそう何本も恵んでくれるとは思えねえ」

「えっ、そうっすか?」悠馬が首を傾げる。「もう既に民家だけで二本入手しているんだから、大きな建物にはいっぱいありそうっすけど」

「多分、向こう側としてはそう思わせたいんだろう」健介は口を挟んだ。「向こうはこっちに隙が出来るようにしている。さっきのゾンビが出てくるタイミングも、こっちの集中力が途切れた瞬間だった。みゆきがいなければ、俺は確実に一撃貰っていた。ありがとな、みゆき」

 改めてお礼を言えば、明美は笑って首を振った。「全然。お互い様ってやつさ」

「無駄に決め顔なのやめろ」

 親指を立てる明美の頭をごついてから、健介は話題を戻した。

「物資については少なく見積もって、多かったら儲けもんってくらいに思っておこう」

「うす」悠馬が頷いた。

「じゃあ次だな。あの気持ち悪い個体については必ずメモしておくべきだろう」

 一真の言葉で友梨奈がメモの体勢に入る。

「まず、弱点はうなじのボタンで間違いないな?」一真が健介と明美を見てくる。

「ああ。ピクリともしなくなったからな」

「まりちゃん、マジ助かった! サンキューです」

「みゆきちゃんもね」

 明美と友梨奈がハイタッチをする。

「身体能力はどうだ? 見ていた限りじゃ鈍くせえように見えたが」

「そうだな。一時的になら逃げる事は可能だと思う」

「主に爪の引っ搔きと嚙みつきで攻撃してくるけど、この二つは他の動作に比べて思いのほか素早いから注意して」明美が捕捉する。

「なるほど」友梨奈がペンを走らせた。

 ペンが止まるのを待って、一真が質問をしてくる。「じゃあ次。言語能力や思考能力はねえと見て良いのか?」

「多分な。同じ攻撃が通じたし、うなじを隠そうともしなかったから」

「まあ、あの二体が捨て駒として使われていなければ、の話だけどな」

「確かに」

 明美の意見も最もだ。ゾンビは生物ではない。それならば生存欲求すらもないため、捨て駒が何体いてもおかしくはない。

「その可能性は捨てきれねえな」一真も眉を顰める。「あと数回はそこも警戒だな。ゆうたとまりなも危険だと判断したら、何でも良いからゾンビを妨害しろ。あのがらくた達でも足止めくらいにはなるかもしれねえからな」

 指示を受けた二人が真剣な顔で頷く。

「取りあえずはこんなところか」健介は皆の顔を見回した。

「俺、皆に一つ報告がある」明美がポケットを探る。「情報の整理をちゃんとしたかったから黙っていたんだけど」

 みゆきが取り出したのは、赤色のバッジだった。

「えっ、お前それって……!」

「そう」明美が頷く。「記念すべき一つ目のバッジだな」

「お前、これどこで⁉」

「さっきゾンビを倒した時に口の中から落ちてきたんだ。多分、ボタンを押したら落ちてくるようになっているんだと思うけど」

「すげえ!」悠馬が興奮気味に声を上げる。

「ゆうた、静かに」

 自身も叫び出したいのを堪えながら後輩に人差し指を立てる。悠馬が慌てた様子で自分の口を押え、友梨奈がクスリと笑みを漏らす。

 ゾンビの弱点とバッジが見つかり、皆の士気が上がっているようだ。この調子で次のバッジも手に入れられたら良いのだが。

 そんな事を考えたが、現実は甘くなかった。

「皆」健介は窓の外を指差した。「団体様のお出ましだ」


 六体のゾンビを倒したが、それらからは物資もバッジも入手出来なかった。現実は甘くない、と突き付けられているようだった。それでも、戦闘要員三人で無傷でその倍の数のゾンビを倒せたのは良い兆候だろう。速度の利を活かして複数体との同時の戦闘を避ける作戦も上手くいったし、初参戦となった一真の動きも流石だった。

 各自栄養補給を済ませると、とうとうホテルを除いて初めての大型の建物、図書館へと足を踏み入れた。

 入ってすぐの壁に青いボタンが設置されていたが、その存在を口にする者は居なかった。

 図書館は内装の劣化が激しく、本棚は少しの刺激でも倒れそうなほどボロボロな見た目をしている。足元には踏み場がないほどではないが、広範囲に本が散乱していた。

「もし万が一ここで戦闘になった際はマジで足元に気を付けないとな」健介は呟いた。

「転んで木刀手放したりしたら、一巻の終わりだな」

「その時は這いつくばってでも逃げろよ」

 本を踏まないように歩く明美に、本を避ける事なく歩く一真が言う。

「そうなってもパンツ見んなよ?」

「気持ち悪い」

「うわっ、デリカシーないね」

 明美と一真のコントのような会話を聞き流しながら周囲を観察する。本棚の陰からいきなり現れる事も、ないとは言い切れないからだ。真剣な顔をしている悠馬と友梨奈も、一見軽口をたたいて緊張感がないように見える明美と一真も、なるべく死角を作らないように移動している。

 一階と二階を探し回った結果は、一言で言えば『無』だった。ゾンビもいない代わりにバッジも物資もない。二回の戦闘で飲食料のストックも少なくなっていたので、何かしら補給をしたかったのだが。

「皆、出る時も気を抜くなよ。どこから襲ってくるか分からないからな」

 健介が注意を促した時、友梨奈が、待って、と声を上げる。

「どうした?」

「あそこ、扉じゃない?」友梨奈が斜め後方を指差す。

「扉? ……あっ、マジだ」

 その指の示す先には、目を凝らすと確かに扉があった。老朽化が進んでおり、ドアノブも外れかけていて色も暗い。この薄暗い環境で見つけるとは、流石の観察眼だ。

「行ってみよう」

 健介と明美を先頭に歩き出す。この時は明美と一真も無言だった。

 慎重に扉を開けるが、中からゾンビが飛び出してくる事はなかった。扉の先には、地下に繋がる階段があった。その先にはぼんやりと机や椅子が見える。自習スペースか何かだろう。

 周囲を見回していると、隣から肩を叩かれる。「なあ、けんちゃん」

「どうした?」

「あの奥の机にあるの、水と食べ物じゃね?」

「えっ、マジ?」

 健介は目を凝らしたが、そうであるかは判別出来なかった。

「うわっ、マジじゃないっすか!」

 後ろから悠馬の興奮した声が聞こえた、と思った直後には、健介の視界の隅を何かが通り過ぎた。

「あっ、馬鹿!」

「単独行動するな!」

 いち早く状況を察した明美と一真の注意も、物資に目を奪われた悠馬には届かなかった。

「先輩! マジで水とカロリーメイトがあるっす!」

 悠馬が自慢げに腕を掲げる。その後ろの暗闇で、赤色が揺らめいた。

 次の瞬間、健介は明美と共に駆け出した。

「悠馬、伏せろ!」

 影から四体のゾンビが現れる。健介と明美は二体ずつ相手にした。

「いっ……!」

 健介は右腕に走った痛みに顔を顰めた。何とか悠馬に到達する前に受け止める事は出来たが、一本では二体の攻撃を同時に受け止める事は出来ず、一本の爪が上腕を掠ったのだ。シャツが薄く裂け、血が流れだすが、そんな事を気にしている余裕はなかった。

「けんちゃん! まだ後ろにいる!」

「お前ら! こっちにも四体だ!」

 明美と一真がほぼ同時に叫ぶ。

 不味いな。健介は唇を噛んだ。前方に八体、後方に四体。机と椅子のせいで速度の利は使えず、一真に向かってきている四体によって地上への逃走も困難だ。

 こうなったら一か八かに賭けるしかない。健介は皆に聞こえるように指示を出した。

「皆、短期決戦だ! 俺とみゆきとゆうたで前方の八体、しんやとまりなで後方の四体をやる! 出し惜しみはするな! 持てる武器をフル活用しろ!」

「ゆうた!」明美の声が響く。「謝罪なら後でいくらでも聞くから、今はお互い元気な姿で謝罪が出来るように最善を尽くせ!」

「……はい!」悠馬は力強く頷いた。

 明美の言葉は、そのまま今の健介の気持ちを代弁していた。一瞬だけ明美に目を向ければ、同じくこちらを見ていた明美がウインクを返してくる。

「よしっ」木刀を強く握り直す。「行くぞ!」

 二体が同時に腕を伸ばして攻撃をしてくる。健介は右にステップを踏んで四本の腕をかわすと、右側のゾンビを木刀で薙ぎ払う。狙い通り、後ろの一体も巻き込まれ、二体が重なるようにして地面に倒れ込んだ。直後、健介に迫っていた筈の最初の一体がバランスを崩した。見れば、その足元に縄跳びが絡みついている。

「リーダー!」悠馬が叫ぶ。「今立っているのは一体だけです!」

「サンキュー!」

 健介は姿勢を屈めてその一体の横を走り抜けると、振り向きざまにそのうなじに木刀を叩き付けた。ボタンを押した確かな手応えを感じるや否や、すぐにステップバックをして距離を取る。この調子で他の個体がバランスを崩しているうちに一体を仕留めれば勝てる。

「まりな! お手玉を床にばら撒け!」

「う、うん!」

 一真の怒鳴り声に負けじと友梨奈も大声で返事をしている。後ろの二人も順調のようだ。

 希望の光が見えてきた時だった。

「わっ⁉」明美が悲鳴を上げた。

 慌てて視線を横に向ければ、明美が身体のバランスを崩して机と壁の間に挟まっていた。両手で身体を起こそうとしているが、そのがら空きになった胴体には既に一対の爪が迫っていた。

「明美!」健介はその名を叫んだ。


「くっ……!」

 悠馬を庇った際に負傷した左腕に痛みが走る。迫り来る爪に対して、死角に転がっていた分厚い本――辞書の類だろうか――に足を取られて机と壁の間に挟まれた明美の身体は、あまりにも無防備だった。

「明美!」

 健介の焦った声が聞こえるが、明美としてはどうする事も出来なかった。

 せめて木刀だけでも誰かが拾える位置に置かないと。そう思い、刀を放り投げようとした時、目前にまで迫っていたゾンビが不意に斜めに倒れた。

「えっ?」

「みゆきちゃん!」

 すぐ近くで声がする。目線を右に向ければ、悠馬がハンマーを持っていた。

「もう一体も来てます! 早く立て直して!」

「了解!」

 木刀の射程の少し外側に一体、その後ろから二体が迫っているが、前方に出来たわずかなスペースを利用して反動で起き上がり、後ろの机を飛び越えて距離を取る。

「みゆき!」

「大丈夫か⁉」

「大丈夫!」一真と健介に返事をしてから、明美は悠馬を振り向いた。「サンキューな、ゆうた!」

「うす!」悠馬の返事は力強かった。

 明美は悠馬から目を離し、前方に意識を集中させた。三体が三角形を形成して近付いてきている。その先頭の個体が先程明美が飛び越えた机に上ろうとした瞬間、右手に持っていた椅子でその顔を横殴りにする。うなじのボタンが露わになり、すかさずそこに木刀を叩き付けた。その個体は電池が切れたように机に横倒しになり、動かなくなる。

 今度は後ろの二体が腕を伸ばしてくるが、後方に飛び退いてそれをかわす。その背後に回るが、机と椅子が絶妙な具合で並んでおり、うなじを攻撃出来ない。一体の爪が目の前に伸びてきたため、木刀で弾く。

「さっさと片付けるぞ」

 不意に、耳元で声がした。

 一真だ、と明美が判断した時には、彼は既に一体に斬りかかっていた。

「こいつは俺がやる」

「サンキュー!」

 相手が一体となれば話は簡単だった。明美は机の周りを素早く回ってゾンビの背後に回り込むと、振り向きざまに伸ばされた腕をかわしてそのうなじに木刀を振り下ろした。

「皆、大丈夫⁉」

 振り向けば、丁度健介も最後の個体を倒しきるところだった。

「ああ!」健介が頷く。

「てめえが一番危なかっただろうが」

 一真が呆れ顔で木刀を突き付けてくる。が、その顔は一瞬で険しいものに変わった。

「ねえ、みゆきちゃ――」

「お前ら、地下は危険だ! 取りあえずここを出て、安全な場所へ向かうぞ」

 友梨奈がこちらを見て悲痛な顔をして何かを言い掛けたが、一真が強い口調でそれを遮った。

「そうだ!」健介も声を上げる。「まずはここから出よう。どこか安全な民家に入るまでは絶対に気を抜くな!」

「っ了解!」

 釈然としない思いを抱きながらも頷く。健介と一真が一瞬友梨奈に厳しい目線を送ったような気がしたが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 陣形を戻し、五人は図書館の出口を目指した。




「やはりリーダー格三人の判断力には目を見張るものがあるね。慣れてきたのもあって、連携も良い」

 黒仮面が満足そうに頷く。

「もうこんな馬鹿げた事はやめろ!」手足を拘束されたままの男が叫ぶ。「みゆきちゃんなんて、死ぬところだったんだぞ!」

「だったらそれまで、という事さ」

「なっ……⁉」

 男は驚愕に目を見開いて黒仮面を見るが。黒仮面の口調は変わらない。

「お前、正気か?」

「それはこっちの台詞だ」黒仮面の言葉には僅かに笑いの成分が含まれている。「少しは信じてやりなよ」

「……お前が言うか」

「黙れっ!」

 男が呟いた瞬間、黒仮面はその横腹を蹴った。それまでとは打って変わって、黒仮面興奮した様子でのたうち回る男に視線を向けていたが、一つ息を吐くと、椅子に座り直した。

「さあ、次はどうしようか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る