第七章
「『実験』開始まで、残り三十秒」
残り五分から一分ごとに始まったカウントダウンも、一分を切ると十秒ごとのカウントに切り替わった。健介は自分の手元にある木刀を見て、その根元を強く握った。
喜ぶべきなのか悲しむべきなのかは分からないが、三階には二つのリュック以外、特別な物はなかった。
部屋に戻って話し合いが行われた結果、木刀を健介、明美、一真の三人が持ち、残りの二人が物資の入った荷物を持つ事になった。明美に木刀を持たせる事には抵抗があったが、これまでの反応から、悠馬と友梨奈に持たせる訳にはいかなかったし、ユーチューブの企画で剣術を習った時も、経験者に一番認められていたのは明美と一真なのだ。
隣を見れば、健介と同じように木刀の柄の部分を強く握る明美と目が合う。明美が口元を僅かに緩ませて頷いてきたので、健介も同じように頷いてみせる。
「残り二十秒」
沈黙の中に無機質な声が響く。リュックを背負った悠馬と友梨奈の肩が揺れる。健介は悠馬の、明美が友梨奈の肩に手を置いた。
「残り十秒」
扉がノックされ、三つの色とりどりの仮面が顔を覗かせる。
「五、四、三、二、一……」
ブザーが鳴る。
赤仮面が扉の外を手で示した。「『実験』の概要を説明します。こちらへ」
三人の仮面の後から階段を下りる。玄関を出たところで仮面達は立ち止まり、こちらを振り向く。
「ここがスタート地点となります」赤仮面が言った。「この後説明が終わり、私が時計台の鐘を鳴らしましたら『実験』開始となります」
赤仮面の言葉に無言で頷く。
「それでは説明をさせていただきます。まず、この『実験』の期限は基本的に無制限です。『実験』の内容は一言で言えば、皆様と『ボス』との勝負です。皆様が条件を満たせば皆様の勝利、満たせなければ『ボス』の勝利となります」
「条件?」健介は聞き返した。「それはなんだ?」
「条件とは、この施設内でミッションを遂行して得られるヒントをもとに、皆様の内の誰かが相川友葉様のいらっしゃる場所まで辿り着く事です」
「なっ⁉」
その場に居た者全員が声を上げたが、健介は手でメンバーの発言を制止した。「皆、落ち着け。今は冷静に会話を進めるのが先決だ」
四人が頷くのを確認して、健介は赤仮面に向き直った。
「本当に、この施設内にゆい……友葉がいるのか?」
「はい。ただし、ヒントを得ずに場所を特定する事は困難ですし、仮に辿り着いても力ずくでは到達出来ない場所となっております」
「なら……義和さんはどこにいるんだ?」
健介が質問をした瞬間、赤仮面は僅かに身じろいだように感じられた。
「……相川様とは別の場所にいらっしゃいます。皆様が勝利をすれば、無事に再会出来るでしょう。次に」
答えるまでの間。返答のスピード。手の動き。どれをとっても今までの赤仮面とは様子が違うように感じられ、義和の安否に不安を覚える。しかし、強引に話を進めようとする赤仮面の態度は、明らかに追及を拒絶していた。
「ヒントとそこへ到達するための鍵は、このバッジを十個手に入れる事で我々がお渡しします」
赤仮面がバッジを掲げる。僅かでも光があれば、色彩から見つける事は困難ではないだろう。
「バッジや物資を得るために皆様には建物内などを探し回っていただきます。それらの隠し場所に捻りはございませんので、落ち着いて探せば見つかるかと思われます。ただし、その際に一つ注意点がございます。『実験』開始後は、この施設内に皆様を妨害する敵、通称ゾンビの存在がございます。ゾンビは、皆様を見つけると襲い掛かってきます。どうかくれぐれもお気をつけて対応なさって下さい。稀に、ゾンビからもバッジや物資が手に入る事がありますので、お見逃しなきよう。物資にも赤い星のマークが入っているため、それを目印に判断なさって下さい」赤仮面は指を二本立てた。「その際に二つ、特殊ルールがございます」
「特殊?」
「はい。一つ目は、栄養補給についてです。初期装備として皆様にはカロリーメイトと水のペットボトル一本を配布いたしますが、追加の入手方法は二つございます。一つは、物資を得る事。そしてもう一つ、相川様の安全と引き換えに、飲食料を得る事が出来ます」
「……それはつまり、俺らが飲食料を得る対価として友葉が傷付けられるって事か?」
「左様でございます」
健介は語気が強くなったのを自覚したが、赤仮面の話し方に変化はない。
「図書館、警察署、市役所、病院、ショッピングセンターにそれぞれ専用の青いボタンがありますので、そちらを押してお求めになる物資を仰っていただければ、一時的にゾンビは動きを停止し、我々がお届けに伺います」
「……特殊ルールの二つ目はなんだ?」
「はい。二つ目はリタイアに関してでございます。当施設には北と南西に門がございますが、そのどちらかも退出いただく事が可能です。ただし、お一人でもリタイアされた場合、『実験』は失敗、『ボス』の勝利とみなされますのでご注意下さい」
「……了解した」
「そして最後に一つ。時計台には『ボス』がいらっしゃいますが、『実験』中はそこにはお上りにならないようにならないようにお願いします。その場合には、相川様と高木様の安全の保障は出来かねますので」
高見の見物か、と思ったが、目の前の人間に皮肉を言っても仕方がない。
「説明は以上になります」仮面達が頭を下げる。「それでは一分後に鐘を鳴らし、『実験』開始となります。どうかお気を付けて」
三人はもう一度頭を下げると、時計台の方へと歩いて行く。健介は素早く仲間に指示を出した。
「さっき言ったように、基本の陣形は荷物持ちの二人を木刀持ちの三人が守る事。予想通り、敵は襲い掛かってくるものだ。最初は相手を見極めるため、攻撃を受けない事を最優先に。情報は何でも良いから逐一共有する事。あと、こちらも予想通りだが、台所事情はかなり厳しそうだ。焦りは禁物だが、なるべくスピーディーにいこう」
「オッケー」
「ああ」
「了解っす!」
「分かったわ」
三者三様ならぬ、四者四様の頼もしい返事が返ってくる。
そこからの時間は、実際には数十秒に満たないだろうが、健介には永遠の時が流れたように感じられた。
沈黙の中、鐘の音が鳴り響いた。
鐘が鳴ってもすぐにゾンビとやらが湧く、という事態にはならなかった。
「取りあえず、ここで待っていても始まらねえ。陣形を崩さない事だけ注意して、バッジや物資を探しに行くべきだろう」一真が言った。「進行方向はさっき言った通り、この施設を時計回りで良いか?」
「そうだな」健介は頷いた。「じゃあ、俺とみゆきが前衛、しんやを後衛として逆三角形を作って、その中にゆうたとまりなが入ろう」
明美と目線を交わして頷き合い、健介は最初の一歩を踏み出した。
最初に入った住宅には、ゾンビはいなかった。
探索は基本的に全員同じ部屋で行い、木刀を持った三人が窓や扉側など、ゾンビの襲来を真っ先に受けやすい箇所を担当した。
最初の家ではバッジは見つからなかったが、水のペットボトル二本と湿布が手に入った。家の数を考えれば悪くない報酬と言える。
二軒目、三軒目では目ぼしいものは見つからなかったが、四軒目ではペンとメモ帳が手に入った。携帯もない今、情報の保存源となれるメモ帳は大きな収穫だろう。
四軒目を出る頃には、始まってから二十分以上が経過していた。もう図書館らしき建物は視界に入っている。
人間の集中力は、そう長く持続するものではない。一瞬たりとも気を抜いてはいけないと頭では分かっていても、いつかは隙が生まれる。
健介はふっと肩の力を抜いた。耳には確かにその音は聞こえていたが、健介の脳はそれを異常なものだと捉えていなかった。
「健介、下がれ!」
明美の切羽詰まった声に、一気に脳が覚醒する。
反射的に飛び退くと、一瞬遅れて何かが目の前を通り抜けた。それは、人間の腕のようなものだった。
これがゾンビか。先程聞こえていた音は、こいつらの足音だろう。
「大丈夫か⁉」
「ああ、悪い!」
近付いてくる明美の声に返答しつつ、目の前でその全貌を露わにしていくゾンビを観察した。数は二体。未だに心臓の鼓動は速いが、気を逸らす訳にはいかない。
ゾンビの表面は全身灰色や来い赤色などの肌のようなもので覆われ、目玉が飛び出している。爪は先端が鋭利に尖っており、中途半端に開かれた口からは獣のような牙が覗いている。第一印象は、最悪の一言だ。
「じゃあけんちゃん。俺は左の奴の足を払ってみるから、そっちは右の奴の頭を狙って!」
「了解!」
健介は明美と並んで木刀を構えた。
この作戦には二つの狙いがあった。一つはゾンビが言語能力や思考能力があるのか試す事。そしてゾンビの弱点を見つける事である。
最初の攻撃では、そのどちらも達成出来なかった。というのも、ゾンビはどちらも体勢を崩しはしたが、ダメージは負ってなさそうだったからだ。二体とも二人の攻撃を予測していたようには見えなかったが、ダメージを負わない事が分かっていたなら、わざとそう見せている可能性もある。
「これは早めに弱点を見つけて倒さないとまずいな」
言うや否や、明美は左のゾンビに切りかかっていった。それに続いて健介も右のゾンビに突進する。
「心臓じゃない!」
「頭でもねえ!」
しかし、ゾンビはバランスを崩すだけですぐに起き上がる。攻防を繰り返した事で、ゾンビの基本的な攻撃が爪と牙を使ったものだという事は分かったが、肝心の倒し方が分からないのであれば意味がない。
健介が本格的に焦りを感じ始めた時だった。
「首の後ろ! うなじに何か赤いボタンみたいなのが見える!」
友梨奈が叫んだ。健介がゾンビを横殴りにした事で見えたのだろう。
「マジ⁉」
ちょうどゾンビと組み合おうとしていた明美が、姿勢を低くして爪を避けながら腹に一撃を加え、ゾンビが前のめりになった隙を逃さずうなじに木刀を振り下ろした。
地面に倒れ込んだゾンビは、微動だにしなかった。
「けんちゃん、うなじのボタンだ!」
「了解!」
健介は明美に向けていた視線を戻し、地面を蹴った。すれ違いざまに足を掛け、ゾンビが前方に転倒する事で露わになったボタンに木刀を叩き付けた。するとボタンの点灯が消え、ゾンビはびくとも動かなくなった。明美が倒した方を見ると、同じようにうなじのボタンが消えている。
「お前ら、取りあえず避難だ! そこの家に入れ。見たところ何かがいる気配はねえ」
後ろから一真の声が聞こえ、健介は呆然としている悠馬の肩を叩いて一真に続いた。
「まあ、出足は悪くないだろう」
黒い仮面の下で男が笑う。いや、笑っているかは分からない。仮面でその表情は見えていないのだから。
「お前、何が目的だ……!」
そう仮面を睨みつけるのは、手足を縛られた男だ。その地の底から響くような声は、その男の怒りを表している。
「見てれば分かるさ」
そう言って黒仮面は自分の左手にある壁を指差した。そこにあるモニターに映るのは、複数の人影。
「さあ、共に観賞しようじゃないか。過去最大の『実験』を」
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