第二十四章
円盤が、地面から三メートルほどまで上昇して停止する。その上に立つ人間の右手には、依然として拳銃が握られたままだ。
「全く、馬鹿な男だ」黒仮面が溜息を吐く。「私がそれくらいのリスク管理をしていないと思ったのかね」
大袈裟なほどに両手を広げた黒仮面は、こちらに視線を向けた。
「そんな気はなかったと思うが、妙な動きをしたらこれで君達を始末しなければならなくなる。気を付けたまえ」
黒仮面がパソコンを操作する。
先程よりも大きな作動音と共に、地面が振動した。状況が呑み込めずに混乱していたが、その揺れで意識は一気に引き上げられる。
「わ!」
「何⁉」
続いて五人の周囲から土煙が上がり、五人を囲うように地面が円状に盛り上がった。
煙が薄まり目を開けた健介は、衝撃で言葉を失った。
「嘘……だろ……」
隣の明美の呟きが、やけに遠くから聞こえる。
五人を囲んでいるのは、格子で覆われたドーナッツ型の牢屋だ。そして、そこに所狭しと敷き詰められているのは、無数のゾンビだった。
「奥行から考えて、百体はくだらねえかもな……」
一真が絶望を声に乗せて言う。
手を叩く音がして視線を上に向ける。音の発生源は、黒仮面だ。
「さて、それでは準備も整ったところで、料理の説明といこうか。まず、そいつらは一真君の見立て通り、全部で百体だ。その全てが素早い方のゾンビ。これを相手にするのはまず不可能だろう。そこでだ」黒仮面が指を二本立てた。「君達には二つの選択肢がある」
「選択肢……だと?」
「そうだ。まずは私の説明を聞きたまえ」黒仮面が人差し指を立てる。「まず一つ目は、このまま戦う事だ。百体のゾンビをすべて倒す事が出来れば、君達の勝利だ。そしてもう一つは」黒仮面が中指を立てる。「友葉ちゃんを犠牲にする代わりに、君達が戦わなくて良い選択肢だ」
「はっ?」一真が声を上げた。「どういう事だ」
健介は一真の肩に手を乗せた。黒仮面が一つ頷き、話を続ける。
「この選択肢には君達にいくつかのメリットがある。まずは大前提として、君達五人の命は保障される事。そしてもう一つ。友葉ちゃんを苦しませずに済むという事だ」
「どういう意味だ?」
「君達がここで戦わない選択肢を選ぶなら、安らかに眠らせてあげよう。しかし、もし君達が戦って負けた場合、私は彼女に武田夫妻と同じウイルスを打ち、街に解き放つ」
「何⁉」
こればかりは健介も声を上げずにはいられなかった。
「彼女は苦しむだろうね」黒仮面が笑いを滲ませる。「目の前で仲間が何人も死に、最後には自分がただの殺人兵器になってしまうのだから。君達の強情が、彼女を奈落の底に突き落とす事になるのさ」
健介の脳裏に、自分達と対峙した武田輝人の様子がありありと蘇った。
彼には、人間としての意識が残っていた。それがどんな状態なのかは分からないが、もし武田と同じ状態で、それでも友葉が人を殺めてしまった場合、その心は確実に壊れる。
「それに」黒仮面が続ける。「彼女は元々長くは生きられない。そうだろう?」
「皆、落ち着け!」
黒仮面と同時に健介は叫んだ。それは仲間に、というよりは、自分への戒めだった。
ゆっくりと深呼吸を繰り返す。少しでもコントロールを失えば、何をするか自分でも分からない。
何度か深呼吸をすると、怒りが収まってくる。冷静になり、健介は黒仮面の言葉に一つ引っ掛かりを覚えた。
「ちょっと待て。義和さんはどうなるんだ?」
「ああ、言い忘れていたね」黒仮面が拳で手のひらを叩く。「彼は友葉ちゃんとは立場が違うのでね。私にもその結末は分からないんだ」
「分からない?」
「彼の命は彼次第だという事さ。今はそれ以上の事は言えない」
黒仮面が口を閉じる。その真意は分からないが、今は何を聞いても答えないだろう。彼次第というなら、義和を信じるしかない。
「そうだ。判断材料の指標として、これを渡しておこう」
そう言って、黒仮面は何かを五人に投げてきた。
それは、腕時計のようなものだった。
「これ……!」
友梨奈が目を見開く。
「知ってるんすか?」
悠馬の問い掛けに、友梨奈は勢い良く頷いた。
「これ、最新の医療機関とかで使われている、生命力を数値化する機械、通称『生命力探知機』だと思う」
「生命力の数値化?」
そんな概念は初耳だ。
「博識だね」黒仮面が拍手をする。「そう。これは心拍数や血行の状態などを読み取り、それを生命力として数値化出来る優れものだ。平均が百になるように設定されており、数値の減少は生命力の低下を表し、三十を切ると、すぐに治療を受けなければ命の危険があるそうだ。十を下回ると回復は見込めず、ゼロになると心肺停止となる」
「あいつの言っている事は本当」友梨奈が言った。「一般的に、八十以上の人は健常者とみなされているわ」
「そういう事だ」黒仮面が頷く。「早速付けてみてくれたまえ」
口調は依頼だが、その実は友葉を盾にした命令だ。皆もそれが分かっているのか、黙って装置を腕に付けている。健介も、自分の左腕に装置を装着した、
画面の中央で球形が回転し、数秒後に六十という数値が表示された。
隣で息を呑む気配がする。
「明美?」
健介が声を掛ければ、明美は素早く自分の腕を押さえた。不安が募っていく。
「明美ちゃん」黒仮面がパソコンを掲げる。「隠しても無駄だよ。こちらには君達の数字が自動で送信されているから。言いたくないなら私から言っても良いがね」
「……ちっ」
舌打ちをした明美が、渋々装置を隠していた手をどかす。
そこに浮かび上がっている数字を見て、健介は息を呑んだ。
「三十四……⁉」
さっき黒仮面は、三十未満は即時の医療が必要と言っていた。つまり、あとたったの五で、明美はその対象となる。
「やべえな……」肩越しに一真の声が聞こえる。「健介は……六十か。一番高いな」
「お前らは?」
「俺が四十八。友梨奈が五十三。悠馬が四十一だ」
「これで分かったかね、健介君」
合成音が聞こえる。
「君はまだ平気かもしれないが、他のメンバーは見た目以上に消耗している。現にほら」
明美の身体が傾く。
「おいっ」健介はその身体を支えた。「大丈夫か?」
「うん……ちょっとふらついただけ」
そう言って自力で立とうとする明美の身体を、健介は無理やり自分に寄り掛からせた。
「力抜いてろ」
「……さんきゅ」
明美の口元が僅かに綻んだ。刹那、武田早紀の最後の表情と重なり、心臓が大きく跳ねる。
「初期から出血を繰り返している明美ちゃんは勿論、大きな傷を負っている悠馬君も危ない。というより、もしも君達が私に勝利したとしても、その時にはその生命力は確実に三十を下回る。こんな辺鄙な場所だ。大きな病院など近くにはない。つまり」
黒仮面が笑いを洩らしたような気がした。
「どう転んでも、君達が全員生きて帰る事なんて、出来やしないのさ」
健介は咄嗟に反応出来なかった。その間にも合成音は喋りをやめない。
「体力が残っている君としては、友葉ちゃんを助けたくてたまらないだろう。でもそれは、君のエゴだ。君が友葉ちゃんを助ける選択をした時点で、それは言い換えれば君が明美ちゃんを殺そうとしているのも同然なんだよ」
その場に沈黙が落ちた。
耳鳴りがする。心臓の音がうるさい。
「それでも……」
腕の中の熱が離れる。
「俺は、諦めたくない」
自分の足で地面に立ち、明美は言い切った。
「明美ちゃん、無理しないで!」友葉が叫ぶ。「それ以上戦ったら、本当に死んじゃうよ! もう……充分だよ……」
そう言って友葉は泣き笑いの表情を作った。
「明美」一真がその背中に手を置く。「お前がどんな考えでいようと、誰もお前を責めはしない。その上で聞く」
一真が一呼吸置いて続ける。
「お前は、どうしたい?」
「俺の意見は変わらないよ」
即答だった。
「確かに、戦えば誰かが死ぬかもしれない。でも、逃げたら友葉は確実に死ぬ。だから俺は、諦めるつもりはない」明美が友葉を見上げる。「これは、友葉のためでも皆のためでもない。単なる俺の我儘だけどね」
友葉が目を見開く。
その横顔を見れば、すぐに分かる。健介の幼馴染は本気だ。自分の死が目の前にあろうと意思は変わらないし、変えられない。
「明美ちゃん、何遠慮してんすか」悠馬が穏やかな声で言う。「俺は友葉を見捨ててまで生きたいとは思わない、くらいは言ううと思ったんすけど」
「そうね」
悠馬に同意する友梨奈の声も落ち着いている。
「一番重傷なくせに、一丁前に気遣ってんじゃねえよ」一真が二刀流を構えた。
その一真と視線を交わし、健介は視線を上に向けた。
「皆!」友葉が大声を出す。「その気持ちだけで、凄く嬉しい。もう、充分です! だからっ」
「友葉!」
健介は更に大きな声で友葉を遮った。
「この期に及んで気を遣うな! 俺らの意見は全部、俺らの我儘だ。だからお前も、お前の意見を言ってくれ!」健介は友葉の目を見つめた。「友葉は、どうしたい?」
友葉の大きな目が見開かれ、そこから更に大粒の雫が頬を伝う。
「帰りたい……! 皆と一緒に、生きてここを出たい……!」
それは、友葉の心からの叫びだった。
「有難う」健介は親指を立てた。「約束する。必ず全員でここから出るぞ!」
「……うん!」
「絶対だからな!」
「待ってろよ!」
「必ず勝ってみせるから!」
「信じろ、俺達を!」
明美、悠馬、友梨奈、一真の言葉に友葉がそれぞれ頷く。
「皆を、信じます!」
その友葉の言葉は、五人の胸に確かに刻まれた。
「皆」前を向いたまま、健介は仲間達に話しかけた。「俺らは友葉が死んで欲しくないからという理由で戦う事を決めた訳じゃない。メンバー誰一人として欠けてはならないから、この選択をしたんだ。だからこれは俺からの、リーダーとして最初で最後の命令だ」
健介は日本刀を握り直し、言い放った。
「絶対に死ぬな!」
「了解!」
四人の声が重なった。
「……愚か者の集まりだな、君達は」
黒仮面は笑いを滲ませて言ったが、そこには今までの悪意のようなものは含まれていないように、健介には感じられた。
「良いだろう。全員まとめて死にたいというのなら、こちらはただ手駒を解放するだけだ」
「俺らは確かに愚かだとは思うけどな、死ぬ気は毛頭ないぜ」健介は口の端を緩めた。「必ず全員で生きて帰る。お前はそこで自分の敗北の瞬間を待っていろ」
「分かった。楽しみにしておこう」
そう言って頷いた黒仮面の手が、パソコンのキーボードに触れる。
牢屋の格子が降下し始めた。
「行くぞ!」
健介の掛け声で、五人は一斉に走り出した。
「常に先手を取れ! 受け身に回ったら終わりだ!」
「ああ!」
一真の声に頷きながら、最初の一体の頭に日本刀を振り下ろした。格子が降下しきる前に、出来るだけ殺しておかなければならない。
二体目の頭に日本刀を振り落とそうとした時、それは起こった。
「はっ⁉」
健介は咄嗟に後ろに飛び退いた。他のメンバーも同様の動きを見せ、再び五人で背中合わせになる。
「どういう事だ?」一真の声には困惑が滲んでいる。
突然、糸が切れたようにゾンビが次々に倒れたのだ。倒れたきり、起き上がる気配もない。
手を叩く音が聞こえてくる。
「素晴らしい……!」
拍手をしているのは黒仮面だ。
「これはどういう事だ?」
健介が問えば、黒仮面は拍手をやめ、口を開いた。
「この勝負、君達の勝ちだ」
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