第二十五章
「……どういう事だ?」
隣で健介が先程と同じ質問をした。
「混乱するのも無理はない」黒仮面は穏やかな声で言う。「取り敢えずはお片づけをしようか」
黒仮面が再びパソコンを操作した。すると、今度は牢屋自体が降下し始め、間もなくして牢屋ごとゾンビは地面に飲み込まれた。続いて友葉の居る牢屋も降下を始め、地面につくと格子が開き、呆然とした表情で立ち尽くす友葉が露わになった。
「君達は勝利した。仲間のところに戻りなさい」
黒仮面に促され、友葉は弾かれたように動き出し、こちらに足早にやってくる。
「皆!」
友葉の手が明美の腰に回される。
「友葉!」
「友葉ちゃん!」
皆が一斉に友葉を囲む。
「皆、ごめんなさい……ごめんなさい……!」明美の胸に顔を埋め、友葉は大声でしゃくり上げた。
「お前のせいじゃない」一真がその肩に手を置いた。
友梨奈は涙を浮かべて笑っており、悠馬は不自然に顔を逸らしている。
「おい、悠馬」健介がその背中に声を掛けた。「お前、泣いてんのか?」
「泣いてねえっすよ!」
悠馬が涙声で反論し、その場に笑いが生まれる。
たったの一日の筈なのに、六人で笑いあっているという事が懐かしく感じられる。友葉を取り戻したという実感が湧いてきて意識が遠のきそうになるが、歯を食いしばって何とか意識を保った。
「下から穴を掘って出てくる、なんて事はねえだろうな?」
その一真の一言で、その場に緊張感が戻る。
「まさか」黒仮面は首を振った。「君達の勝ちだと言っただろう。悪あがきをするつもりはないさ」
「悪あがきをするつもりがないのは本当だろう。ただ」健介が黒仮面を見た。「俺らはまだ十体も倒していない。それなのに何故俺らの勝利になるんだ?」
「簡単な話さ」黒仮面が両手を広げる。「君達の勝利条件が、あの百体と戦うという選択をする事それ自体だったんだ」
「……結局お前は何がしたかったんだ?」
「私は、いや、俺はただ知りたかったんだ」
黒仮面が仮面に手を掛けた。顎、口、鼻。そして目が露わになっていく。
「人と人の間に、理屈を超えた信頼はあるのか。千切れる事のない絆は存在するのか、という事を」
「……えっ?」
その男らしい低音を持つ人間を、明美は他に知らなかった。
あまりの衝撃に意識が覚醒し、視界がクリアになっていく。
「義和……さん⁉」
仮面の下から現れたのは、間違いなく『ヨナス』のマネージャー、高木義和だった。
「やあ、皆」
目の前の人物が手を振る。
声。仕草。言葉の間合い。全ての要素が、彼が高木義和である事を主張していた。
身体の感覚がなくなる。何も聞こえない。
視界が暗転した。
「――明美ちゃん!」
目の前の人物は、確かに囚われていた筈の高木義和だった。
どういう事だ。
一真の脳内は混乱した。彼が一真達を陥れたのか。それならば目的は――、
「明美ちゃん!」
友葉の悲痛な声が聞こえ、一真の思考は中断された。目の前で糸が切れた操り人形のように明美が体勢を崩す。しかし、一真が腕を伸ばそうとした時には既に友葉と健介によってその身体は支えられていた。
「明美! おい、明美!」
健介がその名を何度も呼ぶが、返事はない。
「三十……」友葉が呆然として呟く。
「何⁉」
思わず明美の手を取れば、そこに巻かれている機械には、確かに『三十』という数値が表示されていた。
「今の彼女を動かすのは危険です」奥から声が聞こえてくる。「救急車を呼びました。一時間以内にはこれるそうなので、それまでは応急措置で延命しましょう」
そう言ってワゴンを押して現れたのは、青仮面だった。
「救急セットや非常食です。お好きにお使い下さい」
「……どうしてお前がそんな事をする?」
そう問えば、青仮面は肩を竦めて答えた。
「これでも一応、救える命を救おうとするくらいには人間を捨てていないつもりですから」
「俺は許可してないんだけどな」
そう唇を尖らせる義和に対し、青仮面は溜息を吐いた。
「決着がついたという事は、私と貴方の契約満了を意味します。それに」青仮面が義和を見据えた。「私一人ではこれらを用意する事は出来ませんでしたよ」
「……まあ良い」笑みを漏らした義和が、こちらを向く。「もう俺達が君達に危害を加える事はない。明美ちゃんを手当てしてやってくれ」
その義和の表情に、これから何かをしようとする気配は感じられなかった。最も、その義和を信頼していた時点で自分の観察眼を信じて良いのかは甚だ疑問だが、今は躊躇していれば明美の状態は悪くなる一方だ。
「よし」覚悟を決めて、一真は救護セットを手に取った。「友梨奈。手伝え」
「任せて」
簡単な手当てについては学んだ事がある。一真は友梨奈にサポートをしてもらいながら、明美に素早く応急処置を施した。応急処置と言っても、左腕や右足の怪我の止血や化膿止めをしたくらいだが、白色ワセリンやラップがあったのは有難かった。脱脂綿などでは繊維が傷口に入ってしまうからだ。
明美が終わると、その次は悠馬の治療をした。それも終わると今度は一真自身が友梨奈に治療をしてもらい、その友梨奈や健介の小さな傷の消毒なども済ませ、全員の応急処置が完了した。
途端に全身に疲れが押し寄せてきて、一真は地面に膝をついた。
「一真君、大丈夫?」
ゼリーでも探してみようか、と友梨奈が立ち上がるが、その時ちょうど友葉がウイダーやゼリーを抱えてやってきた。
「お疲れ様です。これ、良かったら」
「ああ」
「有難う」
ゼリーを受け取り、何気ない仕草で自分の腕を見てみると、そこにある機械には『四十五』と表示されていた。明美や悠馬に比べれば、屁でもない数字だ。
それにしても、と一真は考える。
何も悪くないとはいえ、友葉がしおらしい態度を取ってしまうのは分かる。しかし、今の友葉はしおらしいというより、皆に遠慮しているような気がする。
その事に気が付いているのか、友梨奈が先程から務めて明るく話しかけているが、どこか一線を引いている感じは否めない。SCDには精神の病気にも派生するというから、その影響だろうか。
心配なのは健介と悠馬も同じだった。悠馬は明美に次いで数値が低く、今は壁に身体をもたれかけさせている。気絶している訳ではないが、相当消耗しているのは明らかだ。友葉に貰ったウイダーは何とか飲んだようだが、ゼリーには口をつけていない。
そして、ある意味誰よりも心配なのが健介だ。頼れるリーダーは、先程から明美の手を握ったまま、微動だにしない。飲食もせず、その視線は真っ直ぐに明美の顔に注がれている。
「ったく……」一真は立ち上がった。
「どうしたの?」
そう聞いてくる友梨奈に健介を目で示せば、彼女は納得したように頷いた。
「宜しくね」
「ああ」
頷いて歩きだす。一真が近付いても、健介は顔を上げない。
「おい、健介」
名前を呼ぶ。ようやく顔を上げたその口に、一真はウイダーを突っ込んだ。
「むぐっ⁉」
「食え。お前がウイダーを口に入れようが入れまいが、明美には何の影響もない。影響があるのは、お前の健康状態だけだ」
健介と視線が交差する。
数秒間の睨み合いの後、健介は渋々と言った様子でウイダーを手に取った。
その隣に腰を下ろす。
「心配なのは分かるし、俺も同じだ。だからと言って判断を鈍らせるな。俺らはまだ安全地帯にいる訳じゃねえ。有事に対応できるようにしておけ」
「……ああ、悪かった」
健介は曖昧に頷く。頭では理解しているが、明美への心配が大き過ぎて判断が鈍っているのだろう。
「……信じてやれよ」
健介がこちらを向く。
「お前の最愛の
「ごほっ⁉」
健介がむせ、ウイダーの飛沫が一真にまで飛んでくる。
「ちっ、汚えな」一真は舌打ちをして自分の服を払った。
「お、お前が変な事言うからっ」
珍しく健介が動揺している。確かにメンバー内で恋愛トークはしてこなかったが、気付かれていないとでも思っていたのだろうか。現に今もその手を握っているというのに。
「事実を言ったまでだ。だから信じろよ。こいつはこんなところでくたばるような奴じゃねえだろう」
「……ああ、そうだな」
健介が頷いた、その時だった。
「うっ……」
明美が身じろぎをした。
「明美!」健介がその顔を覗き込む。
「友葉」
一真が呼び掛けると、友葉がこちに向かってくる。
「健ちゃん……あれ、俺……」
「気絶してたんだよ」
「そっか。ごめん……二回も心配させちゃって」
「いや、気が付いて良かった」
二人が話している傍らで、友葉が駆け寄ってきた。その手からゼリーを受け取る。
「あっ」
友葉の指先からスプーンが落ちる。一真はそれを地面に落ちる直前に回収した。謝る友葉に首を振ってみせて、ゼリーとスプーンを明美の手に乗せる。
「あっ、一真……有難う」
明美が身体を起こそうとする。すかさず健介がその背中に手を回して、その身体を支えた。
明美が健介の助けを借りながら、ウイダーとゼリーを食べる。その間に友梨奈と、友梨奈に支えられながら悠馬も近くにやってきた。
「ふう……」
全てを食べ終えて息を吐くと、明美が視線を友葉に向けた。
「友葉。俺達に何か隠し事があるんだろ? 俺は大丈夫だから、話してみな」
皆の視線が友葉に集まる。その場に居る全員が、友葉の異変には気付いていたのだ。
友葉は少しの間黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げると、その頭を勢いよく下げた。
「本当に、ごめんなさい! 今回の事件は……元はと言えば私のせいなの!」
「えっ……」
その場に沈黙が落ちる。
「どういう事だ?」
数秒の後、健介が簡潔に聞いた。
「俺から説明しよう」義和が割り込んでくる。「救急車が来るまで、俺の話を聞いてくれないか」
「……分かった」
再び泣き出した友葉の背を撫でながら、健介が頷く。
「こんな物しかありませんが使って下さい」
そこにちょうど、青仮面が布団をカートに乗せて戻ってくる。健介がお礼を言って受け取る。
「どうも」
それらを地面に敷き、友葉を五人で囲うように座ると、六人は改めて義和に向かい合った。
「今回の件は、友葉ちゃんと俺の兄貴と俺とで立てていた計画を、俺が自分に都合の良いように利用したんだ」
落ち着いた声で、義和は話し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます