第二十六章

 物心が付いた時には、義和は施設に預けられていた。父親の働いていた会社が倒産し、多額の借金を背負う事になった両親は、当時二歳だった次男の義和を置き去りにして、長男の寛太のみを連れて夜逃げをしたのだ。

 施設に入った義和は平凡な生活を送っていたが、その中で唯一の趣味と言えるものが読書だった。

 しかし、本を読み重ねていくうちに、義和の中に一つの疑問が沸いてきた。自分には何故両親がいないのか、という事だ。試しに施設の職員に尋ねてみても、明確な答えは返ってこなかった。

 そんな時、夜中にトイレに起きた義和の耳に、偶然にも職員たちの立ち話が飛び込んできた。

「借金で夜逃げした義和君の家のお母さん、亡くなったんだって」

「えっ、本当?」

「そう。心労がたたったらしいわ……」

 いたたまれなくなり、義和はその場から逃げ出した。その後どうやって自分の寝床まで戻ったのかも覚えていない。

 借金で夜逃げ。小説でよくあるシチュエーションだ。

 自分は親に捨てられたのだという事を、もうすぐ十三歳になろうという義和の頭は正確に理解した。

 次の日、義和は一日中布団にくるまったまま、考え続けた。

 今まで沢山の推理小説を読んできた。脅し、詐欺、殺人。人間の醜い一面がいくつも描写されていた。それでも、その物語には必ず人と人との絆が存在した。詐欺師になった兄は、自分の弟や妹を養っていた。殺人を犯した親は、子供の将来を守ろうとしていた。あるいは、友を守るために人生を賭けた者もいた。

 しかし、自分は親に捨てられた。

 最終的に義和が出した答えは、この世界にはそんな儚くも美しい絆など存在しない、というものだった。

 義和はそれから、周囲の人間関係の観察を始めた。

 結果は予想した通りだった。簡単に壊れる子ども同士の友情、いじめ。一見仲が良さそうに見えても、裏ではお互いに悪口を言っている職員。施設内には、真の絆など欠片も存在しなかった。

 それでも、十八歳になる頃、義和は自分の考えを見直した。そもそも自分は児童養護施設という特殊な環境に居た。その中だけで判断するのは性急ではないか、と。

 社会に出た義和は、何よりも人との信頼に重きを置いた。義和は周囲から信頼出来る人間として慕われ、全幅の信頼のおける人物も出来た。

 しかし、それでは義和は満足出来なかった。人間の真の絆、信頼は、極限状態に陥って初めて発揮されるものだからだ。では、人間を極限状態にするにはどうすれば良いか。思い付いたのが、『闇の便利屋』を使った『実験』だった。

 最初の二回は、義和自身を被害者に設定した。実弾の銃を用意し、義和を人質として友人に判断を委ねた。

 結果は二回とも失敗だった。友人は、どちらも我が身可愛さに逃げ出した。そして、二人は帰らぬ人となった。

 その二人は義和が最も信頼している人物達だった。義和は『実験』を諦めようとした。しかし、この『実験』には一つ、大きな欠陥がある事に義和は気が付いた。この『実験』をしている義和自身では、真の絆や信頼は勝ち取れない、という事だ。そもそも、義和自身を被害者にしては、この『実験』は成功しないのだ。

 それならば、信頼し合っている他人同士を使えば良い、と義和は考えた。

 そんな時、実の兄である寛太が義和の前に姿を現した。

 義和は驚き、最初は悪質な悪戯ではないかと疑ったが、戸籍謄本には確かに二人が兄弟である証拠があった。

「お前の動向はおおよそ把握していたんだが、今まで会いに行く決心がつかなかったんだ。済まなかった」

 そう言って頭を下げる寛太にどう接すれば良いのか分からなかった義和は、その日は寛太を帰らせ、今後についての考えを巡らせた。

 ルポライターであるという兄を使えば、今後は『実験』に幅を持たせられるかもしれない。そう考えた義和は、兄と親交を持つ事にした。寛太との関係も徐々に深めていきつつ、廃墟や心霊スポットなどの情報を入手して、そこを『実験』の舞台とした。

 そんな中、義和が目を付けたのがユーチューバーグループだった。ユーチューバーなら、多くの会社よりも利害関係や派閥が少なく、より純粋な人間関係で繋がっていると思ったからだ。

 それから義和は、ユーチューバーのマネージャーや事務員としてのキャリアを歩み始めた。思った通り、それまでの職場に比べ、人間関係は純粋だった。ある程度力をつけた者なら、独立してもやっていけるという環境がそうさせているのだろう。この業界では、他の業界のような力で縛り付ける事が容易ではないのだ。

 義和は『実験』に使えそうな『素材』を慎重に見極めた。そして、候補は一組のユーチューバーグループに絞られた。

 今から五年前、そのグループで『実験』を行った。この時に、義和は『ヨナス』にも使ったボタンで制御されているゾンビを、初めて実戦に投入した。

 結果は、今まででは一番良い結果だったが、それでも失敗に終わった。

 やはり、極限状態においては人間は皆同じなるのかもしれない。そう、義和が諦めかけていた時、彼らは現れた。

 ユーチューブ界の新鋭と謳われた、『FiveOREVER』。大学生で構成された五人組ユーチューバーで、義和はその特異性にすぐに気が付いた。その感覚は言語化出来るものではない。それでも、数多の人間関係を観察してきた経験が、そう感じさせたのだ。

 実際に接触をしてみて、義和は彼らのもう一つの特異性に気が付いた。五人全員が、初対面の義和に警戒心を抱いていたのだ。表面上は普通に振舞っていたが、特に健介、明美、一真の三人は特に警戒しているようだった。時が経つにつれて義和は信頼をもぎ取っていったが、その時点で義和は『FiveOREVER』を『実験』の集大成にしようと決めていた。

 その前段階として、『FiveOREVER』ほどではないものの注目を集めていた五人組ユーチューバーで『実験』を行った。結果は失敗に終わったが、首尾は上々だった。

 友葉の話を聞かされた時は内心焦ったが、彼女が他の五人と同種である事はすぐに分かったので、義和は寧ろ彼女の加入を後押しした。両親が居ないという事も『実験』を円滑にする要素になるかもしれないとも思った。

 一年前、今度は六人組ユーチューバーで『実験』を行った。この時も『実験』の結果自体は失敗に終わったが、シミュレーションはほぼ完璧に行えた。

 そして一ヶ月前、この計画の肝となる出来事が起こった。友葉と寛太が義和を訪ねてきたのだ。

「廃墟で逃走中をするっていう結構壮大な企画をやりたくて、それの相談をお二人にしようと思って」

 動けているうちに私主導の大きな企画をやりたいんです、と友葉ははにかむように笑った。

 義和は一も二もなく賛同した。寛太も、マネージャーが良いなら、と場所の提供を約束してくれた。

そこからの一ヶ月は、義和はプライベートな時間の殆どを『実験』の準備に費やした。武田夫妻を『実験』の一部に組み入れようと決めたのもこの頃だ。人間をゾンビ化するウイルスの話は聞いていたため、それを利用しようと考えたのだ。

 計画は主に義和と友葉で進めていたが、数日間、友葉が別の仕事で計画に全く携われない期間が出来た。友葉は申し訳なさそうにしていたが、義和にとっては寧ろ好都合だった。

 義和はその数日間に、ゾンビやその他の『実験』に使う設備を整えた。

 そして当日。友葉を訪ねた義和はそのまま彼女を拉致、監禁して、健介達をこの施設まで呼び出した。友葉の誕生日を狙ったのは、健介達の周りに他のスタッフがいない事を知っていたからだ。


「……それからは、君達も知っている通りだ」

 この話は以上だ、と義和が言うと、辺りは沈黙に包まれた。

「……じゃあ、あんたは」明美が震えた声で言う。「俺らを使った『実験』のために武田夫妻や二人の便利屋を当て馬に使ったのか?」

「そういう事だ」

「……何故、輝人さんにウイルスを注射した?」

「彼ら家族には君達ほどの絆がなかった。だからあの一家は皆死んだ」

「ふざけるな!」

「明美」

 健介はその肩に手を置いた。明美が肩で息をする。

「あの人は……リスクを背負って俺らを助けてくれた。彼が居なければ俺は今ここに居ないだろう。お前如きに……他人の絆が測れるか!」

「でも、君達はそんな俺を信じていた。だったら、そんな俺の判断基準も強ち間違いではないと思うけど。俺は自分の判断が間違いだとは思わないよ」

「……この、人でなしがっ」

 明美が義和を睨みつけた。

「明美」

 一度こちらを向いた明美が、大きく深呼吸をする。

「……ありがと。ちょっと寄り掛かっても良いか?」

「勿論」

 明美に頷いてみせた後、健介は義和に向き直った。

「一つ、質問がある」

「何かな?」

「認めたくはないが。あんたの計画は完璧だった。物資の配置やゾンビの出現場所に関してもな。ただ、一つだけ、あんたの行動で意図が理解出来ない事がある」健介は一つ息を吐いた。「何故、あんたは自分を登場人物にしたんだ?」

「それは君が一番分かってるんじゃないか?」

「……寛太さんを犯人だと思わせるためか?」

「えっ、どういう事?」

 義和よりも先に友梨奈が反応した。悠馬と揃ってこちらを見てくる。

 健介は明美にしたのと同じ説明を二人にした。一真が特に表情を変えていない事から、彼は既に同じ結論に既に辿り着いていたのだろう。

「君や一真君ならそこまでは辿り着くかもしれないと思った。そうすれば、より極限状態に近づけると思ったからね」

「確かに、それに思い当った時はかなり心に来たよ。後でちゃんと謝らないとな」

 軽口を叩きつつも、健介は寛太の事を思うと胸が苦しくなった。

「出来る限りの事はやらねえとな」

 一真が呟く。同じ事を考えていたのだろう。

「そうだな」健介は頷いた。

「兄の事なら心配する必要はないさ」

 義和が首を振る。相変わらず察しの良い男だ。

「それは俺達が決める事だ」健介は言った。「あんたには関係ない」

「いや、そういう事じゃないんだ」

 そう言うと、義和は健介達の左斜め前方に向かって歩き出した。赤仮面の横まで行き、義和は足を止めた。

「まさかっ……!」

 ある一つの可能性が頭をよぎる。

「そう」義和が首を縦に振る。「この赤い仮面を被った男が、俺の兄、高木寛太だよ」

 そう言って義和が赤い仮面に手を掛けた。健介が明美の、一真が友葉の、悠馬が友梨奈の視界をそれぞれ遮る。

 健介の額を一筋の汗が流れた。それは、仮面の下から現れたその顔は、紛れもなく彼の物だった。

「どうして……」健介は呟いた。

「彼は実の弟を信頼出来なかった。それだけの事さ」義和は座って寛太の顔を眺めながら言葉を続ける。「さっきも言ったように、俺は君達を『実験』の集大成にしようと決めていた。だから、どうせなら兄弟間の信頼も試してみようと思ったのさ。血の繋がった兄弟ならもしかしたら、とも思ったしね。でも彼は、あの百体が一種の演出に過ぎない事を見抜けなかった。挙句俺の邪魔をしようとしたんだ。彼の死はある意味では自己責任なのさ」

 健介は寒気を覚えた。ここまで狂気的に冷静でいられる人間などいるのだろうか。目の前の人物は、決して感情論では動かない。常人には理解出来ない理屈の上で、極めて理性的に行動をしているのだ。

「さて、と」義和が立ち上がる。「最後に、君達に伝える事がある」

「……何だ?」

「謝罪と感謝だ」義和が頭を下げた。「この度は、本当に済まなかった。そして有難う。俺に真の絆が存在するという事を分からせてくれて」

 そう言って義和がポケットから取り出したのは、あの拳銃だった。彼は、流れるような動作でそれを自分の額に当てた。

「何を……⁉」

「これも最初から決めていた事だ。決して贖罪などではない」

 こちらを向き、義和は柔らかい笑みを浮かべた。

「人間がこんなにも尊く、美しい存在だったと知れて、俺は満足だよ」

 銃声が響く。

 義和の手から拳銃が離れ、地面に落ちて乾いた音を立てる。

 義和は、実の兄と枕を並べるように倒れ込んだきり、微動だにしなかった。

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