第十二章

「話がまとまったんなら一刻も早くここを出るぞ。もう随分経っちまった。これ以上居たら、袋の鼠も良いとこだ」

 一真に促され、健介は状況を思い出した。輝人の事ばかりに目がいってしまっていたのだ。先程は友梨奈と悠馬に諭されたし、本当に自分は優秀なメンバーに囲まれている。

 しかし、健介には一つ気掛かりな事があった。こちらは木刀を突き付けながら話を聞いただけで、輝人には実質何も話していないのだ。

 しかし、真っ先に一真の言葉に頷いたのはその輝人だった。

「そうだな。ここはあらゆる面において我々に不利だ」

「……分かりました。じゃあ皆、まずはここを出よう。武田さん。どこか落ち着いて話をする場所があったら、今度は僕達がお話をさせていただきます」

「分かった」輝人が頷いた。「宜しく頼むよ」

「はい」

「あっ、そうだ。けんせい君」

「はい?」

「君達と協力する事が出来たらこれを渡すように言われていたんだ」

 そう言って輝人が差し出してきたのは、バッジだった。


「どの配置で来るか、予想がつかねえな」殿を務める一真が呟く。

 病院の周囲には、ゾンビは一匹もいなかった。進路はショッピングセンターに舵を取ったが、その道中、どのタイミングでどの程度のゾンビが来るのかは誰にも予想がつかなかった。気を抜ける瞬間など一瞬もない。

 健介は周囲への警戒を最優先にしつつも、考えを巡らせた。

 それにしても、『ボス』とは一体何者なのだろうか。相当能力の高い人物であるのは間違いない。動画でしか見た事がない筈の健介達の思考を、全て先読みしてくるのだから。これが『実験』である事を踏まえれば、これまで間一髪で助かっているのも全て『ボス』の計算通りである可能性が高い。

 だとしたら、その正体は心理学やなどを学んでいる学者だろうか。こんな『施設』を使用出来るくらいだ。思考回路が一般人とかけ離れているのはそうだとして、その正体の隠しようから、相手は或いは高名な人物かもしれない。

「どっちにしろ、まずは新種の弱点を見つけないと」明美が言った。「誰か何か気付いた?」

「それなんだが」後方から一真が答える。「一つ検討してみたい部位がある」

「どこ?」

「頭だ」

「頭?」

「ああ。さっき組み合った時に、今までののろまに比べて頭皮の色が僅かに明るく、でけえ気がした。他に見た目での違いは見つけられなかった。試す価値はあるだろう」

「頭か。それならうなじよりは狙いやすいな」

 健介が頷いた時、斜め後ろから咳払いが聞こえた。

「済まないが、何が何やらさっぱりだ。軽くで良いから、説明をお願いして良いかい?」

「あっ、すみません」

 健介は慌てて輝人に謝り、ゾンビが二種類いて、初期のゾンビはうなじの赤いボタンを押せば動かなくなる事、武田夫妻が遭遇したのは素早い新種の方である事を説明した。

「なるほど。奴らを行動不能に出来るなら、それは心強いな」

「まだ可能性だけですけどね。そもそも新種には弱点があるのかも分からないですし」

 そうは言ったものの、倒せるかもしれないというだけで希望が見えているのも事実だった。仮に頭が弱点でなくとも、目的があった方が思い切って戦えるだろう。

「取りあえずどこか防錆に適していそうな家を見つけて――」

 そう言いかけた時、健介の耳は微かな足音を拾った。他のメンバーも気付いたのか、六人は道の真ん中で立ち止まった。

 一真が叫んだ。

「全方位だ!」

 前方の曲がり角から一体、左斜め前方の脇道から一体、左斜め後方の茂みから二体、右の家の中から一体、そして後方から一体が同時に現れる。

 しかし、その動きはゆっくりしていた。

「えっ、のろまの方?」

「まだ分からねえ。油断はするな」

 気の抜けた声を出す悠馬を一真が叱責する。

 しかし六体の動きは依然としてゆっくりしていたため、健介は余裕を持って皆に指示を出した。

「前方のは俺がやる。武田さんは左斜め前方の一体を。しんやとまりな、ゆうたは協力して左斜め後方の二体と後方の一体を。みゆきは右の一体を頼む」

 五つの了承の答えが返ってくる。ハンマーとお手玉しか武器を持っていない輝人が心配だが、本人がその二つだけで良いと言ったのだ。信じるしかない。

 怪我をしている明美と三体に対して木刀が一本しかない一真達も気掛かりではあるが、まずは自分がしくじる訳にはいかないと、健介は意識を前方の一体に集中させた。

 急な加速を警戒したが、ゾンビの動きは終始遅かった。攻撃を避けながら後方に回り込むと、赤いボタンがある。それを木刀で横殴りにすれば、ゾンビは動かなくなった。

「本当に初期の奴なのか……?」

 あまりにも簡単に倒せてしまったために逆に不安になるが、ゾンビが動く気配はなかった。念のために前方に飛ばしてから周囲を見れば、明美は既にゾンビを倒し終え、輝人はゾンビを転ばせており、一真達は既に二体を倒していた。どうやらゾンビは、全て初期タイプだったようだ。

 健介は輝人の元に向かった。いくら転ばせているとはいえ、とどめの武器が持ち手の短いハンマーでは心許ない。

「武田さん。止めは俺が刺します」健介は輝人に近付いていき、木刀を振り下ろした。

「ああ、有難う。助か――」

 輝人の言葉が不自然に途切れた。

「どうしましたか?」

 健介の問いにも答えず、一度大きく目を見開いた輝人は、突如明美のいる方向へ走り始めた。

 輝人が叫ぶ。

「みゆきちゃん!」

 健介は何事かと明美を見た。その奥の家の屋根に何かがいる気配がする。

「まさかっ!」健介は輝人を追って走り出した。

「伏せろ!」

 輝人がお手玉を地面にばら撒きながら明美に覆い被さる。その直後、複数のゾンビが屋根から飛び降りてきて、お手玉の上に着地をして転倒した。その隙に健介は二人の前に立ちはだかり、その二人も体勢を立て直す。どうやら怪我はしていないようだ。

 同時に後方の家の屋根からも複数のゾンビが現れ、その集団が健介達を分断するように立ち塞がった。

 ゾンビは全部で十体。その内の五体が健介、明美、輝人の三人に、残りの五体が一真、悠馬、友梨奈の三人に突進してくる。もう健介に迷っている時間はなかった。

「しんや、ゆうた、まりな!」健介は大声で叫んだ。「一旦お別れだ! 二手に分かれて追手を撒く! またショッピングセンターで会おう!」

「ああ!」

 同じ事を考えていたのか、一真の返事は早かった。

「ゆうた、まりな! そいつらを転ばせる事に専念しろ!」

「うす!」

「了解!」

「みゆき、武田さん」健介は二人の仲間に声を掛けた。「こいつらは足元がお留守になりがちです。そこをついてバランスを崩させ、こいつらが乗っていた屋根の家に入りましょう!」

 明美からは、オッケー、と即座に返事が返ってくる。

「えっ、その家に?」輝人は瞬間首を傾げたが、すぐに頷いた。「分かった」

 もう目の前までゾンビが迫っていた。健介はゾンビの攻撃をぎりぎりまで待ってからかわし、その足元を払う。ゾンビはある程度固まっていたため、二体を同時に払う事が出来た。左頬に切り傷が出来たが、それで二体の体勢を崩せたなら御の字だろう。

 隣では明美が同じく二体を、輝人が一体を転ばせる事に成功した。

「今のうち!」

 輝人が叫んで家まで走り出し、健介と明美も後に続いた。

 中に入った健介はドアを閉めると周囲を見回し、椅子を見つけた。それを輝人に手渡し、ドアが揺れる音を聞きながら二人に指示を出す。

「奴らが中に入ってきたら武田さんがこれで先頭の奴を前方に転ばせて下さい。後ろの奴は僕が木刀で食い止めます。みゆきは無防備になった頭を攻撃して」

「任せろ」

「分かった」

 二人とも肩で息をしているが、その返事は頼もしさを感じさせた。

 ドアの軋みが強くなり、その一部にゾンビの爪が食い込んだ瞬間、ドアが決壊した。ゾンビの足が見えた瞬間、輝人が持っていた椅子を横殴りにしてゾンビは前方に体勢を崩した。

 その瞬間を狙って健介は飛び出し、その後ろの個体と組み合った。いずれはドアの周囲も決壊するだろうが、それまではゾンビは一体ずつしか通れないため素早さも半減し、対処は難しくない。健介が組み合うと同時に、鈍い音がする。明美が木刀でゾンビの頭を叩いたのだろう。

 後ろ脚に体重を乗せ、ゾンビを押し返しながら聞く。

「どうなった⁉」

「多分、成功!」明美が叫んだ。「うなじの時と同じ感触がして、動かなくなった!」

「ナイス!」

 弱点を見つけられたという事実に、力が湧き上がってくる。健介は一気にゾンビを地面に押し倒し、後方に飛び退いて距離を取った。

「ドアの周りが決壊する前に倒せるだけ倒すぞ!」

 残りの四体の内、二体は同じ方法で倒す事が出来た。しかし、三体目と四体目が同時にドアに突進してきて、遂にドアの周囲の壁も崩れ、二体が家の中に流れ込んできた。

 思わず舌打ちが洩れる。二体を相手するなら、組み合うなら木刀を持っている健介と明美だ。

「みゆき! 辛いとは思うけど、武田さんと協力して俺がこいつを倒すまで耐えてくれ!」

 健介はせめてもの助けになればと声を掛けた。しかし、返事をしたのは明美ではなかった。

「けんせい君、安心しなさい。私が組み合うから、みゆきちゃんの仕事は止めを刺すだけだよ」

「武田さん、無茶です!」

 激しい物音と明美の悲痛な叫びが聞こえるが、健介に状況を確認する余裕はない。輝人は素手で組み合ったのだろうか。だとしたら危険すぎる。

「くそっ!」

 健介は再びゾンビの爪が顔の皮膚に届く直前まで待って横にかわし、足を掛けて地面に押し倒した。ゾンビが更に爪を伸ばしてくるが、健介は構わずに木刀をその頭に振り下ろす。両頬に痛みが走るが、腕には確かな手応えを感じた。ゾンビが動かないのを確認すると、健介は振り返って地面を蹴り、二人の元へ向かう。

「みゆき、武田さん!」

 輝人がゾンビを押さえ付けており、その頭に明美が木刀を叩き付ける。地面に伏したゾンビが再び動く事はなかったが、誰一人として喜びの声は上げなかった。

 ゾンビの両方の爪が、輝人の左右の腕に刺さっていたからだ。

「武田さん!」

 健介と明美は武田の元に駆け寄った。輝人は、大丈夫だ、と笑ってみせるが、傷口から流れる血の量がそれは嘘だと告白していた。

 健介はポケットからガーゼを取り出すと、傷口に当てた。

「リュック持ちの二人がいないので大した物はありませんが、取りあえず止血します」

 一度席を立った明美が毛布を抱えて戻ってくる。「これで上から抑えよう」

「有難う」

 左腕の傷を健介、右腕の傷を明美が圧迫した。

「……何で、あんな無茶をしたんですか?」明美が絞り出すように言った。

「若者ばかりに無理はさせられないからね。君は怪我をして、出血もしたんだ。楽を出来るところはしないと」

「それでも、武田さんがこんな怪我を負うなら、俺は楽なんてしたくありませんっ」明美が訴えかけるように言う。

「君は良い子だなあ」輝人が笑みを漏らした。「君だけじゃない。他のメンバーもそうだ。たった数十分しか一緒に過ごしていないが、君達ほど絆の深いグループは見た事がない。君達ならきっと、このふざけた『実験』に打ち勝てるだろう」

「打ち勝つのは武田さんもですよ」健介は、穏やかな表情で話す武田に笑いかけた。「一緒に打ち勝って、十人全員で帰りましょう」

「そうだね」輝人は淡い笑みを浮かべて頷いた。

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