第十一章

「しんやさん。ベッドを重ねるの手伝って欲しいっす」

「ああ」

 一真は明美を友梨奈に預けると、悠馬と協力してベッドの上にベッドを置いた。これで少しはゾンビの衝撃にも強くなるだろう。

「ありがとな」

 一真は友梨奈に礼を言った。

「ううん。お互い様だよ」

 首を横に振る友梨奈の右手には、水鉄砲が握られていた。友梨奈によって足元に水を撒枯れた事でゾンビが転倒し、その隙に一真達は部屋に入る事が出来たのだ。

「ゆうた。みゆきを支えていてくれ。出来れば傷口を何かで押さえていてほしい。手に血が付かないように注意して」健介が扉に木刀を向けたまま言った。「万が一の事があれば、お前がみゆきを担いでくれ。リュックは持たなくても良いから」

「了解っす!」

 返事をした悠馬が一真の隣を離れる。

 一真は地面に置いていた木刀を拾い上げると、健介の隣に並んだ。「まりなは窓を警戒しておけ。何かの気配があれば知らせろ」

「分かった」

 友梨奈の返事を聞き、前方に意識を集中させる。

 しかし、いくら待っても予想していた扉への衝撃は来なかった。

「引き返したのか?」健介が呟く。

「まりな」一真は前を向いたまま言った。「窓からは何も来ていねえのか?」

「うん、何も来てない」

「……けんせい、どう思う?」一真は『ヨナス』のブレーンに問い掛けた。

「奴らは打撃を得意とはしていない。扉を壊しにかかるのは得策ではないと、『ボス』は判断したのだろう」

「なら他の攻撃手段か?」

「そうだな……。天井、もしくは下から床を突き破ってくるか、窓を上がってくるか、この病院を取り囲むか」

「今度は馬力のある新種が来る可能性はねえのか?」

「いや、それを考える必要は恐らくないと思う」

「何故だ?」

 一真は思わず横を振り向いた。健介は前を向いたままだ。

「『ボス』の性格上、そんなに新種を短期間に出してくるとは考えにくい。仮に新種が来るとしても、それを予測するのは外した時のリスクが大き過ぎるんだ。それなら、少しでも自分達の状態を整える事が先決だと思う」

「なるほどな……」

 健介の意見には説得力があった。手口が絞り込めない以上、そこに時間を割くのは確かに得策ではない。それならば、一刻も早く『自分達の状態を整える』べきだろう。

「けんせい」

「何だ?」

「ここは俺が警戒しておく。お前はみゆきの治療をしろ」

「丁度そのお願いをしようとしていたところだ」健介が素早く後ろを振り向く。「頼んだ」

「ああ」

 一真は頷いた。


「ゆうた、もう良いよ。あとは俺がやる」健介は悠馬の肩に手を置いた。「お前はまりなと代わってくれ。怪我人にゾンビの警戒をさせているのは良くないから」

「了解っす!」

 先程から悠馬は役割をたらい回しにされているが、嫌な顔一つせずに頷くと、窓を見ている友梨奈に近付いて行った。

 その背に、ありがとな、と声を掛けると、健介は明美の腕を見た。その傷口は血に染まっており、微量ではあるが出血もしているようだ。

「みゆき。痛むと思うが我慢してくれ」

 健介は明美の腕に水を掛けた。

「っ……!」歯を食いしばって声にならない叫び声を上げたが、明美は腕を動かす事はしなかった。

 健介は傷口の周りの水滴を取り、傷口にガーゼを当てて包帯を巻く。「悪いな。本来は圧迫して止血すべきなんだけど……」

「全然大丈夫」明美が首を振る。「サンキュー、けんちゃん」

 健介は咄嗟にそれに返事を返す事が出来なかった。後悔が身体を駆け巡り、唇を噛みしめる。俺があの時もっと良い判断が出来ていたら――。

「健介」不意に前方から一真の声が聞こえた。「お前はよくやった。明美の怪我はお前の責任じゃねえ。俺の責任だ」

「えっ?」

 健介は思わず手を止めた。明美と共に一真に目を向ける。

「俺が明美と同じタイミングで新手の存在に気付いていれば、明美が素手で攻撃を受け止める事はなかった筈だ。済まなかった」

 木刀を構えて前を向いたままではあるが、その言葉には間違いなく真心が籠っていた。彼はそういう漢だ。

「じゃあおあいこって事で」明美が明るい声を出す。「俺だってもっと良いやり方があったかもしれないし、これはチームとしての失敗だ。そのシワ寄せが偶々俺に来ただけ。誰も悪くないし、逆に皆に責任がある。だろ?」

「……そうだな」

 明美に同意を求められ、健介は頷くしかなかった。一真も苦笑している気配が伝わってくる。

 場の空気が和らいだその時、健介は不意に手術室の奥から何かの気配を感じ取った。

「何かいる!」

 健介は傍に置いていた木刀を持つと立ち上がった。ゾンビが今まで潜んでいたのだろうか。

 しかし、予想に反して姿を現したのは人間、中年の男性だった。

「驚かせて済まないが、私は君達の敵ではない」

 男はそう言って両手を挙げるが、健介は構えを解かなかった。人間と言えども味方である保証はないからだ。

「リーダー」

 悠馬が呼び掛けてくる。

「どうした?」

「その人は俺らを助けてくれた人っすよ」

「……えっ?」予想外の後輩の言葉に間抜けな声が洩れる。「助けてくれた?」

「うす。その人は元々この手術室にいて、俺に声を掛けてくれたんすよ」

「そうだったのか」

 健介は改めて目の前の男を見た。

 この男によって助けられたのは事実だろうが、同時に『ボス』の回し者かもしれないという疑念も消えず、健介は木刀を構えたままでいるべきか判断に迷った。

「なに、刀はそのままで良い」

 男はそんな健介の逡巡を見透かしているようだ。その顔から不快感は読み取れなかった。

「私が先に持っている情報を開示するから、それを聞いてから判断してくれないか?」

「……分かりました。でも、その前に一つ質問しても宜しいですか?」

「何かな?」

「貴方は、僕らが貴方に危害を加えないと確信している様子です。何故ですか?」

 健介は目付きを敢えて鋭くした。言外に不信な動きをしたらすぐに攻撃すると含ませるためだが、そんなものは勿論ただの虚勢だ。男が手榴弾でも隠し持っていようものなら、形勢は一瞬で逆転する。

「その答えは、私が真っ先に言おうと思っていた情報と一致するね」

「どういう事ですか?」

「つまり、こういう事だ」男が両手を挙げて答える。「私は、君達のお助けキャラとしてここに呼ばれたんだ」


 室内は沈黙に包まれた。

「……えっ、どういう事ですか?」健介は絞り出すように尋ねた。

「混乱するのも無理はない」男が柔和に微笑む。「順番に説明しよう」

 男はそれから、自分が置かれている状況についての説明を始めた。

 男は武田輝人たけだてるひとと名乗った。

 輝人は、妻の早紀さきと一人娘の愛理あいりと三人で暮らしていたが、今日の昼過ぎに突然非通知が掛かってきた。電話口から幼稚園に行っている筈の愛理の声が聞こえ、愛娘が誘拐されている事を知った武田夫妻は、合成音の指示に従ってこの施設までやってきた。

「そこで、君達の話を聞かされたんだよ。六人組ユーチューバー『ヨナス』の手助けをし、彼らが『実験』をクリアしたら同時に君達夫妻の愛娘も解放してやろう、とね。だから私達は君達を探し始めたんだが、スタート地点のこの病院でいきなり先程君達が襲われていたような奴に襲われて、妻とははぐれてしまったんだ。幸い、私も妻も陸上は得意だったから、私は上、妻は下に逃れられたんだけどね。それでひとまず武器になるものでもと二階を探していた時に、君達と奴らの戦闘が始まった。最初は君達がそのユーチューバーなのかあのいかれた奴の手先で演者なのか分からなかったが、君達の戦いぶりとその絆から、私は君達が目的の人物達だと確信した。そこでそこの一番大柄の男の子に声を掛けて、君達を誘導してもらったんだよ」

「なるほど……」

 健介は輝人の言葉を咀嚼した。確かに筋は通っている。お助けキャラというふざけた設定も、『ボス』ならやりかねない。ただ一方で、これ程まで精巧な演者を送り込んでくるというのも、またやりかねないのだ。

「俺は」明美が声を出す。「絶対的な根拠はないけど、武田さんを信じる」

 信じたいでも信じて良いでもなく、信じると言い切るところが明美らしい。

「俺もだ」

 健介はその声のした方を振り返った。

「しんやも?」

「ああ。同じく根拠はねえがな」

「そうか……」

 健介はもう一度思考を組み立て直した。リーダーとして、うじうじ迷う訳にはいかない。


「ったく……」

 必死に考えている様子の健介を見て、明美は苦笑した。

 明美が輝人を信じる事にしたのには、本当に明確な根拠はなかった。ゾンビも侵入してくる可能性もあった中で明美達を助けてくれた事は一見信頼に値するが、『ボス』ならそれすらも計算していても不思議ではないし、万全な対抗策を持っている可能性もあるからだ。それでも、中途半端な態度はどちらの利益にもならないため、明美は自分の直感を信じる事にした。

 手元の情報だけで判断がつかない場合は自分の直感に判断を委ね、新たな情報でも出てこない限りはその道を突き進む。それが明美の考え方で、それは普段の健介にも言える事だった。動画のサムネイルや音楽など、吟味しても答えが出ない場合は、『ヨナス』のリーダーは直感に頼るし、買い物などについてもそれは同様だ。

 しかし、昔の健介は違った。ことユーチューブ活動に関して、昔の彼は優柔不断だった。皆の生活が懸かった選択を適当には出来ない。そう言ってサムネイルやタイトル選びに数時間を掛ける事もざらだった。最近はその癖も治ったかと思っていたが、皆の命が懸かったこの状況で、また再発してしまったようだ。

「けんちゃ――」

 明美は健介を呼ぼうとした。しかし、それは明美の身体を支えてくれていた友梨奈によって遮られた。

「みゆちゃん」

「ん。何?」

「たまにはこういう時、私がけんせい君に意見しても良いかな? いつもみゆちゃんとしんや君に任せちゃってるけど、二人が既に自分の意志を表明しているこの状況で私がしっかり自分の考えを話せれば、リーダーも安心すると思うの」

「……確かに。じゃあお願い」

 控えめな性格で知られる友梨奈の提案に驚きつつも、明美は頷いた。尊敬すべき先輩が唯一の弱点である積極性を克服しようとしているのだ。断る理由はないだろう。

「有難う」友梨奈は可憐に微笑むと、健介に目を向けた。「けんせい君」

「……何?」

 少し遅れて健介が返事をする。

「私達のために必死になって考えてくれているのは分かっているし、それはすごく嬉しい。けど、そんなに悩まないで。重く考えないで、自分を信じて。どんな決断でも、私達は貴方に従うから」

「でも、それで間違っていたら――」

「貴方だけの責任にはならないわよ、リーダー」

 友梨奈が健介の言葉を遮った。健介の肩が揺れる。

「例え貴方の選択が間違っていたとしても、貴方に選択を託し、それに従おうとしたのは私達よ。その責任は全員にあると思わない?」

 健介は目を見開いて友梨奈を見た。彼はすぐに視線を前方に戻したが、その間に輝人が何かをする事はなかった。

 驚いたのは明美も一緒だった。友梨奈がこれだけしっかりと自分の意見を伝えた事自体は何ら不思議ではない。彼女は主張しないだけで、昔から芯の通った人物である事は知っている。

 驚いたのは、その内容だった。友梨奈が健介に語った内容は、昔に明美と一真が健介に語ったものそのままだった。その時は三人で話していたため、友梨奈にはその内容は伝わっていない。つまり、全く同じ事を彼女も思っていたという事だ。

「そうっすよ」その場に居なかったもう一人の人間、悠馬も友梨奈に同意する。「最終的にリーダーが決めたとしても、俺らは俺らの意志で従ってるんすから、一人で抱え込むなんて水臭いっすよ」

「皆……」健介が擦れた声で呟く。

「情ねえ声出すんじゃねえ。気持ち悪い」

 一真が溜息交じりに言うので、明美も便乗した。

「そうだぜ。俺ら、運命共同体みたいなもんじゃん」

「……そうだな」健介がゆっくりと頷き、木刀を下ろした。「武田さん。これまでの非礼、どうかお許しを。そして、僕達に協力していただけませんか」

 頭を下げる健介に対して、輝人の反応は早かった。

「勿論。喜んで協力させていただくよ。お互い、大切なものを取り戻すために頑張ろう」

「はい」

 健介と輝人が握手を交わした。




「さあ、ここからどういう化学反応が起こるのか、とても興味深いな。それにしても」黒仮面が男を見る。「いやに静かになったな。疲れたのか?」

「お前のお陰で思い出したからな」

「何を?」

「あいつらを信じる事を、だよ。気が動転して、頭から抜け落ちていたみたいだ」男がにやりと笑う。「俺はこの『実験』失敗、いや、ある意味では成功というべきかもしれないかな。それを確信している」

「……へえ、この『実験』について、ある程度は分かっているみたいだね」

「分かるさ」

 男は黒仮面から視線を外しながら答えた。

 黒仮面が小さく笑いを漏らす。

 男が黒仮面を睨むが、今度は黒仮面が視線を逸らした。そのまま壁のモニターを見上げる。

「さて、本命の前の余興の準備と行こうか」

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