第二十九章
「……それは、本当ですか?」
衝撃から何とか立ち直り、健介は声を絞り出した。
「ええ。こちらの写真を見ていただければ分かるかと」
男性が携帯の画面を見せてくる。そこには確かに記憶と合致する顔が映し出されていた。
どうだ、と友葉が目で聞いてくる。それに頷いてみせてから、健介は男性に向き直った。
「それでお話というのは?」
「歩きながらで構いませんか?」
「はい」
歩幅を合わせ、ゆっくりと歩きながら話を聞いた。
男性は
「母は
健介は思わず巧の顔を見た。
「そう」巧は頷いた。「相川さんと同じ病気です。現在は殆ど身体も動かせませんが、ゆっくりなら喋る事は出来ます」
巧は静香を見た。
「静香、です」
そう言って静香は僅かに顎を引いた。頭を下げたのだろう。
「西村健介です。こっちは相川友葉」
健介は友葉と共に頭を下げた。
それから、巧はあの事件について語り始めた。
「黄色い仮面を被ったのは、私の妹の
巧は腰から体を曲げ、深くお辞儀をした。その下で静香も目を瞑り、顎を引いている。
「いえ」
健介は首を振り、巧の話を聞いて閃いた事を言ってみた。
「もしかして穂乃花さんは、収入の多くをお母様の医療費に充てていたのではないですか?」
「……よくお分かりで」巧が目を見開いた。
「あの事件の時、俺は穂乃花さんとお話しする機会がありました。彼女は、クライアントとの契約を破ってまで、俺達を生かそうとしてくれました。その時から疑問に思っていたんです。何故彼女はこんな事をしているんだろうって」
「そうでしたか……」
巧が俯いた。
沈黙の中、先に口を開いたのは彼だった。
「……我々には、謝罪と共にもう一つ、お伝えしたい事があります」
「何ですか?」
巧が静香を見た。静香が口を開く。
「とも、は、ちゃん」
友葉がゆっくりと静香を見た。
「あり、がとう」
「……えっ?」
友葉の動揺が伝わってくる。
「事件の真相を聞かされて以降、母の容態は目に見えて悪くなりました。そんな時、母は相川さんのリハビリの様子を目にして、強く生きる事を決意したようです。その後は容態も安定して、今日まで生きてこられました。僕からもお礼を言わせて下さい」
「は、い」
友葉がゆっくりと頷いた。表に大きく出る事はないが、友葉が相当喜んでいるのが伝わってくる。
「あと、君、達も」
「えっ、俺らも?」
「君達、の、仲の、良さには、元気を、貰って、いるよ」
「本当ですか?」健介は頬が緩むのを感じた。「嬉しいです。有難うございます」
「皆さんの仲の良さは病院全体でも有名ですよ。皆さんの綺麗な笑顔は、僕らにも元気とやる気を与えてくれているんです。そして、相川さんの頑張る姿は、全ての患者さんに希望を与えてくれる。貴方達は、そんな存在なんです」
それは、健介達にとっては最も嬉しい誉め言葉だった。
その後は少し世間話をして、巧と静香とは別れ、健介と友葉は病室に戻った。
「いやー、びっくりしたな」
「そ、う、だ、ね」
「でも友葉。お前すげえな。お前のお陰で人が生きる希望を見出しているんだぜ」
「み、ん、なの、おか、げ、だ、よ」
そう言って友葉ははにかんだ。
「そうか」健介は頷いた。「人の力になれてるって、すげえ嬉しいな」
健介の言葉に友葉は、ゆっくりと、だが大きく頷いた。
あれから八年以上も経つんだ。
友葉は首を右に回し、窓の外の景色を見た。その動きは非常に緩やかだが、友葉はもう慣れていた。今は寧ろ、少しでも動かせる事に感謝しているくらいだ。
ゆっくりと目を閉じ、この八年間を思い返した。
八年と少し前、友葉は脊髄小脳変性症、通称SCDだと診断された。徐々に身体機能に支障をきたし、最終的には寝たきりになる病気。それを聞いた時、目の前が真っ暗になった。仲間達の存在がなければ、その現実を受け止めれていたかどうか分からない。少なくとも。寝たきりになる時期がもっと早かったのは確かだ。
そして今からちょうど八年前の前日、あの『事件』が起こった。
その日、友葉は心を躍らせながら家を出た。皆が誕生日を祝ってくれる。それを思うだけで頬が緩んだ。
「友葉ちゃん」
家を出て少ししたところで声を掛けてきたのが、車から顔を出した義和だった。
「今から事務所行くんだろ? 送っていくよ」
友葉は素直に従い、お礼を言いながら車に乗り込んだ。それが悪夢のような時間の始まりとも知らずに。
「ちょっと待って。手袋が後部座席にあるんだ」
そう言ってこちらに身を乗り出してきた義和によりハンカチを鼻に押し付けられ、友葉は意識を失った。
目が覚めた時には既に、あの牢屋のようなものに入れられていた。
薬の影響もあって混乱する友葉に、義和は懇切丁寧に事件の概要を説明した。その様子は今までの義和と変わらず、友葉は背筋に冷たいものを感じた。
最初は冗談ではないかと疑った。しかし、義和の持ってきたパソコンに流れている映像は、どう見ても本物にしか思えなかった。そこでは、仲間達が得体のしれない何かと戦っていた。
友葉が状況を理解するまで待ってから、義和は提案を持ち掛けてきた。
「君はどうせ彼らより長くは生きられない。君の命を僕にくれるなら、彼ら五人は解放してやっても良い。勿論、彼らを逃がす事が先だ」
義和の言葉は冷たく残酷で、それでいて甘いものだった。
友葉は真剣に迷った。自分が何をされるのか分からない恐怖は当然大きかったが、それで彼らが助かるなら、とも思った。
そんな友葉の思考を遮ってくれたのが、友葉が施設に居た頃に健介と明美が話してくれた事だった。
『迷った時は、自分が楽しい、嫌じゃない方を選べば良いと思う』
『やっぱり最後は自分だよな』
『んな事言って、最近まで自分もくよくよしてた癖に』
『うるさい』
何でそれを思い出したのかは、友葉にも分からない。ただ、それが友葉達のその後に大きく作用した。
友葉は自分にとって楽しくない、嫌な事は何か、と考えた。正解はすぐに浮かんだ。
「私は、皆に悲しい思いをして欲しくない。だから、その提案は受け入れられません」
義和の目を見て、友葉は言い切った。
最後に再び心が揺らいだが、仲間達が友葉に信じて託す勇気を与えてくれた。その結果、友葉達はあの場所から無事に生還する事が出来た。
あの事件の後、友葉は軽い人間不信に陥りかけた。メンバーの五人以外、義和のように裏の顔があるのではないか、と疑うようになってしまったのだ。その時も、助けてくれたのはメンバーの皆だった。本当に、彼らには助けられてばかりだ。
施設に居た頃も、施設を出てからも、SCDを発症してからも、車椅子生活になってからも、入院してからも、そして今も。彼らはずっと友葉を支えてくれていた。友葉はこれまで三度、命の危険に晒されてきた。その度に死んでしまいたくなるほどの苦痛に襲われたが、彼らの声がなければ、今友葉はここにはいない。
こんな事を言えば怒られるし、今では言う事も出来ないが、SCDもあの事件も代償だったのではないか。そう思うくらい、そう言われても納得してしまうほどに、彼らは友葉にとってかけがえのない存在だった。
ドアが開く。
「よっ」
「お待たせー」
入ってきたのは友梨奈と悠馬だ。
「もうちょっと早く来たかったんだけど、道が混んでてな。すまんすまん」
「ごめんねー」
全然構わないよ。友葉は胸の内で呟いた。
「昨日は『スマボラ』のゲーム実況上げたんだけどさ。これが神回なのよ」
悠馬が嬉しそうに言う。この言い方は、彼自身が編集したんだろうか
「そ。俺の編集よ」
友葉の胸の内の疑問を、悠馬がさらりと答えてくれる。もはや友葉は表情筋も殆ど動かせないが、メンバーは総じて友葉の感情を理解してくれるため、そこにはしっかりと『会話』が成り立っている。だから、友葉は皆が話をしてくれる時間が大好きだ。
「でも悠馬君。本当はもうちょっと攻めた編集したかったんじゃないの?」
「それかずさんにも言われたっすよ」悠馬が苦笑した。「まあ、とにかく見よう。友葉、良いか?」
勿論だ。皆の動画を見るのは、友葉の楽しみの一つなのだから。
とても大物ユーチューバーとは思えない雑な挨拶で動画が始まる。
動画は十五分ほどだったが、時間はあっという間に経ってしまった。これは確かに神回と言って良いかもしれない。五人がゲームをしているだけでも面白いのに、今回はそれに加えて展開がいつにも増して完璧だった。特に、珍しく悠馬が最後まで生き残りそうだった時の健介と明美の無言の連携など、健常な身体だったら腹を抱えていただろう。まるでバドミントンのように二人に交互に攻撃される悠馬のキャラも、それに合わせて悲鳴を上げる悠馬本人の反応も全てが完璧だった。
そして同時に、『もうちょっと攻めた編集』が何を指しているのかも容易に想像出来た。
「あの二人、何でまだ付き合ってないんすかね」
「まあ……それは本人達次第だからね」
モヤモヤした気持ちなのは友葉も同じだ。ただ、友葉がモヤモヤを感じているのは何もあの二人に限った話ではない。
「俺、ちょっとトイレ行ってくるっす」
「はーい」
病室に、友梨奈と二人きりになる。友葉は友梨奈の目を見た。
健介と明美の事を言っていたが、自分達はどうなんだろうか。
「何よ、その探るような目は」
友梨奈が少し唇を尖らせてそっぽを向く。そのサラサラの髪の毛から覗く耳が赤いのは、きっと友葉の気のせいではないだろう。
可愛いな。相手は年上のお姉さんの筈だが、友葉のその恥じらう姿勢をなんだか微笑ましく感じた。
「あっ、今私の事馬鹿にしたでしょ」
そう言って口を尖らせた友梨奈は、言葉を続けるように口を開いたが、結局彼女は何も言わなかった。
ありがと。友葉は胸の内で感謝を伝えた。特に話題に出してほしくない訳ではないが、友葉の中でもまだ考えがまとまっていないのだ。
友梨奈が無言で頭を撫でてくれる。まるで、悩まなくて良いよ、と言ってくれているみたいだ。
「ういっすー」
悠馬がトイレから戻ってきた。
「お帰りー」
友梨奈と友葉は笑顔で迎えた。
危なかった。タイミングがもう少し早ければ、悠馬に悟られていたかもしれない。
「いや、マジあの場面でさー、俺が――」
悠馬と友梨奈が楽しそうに雑談をしている。
自分が何をすべきなのか、何を思えば良いのかは友葉には分からない。それでも、毎日が楽しいならそれで良いのかもしれない、と友葉は思った。
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