第三十章

「おっすー。一昨日ぶりだな」

「そうだな」

 先頭で入ってきたのは健介と明美だ。

「一真もいたよな?」

 明美が後ろを振り返った。

「ああ」

「俺らは昨日ぶりっすかね」

「だね」

 一真のその更に後ろには、悠馬、友梨奈もいる。

 彼らは二年間以上の入院生活で、毎日必ず誰かしらは会いに来てくれている。そして今日は、友葉の二十八歳の誕生日。メンバー全員が揃うのは久しぶりだ。

「そういやさ、友葉。昨日帰った後でさ――」

 明美がベッドに腰掛けて、話を聞かせてくれる。彼女はいつも真っ先に友葉に話を聞かせてくれるが、それは出会った頃から変わっていない。

「おい、明美。友葉と喋ってばかりいねえで少しは手伝え」

 一真が明美の襟元を引っ張り、明美が潰れたカエルのような声を出す。

 乱暴なように見えて、明美の話が一段落したところで声を掛ける辺り、彼は相変わらずだ。

 その後も誰かしらと話しているうちに様々なところに装飾が施され、病室がいつの間にかちょっとしたパーティー会場に早変わりしていた。

「そんなに迷惑かけらんないから、これが限界だな」

 健介が表情に僅かに悔しさを乗せて言った。隣で明美が苦笑する。

「これでも大分だと思うけどな」

「まあな」健介が頷いた。「羽田先生に感謝しねえと」

「な」

 最後の調整が終わると、電気が消される。各所に付けられた電球の淡い光が装飾物を照らす。

「うわあ、綺麗」

 友梨奈が感嘆の声を上げ、皆がそれに同意した。勿論、友葉もだ。

「それじゃあ」

 健介がスピーカーを操作し、聞き覚えのある前奏が流れ出す。『ハッピーバースデートゥーユー』だ。

 五人の合唱が終わると、電球の光が消える。その次の瞬間、先程よりもカラフルな光が室内を包み込んだ。

 友葉は呆気に取られた。

「綺麗だろ? 今回は二段階にしたんだぜ」

 明美が親指を立てる。彼女が考えたのだろうか。

「俺が考えたよ。我ながらこの出来は凄いぜ」

 友葉の心の内の疑問にさらりと答え、明美は満足そうに周囲を見回した。

「お前はアイデア出しただけで、飾りつけはあんまりしてないだろ」

 健介が明美の頭にチョップを食らわせ、その場に笑いが生まれる。

 そこから誕生日会が終了するまで、室内から笑いが絶える事はなかった。


「悠馬ー、それ分別するとこ違う」

「えっ、マジすか?」

 今は、皆が後片付けに取り掛かっているところだ。当然ながら友葉は何も手伝えないが、皆が仲良く片づけをしている光景を見るだけで、心が暖かくなる。

 本当に最高の誕生日だった。もし身体が健康だったら、明日は間違いなく表情筋と腹筋が筋肉痛になると言い切れる。これまでの皆と過ごした誕生日も勿論素晴らしかったが、今回は格別なように感じられた。これ程までの満足感を味わったのは初めてかもしれない。

 あれ――、

 不意に視界に映るメンバーの姿が歪んだ。続いて目の前が暗くなる。何も聞こえなくなった。

「――友葉!」


 意識が浮上する。友葉は目を開けた。光が飛び込んできた。

「友葉!」

 視界に一真の顔がアップになる。その周りには、他のメンバー四人と羽田の顔があった。

「良かった……」

 明美、悠馬、友梨奈の三人の目には涙が溜まっている。健介と一真、羽田も笑みを浮かべていた。

 再び皆の顔が見れた喜びと同時に、友葉の中では、次に意識を失えばもう助からないという確信があった。それを自覚した途端、思い出が雪崩のように押し寄せてくる。その全てで、友葉は笑顔を浮かべていた。

 それもその筈だ、と友葉は思った。『ヨナス』のメンバーと居る。それだけで楽しいのだから。

 健介は、友葉にとっては兄のような存在だ。頼りがいがあって明るくて、それでいて実は悪戯好きのところもある、リーダーの理想像を体現した様な人だと思う。全員が不可欠なのは間違いないが、それでも『ヨナス』の心臓は彼だと、誰もが口を揃えて言うだろう。そして、彼は言わば、今の友葉の生みの親だ。彼が居なければ、今のメンバーと関わる事すらなかっただろう。

 明美は、友葉にとっては姉であると同時に親友だ。彼女とは一番遊んだし、物理的にも心理的にも一番距離が近いのは、間違いなく彼女だろう。それでいて友葉が落ち込んだりした時は頼れる存在で、友葉の心の拠りどころとなってくれた。そしてそれは他のメンバーも例外ではなく、彼女のさりげない一言で空気が軽くなった、なんて場面は、思い返せばきりがないほどだ。

 友梨奈は、一言で言えば『聖母』というのが相応しい。明美ほど関わる回数は多くなかったが、彼女はいつも友葉を見守り、包み込んでくれた。些細な事でも褒めてくれるし、反対に駄目なところがあれば優しく諭してくれる。親の記憶が殆どない友葉にとっては、彼女は母親のように感じられた。『ヨナス』でも、縁の下の力持ちと言えば彼女だという共通認識がある。

 悠馬は、年上というよりは同年代の友達のような感覚だ。それは決して馬鹿にしているのではなく、彼は人との距離を縮めるのが上手いのだ、と友葉は思っている。周囲に年上が多い中で、ある意味では一番気を遣わないで済んだのは彼かもしれない。素直でムードメーカーである彼には、よく笑わされたものだ。『ヨナス』の大爆笑の原因の大半は彼が原因だと言い切れる。

 そして、一真。常に冷静で口は悪いが、内に優しさと情熱を秘めた副リーダーに、友葉はずっと複雑な想いを抱えていた。

 端的に表すなら、友葉は彼の事が男性として好きだ。最初は無口な頼れるお兄さん、という認識だったが、その不器用な優しさと歯に衣着せぬ直接的な物言いに、友葉は徐々に惹かれていった。彼の言葉にはきついものも多いが、そこには友葉への信頼があったし、だからこそその想いは友葉のより深くまで侵入してきた。無意識の内に彼の背中を目で追っていた自分に気が付いた時は、自分でびっくりしたものだ。

 友葉は、この想いを打ち明けるべきか悩んだ。結果がどうなっても気まずくなるような事がないとは頭の中では分かっていたが、人生初の恋愛に対しては、そんな理屈だけでは立ち向かえなかった。

 告白しようと決めては諦める、という生活を繰り返していた時、友葉はSCDを発症した。一真は少ない言葉で友葉に前を向かせてくれた。その時、友葉は一真が好きだと再認識した。しかし、その頃から、友葉に告白する意思は消え失せていた。無意識に病気を言い訳にしていた、と気が付いてからも、やはり想いを伝える気にはならなかった。

 そして今も、友葉はこの想いを伝えられていない。今でもここまで沈黙を守ってきた事が正しいのかは分からない。しかし、一つ言えるのは、それでも後悔が沸いてこないほどに友葉の人生は最高だった、という事だ。

「友葉? 聞こえているか?」

 仲間達が何かを言っているのは分かるが、もはやその声はぼんやりとしか聞こえてこない。

 友葉は自分の死期が近い事を悟った。

 だから、友葉は最後にメッセージを書こうと思った。発声は出来なくても、手なら僅かに動かせる。どんなに汚い文字でも、きっと彼らなら分かってくれる。この二十八年間の、奇跡のような人生。『ヨナス』との日々。メンバーやその他の今まで出会った人たちへの感謝と惜別。そして、一真への想い。それら全てを込めて、友葉は一つの日本語を書こうと思った。


 明美が、ベッドの脇の紙袋から友葉の日記帳を取り出して、真っ白なページを開いて友葉に渡した。

 友葉がペンを落とす度に、メンバーの誰かがそれを拾って友葉に握らせる。それを何回も繰り返した後、友葉はペンを置いた。

 友葉がベッドに背を預け、目を閉じる。途端に友葉の心拍数が低下した。

「相川さん⁉ しっかりして下さい!」

 羽田は慌てて応急措置を施した。しかし、心拍数の低下は留まる事を知らなかった。心電図波形が徐々にフラットになっていく。まるで地震が収まっていくかのように。

 ピー、という機械音が部屋に鳴り響いた。

 羽田は友葉の脈を取り、首を振った。

「……ご臨終です」


 五人が友葉を囲んだ

「友葉……っ」

 健介が、ベッドに顔を埋めた。

「諦めないって、言ったじゃねえか……!」

 明美が、友葉の胸に倒れ込む。

「早過ぎるよ、馬鹿……!」

 悠馬が、友葉の手を握った。

「友葉ちゃん……」

 友梨奈が、膝から崩れ落ちて顔を覆った。

 一真は、ただ一人、拳を握り締め、唇を噛んでその場に立っていた。

「降谷さん」

 羽田はその背に声を掛けた。

「我慢してはいけません。貴方の為にも、相川さんの為にも」

 一度目を見開いた一真が、ゆっくりと歩みを進める。友葉を見下ろす体制となった時、彼の眼から初めて涙がこぼれ落ちた。

「お前と、ずっと一緒に生きていたかった……」

 その涙の軌跡は、真っ直ぐに友葉の心の臓に向かっていった。


 ――ありがとう


 そよ風がカーテンを揺らす。太陽の眩い光が、水滴を照らした。

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