【web版】真紅公爵の怠惰な暗躍 ~妖精や魔術師対策よりもスイーツが大事~(旧題:Grenzenlos-エゼリア帝国特殊部隊-)

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

【am 10:00 業務開始】

 表と裏ならその側面。

 白と黒なら中間の灰色。

 光と闇なら全てが溶け合う逢魔ヶ時。


 物と物の狭間のあわいのような、そんな場所。

 あるいは境界線の真上に立つような。


 これはボーダーライン上どっちつかずな場所こそが自分達の居場所だと決めた、私達どっちつかずG r e n z e n l o sの、どこにも提出されることなんてない、自己満足の報告日誌だ。



  † ・ † ・ †



 ヨル・ネーゼルハウト上等兵の一日の仕事は、まず己が所属する部隊の隊長の姿を探す所から始まる。


 隊長はいつも同じ場所に潜んでいるわけではないが、探索は決して難しい仕事ではない。甘いにおいと、人の気配がある場所を探せば、大抵は見つかるので。


「失礼」


 ヨルは食堂の扉を軽くノックしてからドアノブに手をかけた。開ける前から中からはキャイキャイと女性の華やいだ声が聞こえていたが、案の定扉を開けば部隊章も階級章も様々な女性隊員達が椅子に腰掛けた一人の少年を取り囲んでいる。


「シュトラウゼ隊長は、こちらにおいででしょうか」


 その取り囲まれた少年が自分の所の隊長であることは一目見ただけで……何なら扉を開ける前から分かってはいるのだが、それでもヨルは生真面目に一行へ声をかける。『自分が来たのでお開きにしてくれないか』という、ヨルなりのアピールだ。


「あ! ヨル君!」


 対して囲まれた少年は、声をかけられてからようやく気付いたとでも言うかのようにヨルを振り返る。その動きに合わせて首筋でひとつに括られた艶やかな黒髪がピョコリと元気に跳ねた。合わせて肩から掛けられた身丈に合わない大きな軍服も重たそうにユラリと揺れる。モグモグと動く口に入っているのはクッキーだろうか。それともマカロンだろうか。とりあえず焼き菓子特有のサクサクという音がヨルの耳まで聞こえてくる。


 ──きちんと昼ごはんが入るお腹は残してくれているんですよね? 甘味ばかり食べていては体に悪いですよ?


 とっさにそんな小言が唇からこぼれかけたが、ヨルはすんでの所でそれを飲み込んだ。こんなことを一々口にしていたらまたどこかの誰かに『ヨル君はリーヒのおかんだね』と言われかねない。


「ごめんね、ヨル君が迎えに来てくれたから、僕もう行かなきゃ」

「あーん、ざんねぇーん!」

「保護者君の登場、もっと遅くて良かったのにぃ!」

「リーヒ君、まだまだお菓子、いっぱいあるよ?」

「もうちょっとだけ、ね? ほら、これ、今人気のお店の新作焼き菓子!」


 そんな葛藤を抱えるヨルの視線の先で隊長……リーヒは自主的に椅子から立ち上がっていた。そんなリーヒを囲んだ女性隊員達が名残惜しそうに声を上げている。


 ──いくらうちの隊長が子供の姿をしているからって、餌付けするのはやめていただきたいのですが?


 ヨルは溜め息を飲み込むと同時に、何やかんやと引き止めようとしてくる女性隊員達をなだめているリーヒに視線を向ける。


 女性隊員達の胸下、ヨルと比べれば鳩尾みぞおち下くらいまでしかない小さな背丈。華奢な体つきはまさに成長期前の『少年』そのもの。クリッとしたよく動く紅茶色の瞳に、緋色の組紐で括られた腰下まで癖ひとつなく流れ落ちる黒髪。高いのに柔らかく澄んだ声と整った顔立ちは天使のよう。身にまとっているのがエゼリア帝国軍に所属していることを示す漆黒の軍服でなければ、天から舞い降りた御使いか、宗教画の中から抜け出してきた精霊の類かと見間違えるような容姿をしている。


 だが、……そう。彼は服装が示す通りにエゼリア帝国軍に籍を置く軍人で、スッポリと体を包み込むように肩から羽織られた大人サイズの上着に輝く階級章は、間違いなく大佐を示す物である。


 そしてわざわざ見えにくい場所に付けられた部隊章を見た者は、彼が率いているのが部隊であることを知るはずだ。


 ──そんながこんな風に周囲と関わるのは、本来褒められたことではないはずなんですが……


 同じ部隊章が自分の軍服の襟元にもあることを思いながら、ヨルは今度は胸の内に収まらなかった溜め息をひっそりと吐き出す。


 ──どうにもうちの隊はみなさん、その自覚に乏しいというか……


 ヨルが属する部隊は、エゼリア帝国の中でも立場が特殊だ。その部隊を率いる立場にいるリーヒは、立ち位置で言っても特性で言っても特殊中の特殊で、本来ならばこんな風に人の中にいることは推奨されていない。事情を知らない人間はリーヒの姿に騙されがちだが、リーヒの本質は決して外見から想像できるような可愛らしいものではないのだ。


 ──餌付けこんなことが常態化してることがアッシュさんにバレたら、また何って言われるか……


 怖い目付の存在を思い出したヨルは思わず片手を額に添えた。今からその目付もいる場所にリーヒを連れて出向かなければならないと思うと、正直言って頭が痛い。


「ごめんね。ヨル君を待たせたくないから。お菓子、いつもありがとう」


 そんなことを思うヨルの視線の先でニコリと笑ったリーヒは、腕一杯にお菓子を抱えるとトコトコとヨルに駆け寄ってきた。途中で振り返って女性隊員達に手を振れば、女性隊員達は笑顔で手を振り返してくる。どうやらヨルが思い悩んでいた間にうまく話を付けてきてくれたらしい。


「お待たせ、ヨル君」


 ヨルの隣に並んだリーヒはキュッとヨルの左手を取ると歩き出した。こうしていると兄弟のようだとよく同じ部隊の仲間達にからかわれるのだが、どれだけからかわれてもなぜかリーヒはヨルと歩く時はこうして手を繋ぎたがる。


「今日もお迎えありがとう。ヨル君は真面目で偉いね」

「そんなことを仰るくらいなら、最初から真っ直ぐに執務室に来ていただきたいのですが……」

「だって、お菓子は欲しいんだもの」


 ご機嫌で答えたリーヒはヨルの手から自分の手を引き抜くとゴソゴソと腕に抱えたお菓子を漁る。何事かと視線を下げると、リーヒの指先には可愛らしいマカロンがつままれていた。


「はい、ヨル君。あーん」

「……何の真似ですか」

「色々食べさせてもらったんだけど、これが一番ヨル君の口に合うだろうなって思って」


 真っ直ぐにヨルを見上げて、可憐な容姿によく似合う愛らしい色をしたマカロンをヨルに向かって差し出したリーヒは、浮かべた笑みにスッと、あどけない顔立ちに似つかわしくないを混ぜた。


「今のうちにヨル君も糖分補給しておかなきゃ。ヨル君がそんな顔してるってことは、今日の、結構な難題が来たんじゃない?」


 リーヒの言葉にヨルは思わず片手で顔を撫でた。鉄面皮と言われがちな己の顔に表情らしい物が浮かんでいる気配はない。だがリーヒにはヨルの内心が手に取るように把握できているらしい。


「頭を使う前には糖分補給。ついでに好きな物を食べて、少しでもリラックスしておかないと」


 隠れ甘党なヨル君には一石二鳥だね、という言葉にヨルは思わず眉をしかめる。公言した覚えもないのに、なぜか甘い物に目がないことまでリーヒにはバレていたらしい。


「ほら、ヨル君。僕も僕で早く食べたいんだから、早くこれ食べて僕の手を空けてよね」


 リーヒはピョンピョンと跳ねながら『食べろ』と主張してくる。手に渡してくれればいいものを、どうしてもヨルの口の中に直接押し込みたいらしい。


「……会議室で、皆さんがお待ちです」


 一度こうしたいと決めたリーヒを諦めさせるのは至難の業だ。リーヒの部下になって半年足らずのヨルだが、そのことは嫌になるほど知っている。


 ヨルはスクエアフレームのメガネのブリッジを右の中指で押さえながら、体を屈めてリーヒが摘んだマカロンにかじりついた。両の腰に一本ずつ下げられたサーベルがカシャリと微かに揺れる感触とともに、シャリッと口の中でマカロンが崩れて溶けていく。


「任務に関することは、皆さんの前で後ほど」

「うん。ヨル君、マカロン美味しい?」

「……ええ、美味いですね、これ」

「シャトルレーゼの新作なんだって。仕事が片付いたら一緒に行こうか」

「……話、聞いてましたか?」

「うん。でも、僕にとっては、ヨル君と、ヨル君が大好きな甘味の方が大切だから」


 自分の口にも同じマカロンを入れたリーヒは、空いた手で再びキュッとヨルの手を握る。


 ニコニコと機嫌が良さそうに笑うリーヒを眺めたヨルは、もはや何も言えずに甘酸っぱいフランボワーズのマカロンの欠片を噛み締めたのだった。

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