【Prolog】

 珍しいことがあるもんだな、というのが正直な感想だった。


「珍しいな」


 だからその感想を、ラグニルは素直に口に出す。


「その手紙、王宮からなんじゃないのか?」


 深い森にいだかれた屋敷は、今日も穏やかな静けさに包まれていた。馴染みのある気配だけを内包した屋敷は、聴覚が鋭いラグニルの耳でちょうどいいと感じる程度のざわめきに満たされている。常人の耳ならば、少し静かすぎるくらいかもしれない。


 そんな静けさの中、屋敷の主である少女はラグニルが届けた手紙の封を開き、中身に目を通している所だった。


 常ならば主は、その封筒に押された封蝋を見た瞬間顔をしかめ、中の文章に目を通すにつれて機嫌を下降させていく。


 本日もラグニルが手紙を持ってきた瞬間、主は眉をひそめ、封蝋を見た瞬間には顔をしかめていた。だというのに今、少女の口元は柔らかくほころんでいる。嬉しいことがあった時に現れるその笑みは、いつだって不愉快な封筒とは両立しないものだ。


「そうですわね。差出人はいつものごとく女狐ですわ」


 主は軽やかにラグニルの言葉を肯定した。ならば余計になぜ、とラグニルはさらに首を傾げる。


 そんなラグニルに向かって、主である少女はヒラリと便箋を振ってみせた。さりげなくアイリスの花があしらわれた便箋は、大公家の人間が公的な手紙に使う特別な代物であったとラグニルは記憶している。


「旅行のお誘いですわよ」

「旅行?」


 ますます意味が分からない言葉にラグニルは眉を潜めた。そんなラグニルに主は便箋を手渡す。極秘文書ではないのか、と思いながらも視線を落としたラグニルは、文面に素早く目を走らせると軽く目をみはった。


「『第三十一番隊イライザ暗殺部隊へ命じる。大公姫の本国登城口上の護衛をせよ』……だと?」


 手紙の体を取っていながら、その内容はほぼ司令文書だった。


 手紙の内容を把握したラグニルは、今度は内容を把握できたからこそ首を傾げる。そんなラグニルを見上げて、主は優美な笑みを浮かべた。


「女狐が正式に玉座を継ぐための下準備のようなものですわね。こちらエルランテの大公は、玉座を継承するために向こうエゼリアの皇帝から認可が必要ですの。だからその前に挨拶は必須というわけですわ」

「その習わし自体は俺も知っている。俺が疑問なのは、なぜその護衛を俺達イライザがしなければならないのかということだ」


 次期国主が玉座継承の下準備として隣国へ出向く。これは立派な公務であり、国として大々的に行われる行事だ。


 そういう時に大公家の人間を護衛するために、国軍にはわざわざ『大公家親衛隊』と銘打たれた部隊が用意されている。お忍び旅行の護衛をしろと言われるならばまだしも、国を挙げての行事の護衛にわざわざ暗殺部隊が抜擢される理由が分からない。


 ──そもそも、俺達は暗殺部隊。正式な軍属でもない俺達が、なぜわざわざそんな一大行事の護衛を?


 ラグニル達イライザの面々が忠誠を誓っているのは、国でも大公でもなくあくまで目の前に座すこの少女だ。そもそも自分達は彼女の穏やかな生活を守るために存在しているのであって、国にこき使われるために存在しているわけではない。


 ──生活保証の見返りにお嬢が国に仕えているとはいえ、あまりに度が過ぎる要求を突きつけられるならば、その時は……


「ラグニル、貴方あなた、御存知なくて?」


 考えに沈みかけたラグニルの意識を可憐な声が引き上げる。その声にハッと我に返れば、ラグニルの視線の先で主はニコリと笑った。


 花が咲くように愛らしく。


 の名に相応しい禍々しさで。


「向こうにも『イライザ』と呼ばれる極秘の三十一番隊が存在しておりますの。もっとも、向こうは『暗殺部隊』ではなく『特殊部隊』の名を冠しているようだけれども」


 ヒトならざるモノ達で構成された部隊を率いる隊長の顔を垣間見せた主は、実に面白そうに瞳を細めた。その中に狩りを楽しむ猫のような気配を感じ取ったラグニルはスッと表情を掻き消す。


「数年前に旗揚げしたことは風の噂で聞いておりましたわ。一度、直に相見まいまみえてみたいと思っておりましたの」

「お嬢の気を引くような何かが、そいつらにあるのか?」

「ええ」


 毒が滴るような禍々しさを花の可憐さで包み込んだ少女は、その笑みの中に今度はスッと刃のような冷たさを落とし込む。


「わたくしの本命は『砂金』だけれど、貴方としては別のことの方が気に掛かるかもしれませんわね」

「別?」

「『黄昏の公爵アーベント』」


 その言葉が耳に届いた瞬間、ラグニルの呼吸が止まった。動きを止めて久しい心臓が、今だけコトリと動いたような心地がする。


 そんなラグニルの様子をつぶさに観察していた主は、さらに大輪の花が咲き誇るように笑みを広げた。


「ほら、気に掛かる話題だったでしょう?」

「……やつが、この話に、どう」

「向こうの隊長が『黄昏のアーベ公爵ント』当人だそうよ?」

「は?」


 思わずラグニルは顔をしかめたまま気が抜けた声を上げる。そんなラグニルの反応がお気に召したのか、主はクスクスと楽しそうに声を上げた。


「それは、本当に、俺が知っている『黄昏のアーベ公爵ント』で間違いないのか?」

「貴方と同格の『黄昏の公爵アーベント』が何人もいるならば話は別だけども」


 主は悪戯いたずらめいた微笑みを絶やさないまま肘掛けに頬杖をつく。ラグニルを見上げる漆黒の瞳に青い燐光が舞ったのは、恐らくラグニルの見間違いではないはずだ。


「ねぇ? 『四大公爵ヘアツォーク』が一角、『深更のミッター公爵ナハト』ラグニル・バスクリット公?」


 その言葉に、ラグニルは答えなかった。ただジワリと、己の紅茶色の瞳に別の色がにじんだのが分かる。


 ずっとラグニルを見上げていた主には、その変化の一部始終が見えていたのだろう。主はスッと笑みを引くと、ヒラリとラグニルへ片手を差し伸べた。


「わたくし達の今回の役目は、彼らへの牽制。どうやら女狐も女狐で、万が一にも彼らに邪魔をされたくない何かがあるようね」


 その手にうやうやしく手紙を返したラグニルは、そのまま流れるように主の足元へ片膝をつく。そんなラグニルの姿を当然のものとして受け入れた主は、手紙をテーブル上へ放り投げると再びラグニルへ片手を差し伸べた。


 傲然とラグニルを見下ろすかんばせには、変わることなく笑みが浮いている。


「ただし、わたくしはただただ見世物にされるために出向くなんて御免ですわ。せっかくかねてより気になっていた場所へ連れて行くと言われているんですもの。わたくし達はわたくし達の目的のために、好き勝手に暗躍させていただきましょう」


 差し伸べられた手を、今度のラグニルはそっと下からすくい上げた。


 繊細なガラス細工を扱うかのように。


 あるいは天上の至宝に触れるかのように。


 主の白く美しい指先を柔らかく取ったラグニルは、真紅に染まった瞳を伏せるとその爪先に触れるか触れないかといったささやかな口付けを落とす。


 その光景に満足そうに瞳を細めた主は、鈴を振るような玲瓏れいろうな声で、浮かべた笑み通り傲慢に命じた。


「出撃の準備を」

我らが主の仰せのままにJ a w o h l , F r a u  F r ä u l e i n


 答える声によどみはない。


 その艶やかな声に同意するかのように屋敷の空気がフルリと震えたのを感じたラグニルは、主を見上げたまま声音以上に艶が滴る笑みを浮かべていた。

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