【Erzherzog】

「はい! 皆様、お集まりいただきありがとう!」


 聞いたこともないレベルで張り切った声を耳にした瞬間、ヨルは思わず遠くを見つめたまま鉄仮面を引きらせた。


 普段ならば人気がない執務室……という名の廃教会の一室に、珍しいくらいに人が集まっていた。一人を除けば部隊の面々が勢揃いしていることになる。


 そんなある種異常な光景の中、それを上回るレベルの異常さで張り切った少年隊長が『フンスッ!』と鼻息も荒く口火を切った。その動きに合わせて肩に掛けられた背丈に合わない漆黒の軍服がユラリと重く揺らめく。


「それではただ今より、きたるエルランテ公国本国登城口上の会場警備に関する打ち合わせを始めたいと思います!!」

「珍しく隊長らしいことしてるわね、リーヒ」

「いよっ! 隊長、いつになく決まってるっすねぇ!」

「異常……」

「はーい、みんな、『珍しく』とか『いつになく』とか『異常』とか失礼なことをサラッと言わなーい!」


 ──皆さんの反応の方が真っ当だと思うのですが……


 一人無言だったヨルはさらに遠くを見つめたまま内心だけで呟いた。実際に口に出して言ってしまえばリーヒにうるさく絡まれることは目に見えている。そんな愚を犯すのは時間の無駄だ。周囲の心の声が聞こえてしまうキルケーには筒抜けになっているだろうが、そこはご容赦願いたいヨルである。


「張り切るのも当たり前でしょ? エルランテの本国登城口上ってのは、エルランテ公国の代替わりに備えて行われる行事。つまりこっちにしても皇帝一代につき一回、あるかないかの行事なんだからさ!」

「いや、そんなことにはしゃぐような隊長じゃないでしょうて」

「ヨル君、何か言った?」

「いえ」


 今度は内心を飲み込むことができず、うっかりポロリと言葉がこぼれ落ちていた。そのうっかりを聞き逃してくれなかったリーヒがジットリとした視線をヨルへ向ける。


「んもぅ! みんな危機感ないんだから!」


 コホン、とわざとらしく咳払いをしてみせたヨルから全員へ視線を向け直したリーヒは、一度大きく溜め息をつくと腕を組んだ。その瞬間、『天の御使いのごとき』と形容されるリーヒの整った顔立ちがスッと引き締まる。


「あのねぇ、普段はない人の流れができると、その流れに乗って普段は流れてこない魔……夜の住人達にも移動の波ができるんだ。その流れに気を配るのは、『ヒトならざるモノ』を相手にする、僕達イライザ特殊部隊の領分なんだよ?」


 夜の住人。ヒトならざるモノ。


 妖精や狼男、吸血鬼、魔女、黒魔術師。


 御伽話おとぎばなしの中で語られる彼らは、こちらが思っているよりも存外近しい場所に存在している。昼と夜で棲み分けをしているヒトとヒトならざるモノ達の境界は、時としてひど曖昧あいまいだ。夜の住人達の君主である『公爵ヘアツォーク』が必要以上にその境界をおびやかすことを禁じていても、彼らは時に意図して、時に意図せず、その境界を侵す。


 そんな彼らとヒトが起こす『存在してはならない事件』を解決するためにエゼリア帝国軍の中に密やかに置かれているのが、世間一般には『存在していない』と言われている第三十一番イライザ特殊部隊……つまり、この部屋に集った面々である、わけなのだが。


「確かに、それはそうですね」


 ヨルは落ちてもいないメガネのブリッジを右の中指で押し上げながら、チラリとリーヒに視線を投げた。


「で、本心は?」

「国賓を迎えるために皇宮の菓子職人コンディトア達が普段は作らないスイーツ作りに励んでるらしいんだ!! こんな機会は滅多にないっ!! 何を犠牲にしてでも食べ逃がすわけにはいかないっ!! だから警備にかこつけてパーティー会場に潜入したいっ!! いや、絶対に僕はパーティー会場で珍しいお菓子を心ゆくまで堪能するっ!!」


 ──やはりそれでしたか。


 分かり切っていた本心にヨルは思わず深々と溜め息をついた。


 ──うちの部隊に限って、『真面目に職務に励む』やら『職責が』なんて考えが生まれるわけがないですよね……


 イライザ特殊部隊が公に『存在しない』とされているのは、『夜の住人が起こす事件を解決する』という通常の国軍にあらざる任務が課されているためだ。


 だが最近のヨルは、案外所属している面々の方に問題があるからこそ、存在が秘されているのではないかと疑っている。


「やっぱり本心はそこなのね」

「かくいうロゼだって、エルランテの式典服が見れるってテンション上げてたじゃない」

「そうなのよ! エルランテ次期大公のお姫様の正装なんてそうそう見られるもんじゃないわぁ! イライザやってて本当に良かった!」


 抑えきれない高揚を表すかのようにロゼは両手で頬を押さえると身もだえる。


 イライザ一行のお姉さんといった立場でいることが多いロゼがここまで分かりやすくはしゃぐのは珍しい。シニョンに結い上げた髪からこぼれ落ちたロゼワイン色の後れ毛が漆黒の軍服の上を舞うと、濁った午後の光がパッとそこだけ華やいだような気がした。


 ──まぁ、ロゼさんの関心がどちらかと言えばそこにあることも、何となくは分かっていました。


 中性的で華やかな容姿と高い美意識を持ち合わせるロゼは、世間の流行や服飾にも敏感だ。『魔女』として生きるロゼにとって、他国の宮廷文化に接することができる機会を取り逃がす手はないのだろう。


 たとえロゼの生物学上の性別が男であったとしても。


「でもよぉ、エルランテとエゼリアって、隣同士で国祖も確か一緒なんだろ? 似たりよったりな国なのに、そんなに違いってあるのかぁ?」


 そんなロゼの発言に水を差したのは、ロゼの隣に座っていたヴォルフだった。


 ヴォルフが上げた疑問の声にも笑みを崩さなかったロゼは、チッチッチッと指を振りながらヴォルフに答える。


「分かってないわね、ヴォルフ。親戚筋にあたりながらも反目しあってるからこそ、差別化を図って宮廷文化に違いができるんじゃないの」

「ふぅん?」


 テンションを上げているロゼに対して、ヴォルフはイマイチ要領を得ない顔で首を傾げた。


 短く刈られた銀の髪に屈強な体つき、着崩した軍服という姿はいかにも『不良軍人』といった体だが、すがめられた黄金の瞳と素直に疑問を表情に載せた顔は愛嬌あいきょうに溢れている。総トータルして見ると『気の良さそうな青年』に見えるのがヴォルフの不思議な所だ。


 ──まぁ、ヴォルフさんにしてみれば『服飾文化』なんて最も興味のない分野でしょうしね。


 ヨルは思わず己の独白に『うんうん』と頷いてしまった。


 そんなヨルの内心を知らないヴォルフは、眉間にシワを寄せるとさらに言葉を続ける。


「てかさ、何がそこまですごいんだ? その……あー、ホンゴクトージョー、コージョー? ってやつ。美味い肉食える?」


 だが続いた言葉にヨルは思わず腰を降ろしたソファーからくずおれかける。


 ──そこからですか!?


 いや、興味は薄いだろうとは思っていたが、まさか発音が怪しくなるほど興味がないとは。見た目よりよほど長生きしているはずなのに、何が行われるのか把握していなかったとは。


「ヨル」


 何とか気力で姿勢を正したヨルに、隣からひそやかな声が響く。その声に反射的に視線を落とすと、深く被ったフードと目元を覆う包帯の下から視線が飛んだ。


 チョコンとヨルの隣に腰掛けたキルケーは、今日も変わらずローブのフードを目深に被って全身を隠していた。優雅にドレープを描くローブの下には、少女向けのプリーツスカートタイプの軍服が見え隠れしている。


 フードの下から微かにこぼれた亜麻色の髪を揺らしながら、キルケーは軍服の袖に見え隠れする小さな両手をグッと握りしめてヨルに示す。


「頑張って」


 己より歳下である可憐な少女からの激励に、ヨルは力なく微笑んだ。


 なぜだろう。激励されているはずなのに、己の両目の焦点がさらに遠くで結ばれたことが分かってしまう。


「……?」

「えー、あっと……ありがとう、ございます、キルケーさん」


 強力なテレパシー能力ゆえにヨルの諦めモードな内心を覚ってしまったキルケーが戸惑いと焦りが混ざった表情を口元に浮べる。そんなキルケーの頭をポンポンと軽く撫でながら『大丈夫、間違っていませんよ』と軽く念じたヨルは、一度深呼吸をしてから声を上げた。


「皆さん、静粛に」


 さらにパンパンッと軽く手を叩けば、各々おのおの勝手に盛り上がっていた三人が口をつぐんでヨルに視線を向ける。


「『エルランテ公国本国登城口上』というのは、エルランテ次期大公がエゼリア帝国の皇帝に自分が玉座を継ぐ予定であることを告げ、玉座継承に承認を得るというものです」


 一行の視線を自分に集めたヨルは、前置きなく説明を始めた。場の主導権をヨルに握られたリーヒは、ぷくぅと頬を膨らませながらポスリと己の席に埋もれるように腰を下ろす。真面目な方向に舵を切られたことは面白くないようだが、かと言って自分の興味関心がある話題へ舵を切り直すつもりはないらしい。


「『本国』という言葉が入るのは、エゼリア帝国側がエルランテ公国を『従国エゼリア』と呼んでさげすんでいることに由来していますね」


 リーヒが本格的に司会進行を投げたと察したヨルは、これ幸いとばかりに続く言葉も口にする。


 エルランテ公国。


 ヴォルフが言った通り、エルランテ公国大公家はエゼリア帝国皇帝家から別れた血筋だ。


 伝説によると、エルランテ大公家の祖は当時のエゼリア皇帝に反目し、自分の賛同者を引き連れて皇帝家を出奔。そのまま自分達で国を建てたという。


 つまり血筋的に見れば、エゼリア帝国が本家でエルランテ公国が分家。国家の規模で言っても、領土、国民、財力、全てにおいてエゼリアがまさっている。


 そんな力関係があるせいで、たもとを分かってから200年以上の年月が過ぎているというのに、いまだにエゼリア側はエルランテを『自分達より下』『自分達に当然従うべき存在』と蔑んでいるらしい。国主の代替わりが近付くたびに、わざわざエルランテの次期大公本人を直々にエゼリアへ挨拶に来させているのもその一例だ。


「従国、ねぇ」


 不意にリーヒが小さく呟いた。その声に反射的にリーヒを見やれば、腕と足を組んだリーヒが淡く嘲笑を浮かべている。


「そう言って押さえていなきゃ、自分達のメンツが立たないってだけだろうに」


 クスリと語尾に笑みをにじませたリーヒは、瞳に嘲笑以外の色を混ぜた。


 人々を狂わせる、赤い満月を連想させる真紅を。


「何せ、捨てられたのは自分達エゼリア側なんだから」


 ヨルはその言葉にあえて反応を示さなかった。ロゼも、ヴォルフも、キルケーさえもが口を開かない。


 それが疑いようのない真実であると、この場にいる面々は……いや、エゼリアの闇に住まう者ならば、誰もが知っている。


 ──開国の祖の能力を正しく継承していた皇帝家の人間は、玉座に座った同族のやり方に賛同ができず、結果、彼と彼が治める国を見限って出奔した。


 エゼリア帝国を開いた初代の皇帝は、夜の住人達と交流できる能力があったという。初代は夜の住人の協力を得て、なかだまし討ちのような形でこの地を治めていた大蛇を殺し、大蛇の領土であった肥沃な土地を手に入れてヒトのための国を開いた。


 エゼリア皇帝家は、その時点で夜の住人達を敵に回している。さらには厄介な呪いまで背負い込むことになった。


 それでも国と皇帝一族が滅ばなかったのは、開国の祖から受け継いだ力が皇帝一族にあったからだ。


 だがその力を有する同朋を当時の皇帝はないがしろにしたらしく、結果、見切りをつけられて出奔されてしまった。これを『捨てられた』と言わずして何と言うべきなのだろうか。


 ──それで最終的に夜の住人達の主である『公爵ヘアツォーク』に泣きつくことになるのですから、本当にバカと言うべきか、何と言うべきか。


 そういった秘された歴史があるからこそ、エゼリアは必要以上にエルランテを見下そうとするのだろう。


 何せそうでもしていなければ、エゼリアには保てるメンツがないのだから。


「縛り付けてあるのは、本心では結局怖いし、最後の最後に泣きつくとしたら、相手は同族エルランテになるからだ。だから自分達の使い勝手のいい駒になってもらうために、エゼリアはエルランテ建国からずっと、エルランテを蹂躙じゅうりんし続けた」


『僕達をここに縛り付けているのと、理屈は同じだね』という声が、聞こえたような気がした。


 ──そう、同じ、だ。


 万が一にも、その牙を自分達に突き立てられないように。万が一にも、反抗の切っ先が自分達に向けられることのないように。


 さらにその上で自分達にとって使い勝手が良いように、自分達の手元で飼いならすことにした。未来永劫反逆などされないように、徹底的に上下関係を刻み込んだ状態で。


 ──本当に、学ばない国だな。


 そんな押えつけ方をしていれば、その軋轢あつれきの中からどんな感情が醸造じょうぞうされるかなど、至極たやすく想像できそうなものなのに。


「で? それがどうしたの? ヨル君。ヒト対ヒトのいさかいに口を出すのは、の仕事じゃないはずだよ」


 思いを馳せていたヨルはリーヒの声に意識を引き戻された。ハッとリーヒを見やれば、紅茶色の瞳を冷めさせたリーヒはつまらなさそうにヨルを見つめている。


 ──まぁ、隊長にとって重要なのは『珍しいお菓子を食べられるか否か』であって、他のことはすべからく些事さじですからね。


 国が生まれようが潰れようが、その間でどんな感情の応酬があろうが、リーヒにとってはどうでもいいことであるはずだ。先程口にしていた『夜の住人が〜』というのも、お菓子に辿り着くまでの手段であって、本心ではどうでもいいに違いない。


 リーヒにとって興味があるのは、スイーツと、。ただそれだけ。


 そうと分かっていながら、ヨルがこうしてわざわざ丁寧に説明をしているのは、本題を切り出すために必要な前座だったからに他ならない。


「今回の皇帝勅命は、以下の通りです」


 何回吐き出してもなくならない溜め息を飲み込んで、ヨルは小脇に抱えていた書類をペラリと一行へ示した。公文書であることを示すアイリスの紋章と皇帝直筆のサインを皆に示しながら、ヨルはそこに書き込まれた皇帝勅命を読み上げる。


「『エゼリア帝国軍第三十一番イライザ特殊部隊に告ぐ。エルランテ公国本国登城口上がつつがなく終わるよう、あらゆる脅威から守り抜け』……だそうで」

「ふーん?」


 リーヒの興味は相変わらず薄い。ロゼとキルケーは表情を改めたが、ヴォルフは首を傾げたままだ。


 大体予想通りの反応を確かめたヨルは、掲げていた勅書を小脇に戻しながらリーヒへ視線を向ける。ヨルからの視線を受けたリーヒは、つまらなさそうに再び唇を開いた。


「本来必要ないはずである僕達をあえて呼びつけるってことは、皇帝にはあらかじめ何かが起きるって予測ができているってこと?」


 そう、本来ならば、エルランテ公国本国登城口上にイライザ特殊部隊が介入する余地はない。


 むしろ皇帝側からしてみれば、イライザ特殊部隊は事が終わるまで大人しくしていてほしい存在の筆頭であるはずだ。何せ夜の住人達への切り札として用意されている自分達こそが、国に最も監視されている『厄介者』であるのだから。


「そこまでのことは私も聞いていないので、何とも言えませんが」


 ヨルは瞳を伏せると慎重に言葉を紡ぐ。


「何も裏がないとは、言い切れませんね」

「……ふーん?」


 リーヒから上がった声は先程とほぼ同じだった。だが今上がった声の方が先程よりも冷え切っている。無関心ではありながらも、リーヒもリーヒで何か考え込んでいるのは、視線を他所よそへ流したリーヒの表情を見ていれば分かった。


「まぁ、皇帝側が情報を出し惜しみするのはいつものことです。何も情報が手元にない状態であれこれ推測しても意味などないでしょう」


 今議論しても仕方がないことは、話題に上げ続けても意味はない。


 ヨルはやんわりとリーヒの言葉を退けると、手元に用意していた地図をテーブルの上に広げた。ヨルの対面に座るロゼとヴォルフ、さらにヨルの隣に座るキルケーが興味を引かれたかのように地図を覗き込む。


「会場警備の地図です」

「よく手に入ったわね。これ、今の皇宮では最上級の極秘情報でしょ?」

「『あらゆる脅威から守り抜け』と言うならば最低限の情報くらいは寄越せ、そうでなければやれることもやれない、と言ってやりました」

「まぁ、確かにそうだよなぁ」

「ヨル、偉い」


 地図に書き込まれていたのは、各式典当日のおおよその警備情報だった。どのポイントに何人、どこの部隊から人が派遣されるか、ざっくりとした計画が書き込まれている。概要だから当日多少の変更はあるだろうが、根本の部分が大きく変わることはないだろう。


「あらかじめ目を通してみましたが、抜けは感じませんでした。我々は本当に、我々の領分にのみ注意を払えば大丈夫かと」

「そうねぇ。単純に夜の住人達の侵入を防ぎたいなら、結界を張っちゃうのが一番手っ取り早いかしら?」


 ロゼの言葉にヨルは地図に落としていた視線をロゼへ向けた。片手を口元に添えたロゼは結界展開に必要な手順を考えているのか、ロゼワイン色の瞳は真剣に地図の情報を追っている。


 そんなロゼの思考を邪魔しないように、そっとヨルは疑問を投げた。


「そういった物は、アッシュさんの専門分野なのでは?」

「アッシュ、連絡、つかない」


 ヨルの疑問の声に答えてくれたのは、ロゼではなくキルケーだった。わずかに口をつぐんで耳を澄ましたキルケーは、ヨルを見上げるとフルフルと首を横に振る。


「私の聞ける範囲に、アッシュ、いない」

「皇宮にも、大教会にもいない、ということですか?」


 ヨルの問いにキルケーがコクリと頷く。


 強力なテレパシー能力を持つキルケーは、能力の有効範囲内にいる人間の心の声をすべからく拾うことができる。交流のある人間ならばキルケー側から声を届けることも可能だ。キルケーはその能力を活かしてイライザの伝令官を務めている。


 ──しかしキルケーさんが声を拾えないとは、随分遠くに出掛けているようですね。


 馬が合わないアッシュが相手とはいえ、キルケーが意識して声を飛ばせば都であるアメジュラント全域が有効範囲内に収まるはずだ。皇宮や大教会に範囲を絞ればキルケーが声を聞き逃すことなどあり得ない。


 イライザ特殊部隊に所属していながらイライザを内部から監視する任を帯びているアッシュは、ヨル達の前に姿を現さなくても大抵は皇宮か大教会に詰めている。祓魔師としての任が入っても、帯びている事情が事情であるだけに遠方への出張を命じられることはそうそうないはずだ。


 ──教会側も本国登城口上には無関係でいられないはず。この時期に懐刀であるアッシュさんを遠出させるとは思えませんが……


「まぁ、いいじゃない! アッシュがいないならいないで、その方がアタシ達にとっては気がラクだし」


 思わぬ情報にヨルは一瞬思考の淵に沈む。


 そんなヨルの思考を止めたのはロゼだった。ポンッと手を打ったロゼはニコリと綺麗に笑う。


「せっかくのイベント事なんだもの。チャチャッと片付けて、楽しみましょうよ」

「おー! 歓迎パーティーの警備は任せろ! 美味い肉がある会場はしっかり守らねぇとな!」

「離れた場所から、支援する」

「じゃあアタシは謁見会場の警備の方がいいわぁ。ドレス見放題!」


 動機は不純なままだが、何だかんだ言いつつも担当場所が決まっていく。何とかメンバーを乗り気にさせたヨルはホッと安堵の息をついた。


 それからようやく、一番不純な理由で乗り気だったリーヒが静かなままであることに違和感を抱いた。


 ──こういう話になったら『スイーツがある場所が僕の担当ね!』くらい言ってきそうなものですが。


 ヨルはチラリとリーヒを見遣った。だがどこか心ここにあらずなリーヒは、肘掛けに頬杖をついたまま瞳を伏せて何やら思案に暮れている。


 ──隊長?


 今の外見に似つかわしくない憂いに似た雰囲気に、ヨルは口を開けないままリーヒを見つめていた。

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