『エルランテ公国本国登城口上』と一口で呼ばれている行事は、蓋を開けてみると実は細々とした式典の連続だ。次期大公を中心とした外交使節団は短くてもひと月、長ければ数ヶ月に渡ってエゼリア皇宮に滞在することになる。


「国の主要人物にそこまで長期の滞在を強いるなんて、外交問題になるのでは?」


 次期国主であれば、常日頃から国政でも重要な位置を占めていることだろう。そんな人物を長期間に渡り引き留めておくなど嫌がらせに他ならない。これがエゼリアとエルランテ以外の国で行われていれば、それを理由に国家間の争いに発展してもおかしくはないだろう。


「実際問題、嫌がらせなのよ」


 ヨルの疑問の声に答えてくれたのはロゼだった。ヨルとともに教会の中二階に巡らされた回廊の片隅に控えたロゼは、ヨルと同じように階下に視線を向けながらひそめた声で言葉を続ける。


「エルランテ側が下手に手早く済ませようとすると『主国が従国を歓待しようとしてやっているのに無碍むげにするつもりか』って因縁つけるのよ。嫌がらせ以外の何物でもないでしょ、そんなの」

「……エゼリア皇帝の性格が悪いのって、もしかして血筋なのでしょうか」

「案外、そうなのかもしれないわね」


『到着報告謁見』と呼ばれる式典の会場である、皇宮内に建てられた教会の片隅だった。


 皇宮に到着したエルランテ次期大公は、まずこの教会でエゼリア皇帝に到着の挨拶をするのが習わしであるという。さらに今晩は国政の中心人物と使節団の主要人物達で歓迎パーティーが開かれる予定だ。しかしそれはあくまで『到着したので取り急ぎ』という挨拶程度のものとされているらしく、本格的な謁見も歓迎パーティーも数日後に改めて大々的に執り行われるらしい。


 ──予算と手間の無駄では?


 普段から裏方事務仕事を領分とし、さらには庶民階級出身であるヨルに言わせれば、似たような行事を何度も繰り返すのは無駄の極みだ。『一度にまとめてキッチリ片付けてしまえば、その分予算も振り回される人間の手間も減るでしょうに』という身も蓋もない感想しか出てこない。


 ──まぁでも、基本コンセプトが『エゼリアによるエルランテへの嫌がらせ』であるならば、その無駄にもまた意味はあるのかもしれませんね。


 さらに身も蓋もない感想を胸中で転がしたヨルは、中二階に巡らされた回廊の手すりに身を隠しながらひっそりと階下に視線を投げた。


 階下には文武を問わず皇宮の主要人物が詰めているが、警備のために会場に詰めたイライザ特殊部隊の人間はヨルとロゼの二人だけだ。


 リーヒは『今晩のパーティーに出されるお菓子の試食に行ってくるね!』と不真面目極まりない理由で姿をくらまし、ヴォルフはヴォルフで『俺、そういう場所で静かにしてるの苦手なんだよなぁ』とぼやいて席を外している。人が集まる場所にいると声酔いするキルケーは、静かな場所に待機してこちらの様子に耳を澄ませてくれているはずだ。


 ──まぁ、正確に言えば、私とロゼさん以外にも、詰めていると言えば詰めているわけなのですが。


 ヨルはチラリと視線を動かす。


 詰めた貴族達の中でもかなり前方……下手をすれば皇帝一族の末端と同格かと思えるような位置に、見覚えのある不機嫌そうな顔が見えた。軍服でも司祭服でもない見慣れない礼服とキッチリ整えられた髪型に一瞬よく似た別人かとも思ったのだが、眉間にクッキリと刻まれたあの深いシワは中々常人には作り出せないものだろう。


 アッシュ・キルヒライト。


 軍人として見れば少尉、祓魔師として見れば特上級祓魔師であるイライザ特殊部隊の目付は、生まれで言うと国有数の大貴族・キルヒライト公爵家の人間であるという話だ。


 ──なるほど。キルヒライト公爵家の領地まで呼び出されていたから、キルケーさんでも連絡が取れなかったわけですか。


 アッシュとイライザ特殊部隊の面々の間にある溝は深い。互いに毛嫌いしているせいで、任務に関わることであっても基本的に会話は喧嘩腰だ。そんな状況で雑談など弾むわけもなく、思えばヨルはアッシュ個人のことなどほとんど知らない。恐らく他の面々も似たりよったりな状況だろう。


 といっても、これを機会に歩み寄りたいとも思わなければ、アッシュ個人のことを知りたいとも決して思わないが。


 ──この場にいると事前に一報もらえれば、こちらもそれに合わせて計画を変更できたものを。


 そう苦々しく思う程度だ。


「性格の悪さは皇帝に並ぶものがあるんじゃない?」


 ロゼも恐らくヨルと似たようなことを考えていたのだろう。珍しく不調法に舌打ちをこぼしたロゼが険のある声で呟く。


「あいつが結界張ってるせいで、こっちの予定が狂うったらありゃしないわ」


 教会は、夜の住人や、教会の教義に反する『異端』を狩る組織だ。アッシュが振るう『神の奇跡』と呼ばれる力は、ロゼが振るう魔女術ウィッチクラフトとも、キルケーの『力』とも相性が悪い。ロゼ曰く、同じ場所で力を振るいあう場合は、それなりの配慮がいるらしい。


 元々、イライザ特殊部隊としての計画では、ロゼがこの教会を囲う形で結界を展開する予定だった。だがいざ現場に出向いてみると、すでに教会側でかなり強力な結界が展開されていた。


 教会という場所で展開するならば祓魔師の結界の方が相性はいい。寝耳に水な展開に驚いたロゼとヨルだったが、仕掛けを部分的な物に切り替え、予定通りに会場を見渡すことができる場所に忍び込んだ、というのがここまでの流れだ。


 ──寝耳に水、といえば。


 ヨルはチラリと傍らを見やる。だがどれだけ視線を巡らせてみても、いつも自分の腰回りをじゃれつくように揺れている漆黒の軍服は見つからない。


 リーヒが傍にいないことは特段珍しいことではないはずなのに、なぜか今日は妙に気分が落ち着かなかった。てっきり文句を言いつつもヨルとともにこの場にやってくるか、もしくはヨルをこの場から無理やり連れ出してスイーツ漁りに同行させるかと思っていたせいかもしれない。


 ──どうにも、に落ちないというか……


 ここ数日のリーヒの行動には、何となく違和感がある。うまく言葉にできないのだが、様子がおかしい。


 そう、ヨルが皇帝勅命をイライザの面々に伝えた、あの会議の席から……


「にしても、何なのかしらね? この警戒の仕方」


 一瞬、思考の淵に沈みかけたヨルは、低く紡がれたロゼの声にハッと我に返った。隣を見上げれば、会場を見つめたロゼの瞳がスッとすがめられる。


「ただの用心だけなら、ここまでの規模と強度の結界を用意する必要なんてないはずなんだけど」


 ロゼの低い呟きにヨルも己の目元に険が宿るのを感じた。


 ロゼ曰く、今この場に展開されている結界は『本性のリーヒなら余裕で破れるだろうけれど、普段のリーヒじゃちょっと苦戦する』というレベルのものであるらしい。


 ──つまり、『大概のモノでは破れないし、そもそも中に侵入することもできない』……本格的な悪魔祓いの時くらいしかお目にかかれない代物。


 その強度をヨルは己の身にかかる息苦しさの度合で察している。恐らくアッシュはこの結界を展開するためだけに、教会とキルヒライト公爵家によってこの場に招聘しょうへいされたのだろうというのがロゼの見解だった。


「……エルランテ大公家は、夜の住人と交流する力を持っているとは言っても、ヒトであることには違いないのですよね?」

「そうね。ヒトの国を治めているんだもの。昼の住人であるはずだわ」


 ──ならばこの結界は、エルランテ大公家への対策ではない?


 いかに強力な結界とはいえ、その効力が意味を成すのは夜の住人や曰く付きの品を相手にした場合だけだ。実際問題、階下に詰めた人間の中で、ヨルが今感じているような真綿で喉を絞められるような息苦しさを覚えている人間は皆無だろう。


 エゼリア側は、明らかに夜の住人の影におびえている。このエルランテ公国本国登城口上で何かが起きると確信している。


 ならばその『怯え』は、一体何に向けられたものなのか。


 ──結界を展開する意味としては、何かを守るため。内にある物を外へ取られないようにする時。あるいは、外部の攻撃から身を守りたい時。


 会場を見据えたまま、ヨルはスッと目をすがめる。


 その瞬間、ユラリと微かに空気が揺らぐのが分かった。


 実際に空気はソヨリとも動いていない。それでも『揺れた』と感じたのは、教会を取り囲むように展開された結界が何かに反応して揺れたからだ。


「御報告申し上げます!」


 その揺らぎに階下のアッシュが一瞬早く入口扉を振り返る。ヨルとロゼが反応したのはその後だった。さらに遅れて入口扉の左右に立った衛兵が声を上げる。


「エルランテ公国次期大公アイシャ姫、及び侍従方の御到着でございます!」


 ドンッと衛兵が槍の石突で床を叩く。その音が合図であったのか、皇帝側が何か言葉を発するよりも早く入口扉は開かれた。


 重い軋みとともにサッと光が差し込み、ステンドグラスの前に置かれた玉座に座す皇帝の元まで一筋の光が走る。徐々に太くなっていくその光は、まるで来訪者に進む道を示しているかのようだ。


 ならばその道へ迷いも気負いもなく踏み込んできた一行は、光の海の中を泳ぐ魚であったか。


 ──……若い。


 先頭を行くのは、淡い金の髪を背に流した年若い娘だった。エメラルドのような瞳が輝くかんばせから雪を想像したのは、冷たく整った顔に表情らしき表情がなかったせいだろう。灰色の飾り気がない、シルエットもスッキリとしたドレスの上に深い紺碧色の軍服を羽織った大公姫は、左右に居並ぶ要人達などまるで見えていないかのように軽やかに、しかし優美に歩みを進めていく。


 アイシャ・ルイーゼ・ルフィア・エルランテ。


 資料によれば、若干18歳。さらに女性の身でありながら、次期大公として本国登城口上に臨むことになった当代エルランテ大公の唯一の実子。


 そんな彼女の後ろには、男女一人ずつ従者が従っていた。


 アイシャ自身も若いが、この従者達の見目もまた若い。女性に関しては『幼い』とまで言えそうな年齢にも見える。


 その従者の容貌を見て取ったヨルはそっと瞳を細めた。


 ──あんな従者がいるなんて、資料には記載がなかったのですが……


 黒髪の女性はパッと見てヨルよりも歳下、焦げ茶の髪の男性は本性のリーヒと同年代かといった印象だった。


 マーメイドラインも優美な軍服に身を包んだ女性は、黒髪をロゼのようにシニョンに結い上げていて、淡く笑みを湛えた桜色の唇がこの距離からでもハッキリと見て取れる。この状況を楽しむ余裕があるのか、涼やかな漆黒の瞳は柔らかく弧を描いているようだった。まとう空気にはどこかこの国の王侯貴族とはおもむきが異なる神秘的なしとやかさが漂っている。もしかしたら東大陸……あるいはさらにその先に位置する極東の異民族の血を引いているのかもしれない。


 対する焦げ茶の髪の男性は、軍服に不釣り合いなくらい華やかな顔立ちをしていた。下手に笑みを浮かべただけで『軽薄』と評されそうなくらい華やかな容貌でありながらも、彼から感じるのは『気品』や『威厳』といった上に立つ者の風格だった。見目から受ける以上に貫禄がにじみ出ている様は『軍人』という役職よりも『貴族』や『領主』といった立場の方がよく似合う。


 その雰囲気が誰かに似ているような気がして思わず青年を注視したヨルは、心当たりに思い至ってさらに目元の険を強めた。


 無条件で人の目を奪う美貌。視線ひとつで周囲をひれ伏させる絶対君主の圧。


 ──リヒトシュテインに似ているのか。


『麗しい』という共通項があるだけで顔立ちも似ていなければ、髪の色も、体格も、身を包む色彩も異なる。


 そうでありながら青年には、軍服の紺碧がひどく似つかわしくなかった。


 漆黒の闇の中に浮かぶ、赤い満月。


 きっと彼には、狂気的な赤がよく似合う。


 とっさにそう思うくらいに、彼が纏う空気はリーヒの本性である『黄昏の公爵』リヒトシュテインとよく似ていた。


 ──リヒトシュテインと『同種』であるならば、人間であるはずがない。……でもここには、相当強力な結界が展開されていて、並の魔物は立ち入ることはできないはず。


 その事実に、ヨルは静かに奥歯を噛み締める。


 その瞬間、だった。


「────」


 大公姫の後ろに付き従っていた少女が、不意にフワリと視線を上げた。大きく首を巡らせた少女は、まるでヨルの内心の声が聞こえていたかのように入口際の中二階に身を潜めたヨルの方へ顔をあおのける。歩みを止めないまま首を巡らせた少女は、ほとんど振り返るような角度でヨルとロゼがいる場所を見上げた。


 漆黒の瞳と、視線がかち合う。


 その瞬間ヨルは、少女の瞳の中に青い燐光と深い笑みが宿る様を、確かに見た。


「っ!!」


 同時に、氷塊を滑り落とされるような悪寒がザッとヨルの背筋を走り抜ける。呼吸が引きれる中、少女の指先がフワリと持ち上がった。


 その指が、パチンッと弾ける。


「っ!? ヨルっ!!」


 ヨルに分かったのはそこまでだった。


 不意にロゼの絶叫が耳を叩き、グッと頭上からかかった圧に耐え切れずに身を伏せる。ロゼがヨルをかばって覆い被さるように身を伏せたのだと分かった時には、突如湧き起こった風が教会の窓という窓を突き破り、要人達の頭上にガラスの雨を降らせていた。


風精エアリエルっ!!」


 ロゼの声に応えた風の妖精達が降りかかるガラス片を吹き払う。だが突如起こった異変は会場内は混乱の渦に叩き込んでいた。エゼリアの威信を従国に示すべく皇帝の前に一本の通路を形作っていた要人達は、皆が皆己が身を守るべく右往左往しながらうずくまっている。


 そんな人々を蹴散らすように、エルランテ一行は変わることなく歩みを進めていた。


 先頭を行く大公姫は無表情のままキビキビと。後ろに続く少女はどこか楽しげに。その隣に並ぶ青年は粛々と。


 歩みの邪魔になる人間はそれぞれ腰に差し落としていたサーベルを鞘ごと引き抜いて打ち払い、色とりどりの雨となったガラス片はまるで自分達を避けて落ちていくと知っているかのように悠々と避けることもなく。ただただ堂々と、かつ優雅に、三人は迷うことなく歩を進め続ける。


 その歩みが、カツンッという一際高い足音とともに、止まった。


「結構な歓待、感謝する」


 カツリと己の足先にサーベルの先を突き立て、柄に両手を置いた大公姫は、物怖じすることなく真っ直ぐに顔を上げて玉座に座すエゼリア皇帝を見上げた。見目からの想像を裏切る低く威厳のある声に、ガラス片から逃げようと腰を浮かしていたエゼリア皇帝の方が微かに肩を震わせる。


「我らのために相当な準備をしていただいたようだ。しかし、そのような斟酌しんしゃくはしていただかなくても結構」


 その発言が何を意味しているかなど、考えなくても答えは明白だった。


 何せ今、この教会はヨルにとってひどく呼吸がしやすい空間に様変わりしたのだから。


 ──アッシュさんが展開していた結界だけではなく、教会そのものが持っていた『神の加護』まで一瞬で消し飛ばした……!?


 ロゼに庇われる形で伏せたヨルは、回廊の手すりの隙間から大公姫達の背中を見つめる。


 本来ならばエゼリア皇帝に向かって膝をつき、こうべを垂れていなければならない三人は、誰一人として膝を折ってはいなかった。


 突如引き起こされた惨状さんじょうに言葉を失ってほうけているエゼリア皇帝を傲岸ごうがん不遜ふそんに見上げたエルランテ一行は、たった一瞬でみじめな烏合うごうの衆と化したエゼリア要人達を背景に従えて朗々と口上を述べる。


「エルランテ公国次期大公、アイシャ・ルイーゼ・ルフィア・エルランテ、玉座継承の儀を近々り行うよし、偉大なるエゼリア帝国皇帝陛下より認可を頂くべく、遥々はるばる尊国まで御挨拶にうかがった次第」


 その言葉にヨルを庇ったままのロゼが唇を震わせ、階下で唯一顔を上げていたアッシュがキリッと奥歯を噛み締める。


 ヨルはまだ背筋から悪寒が抜けないことを自覚しながら、メガネの下の瞳でギッと大公姫を……大公姫に付き従った少女の背中を睨みつけた。


 ──皇帝側が警戒していたのはか……!


「偉大なる本国皇帝陛下に拝謁かないました幸運に、まずは感謝を申し上げます」


 感謝も敬意も畏怖も一切抱いていないことを隠しもしない口調で、大公姫は口上を締めくくる。


 その後ろで少女が楽しそうに笑みを深め、青年がただ静かにまぶたを閉じたのが、なぜかその背中を見ているだけで分かったような気がした。

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