「なるほど。『炎帝の聖剣グラナロート・シュヴェールト』を主張してきたか」

「やはりこういう展開になりましたね」


 鼓膜を直接震わせるリーヒの声に、ヨルは小さく頷いた。


「『炎帝の聖剣』は、いわばエゼリア帝国の帝位の正統性を示す宝剣。万が一失うことになれば、確かに『エゼリア帝国の威権の失墜』と言える事態になるでしょうね」

「それだけじゃない」


 思案するように視線を伏せたリーヒは、ささやくように言葉を返す。


「『夜の住人』から自力で身を守るすべを失っているエゼリア皇帝一族は、最後の守りを『炎帝の聖剣』に依存しているんだ。あれを失えば、エゼリア皇帝一族は歴代積み重ねてきた恨みに潰されて、国主としてどころかただの人としても生きていけないだろうね」


 全てが宵闇の中に沈んだ礼拝堂は、静寂のとばりに包まれていた。


 リーヒを隔離するために展開された結界から燐光が柔らかくこぼれ落ち、この部屋の中だけがぼんやりと薄明るい。その光の中心に座すリーヒは、まるで神の祝福を一心に受けているかのようだった。


 だが今この空間に集った存在モノ達は、神の奇跡に涙するような殊勝な精神を誰も持ち合わせていない。さらに言えば己の身に神の祝福が降ることもなければ、祝福を『祝福』として受け取ることもない異端者ばかりだ。


 現に徒人ただびとが見れば奇跡のような光景も、リーヒにとっては忌々しい拘束に過ぎない。床には相変わらず禍々しい陣が走り、その中心にいるリーヒは禍々しい装備で拘束されて続けている。


「あの宣告を受けて、皇帝側は相当恐れをなしたみたいね。さっそく『炎帝の聖剣』の保管場所を変えたようだわ」


 ヨルが両国の会談の場に潜入してから、すでに数時間が経過している。


 ヨルが会議室を後にした瞬間からキルケーを介して情報は伝達され、さっそくロゼ達が調査に動いてくれた。


 今はそれぞれが得た情報を共有し、今後の対策をまとめるために、一旦廃教会の礼拝堂……名目上イライザ特殊部隊の会議室とされている場所にアッシュ以外のイライザメンバーが集まっている。リーヒもふたつの影の使役を解除したため、本体の意識が覚醒している状態だ。


「大きな炎の気配が動いたって、隣人達が教えてくれたの。はるか昔から皇宮の奥深くで燃えていた炎がいきなり引っ越しをするなんてって、みんな驚いていたわ」

「皇帝の周り、みんな慌ててる」


 顔をしかめて報告するロゼに続いてキルケーも口を開く。ローブのフードと包帯で顔の大半が隠れていても、キルケーが酷く真剣な顔をしていることがヨルには分かった。


「隠さなきゃって」

「皇帝ってバカなのか? このタイミングで慌てて隠し場所を変えたら、逆に隠し場所を教えるようなもんじゃね?」


『俺でも分かることなんだけど』とヴォルフは不思議そうに首を傾げる。


 ──確かにそうではあるのですが。


 恐らく全てはエルランテ側の策略通りだ。


 エゼリア側がそう簡単に重宝を寄越すとは思えない。ならば簒奪さんだつするまでだと考えた時、最初にしなければならないのは保管場所の特定だ。だが限られた手勢、限られた時間の中で悠長に調査はしていられない。


 ならばどうするか。


 相手に教えてもらえばいいのだ。


 ──エゼリア皇帝の気性を承知していれば、ある程度の誘導は可能であったはず。


 当代エゼリア皇帝は愚帝かつ見栄っ張りだ。対外的には大国の皇帝らしく横暴に振る舞っているが、少し脅してやればすぐに怖気付く。


 本国登城口上が始まってから今までの流れを踏まえれば、そろそろエルランテ使節団への怯えが本格化し始めた頃合いだ。エルランテ側が示した力と要求に不安を覚え、『炎帝の聖剣』を今よりも安全性が高い場所へ移そうと動くことも予想ができる。


 ──到着報告謁見の場で『詠人不知ナーメンローゼ』に力を振るわせたのは、この仕込みのためですか。


 さらに言えば、会談の場にノイルを代役として送り込んだのも、そのノイルにあの場でわざと怒りを露わにさせたのも、エゼリア皇帝の恐怖をあおるためのパフォーマンスの一環だろう。


 年若く華奢で見目麗しい女よりも、拳ひとつでテーブルを粉砕できる大男が交渉の場に出てきた方が、直接的な恐怖を与えやすい。間接的な脅しを積み重ねてエゼリア側の思考を鈍らせた切れ者の大公姫は、すでに『炎帝の聖剣』の在り処を掴んでいることだろう。


 何せ向こうには『夜の住人』と交流する能力を持った大公姫、死神と呼ばれている『ナーメンロー』、さらには『深更の公爵ミッターナハト』、テレパシー能力を有しているであろう従者まで幅広く能力者が揃っている。


 ロゼが皇宮に住まう精霊達から、キルケーが皇宮に詰める人々から情報を聞き及んだように、エルランテ側も何らかの方法で『炎帝の聖剣』の現在地は押さえているはずだ。その辺りを抜かるとは思えない。


「まぁでも、おかげで相手がどこの何を狙ってくるのかは分かった」


 考えを巡らせるヨルの耳を、不意に笑みを含んだリーヒの声がくすぐった。伏せていた視線を上げてリーヒを見遣れば、リーヒは声から受ける印象そのままに挑発的な笑みを浮かべている。


「彼らの思惑なんて砕いてしまえばいい。ついでに『氷妃のクラルハイト・首飾りハルスケッテ』ももらおう」


 ここまでの流れで、イライザ特殊部隊はずっと後手に回されている。しかしそれはいずれも先方からの攻撃が奇襲だったからだ。


 今回は相手の目標も、場所も、動機も、全て把握できている。対抗措置が万全に用意できれば、決して自分達は後手には回らない。


「みんな、覚悟はいいね?」

承服致しました、隊長J a w o h l  H e r r  O b e r s t !!」


 号令に背筋を正したヨル達は、敬礼でリーヒに応える。


 その姿に満足そうな笑みをこぼしたリーヒは、改めてロゼへ視線を向けた。


「ロゼ、『炎帝の聖剣』の移動先は? みんなで張り込めそうな場所?」

「張り込め……るんじゃないかしら? 連絡さえ取れれば」

「はい?」


 だがその問いを向けられた瞬間、なぜかロゼの声が今までのハリをなくす。


 急に歯切れが悪くなったロゼへ、ヨルは思わず敬礼を掲げたまま問うように視線を投げた。対するロゼは、複雑な胸の内を分かち合うかのように、隣に並んだキルケーへ視線を落とす。ロゼの視線を受けたキルケーも、何とも言いにくそうに口元をまごつかせていた。


 ──ロゼさん? キルケーさん?


「あのね……大教会なのよ、移動先」


 その理由は、ロゼによってすぐに明かされた。


「大教会の礼拝堂って、祭壇の下に重要物品を保管するための隠し保管庫があるって噂じゃない? 多分、あそこだと思うのよ」

「アッシュ、ずっと、大教会の礼拝堂にいる。きっとアッシュ、守りを強化するために、付きっきり」


 ──なるほど?


 皇宮の隣に位置する大教会は、エゼリア帝国内の教会を統括する総本山だ。法王が守護する教会でもあり、大教会に満ちる神の威光は並のものではないという。


 大教会の礼拝堂は、この国で一番祈りが集う場所だ。神の加護が一番強まる場所は、『夜の住人』が一番嫌う場所でもある。


 ──確かに、対エルランテを考えた時、保管場所として最適ではあるのかもしれませんが。


 だが残念なことに、イライザ特殊部隊の面々とも『神の奇跡』は相性が悪い。ヨル達で聖剣の警備を固めようと考えた場合、利と害を天秤に乗せるとギリギリ利が出るかといったところだ。


「その程度で向こうが手を引くはずがないでしょ。ラグニルの小僧だけなら力を削ぐこともできるかもしれないけど、『詠人不知ナーメンローゼ』の力は未知数だ」


『そもそも効くかどうかって部分からして分からないし』とリーヒは面白くなさそうに続ける。


 ──『「深更の公爵ミッターナハト」に有効ということは、隊長にもある程度効果があるんですね?』なんていたら、盛大にヘソを曲げられそうですね。


 そんなリーヒの発言にヨルは思わず本筋から外れたことを考える。とっさに口からこぼさずにいられたのは、日々の自制の賜物だ。


「アッシュ君に連絡を付けるしかないね。今回は目的が一致してるんだ。共闘できる余地はある」


『嫌だけど』という内心を隠しもしないリーヒに、ヨルは大人しく首を縦に振った。


「交渉してみます。キルケーさん、協力していただけますか?」

「うん」


 浅くあごを引いたキルケーがトトトッとヨルの隣に駆け寄る。そんなキルケーに小さく頷いてから、ヨルは残りの面々に視線を巡らせた。


「ロゼさん、ヴォルフさん、引き続き状況の監視をお願いします」

「ええ」

「任せろ」

「隊長は……」


 そこで言葉を切ったヨルは、ひたとリーヒを見据えた。ヨルの視線を受けたリーヒは、まだどこか面白くなさそうな顔をしている。


 ──……って。隊長はそこから動けないのですから、共闘も何もないのでは?


「くれぐれも、大人しくしていてください」

「ヨル君、また『小鳥』いる?」


 ヨルの視線から何を感じ取ったのか、リーヒはニヤリと口元に嫌な笑みを浮かべてみせた。


 そんなリーヒに対し、ヨルは一段温度を下げた視線を注ぐ。


「大人しく、していてください」


 そのままきびすを返したヨルは、キルケーをともない礼拝堂を後にした。


 ──あの程度で本当に大人しくしていてくれるといいのですが……


 キルケーに訊ねればリーヒの内心を知ることはできるが、それはそれで何だか嫌だ。


 ヨルはひとつ溜め息をこぼすと、アッシュと接触すべく、キルケーの負担にならない程度の早足でその場を後にした。

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