【am 10:30 ミーティング】

 エゼリア帝国軍には、30の部隊が存在していると言われている。


 陸、海の両軍を主体とした国軍には、医療部隊、皇族親衛隊、情報諜報部隊、研究部隊などいくつか特殊部隊が存在している。国防という国の存亡に関わる部分を担うその性質上、全ての情報がつまびらかにされているわけではないが、『エゼリア帝国軍は第三十番隊まで』ということだけは確かなこととして国内外に公表されていた。


 そんなエゼリア帝国軍には、いつの頃からかまことしやかにささやかれ続ける噂がある。


 曰く、『エゼリア帝国軍には、不可解な事件の解決を専門とする、ヒトならざるモノ達で構成された31番目の部隊がある』と。


「まぁ、事実だよね。僕達が何者かは置いといて」


 雑草に覆われた裏庭を進みながら、リーヒはその噂をあっさり肯定した。


「どこの国にも案外あるものなんじゃない? 対怪異専門の国家機関。その所属が軍か宗教関連か、規模がどの程度のものかってのには差があるとは思うけども」


 庭、というよりも、軍部棟の裏の荒れ地と言うべきか、森の一部と言うべきか、そんな風情の場所だった。手入れされずに下草が生い茂った中を、リーヒとヨルは森沿いに奥へ奥へと進んでいく。


 ──森と言っても、ここが王宮の中である以上、完全に放置された自然の『森』であるはずはないのですが。


 背が小さいリーヒは実に歩きにくそうなのだが、ヨルがどれだけ助けの手を差し伸べようともリーヒは毎回この道なき道を己の足できちんと歩く。幼い容姿を有効活用してお菓子をせしめることはしても、容姿の幼さを理由にヨルに抱き上げられることは己の矜持が許さないらしい。


「欲を言うならば、もう少し人員を増やしてほしいとは思うけど……ね!」


 そんなことを考えている間に二人は目的地に到着していた。最後の一歩をピョンッと大きく跳ねるように進んで石畳の上に着地したリーヒは、クルリとヨルを振り返る。


「じゃ、ヨル君。開けてもらえる?」


 リーヒが示す先には、崩れかけた教会があった。壊されたわけではなく、時とともに人々に忘れ去られ、自然に崩れたといった風情だ。


「……毎度思うのですが、、隊長にとっては何でもないのでは?」


 歩調を変えることなく石畳を踏みリーヒの隣に並んだヨルは、苦言を呈しながらもリーヒのために教会の扉を開け、ドアを体で押さえるようにして道を譲る。その前を肩にかけた軍服を翻しながら通り過ぎたリーヒは、またクルリとヨルを振り返るとわずかに唇を尖らせた。


「何でもなくはないよ。アッシュ君が暇さえあればせっせとしてるからね。僕も、ロゼも、ヴォルフも、大なり小なり影響は受けてる。そしてアッシュ君当人もね」

「私とキルケーさんに影響がないのはなぜなのでしょう?」

「ヨル君とキルケーちゃんは基本的に『ヒト』だからね」

「それはアッシュさんも同じなのでは?」


 踏み込んだ先には石造りの廊下が奥に向かって伸びていた。外からの想像を違わず、中は暗く空気が淀んでいる。だが不思議と天井は抜けておらず、雨漏りや目につく破損部分はない。分かりにくくカモフラージュされているが、日常的に人が出入りし、手入れしている証拠だ。


「アッシュ君は、憑いてるモノが強すぎるからね。影響皆無じゃいられないんだ。本人が罰を望んでるっていうのもあるけどね」


 そんな廊下をリーヒとヨルは並んで進む。


 そして二人の足は同時に、廊下の中ほど、左手にある扉の前で止まった。かつては壮麗に彩られていたのであろうと思われる両開きの大きな扉は、礼拝堂に続く物だ。


「ほんっと、に与えられた部屋がって、趣味が悪いにも程があるよ」

「仕方がないじゃないですか。私達の自由を保証する代わりの条件なんですから」

「まぁ、分かってはいるんだけどさぁー」


 リーヒの瞳が面白くなさそうにすがめられる。そんなリーヒをなだめるために、ヨルは今度は自発的に扉を開いた。背中で扉を押さえ、片手を胸に添えてうやうやしく頭を下げれば、リーヒはふんっと小さく鼻を鳴らしながらも素直に中に足を踏み入れる。そんなリーヒの足音が己の前を通過するのを聞いてから、ヨルも顔を上げて礼拝堂の中に視線を向けた。


 壮麗。まさにその一言だ。


 両開きの正面扉から真っ直ぐに伸びる通路。突き当りの壁一面にはめ込まれたステンドグラスは、主と御子、精霊が織り成す物語を光とともに語りかけてくる。数段階段を登った壇上には祭壇が置かれ、今すぐにでもミサが執り行えそうなほど美しく整えられていた。


 今まで建物から受けてきた印象とは真逆の世界。この空間はまさしく今、


「ちょぉっとぉ〜、いつまで待たせれば気が済むわけぇ?」


 だがそこに、神をあがめる信者はいない。


「こんな居心地の悪い空間に長居させないでよねぇ〜!」

「そーだぜ隊長、遅れるなら遅れるって一言念を飛ばしてくれりゃ良かったじゃねぇか」


 正面扉から祭壇に向かって伸びる通路の左右には整然と長椅子が並べられている。詰めれば100人は座れそうな空間なのだが、今はその最前席と壇上へ続く階段の端に三人分の人影があるばかりだ。


 そのうちの二人、長椅子の最前席にそれぞれ崩折くずおれるように、あるいは尊大に座していた人影が入室したリーヒとヨルに文句を投げてくる。


「ごめんごめん、美味しいお菓子に気を取られすぎちゃって」

「まぁ、そんなトコだろうとは思ってたわよ」


 ニコリと笑って悪びれもせずに詫びるリーヒに溜め息とともに答えたのは、赤みがかった金髪を緩く結って胸元に垂らした麗人だった。ヨルよりも背丈があるスラリとした体を漆黒の軍服に包み、ハイヒールで足元を固めた『魔女』は、艶のあるハスキーな声でリーヒに小言を続ける。


「甘いお菓子が魅力的ってことは分かるわぁ。でも、仕事を放り出しちゃダメでしょ? キルケーちゃんの伝令はリーヒのトコにもちゃんと飛んでたのよね? 時間を守るのは紳士のキホンよ」

「ごめんって、ロゼ」

「菓子ってそんなに旨いか? 俺は肉の方がいいけどなぁー!」


 今度言葉を投げたのは、『魔女』……ロゼと同じ長椅子の反対側の端に尊大な態度で座っていた青年だった。着崩れた制服とその間から覗くガッチリとした体つきはいかにも不良軍人といった風情だが、幼さが抜けきらない顔には妙に愛嬌がある。短く狩った銀髪の頭を掻きむしりながら黄金の瞳に素直に疑問を映す様はどことなく大型犬を連想させた。


「まぁ、ヴォルフはそうだろうね」

「まぁ、ヴォルフはそうでしょうねぇ」

「あ! 何だよ二人揃って! 俺のことバカにしてるっ!?」


 青年……ヴォルフはキャンキャンと二人に噛み付いた。そんなヴォルフをロゼとリーヒの二人が溜め息混じりにあしらっている。いつも通りの光景だ。


 だがそこにいつもなら怒りの鉄槌を落としてくるであろう人物の姿がない。そのことに気付いたヨルは、三人の元から離れると祭壇へ近づいた。その手前、階段の縁にちょこんと腰掛けた少女がヨルの足音に気付いて顔を上げる。


「お待たせしてすみません、キルケーさん」

「……いい。聞いて、知ってた」


 隊員達の中で唯一、年若い女性向けのプリーツスカートタイプの軍服に身を包み、さらにその上からすっぽりローブを纏ってフードまで被った少女は、見えている口元だけで穏やかに笑みを浮かべた。目元は包帯に覆われていて視界は一切利かないはずなのに、少女はまるで見えているかのようにしっかりとヨルの顔を見上げている。


 そんな少女……キルケーに小さく笑みを返し、ヨルは問いを口にした。


「アッシュさんの姿が見えないのですが、アッシュさんはどちらに? 『伝令』は飛びましたか?」

「飛んでは、いる。ただ、別件で出てるから、行けないって」

「別件?」

「『本業』、だって」


 たどたどしくヨルの問いに答えたキルケーは、そこで小さく首を傾げた。その拍子に肩口辺りで切り揃えられた柔らかな亜麻色の髪が一房、フードからこぼれ落ちる。


「でも、本来なら、『本業』は、こっちだと思う」

「そう……ですかね?」

「あっちが、副業。そうあるべき」


 いつになく強く言い切るキルケーの頭をヨルはポンポンと優しく撫でた。フードの上から頭に触れたヨルの手にキルケーは嬉しそうに口元を緩める。


「あー! ヨル君、キルケーちゃんにだけズルい!」


 そんな二人を目ざとく見ていたらしいリーヒがヨルを指差して叫ぶ。この場にアッシュが来ないことを知ったせいなのか、ロゼと一緒にヴォルフをいじり倒して気が晴れたのか、この場に足を踏み入れた瞬間よりもリーヒの機嫌は格段に良くなっているようだ。


「ズルいって……隊長」

「リーヒはヨルが関わることにだけ妙に狭量よね」

「仕方がないんじゃね? だってヨルはさ」

「ズルいったらズルい! 僕の頭も撫でて〜!!」

「ズルく、ない」

「キルケーちゃんもキルケーちゃんで、ヨルが関わる時はほんのり狭量なのよね」

「お? そこは恋心的な?」


 気心知れた相手しかいないと分かった途端、隊員達のお喋りは姦しさを増した。元々賛美歌が美しく響くように設計されているのか、『会議室』と銘打たれたこの空間は妙に音が響く。


 ──皆さんが元気なことは良いことですが、このままでは話が進みませんね。


 ヨルは溜め息をつきながら右手の中指でメガネのブリッジを押し上げるとパンパンッと両手を打ち鳴らした。


「皆さん、会議を始めますよ」


 跳ねるように響いていた隊員達のお喋りは、ヨルが鋭く手を打ち鳴らしたことで宙に霧散していった。わずかな空気の揺れだけが残された中に今度は『はーい』という気の抜けた唱和が響く。


 その声にもう一度溜め息を落としたヨルは、小脇に抱えていた書類を右手に握り直しながら一行の前へ出た。


 祭壇の数歩前、ステンドグラスに背を向けるようにして立てば、全員が全員大人しく拝聴の姿勢を取る。いつの間にかロゼとヴォルフの間にちょこんと座ったリーヒまでもが真剣な顔でヨルを見上げているのを見て取ったヨルは、小さく咳払いをしてから本日の『任務』を告げた。


「今回の任務は、とある『本』が引き起こしている事件の真相を確かめよ、とのことです」


 そんな一行に、ヨルは手にしていた書類をヒラリと裏返して刻み込まれた文面を示した。


 皇帝直筆のサインが入った、極秘勅命書を。


「『エゼリア帝国軍イライザ特殊部隊に告ぐ。「悪魔の書」の真相を突き止め、黒幕諸共事件を抹殺せよ』……これが皇帝陛下から降された、本日の任務です」


 その言葉に一瞬、静寂がとばりを降ろした。


 だがその帳はリーヒの柔らかな声に瞬時に切り捨てられる。


「『悪魔』……ねぇ?」


 微かな笑みとともに足をブラブラと遊ばせるリーヒの瞳にはどこか冷めた色があった。柔らかでありながらどこかに冷たさも感じさせる声音には、はっきりと蔑みがにじんでいる。


「曲がりなりにもに命じてきたってことは、その事件、確実に悪魔が関与してるって確認が取れてるってことだよね?」

「さて。そこまでのことは書類に記載もなければ、直接伺ってもいませんが」


 その変化が何から来ているのか理解しているヨルは、空気の変化を無視してリーヒの問いに答える。


 そんなヨルの前で軽く手を挙げながら口を開いたのはヴォルフだった。


「そもそも、その『悪魔の書』が起こしてる事件って何なの? 俺知らないんだけど、みんなは知ってるわけ?」

「何となく、最近変な気配がアメジュラントを跋扈ばっこしてるのは知ってるわぁ」


 ヴォルフの言葉にロゼも口を開く。リーヒが冷笑を浮かべ、ヴォルフが疑問を素直に顔に出す中、ロゼは妖艶な笑みを口元に広げていた。


「案外、アッシュが別件で出てるのも、それだったりして?」

「アッシュが? じゃあマジモンってことじゃねぇか」


 ロゼに視線を向けていたヴォルフが、素直に目を丸くする。


 そんな中、か細い声がヨルの注意を引いた。


「私は、知らない」


 声に振り返ればキルケーがヨルを見つめていた。包帯で目元が覆われていても、なぜかキルケーからは視線を感じる。


「聞こえてくるのは、みんなが怖がっている声だけ……だから」


 その声にヨルは小さく頷いた。それからリーヒに視線を戻せば、リーヒは頷くことでヨルからの視線に答える。


「『悪魔の書』に関わると思われる事件が確認され始めたのは、およそ3ヶ月前のことです」


 ヨルは手元の書類を手繰たぐると必要箇所だけを抜き出して声に出す。ヨルの言葉に耳を傾けるべく、場にいる全員が表情を改めた。


「アメジュラントの下町で本屋の店主が忽然と姿を消したのが最初の事件だと言われています。姿を消す直前、店主が『妙な本を手に入れた』『その本を手に入れてから怪異に悩まされている』『悪魔に魅入られてしまった』等と話していたことから、周囲は『店主は悪魔が取り憑いた本に喰われたに違いない』と噂を立てたそうです。この一連の事件が『悪魔の書』と呼ばれているのも、そのことに由来します」


 以降3ヶ月、国側が把握してるだけで15人の人間が同じパターンで姿を消した。被害者に関しては老若男女、身分も立場もバラバラだが、『奇妙な本を手に入れてから』『怪異に悩まされた後』『忽然と姿を消す』という点は共通している。


「最後の被害者が出たのは昨日の夜、この王宮内です」


 そして国は昨夜、最新の被害者を確認した後、ついに切り札を切る決断をした。


「昨夜『悪魔の書』で姿を消したのは、現皇帝の第三皇女であらせられるセリスティーヌ姫です」


 その言葉に場の空気がピリッと張り詰めた。リーヒとロゼがそれぞれ宿した感情を静かに深め、ヴォルフは目を丸くし、キルケーが小さく息を飲む音が鋭く響く。


「『悪魔の書』で姿を消した人間は今まで一人も見つかっていません。よって被害者の生死を含めた状態も不明です。火急速やかな対応が求められます」

「……ひとつ、確認なんだけど」


 報告を終えたヨルは書類を纏め直すと口をつぐむ。


 そんなヨルに向かって、リーヒが静かに唇を開いた。


「ヨル君はこの事件、


 これは皇帝から極秘で降された勅命だ。解決してもいいか悪いかなどと論じている場合ではない。むしろ絶対に解決しなければ最悪の場合リーヒ達の首が危ぶまれるレベルの話だ。


 それを分かっていながら、リーヒはあえてヨルに問いを投げた。その意味が分からないヨルではない。


「……はい」


 一度、ゆっくり瞬きをする。


 波打った心をその数秒でなだめたヨルは、傍目には常と変わらないように聞こえるはずである声でリーヒの問いに答えた。


「人命がかかっているんです。程度、気にしている場合ではありません」

「……ふぅん?」


 リーヒには恐らく、ヨルの内心の揺れも、それに対して平静を取り繕ったことも、全て見通されているのだろう。


 それでもリーヒはそれらに気付かなかったかのようにつまらなさそうに呟き、ユルユルと紅茶色の瞳を閉じる。


「それじゃあ、動くとしようか」


 リーヒの呟きにザッと一斉に他の三人が立ち上がった。ヨルを含めた全員が敬礼すると、最後にリーヒが立ち上がる。


「目標は皇女殿下を始めとした被害者の奪還、及び事件の根本的原因の撲滅とする。タイムリミットは本日中としようか。あの皇帝陛下クソジジイがそれ以上の猶予を与えてくれるとも思えないし」


 トンッという軽やかな足音とともに肩にかけた軍服を翻して一行を見回したリーヒは、冷めた声で号令を発する。


「やれるね? みんな」

承服致しました、隊長J a w o h l  H e r r  O b e r s t !!」


 答える声が礼拝堂の中にこだまする。


 かくして、イライザ特殊部隊は任務を開始したのであった。

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