【am 11:00 第三皇女私室にて】
「は〜ん……。やっぱ皇女サマって、いーいトコで暮らしてんのねぇ~」
消えた第三皇女・セリスティーヌ姫の部屋の真ん中に立ったロゼは、グルリと部屋の中を見回しながら呟いた。
「見なさいよ、このカーテンの布地! これ、ヴィントシュテインの最新流行柄よ! カーテンまで季節ごとに掛け替えてんじゃないのこれっ!?」
「ロゼさん……」
ツカツカと窓辺に歩み寄ったロゼはカーテンを掴むとカッ! と目を見開く。ここまで案内してくれた女官がそんなロゼに絶対零度の視線を注いでいることに気付いたヨルは、小さく溜め息をついてからロゼの暴走を諌めるべく口を開いた。
「私達は皇女殿下の部屋のカーテンの布地を確かめに来たわけではないのですが」
「分かってるわよ、そんなこと」
ヨルの言葉にカーテンから手を離し、当初の目的である『窓を開く』を遂行したロゼは、身を翻すと壁際から冷たい視線を送る女官にシッシッと手を振った。その仕草にただでさえ吊り気味だった女官の眉がさらに跳ね上がる。
──あぁ……。ロゼさん、完っ全に根に持っていらっしゃる……。
『皇女殿下の私室に男を入れるなんて』と渋った第三皇女付きのこの女官と『アタシは魔女よ!』と言い張るロゼがやり合ったのは数分前のことだ。最終的にヨルが皇帝の勅書を示して調査の必要性を説明することで渋々案内してもらえたのだが、元より皇帝家付きの女官は誰であっても気位が高い。軍人ごときをこの部屋に入れてしまったことに内心いまだに納得はしていないだろう。
──確かにロゼさんは『魔女』ではありますが、生物学上立派な『男』であることは否定できないわけですからね……。
対するロゼは他の男どもと十把一絡げに扱われたことが相当面白くないらしい。
確かにロゼは生物学的に見れば『男』だが、正真正銘本物の『魔女』でもある。己の性別を偽ることまではしていないロゼだが、当人は『魔女』としての生き方に相当なプライドがあるらしく、結果『男』という括りに無条件に放り込まれることをひどく嫌う。そんなロゼを普段から見ているヨルも、どちらかと言えばロゼの括りは『男』というよりも『姐さん』という分類だ。
──下手な女性よりも女性らしい所もありますしね。
中性的で美しい顔立ちといい、柔らかな口調といい、男性にしてはキーが高めの声といい、高い美意識といい、身近で接すれば接するほどロゼは『魔女』なのだが、今はその理屈が通じないことも分かる。だがロゼの憤りも分かるヨルは今、どんな顔をすればいいのか分からない。
──と言っても、皆さんからはいつもと変わらない鉄面皮があるようにしか見えないのでしょうが。
無表情下でそんなことを考えるヨルの前で、不機嫌に腕を組んだロゼは指先の動きだけでヴォルフを呼びつけた。ロゼと組んで行動することが多いヴォルフは、小さな合図に目ざとく気付くと呆れ顔でロゼの前まで進み出る。
「どう?」
顔を近付けたヴォルフの耳元でロゼが低く囁くのが唇の動きで読めた。対するヴォルフも顔の位置を変えないまま低く囁き返す。
「臭うな」
「やっぱり?」
スンッとヴォルフの鼻が動く。二人が互いにしか聞こえない音量で言葉を交わしているのは、恐らく内容を女官に聞かれたくないからだろう。ヨルには感じ取れない何かを二人はこの部屋から感じ取っているらしく、二人ともの眉間にうっすらとシワが寄っている。
「覚えた?」
「……あぁ。だが追うのは難しそうだな」
「取り込まれてる?」
「平面的に移動したわけじゃなさそうだ。臭いが途中で途切れてる。案内人がいるな」
「じゃあ、アタシの出番ってわけね」
二人の短い打ち合わせはそれで終わった。ロゼの言葉に小さく頷いたヴォルフは、一歩、二歩と後ろに下がってロゼのために場所を空けた。準備運動をするかのように軽く首を回すヴォルフに、ロゼは礼を言うかのように軽く頷いて返す。
「……隊長」
「うん、僕にも分かる」
そんな二人を壁際で見守りながら、ヨルは顔の向きを変えないまま隣に立つリーヒに声を向けた。リーヒもリーヒで二人と同じモノを察知しているのだろう。小造な鼻が一度スンッと鳴らされ、紅茶の瞳がわずかにすがめられる。
「キルケーちゃんを置いてきて正解だったよ。これは当たりだ」
三人が三人とも何かを感じ取ったと言うならば、これは正真正銘イライザが負うべき領分……常識が通じない、向こう側の住人と関わる事件ということだ。
その事実を改めて噛み締めたヨルは、無表情を動かさないままリーヒに向けて言葉を続ける。
「
「彼が出払っている理由もこの一件と同じなら、呼び戻すのは得策じゃない。彼には彼のやり方があるだろうし……」
そこで一度言葉を切ったリーヒはヨルとの距離を詰めると後ろで組まれたヨルの腕に触れた。疑問を覚えながら腕を解けば、リーヒは解いたヨルの手をキュッと握って手を繋ぐ。
「僕達には、僕達のやり方があるからね」
その瞬間、フワリと部屋の中に温かな風が吹き込んだ。
ハッと部屋の中心に視線を戻せば、風の中心に立つロゼが髪と軍服を風に遊ばせながらこぼれ落ちる燐光と戯れている。
「おいで、みんな」
ロゼの
息をするように精霊と戯れ、その恵みを受ける。それが本来の
「アタシとお喋りしましょ?」
風の中にロゼが手を差し伸べると燐光がギュッと集まって形を取った。パッと光が弾けた中から生まれた影は、透き通った羽を背中に備えた小人のような姿をしている。光の蕾から弾けるように次々と生まれてくる風の精霊達は、戯れるようにロゼに親愛のキスを送ると次々と柔らかな風の中へ飛び立っていく。
「ねぇ、あなた達はこの近くに住んでいる
そんな精霊達を見上げて、ロゼは柔らかな口調で言葉を向けた。
『そうよ』
『アタシ達は、この家や庭に遊ぶモノ』
ロゼの力を受けて形を得た精霊達の姿は力なき
「教えてほしいことがあるんだけど」
──ロゼさんが
彼女をこのままにしておくわけにはいかない。どうすべきか、と対策を考えるヨルの手にキュッと力が伝わった。視線を落とせばリーヒが『任せて』と言わんばかりにニコリと笑みを深める。
──隊長?
『なぁに?』
『なぁに? アタシ達のロゼッタ』
「この部屋に住んでいる女の子が、あなた達の仲間にさらわれてしまったみたいなの。どこにいるか、あなた達の力で探すことはできないかしら?」
そんなヨル達を尻目に、ロゼと精霊達のやり取りは進んでいた。
『女の子?』
『あぁ! イヤな気配に
『できればあんまり近付きたくないんだけどなぁ……』
「そこをお願い」
『うーん……』
『対価は?』
『対価があるなら教えてあげる』
『対価をくれるなら、探してあげる』
『さぁ、アタシ達のロゼッタ』
『対価を』
──……来た。
フワリ、フワリと風に遊ぶ精霊達の姿は非常に愛らしい。だがその愛らしい見た目に騙されて痛い目にあった人々の話は昔から多く語り継がれてきた。たとえ愛らしい精霊との他愛もない取引でも、扱い方を間違えればヒトは大いなる代償を払うことになる。
──そんな『彼ら』との交渉を専門にするのが、魔女。
そのことをヨルに教えてくれた張本人は、フワリと妖艶に笑うと片手を彼らに差し伸べた。
「これで、どうかしら?」
ロゼの手の中にあったのは、小さな石だった。水晶の屑なのか、キラキラと光を反射している。角が丸く取れた小さな水晶の粒はまるで自ら光を放っているかのような煌めきを纏っていた。
「アタシの手の中にある分、全部あげる。だからアタシとコイツを女の子がいる所まで案内してくれないかしら?」
『まぁ!』
『わぁ!』
『月の涙ね!』
『月の涙にロゼッタの魔力が籠もっているわ!』
『綺麗で心地いいわ』
『とても美味しい!』
『全部くれるの?』
『全部くれるなら、ロゼッタとロゼッタのわんちゃんを案内してあげる!』
「ええ、今アタシの手の中にある分は、全部あげるわ」
ロゼの言葉に精霊達は風の中にさらに燐光を撒き散らす。その風の中にヴォルフがボソリと『俺はわんちゃんでもなけりゃロゼの所有物でもねぇっつの』と毒づく声が微かに聞こえたような気がした。
だがヴォルフが本当にそう呟いたのか、ヨルがヴォルフの顔色を確かめるよりも、部屋の中を暴風が吹き荒れる方が早い。
『連れていってあげる!』
『さぁ、行こう!』
『行こう!!』
「ヴォルフ!」
吹き荒れる暴風の中、ロゼが鋭くヴォルフを呼びつける。その声に舌打ちで応えたヴォルフは両手を床につけると身震いひとつで姿を変えた。穏やかな陽光よりも凍てついた夜気の方が似つかわしい咆哮で空気を裂いたヴォルフ……白銀の毛並みを備えた巨体の狼は、ロゼの体を
「あ……あぁ……」
文字通り嵐のように出ていった二人を見送っていたヨルは、微かに聞こえた声に視線を横に流した。見れば腰を抜かして座り込んだ女官が窓の向こうを見つめたままカタカタと体を震わせている。
──まぁ、
さて、ますます彼女をこのまま解放するわけにはいかなくなったのだが、どうすれば良いものか。自由気ままな隊員達のフォローに回ることが多いヨルには毎度頭が痛い瞬間である。
──特にあの二人は、その辺りあまり考えずに動き回りますから……
下手な手を打つと、それこそアッシュに怒られる。二人ではなく、なぜかヨルが。
「ねぇ」
やはり今回もあれを使うしかないか、とヨルが諦めの境地に達した瞬間、スルリとヨルの手の中から熱がすり抜けた。あ、と視線を向けた時には、ヨルから手を離したリーヒがトコトコと女官に近付いている。
「ねぇ、おねーさん」
放心した女官の前に立ったリーヒは、腰を屈めて間近から女官の顔を覗き込んだ。そんなリーヒの口元に不穏な笑みが宿っていることに気付いたヨルは反射的にリーヒに向かって手を伸ばす。
だがヨルが動き出した時には全てが遅かった。
「僕の目を見て」
凍りついていた女官は、まるで操られているかのようにリーヒの言葉に顔を上げる。
その瞬間、彼女のアイスブルーの瞳が何かに吸い取られるかのように自我を失ったのを、ヨルは遠目にだが確かに見た。
「君は今、何も見ていなかった」
リーヒの瞳が一瞬、赤を濃くする。紅に輝く瞳に容姿にそぐわぬ妖艶な光が宿ったのは、決してヨルの見間違いではない。
「君は僕とヨル君をここに案内した後、気分が悪くなって倒れた。僕に介抱されていた所で目を覚ます。僕とヨル君に感謝をしながら。……いいね?」
静かに、だが艶を潜ませて囁くリーヒの声に女官は無防備に頷いた。そんな彼女に満足そうに頷き返したリーヒは、腰を伸ばしてからパチンッと指を鳴らす。
その瞬間、女官は夢から覚めたかのようにハッと我に返った。
「あ……私は、一体……?」
「大丈夫? 目が覚めた?」
リーヒは立ち位置を変えないまま、容姿に似つかわしい無邪気な声で問いかけた。幼いながらも整った顔に心配そうな表情を載せれば、女官はしばし呆然とリーヒを見上げた後、恥じ入るように瞳を伏せる。
「申し訳ありません……。お手間をお掛けしてしまったようで……」
「いえいえ。皇女様がこんな目に遭われている中だから。きっと疲れが溜まってるんだね」
「お恥ずかしい限りでございます……」
女官の中では何も説明されなくても『疲労から自分は倒れ、リーヒとヨルに介抱されていた』というシナリオができあがっているらしい。そんな女官にリーヒは小さな手を差し伸べ、立ち上がる女官に力を貸す。
「僕達は自力で戻れるから、君はもう少しここで気分を落ち着けるといいよ。ここならしばらく誰も来ないから、どんな顔をしていても大丈夫だよ」
優しく気遣うフリをしてうまく女官を遠ざけたリーヒはチラリとヨルに視線を送ってから扉を目指す。その後ろに慌てて従ったヨルが一瞬だけ背後を振り返れば、女官は二人に向かって深く頭を下げていた。そこにリーヒの言葉を疑う気配は見えない。
「……隊長、先程のは……」
その姿に見送られて廊下に出たヨルは、しばらく歩を進めてから潜めた声で苦言を呈した。だが前を行くリーヒはそんなヨルを振り返ろうともしない。
「必要だった。誰にも文句は言わせない」
「ですが……」
「僕がやってなかったら、ヨル君がやってたでしょう?」
そんなリーヒが、不意に足を止めた。
中庭に面した回廊でのことだった。太陽が中天に近付く今、
「ヨル君がやるよりも、マシだった。そうでしょう?」
その薄闇の中に、振り返ったリーヒの瞳が紅く浮かんでいた。淡く光を発する紅の瞳は、薄靄がかかる中にぽっかりと浮かんだ赤い満月を思わせる。
「……ですが」
人々が魅入らずにはいられない、魔性の月。
だがその月の魔力が、ヨルのトパーズの瞳には通じない。
「まぁ、それを抜きにしても、使わせなかったけれど」
グッと瞳に力を込めるヨルの前で、リーヒはゆったりと紅の瞳を閉じた。次にリーヒが笑みとともに瞳を開いた時、瞳は落ち着いた紅茶色に戻っている。
そんな紅茶色の瞳を笑みに細め、指先を頬に添えて小首を傾げてみせたリーヒは、仕草と同じくおどけた軽い声でヨルに言葉を向けた。
「だってヨル君の目には、僕だけを映していてほしいからね」
その言葉の真意がどこにあるのか読めなかったヨルは、厳しい眼差しを緩めないままリーヒを見据え続ける。両の腰に一振りずつ差し落とされたサーベルが、そんなヨルの眼差しに怯えるかのように微かに音を鳴らした。
そんなヨルの前で、リーヒは笑みを浮かべたまま身を翻す。
「さて。ロゼとヴォルフは行方不明者を追うっていう方向から事件の捜査に当たるみたいだから、僕達は本とそこに憑いている悪魔を探るっていう方向から事件解決に当たろうか」
その笑みの中に再び妖艶さが混じるのを見たヨルは、眼差しに厳しさを載せたまま小さく溜め息をついた。
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