【pm 03:00 再ミーティング】

 イライザ特殊部隊の執務室が軍部棟の中にないのは、『存在しない部隊』の部屋を軍部棟の中に堂々と作るわけにはいかない、という理由の他に『神の加護を得た領域の中に押し込めることで所属している面々の力を削ぐ』という理由もあるらしい。


 よって本来、イライザの面々が与えられた廃教会執務室と官舎以外の場所で行動することは推奨されていない。少なくとも目付であるアッシュに知られたら問答無用で祓われかねない事態ではある。


「でも、アッシュ君が確実に戻ってこないって分かってる時までそんな言い付けを守るほど、僕達はイイコなわけじゃないしぃ〜!」

「同意」

「確かに、居心地は悪いですよね、あの場所は」


 というわけで、アッシュを除く他の面々は、アッシュには秘密で王宮の中にひっそりと己の隠れ家を持っている。


 王宮の中に広がる深い森の中、軍部棟と廃教会とを結んで三角形が描けそうな場所にひっそりと忘れ去られたかのように設えられた石造りの東屋あずまやは、『世界の声を聞く巫女』であるキルケーの仕事場であり、隠れ家だ。今はそこに買い求めたマカロンとティーセットを持参したリーヒとヨルが押しかけている。


「この場所はいいよね! 王宮の中だけど空気が澄んでるし、自然に近い。無駄な雑音が聞こえないもの」


 石造りのベンチに腰掛けたリーヒは『うーん!』と思いっきり伸びをした。そんなリーヒをあやすかのようにサラサラと葉擦れの音と木漏れ日が流れていく。


「私も、ここが、好き」


 対面に座ったキルケーも、そんなリーヒに微笑んだ。両手で紅茶が入ったカップを握ったキルケーは、数時間前に教会で顔を合わせた時よりも顔色が良いように思える。それは決して温かい紅茶と美味しいお菓子の効果だけではないはずだ。リーヒ達より影響は少ないとはいえ、キルケーもやはり教会とは相性が良くないらしい。


 ──確かに、この場所は居心地がいいですよね。


 イライザの面々がアッシュ抜きで集う時にこの東屋はよく使われるのだが、確かにここは自分達『はみ出し者』には心地よい空間だ。美味しい紅茶とお菓子がセットであるならば、余計に今のような状況ではなく、もっと平和で晴れやかな気分の時に訪れたいものだとヨルは思う。


「……リーヒ、説明、して」


 そんなことをヨルが考えたせいだろうか。


 ふと表情を改めたキルケーがカップをソーサーに戻すとリーヒに顔を向けた。そんなキルケーに気付いたヨルは慌てて口を開く。


「キルケーさん、そこまで慌てなくても……!」

「大丈夫。ヨルの考え、正しい」


 キルケーは淡く微笑むと今度はヨルを見上げた。目元が包帯で覆われているのに、キルケーはやはり見えているのではないかと錯覚するほど的確にヨルに顔を向けてくる。


「私、疲れてない。……気にしてくれて、ありがとう」


 キルケーが持つ能力は『世界の声を聞く』ことだ。そして『願った相手に己の声を届ける』ことも可能としている。


 簡単に言ってしまえば、強力なテレパシー能力だ。キルケーには周囲にいる人間が心に描く声なき声が聞こえるし、己が心に描いた思いを相手の耳に届けることができる。展開範囲も広大で、イライザメンバーの意思を受け取り必要な相手に中継を繋ぐことができる範囲は軽くアメジュラントをカバーしているという。


 ただしその能力は、聞きたい声を聞き、聞きたくない声を聞かない、という風に便利に調整ができるものではない。キルケーにできる調整は聞こえる範囲を大きくするか小さくするかだけで、能力を展開している最中のキルケーには無差別に範囲内にいる人間の心の声が響いている。どれだけ耳を塞いでも、キルケーの耳にはいつも膨大な数の声が響き渡っているのだ。


 そしてどれほどキルケーが力の展開範囲を狭めても、相手の姿が視認できる程度の距離ならばキルケーの力は相手の『声』を拾ってしまう。ましてや同じテーブルを囲んでいれば、キルケーには嘘偽りや隠し事は通用しない。


 それはとても疲れることで、心を削られることだ。


 だからキルケーは普段からここに独りでいることが多い。ここならばイライザの面々以外に近付く人間はいないから。


「ヨルの声、とても綺麗。ずっと、聞いていたいくらい」


 キルケーは任務が降されてからずっと、この場所から力を展開して事件に関する噂を収集する傍ら、イライザ面々の声を聞き取っていざという時に後方支援ができるようにずっと備えていてくれた。


 そんなキルケーが疲れていないはずがない。だというのにヨルはせっかくの休憩を早々に切り上げさせるようなことを考えてしまった。


 そこに思い至って自己嫌悪に陥るヨルに、キルケーは穏やかに笑いかける。キルケーは隊の中で一番の新入りなのだが、入隊するに至った事件にヨルが深く関わっているせいか、どうにもキルケ―はヨルに懐いている節がある。


「わぁーお、熱烈な告白だねぇ? ヨル君」


 そんなヨルとキルケーの関係性を知っているリーヒは、ニヤニヤと笑いながらヨルを冷やかした。ヨルは思わず顔をしかめるが、そんなリーヒにもキルケーはニコッと笑いかける。


「リーヒは、分かりやすい」

「そう?」

「リーヒ、ヨルが大好き。今も内心、面白くない」

「ンンッ!」


 話が妙な方向に転がりそうな気配を察知したヨルは思わず咳払いをしていた。そんなヨルにキルケーが笑みを深め、リーヒはニヤリと意味深に笑みを深くする。


「さて。ここまで分かったことを、ちょっとつまびらかにしてみようと思う。キルケーちゃん、ちなみにロゼとヴォルフに今、伝令は飛ばないんだよね?」

「うん。多分……には、いない」


 ヨルが話をそらしたがっていることには気付いていたのだろうが、リーヒもリーヒで話を切り出すにはちょうどいいタイミングだと判断したのだろう。表情を改めたリーヒが口火を切る前にキルケーに状況を確認する。


「ということは今、二人は『妖精の通り道』の中……この世界ではなくて妖精界にいるってことだ。飛び出していった時間から考えると、相当複雑に相手は逃げ回ってるみたいだね」


 キルケーの言葉に頷いたリーヒは現状をそう分析した。


「ロゼ達は皇女自身を追っている。そして僕達は事件を引き起こしたという『悪魔の書』について調べてみた」


 リーヒの言葉にヨルも頷く。キルケーもヨル達の『声』を聞いて状況は把握しているはずだが、リーヒの言葉を遮ることなく静かに頷いた。


「最初の被害者が経営していた本屋に行ってみて、分かったことがある。多分、あの本屋はの入手・販売を裏の顔として持っていたんだと思うよ。つまり専門家で、その筋では有名だったってこと」

「一体何を根拠に?」

「気配と臭い。多分あの店、地下がある」


 その言葉にヨルは思わず目を見開いた。


 同じ場所にいたはずなのに、気付けなかった。地下構造があることも、あの本屋の裏の顔がオカルト本の入手・販売であることも。


「ヨル君が気付く前に引き上げさせたかったからね。気付かないのも無理はない……というよりも、気付いていなかったって分かって安心したよ」


 リーヒには、店に入った瞬間から気配と臭いであの店の中に善からぬモノがあることが分かったのだという。地下構造は店の中を歩いている時に床の反響音の変化から気付き、その地下空間に恐らく善からぬモノが保管されているのだろうということには、気配と臭いの充満の仕方で分かったのだという。


「アッシュ君があのタイミングで来てくれて助かったよ。彼なら僕にああ言われたら無視はできないだろうし、いぶかしんで店の隅から隅からまで調べ上げてくれるだろうからね。最悪の場合、店内を地下ごと焼き払って浄化してくれるんじゃないかな?」

「あの店がそういった類の店だった、ということは分かりました」


 あれが『来てくれて助かった』と思っている者の態度だっただろうか? という疑問は生まれたが、リーヒがなぜそう判断したのかは理解できた。


 だがヨルにはまだ、リーヒの発言に対する疑問が残っている。


「しかし、販売目的での入手で、かつその筋では有名だった、という証拠は? 悪魔崇拝者であったという線や、自身がコレクターであった、という線もあるのではないですか?」


 コミュニティに参加していたのは半年程度前からで『悪魔の書』を手に入れてからは参加がパッタリ途絶えていた、という話ではあったが、それが『悪魔崇拝者ではない』という証拠にはならない。コミュニティには参加せず個人的に悪魔を崇拝している者はいるだろうし、いざ参加したはいいもののソリが合わなかったとか、大規模な集まりにおののいて足が遠ざかった、といった理由があってもおかしくはないはずだ。


「これ」


 ヨルの疑問はリーヒから見てももっともなことだったのだろう。


 リーヒは軍服の内ポケットから書類を抜き出してテーブルの上を滑らせた。


「棚の中に偽装して隠してあった、顧客名簿」

「えっ!?」


 思わぬ言葉にヨルは思わず書類をかっさらうように取り上げていた。


 確かにそこには几帳面な手書きの文字で人物名と思わしき名前と本のタイトル、日付と何かの数字が書きつけられていた。人物名と本のタイトルの中にはヨルも知っている名前がチラホラと出ている。人物名にしろ本のタイトルにしろ、どちらもあまり印象が良くない名前しか並んでいない。


「あの時、棚の中から明らかに気配と臭いが違う物があるって気付いて、違和感があったから抜き出してみたんだ。アッシュ君が突入してきた直後だったから、ヨル君はそっちに気を取られてたし、僕の手元はヨル君の体が影になってて見えてなかったはずだしね」

「! ……もしかして、臭いをたどって探していた物って」

「これだね。違和感の元。証拠ドンピシャで助かったよ」


 リーヒは机に頬杖をつくとニヤリと笑った。どうやら発見はたまたまだったらしいが、たまたまであれ何であれ大手柄であることに変わりはない。


「名簿の中に並んでる名前は、では有名で、かつ富裕層の人間ばかりだ。彼もその筋で有名でなければ、これだけの人間にはお近付きにはなれないだろうね」


 イライザは隊務の性質上、『向こう側』に傾倒している有名人物の名前を把握している。リーヒがそう判断を降したならば、恐らくそこに間違いはない。


『悪魔の書』は本物で、その筋を専門家とする本屋が最初の被害者となった。最初の被害者は恐らく誰かから依頼を受け、その本を手にして喰われた、というわけだ。


「いや? 案外、『実験台』にされたのかもよ?」


 ヨルは把握したことを纏めるつもりで口に出した。


 だがリーヒはその結果に否を唱える。


「ここ、見てくれる?」


 リーヒが指差したのは、顧客名簿の一番下の欄だった。なぜかその欄だけ本のタイトルが空欄になっている。だというのに金額の欄には他の行よりも桁がひとつ大きな数字が書き込まれていた。


「取引内容が決まっていないのに、報酬金だけが先に、こんなに破格の額で決まっていた……?」

「それ、『新しく作り出した本』を入手する依頼だったんじゃないかなって」

「え?」


 思わぬ言葉にヨルは顔を跳ね上げた。そんなヨルをリーヒは冷静な顔で見つめている。


「何も当てずっぽうで言ってるんじゃないんだ。根拠はある」

「何ですか?」

「あの店の中に、比較的新しいもので、僕がまったく知らない気配と臭いがひとつだけあった」

「え……っ!?」


 リーヒはその見た目に反してひどく長命で、また博識でもある。そして立場も特殊だ。


 今でこそ幼い容姿と狭く絞られた行動範囲のせいでその立場が揺らいでいるリーヒだが、長い年月によって築かれた地位がちっとやそっとで崩れるものではないことも、ヨルはまた知っている。


 で、リーヒが把握していない気配はない。


 リーヒが知らないと言うならば、相手はごくごく最近このエゼリアに現れた新参者だということだ。


「悪魔崇拝者のコミュニティが新たに作った『悪魔の書』を手に入れるという依頼。それに見せかけた、悪魔に体のいい肉の器を与える儀式だったんじゃないかって、僕は考えたわけだ」

「そんな……!」

「辻褄は合うだろう? 今『悪魔の書』は、アルノルド・ハーヴェストという肉体を得ていて、そのアルノルド・ハーヴェストが新たな獲物の元に本を運んでいるんだ。そして食らった獲物達も、同じように使役される肉の器として利用されている」


 アルノルド・ハーヴェストはいわくつきの本を扱っているとでは有名で、かつ『本を手に入れるためならばどんな手段でも使う』ということでも名を知られていた。そんなアルノルド・ハーヴェストに依頼すれば、どんな本であれアルノルド・ハーヴェストは必ず本を手に入れる。


 そんな彼の仕事振りを逆手に取って、何らかの方法で本に封じ込めた悪魔をアルノルド・ハーヴェストに憑依させたのだとしたら……


「……声が、聞こえた」


 そんな恐ろしい企てを一体誰が、と戦慄するヨルの向こう側から、細い声が上がった。


「最近、聞こえるようになった、変な声。ヒトの声じゃないのに、ヒト以外の声でもない声」


 ヨルはキルケーに視線を注ぐ。少し顔をうつむかせたキルケーは、何かに耳を澄ましているようだった。


「そんな声が、増えてる」


 キルケーが呟く声にザッと血の気が下がったような気がした。


「その声が何を求めているか、分かる?」


 青ざめるヨルの隣からリーヒの問いが飛ぶ。その声にキルケーはさらに聴覚に集中したようだったが、しばらくするとフルフルと横に首を振った。


「今は、その声が、聞こえてこない。思い出した中にも、はっきり聞き取れた言葉は、ない」

「……だけど、『声』が聞こえたのなら、生きてはいるね」


 リーヒは小さく呟いた。その言葉にキルケーも頷く。


 キルケーが聞く声は、生者が発する声だけだ。死者の声はキルケーの耳には聞こえない。死者の声を聞く、という領分は、どちらかと言えば魔女ロゼが請け負う部分だ。


「まぁ、どの程度生きているか、状態は分からないけれど」


 己の発言を己で上げて落としたリーヒは、一度瞳を閉じると深く息をついた。己の中で考えを整理しているのだろう。ヨルもそんなリーヒにならって、意識して呼吸を深くして揺れる心を落ち着ける。


「……悪魔崇拝者コミュニティを一網打尽にして問い詰めれば、一体何を呼び出して本を作ったかは知ることができる。これは、アッシュ君を始めとした教会側の人間の仕事だね」


 再び瞼を上げて、呼吸ひとつ分の間を置いてから、リーヒは言葉を紡いだ。その言葉にヨルとキルケーは静かに耳を澄ます。


「被害者達が今どこに囚われているかは、ロゼ達が追っている。場所がこの世界であれどこであれ、目星がつけばロゼ達が連絡してくれるはずだ」


 ひとつひとつ、リーヒは成すべきことを挙げていく。静かな声が一点ずつ成すべきことを挙げていくたびに、もつれていた糸玉がスルスルと解かれていくような心地がした。


「次に彼らがいつ、どこに現れるかは……キルケーちゃん、予測はできる?」

「時間帯ならば。……夕方。多分、今日も」

「どこかは、何となく予想ができます」


 ヨルの言葉にリーヒが小さく頷いた。恐らくリーヒにもある程度予想がついているのだろう。


「後は、この依頼人が誰であるのかを知りたいね」


 リーヒの指はトンッと名簿の最下段に置かれた。まだ名前がなかった書物の入手をアルノルド・ハーヴェストに依頼した人物の名前の部分だ。


「アルノルド・ハーヴェスト自身を生贄に捧げようとしていたくらいだ。黒幕当人が直接本名でやり取りをしていたとは思えない」


 トンッ、トンッ、と刻まれた名前の上にゆっくりと指を置いたリーヒは、そこで言葉を切るとヨルを見上げた。今は紅茶色に落ち着いている瞳が、静かであるのに深い所でわずかに揺れている。


 その揺れがどこから来るものなのか知っているヨルは、小さく微笑むと自分から口を開いた。


「調査は、私に任せてください。がありますので」


 先手を打つヨルの言葉に、リーヒは一瞬だけはっきりと瞳を揺らすと静かに瞳を閉じた。ヨルの前にいるキルケーも心配そうにヨルを見上げている。


「言ったはずです。人命がかかっている、と」


 思わず垣間見た二人の心遣いに笑みを深めながら、それでもヨルは己の言葉を押し通した。


 その声に、リーヒが瞳を開く。再び姿を現した紅茶色の瞳に、もう迷いはない。


「キルケーちゃん、今のこと、各所に伝令。あと、『声』を聞いたら教えてほしい」

「了解」

「ヨル君。手配が終わったらするから。いつもの場所に集合」

「承知致しました」


 二人の了承を聞いたリーヒは立ち上がると残っていたマカロンを摘み上げる。リーヒの口の中に消えた愛らしい色のマカロンは、サクサクと状況に似つかない軽快な音を立てた。


「予定通り、今日中に片をつけるよ。みんな、気合入れてね」


 リーヒの言葉は、相変わらずそのマカロンがもたらす甘みのように柔らかい。


 だがその瞳に宿る光は、隊を預かる者に相応しい怜悧な色を湛えていた。

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