【pm 10:00 最終報告】
エゼリア帝国を開いた皇帝家の始祖は、『ヒトならざるモノ』達と交流できる能力を持っていたという。国を拓く時に皇帝家は『ヒトならざるモノ』達の力を借りたとも、その過程で数多の恨みを買ったとも言われていた。
その伝説が事実であるというひとつの証拠として、エゼリア皇帝家には『蛇の呪い』というものがあった。事情を知る皇帝家外の存在からは『エゼリアの呪い』と呼ばれているものだ。
蛇が、祟っているのだ。何代も、何百年も、変わることなく。
対策を施さなければ一族がたやすく根絶やしにされてしまうくらいに強大な力で。時代が降り、皇帝一族に『ヒトならざるモノ』達と交流する能力がなくなってしまった今となっては、対処のしようがないほどの強さで。
……対策、というのは、そんな
生贄を捧げるのだ。自分達の血を継がせた『この人間ならば呪われてもいい』という人間を意図的に作り出して、自分達から呪いの前に差し出すのだ。自分達に向かうはずだった呪いを、その生贄に代替えさせるために。
歴代のエゼリアの皇帝達は、そのために庶子をもうけてきた。絶対的な弱者を選んで、人柱として使い捨てるために己の
そうやって生み出された人間には、蛇にちなんだ名前を皇帝自らが授けるのが慣例だった。
アベル・“ヨルムンガルド”・ネーデル=エゼリア。
その血筋と宿命をひた隠し、その奥にさらに皇帝家への殺意を隠し持つ青年は、本を正せば皇帝に使い捨てられるためにこの世に生を受けた存在だった。
† ・ † ・ †
「……以上が、本日の一件の詳細な御報告になります」
向こう側からヨルを呼びつける時はこちらの都合など一切考えずに呼びつけるくせに、こちらから出向いた時はいくらでも待たされたあげく、こちらは顔を上げることさえ許されない。
「後のことは、そちらで御随意に。入り用でしたら、証拠はその時にいかようにでも御用意いたします」
暗い闇がはびこる謁見の間。その最下段にひざまずき、深く
──相手を父と思ったことはないが、
ヨルはいつも心の片隅で思うことを今も思いながら、スクエアフレームの奥に隠した瞳を剣呑に細める。
──この距離は少々、不便だな。
この距離では、刃が届かない。毒も効かない。
飛び道具はどうしても確実性に劣る。せめて腕が届く範囲に入れるようにならなければ、己の悲願は叶わない。自分を使い捨てるために生み出したというこの人間を、己の手で殺すという悲願は。
どうすればこの距離を縮めることができるのか。どうすれば必殺の間合いに引き込むことができるのか。
……皇帝と対面する時、ヨルはいつもそんなことを考えている。
「……下がれ」
そんなヨルの内心をどこまで把握しているのか、皇帝は今日もヨルの報告を聞くだけ聞くとたった一言、ヨルに退去を命じた。その言葉に特に何かを思うこともなく、ヨルはさらに頭を下げてから皇帝の御前を退く。
皇帝がヨルを多少なりとも自由が利く立場に置いているのは、ヨルが予想外にリヒトシュテイン……エゼリア皇帝家が文字通り全血を注いで繋ぎ止めてきた数少ない切り札に、予想外に気に入られてしまったからだろう。本心から言えば皇帝はヨルがこんな風に動き回れる立場にあることを疎ましく思っているはずだ。
──グラグラと傾く天秤の上に、俺はずっと立っている。
そのバランスを崩せば、ヨルはあっという間に喰われてしまう。
リヒトシュテインに。エゼリア皇帝家に。……残酷な、この世界に。
その危うさを自覚して……ヨルは口元にうっすらと笑みを刷いた。その笑みがよくリーヒの口元にある笑みと似ているということを、ヨルは嫌々ながらも自覚している。
──上っ等じゃねぇか。
喰らいたければ喰らうがいい。ただし自分は毒蛇だ。ただで喰らわれることなどしてやるものか。
あの日、あの真紅の瞳に見出されてから、自分の世界は変わった。諦めることを諦めた。諦めなくてもいいのだと、知ってしまった。
──ひとまずは、勝手に私の部屋でくつろいでいるであろう隊長をどうつまみ出すか、それが目下最大の懸案事項ですね。
暗い回廊を抜けたヨルは、空を見上げながらそんなことを思う。王宮の回廊を抜け出して官舎に向かって進みながら夜空を見上げれば、わずかに薄雲がかかった空には紅く染まった月が昇っていた。
己の部隊の隊長を連想させる月に、ヨルは淡く笑みを浮かべる。
日記代わりにつけている、どこにも提出されない己の自己満足な報告日誌に、この黒い感情をどう潜ませてやろうか、などと考えながら。
【Grenzenlos-エゼリア帝国特殊部隊-・END】
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