「はい! 皆様、お集まりいただきありがとう!」


 しばらく前にも聞いたような気がする台詞セリフだったが、置かれた状況があまりにも違いすぎた。


「それではただ今より、エルランテ公国イライザ暗殺部隊をぶっ潰すための作戦会議を始めたいと思います!!」

「ちょっと待ってください」


 以前似たような台詞を聞いた時よりも随分と威勢がいいリーヒに対し、ヨルは思わず額に片手を添えながら『待った』をかけた。


「その体勢のまま会議をするんですか? 隊長」

「仕方がないじゃない。僕、しばらくこのままらしいんだから」


 場所はイライザ特殊部隊会議室……という名の廃教会の礼拝堂。


 常ならば祭壇に向かって長椅子が整然と並べられている空間は今、一脚の椅子を中心に残して他の物ほぼ全てが雑然と壁際に寄せられている状態だった。露出された石床の上には白墨が縦横無尽に引かれており、その一番外側に引かれた真円からは光の壁が立ち上っている。


 その壁の外側にいるヨル達イライザメンバーに対し、発話者であるリーヒは円の中にいた。より正確に言うならば、中心に置かれた椅子に縛り付けられる形で座している。


 ──まぁ、教会側がここまで警戒したくなる理由も、分からなくはないんですが……


 昨日、ヨル達が『詠人不知ナーメンローゼ』のお茶会にされた際、リーヒは二回派手に力を振るった。初回はリーヒいわく『先方が展開していた厄介な結界を無効化するため』らしいが、二回目の斬撃は明らかに怒りに任せたものだったとヨルは思う。


 とにかく、あそこまで派手に力を振るってしまっては言い逃れもできない。その結果、迎賓棟の一部を破壊するに至ってしまったのだから尚更だ。そこにヨル達が無許可で廃教会の外に出ていたことと、リーヒがアッシュをく形で軍議を抜け出したことが重なり、教会側がいつになく強硬手段に出る隙を与えてしまった。


 つまり今、リーヒは『罰』として簡易的な封印の下にある。


 ──罰というよりも、恐れをなして、これ以上簡単に暴れられないようにしたかったと言った方が正しいのでしょうか?


 今のリーヒは白木のかせによって後ろ手で両手をいましめられた上に、聖銀製の鎖によって椅子に縛り付けられている。さらに首からはアッシュ愛用のロザリオがかけられ、その上から椅子の背もたれと胴をくくりつける形でアッシュのストラまで巻きつけられていた。その状態のリーヒをさらに囲うように三重円の悪魔封じの結界が展開されている様は物々しいの一言に尽きる。


 ──白木の杭を心臓に打ち込まなかったのは、さすがにそこまでするといざという時に向こうがすがり付ける先を失うから、なんですかね?


 もっとも、リーヒはそれだけのことをされていても、子供の姿のまま常と変わらない様子でピンピンしている。どれだけ教会側が死力を尽くそうとも、リーヒにとってはあくまで『簡単な封じ』止まりなのだろう。


「ほんっと、あの『詠人不知ガキ』、余計な真似しかしないんだから……」


 とはいえ、リーヒにとっても不快なものは不快であるらしい。ヨルのツッコミに軽く答えたリーヒだが、小さく続けられた言葉には隠しきれない殺意がにじんでいる。


「この一件、さっさと片付けよう。で、ヨル君?」

「……先方から出された条件ですが」


『「詠人不知ナーメンローゼ」をガキ呼ばわりしましたけれど、今の姿だと隊長の方が子供ガキですよ?』とか『「詠人不知ナーメンローゼ」の実年齢ってどれくらいなんでしょうね? 夜の住人って外見年齢と実年齢が一致しないじゃないですか?』などという言葉が胸中をぎったが、これ以上話を脱線させればリーヒの機嫌がどう転ぶか分からない。


 結果、ヨルは大人しく議題を進めることにした。


「こちらの勝利条件は『本国登城口上を常の形で終わらせること』です。エルランテ大公姫が今回事を起こした目的は、エルランテ公国の完全な独立、もしくはエゼリア帝国の威権の失墜、どちらかを為すためだという発言も出ています」

「『エゼリア帝国の威権の失墜』に関しては、半ばできているとも言えなくはないよね」


 ヨルの発言にリーヒは皮肉たっぷりに唇を吊り上げる。


「何せ歓迎式典をふたつも潰されたんだ。実際にはエルランテ側の自作自演なわけだけど、他所よそから見ればただのエゼリア側の不手際なわけだし」


 リーヒの言葉にヨルは言葉では同意を示さなかった。だがこの場で沈黙を選ぶことは同意とほぼ同義である。


「じゃあ、このままこっちは当初の予定と変わることなく、本国登城口上が無事に終わるように努めれば、賭けに勝てるってことなのかしら?」


 沈黙を選んだヨルに対し、口を開いたのはロゼだった。その隣でヴォルフが珍しく難しい表情を浮かべているが、こちらはリーヒを封じる結界の余波に調子を崩しているだけだろう。キルケーもキルケーで目の封じを貫通して届く結界の光が眩しいのか、ロゼの腰にグリグリと額を押し付けるようにしている。


「どうにもそれだけでは弱いような気がしますが」


 ロゼの発言にヨルが否を告げると、一行の視線が改めてヨルに集まった。


 その視線ひとつひとつを意識しながら、ヨルはここまでに纏めた考えを口にする。


「形式の上では常の形で終わらせることができても、エゼリアがエルランテに何か弱みを握られるような終わり方になっては『勝てた』とは言えないと私は思います」

「確かに……それは言えなくもないわね」


 そもそも、勝利達成条件が曖昧とも言える。


 判定員リヒターは勝負相手でもあるエルランテ側だ。こちらがしのぎきれたと思っていても、向こうが否と言えばその否が通る。


 だからこそこちらは、向こうが否を言えないくらい確実な勝利を納めなければならない。


 その勝利の形とは、一体何なのか。


「エルランテ側は、何を手に入れられれば『完全な独立』を果たすことができるのでしょうか?」


『エルランテ公国の完全な独立、もしくはエゼリア帝国の威権の失墜、どちらかを為すため』と『詠人不知ナーメンローゼ』は口にしたが、結局求めていることは同じなのではないかとヨルは思う。


 ──要するにエルランテ側は、『エゼリアの従国』という立場から解放されたいということなのでは?


 ならば欲しているのはエゼリア皇帝からの一言か。


 いや、言葉だけでは弱い。どれだけの衆目の前で『今後エゼリアはエルランテを対等な一国として扱う』と宣言させたところで、後から『そんなことは言っていない』と簡単に翻すのがエゼリア皇帝という存在モノだ。建国の折からエゼリア皇帝家に辛酸しんさんめさせられ続けたエルランテ大公家がそれを知らないはずがない。


 ──だったら、一体何を……


「探ってくる」


 答えが出ないヨルの思考を断ち切ったのは、いつになく強いキルケーの言葉だった。


 思わずヨルが弾かれたようにキルケーを見やれば、キルケーは真っ直ぐにヨルを見上げていた。いまだに結界の燐光が眩しいのか、その顔は常よりもしかめられているが、ヨルを見上げるキルケーの表情は毅然きぜんとしている。


「上層部、きっと情報、持ってる」

「キルケーさん」

「あいつらが、見えないところで何をしているのか、全部見破る」


 ロゼから手を離したキルケーは、キュッと自分の軍服の裾を握りしめた。その手は小さく震えているが、ヨルを見上げた顔がうつむくことはない。


「ヨルのこと、渡さない」


 ──キルケーさん……


 強い決意がにじんだ声に、ヨルは思わず言葉を失う。今は隠されているキルケーの瞳と、真っ直ぐに視線がかち合ったような気がした。


「そうね。ヨルをみすみすあんなやつらに渡すような真似、アタシ達自身が許せないもの」


 そんなキルケーの肩に、ロゼがそっと手を添えた。ハッとヨルがロゼを見やれば、ロゼはパチリとウインクをしてみせる。


「たまにはアタシ達も頼りなさい」

「おーよ。探るのは案外得意だぜ」


 さらにその後ろにヴォルフが並ぶ。頭の後ろで手を組んだヴォルフは、視線を巡らせたヨルにニッと笑みかけた。


「んじゃとりあえず、俺らで取っ掛かりを見つけてくるかね」

「仕方がないから、アッシュもしばいて協力取り付けてくるわ」

「待ってて、ヨル」


 いつになくやる気を見せる三人に、ヨルは小さく頷いて答える。さらに問うようにリーヒを見やれば、リーヒもリーヒで満足そうな笑みを浮かべていた。


「気をつけるんだよ、みんな」

「リーヒ、大人しくしてて」

「くれぐれも暴れようとするんじゃないわよ」

「頼んますよぉ? マジで」

「ちょっと」


『せっかく気持ちよく送り出してあげようとしたのに』とブスくれるリーヒにヒラリと手を振り、三人は礼拝堂から姿を消した。一瞬『そういえば私達はここに軟禁されていたのでは?』という考えも過ったが、事態は逼迫ひっぱくしている。要するにリーヒがここで大人しくしていて、ヨルが近場にいれば問題はないだろうとヨルは考えを改めた。


「ヨル君」


『さて、私もこの隙に溜まりに溜まった書類を片付けますか』と、ヨルも身を翻す。


 その瞬間、甘く滴るかのような声が、ヨルを呼んだ。


「こっち来て」


 考えるよりも早く、体が声の主を振り返っていた。


 三重円に阻まれている今、ヨルとリーヒの距離は遠い。結界が光の壁を立ち上げているせいで、リーヒの姿もよく見えない。


 だというのにヨルには、リーヒが幼子おさなごらしからぬ妖艶な笑みを浮かべている様が手に取るように分かった。


「……行け、ませんよ」


 フラリと足が前へ出かける。


 だがヨルは、無意識に動きかけた体を理性をもって引き止めた。


「この結界を、私は越えられません」


 干上がりそうな喉で、ヨルは『事実』を口にする。


 だがそんなヨルに、リーヒは吐息で笑ったようだった。同時に、拘束されていない爪先がヒュンッと軽く振り上げられる。


 その軌跡に添って、バクリと結界が割れた。光を割った影は軌跡から左右に侵食し、人一人が余裕で通れる道を開く。


 まるでヨルの前に玉座にまで至る道が開けたかのような。


 その道の向こうで、深い深い真紅の瞳がわらう。



 絶対君主が強い意志を込めて、たった一人に呼びかける。


 その声に逆らえる者など、この世には存在しない。


 気付いた時には、ヨルはフラフラと声に従ってリーヒの元に歩み寄っていた。頭の芯は冴えたままで、『このまま従っていてはいけない』と危機を叫んでいるのに、体が言うことを聞いてくれない。


「僕、お腹空いちゃったんだよね」


 その酩酊にも近い感覚が消えた時、ヨルはすでにリーヒの目前まで歩を進めてしまっていた。一度開かれた結界はすでに閉じられていて、今度はヨルまでもがリーヒとともに結界の中に封じられる状態になっている。


「でも僕今、立ち上がれないし、両手も使えないし」


 そんな風にヨルの退路を断っておきながら、リーヒはあくまで無邪気に要求を突き付けた。


「ねぇ、ヨル君。ヨル君から捧げてよ」


 つまり何をしろということなのか。なぜこのタイミングでリーヒが魔眼の力を緩めたのか。なぜわざわざ結界を再び閉じたのか。


 それが理解できた時には、従う他に道はない場所まで、ヨルは追い詰められている。


「……っ、お前が本気になれば、こんな拘束くらい……っ!」

「そうした場合、一番追い詰められるのって、ヨル君じゃない?」

「っ……!」


 ──いつになく性格が悪いな、こいつ……っ!!


 様々な計算を巡らせたヨルが顔を引きらせる過程までをも堪能したリーヒは、ヨルを見上げたまま愉悦の笑みを深める。


 そのまま動き出せないヨルをしばらく見つめていたリーヒは、不意に表情をかき消すと冷徹に命じた。



 リーヒの『花嫁』であるヨルは、常ならばリーヒの魔眼の餌食にはならない。ロゼやヴォルフと比べても、リーヒの魔眼への抵抗力はヨルの方が高いはすだ。


 だがリーヒがヨルの精神を破壊するギリギリまで力と圧を込めて魔眼を行使すれば、その限りではない。


 真紅の魔眼に射抜かれた瞬間、クラリと意識が揺れる。それでも頭の芯が冴えたままなのは、リーヒの嫌がらせに違いない。


 結果、ヨルは己の指がノロノロと襟を緩め、リーヒが己の首筋に牙を突き立てやすいようにみずからリーヒに覆いかぶさる様を、意識の端で観察し続けるハメにおちいった。


「忘れるな、アベル・“ヨルムンガルド”・ネーデル=エゼリア」


 そんなヨルの意識の縁を撫で上げるかのように、甘くて深い声がした。


 子供の声であるはずなのに、カスタードのようになめらかで、チョコレートのように甘く聞こえる声が。


「お前が誰の『花嫁モノ』であるのかをな」


 その宣告と同時に、声よりも甘い快楽がヨルの全身を貫いた。

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